第20話:嵐の向こうに見えたもの ①
戦から数日後。
帝都の鐘が鳴り響き、凱旋の行列が石畳を進む。
黒と紅の旗が風に翻り、民衆の歓声が街を包んでいた。
“帝国の獅子”クロイツァーと“黒曜の剣聖”ヴィクトリア──
その帰還を讃える声は、どこまでも続いていた。
通りの両脇には、老いも若きも集まっていた。
粉まみれの職人が帽子を脱ぎ、膝を折る。
商人の娘が高台に上り、赤い外套を見つけて手を振った。
「剣聖様だ!」
子どもたちが口々に叫び、紙の花を撒く。
それが風に舞い、陽光の中で金砂のようにきらめいた。
老婆が隣の婦人に囁く。
「あの方が、戦を終わらせたんだってねえ。」
「剣でなく、言葉で終わらせたってさ。奇跡だよ。」
「……あの黒い鎧、怖いけど綺麗ねぇ。」
婦人の腕に抱かれた赤子が、小さな手を振る。
ヴィクトリアは気づくことなく、まっすぐ前を見据えていた。
民の笑顔、空に舞う花弁。
ようやく訪れた“平和”の実感が、胸の奥に静かに染みていく。
隣を進むクロイツァーが、ぼそりと呟いた。
「……まったく、“戦勝”と言ってよいのか分からぬな。双方に殆ど死者が出ず、兵を動かしただけの戦など。」
「“戦わずして勝つ”。それこそ最も難しい勝利でしょう。」
ヴィクトリアが穏やかに返す。
「この勝利は剣ではなく、人の心がもたらしたものです。」
クロイツァーは目を細め、苦笑した。
「そうだな。
……ならば、勝利の褒美に、和平が崩れず悔しがる宰相の顔でも拝んでくるとしようか。」
⸻
白鷺の離宮から解放された王女エレツィアが、城門前に立っていた。
城の白壁が陽光を反射し、金糸の髪が淡く光を返す。
その後ろには近衛と文官、さらに帝都の貴族たちが列をなし、
白と紅の衣が整然と並んでいた。
花弁が風に乗り、石畳の上を舞う。
民衆の歓声が遠くから波のように押し寄せ、
帝都全体が「平和」の祝祭に包まれている。
だが、クロイツァーの胸にあるのは喜びだけではなかった。
群衆の笑顔の向こうに、戦で傷ついた兵の顔が、刺客に斃された衛兵の姿が、
ふと、脳裏に浮かんだ。
その光景を胸の奥に押し込み、彼は馬を下りた。
「おかえりなさいませ。おふたりとも。」
エレツィアの声は、喜びを抑えきれずに震えていた。
クロイツァーは軽く頷き、微笑を作る。
「今戻った。貴女も無事でよかった、婚約者どの。」
「ええ。わたくしは大丈夫ですわ。
ご心配をありがとうございます、殿下。」
そのやり取りは、儀礼として完璧だった。
周囲の視線も、拍手の音も、すべて段取り通り。
だがクロイツァーの目には、
彼女の瞳の奥に宿る“わずかな揺らぎ”が映っていた。
笑みの奥で、光るものがある。
それは涙か、安堵か、それとも別の何かか。
(……“人を想う”とは、こういうことなのだろうか。)
その瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。
それは戦場の剣では届かない痛み──
どこかで感じたことはあるが、思い出せない。
エレツィアが微笑む。
その笑顔が、眩しくて、どこか切なかった。
クロイツァーは、彼女の隣に立つヴィクトリアを一瞥する。
黒曜の鎧の奥で、彼女の赤い瞳もまた、
何かを堪えるように静かに揺れていた。
祝福の鐘が鳴る。
だが、その音が何を告げているのか、
この時の彼にはまだ分からなかった。




