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アルドレア戦記  作者: 猪飼 要
第二章
29/82

第20話:嵐の向こうに見えたもの ①

戦から数日後。

帝都の鐘が鳴り響き、凱旋の行列が石畳を進む。

黒と紅の旗が風に翻り、民衆の歓声が街を包んでいた。

“帝国の獅子”クロイツァーと“黒曜の剣聖”ヴィクトリア──

その帰還を讃える声は、どこまでも続いていた。


通りの両脇には、老いも若きも集まっていた。

粉まみれの職人が帽子を脱ぎ、膝を折る。

商人の娘が高台に上り、赤い外套を見つけて手を振った。

「剣聖様だ!」

子どもたちが口々に叫び、紙の花を撒く。

それが風に舞い、陽光の中で金砂のようにきらめいた。


老婆が隣の婦人に囁く。

「あの方が、戦を終わらせたんだってねえ。」

「剣でなく、言葉で終わらせたってさ。奇跡だよ。」

「……あの黒い鎧、怖いけど綺麗ねぇ。」

婦人の腕に抱かれた赤子が、小さな手を振る。

ヴィクトリアは気づくことなく、まっすぐ前を見据えていた。


民の笑顔、空に舞う花弁。

ようやく訪れた“平和”の実感が、胸の奥に静かに染みていく。


隣を進むクロイツァーが、ぼそりと呟いた。

「……まったく、“戦勝”と言ってよいのか分からぬな。双方に殆ど死者が出ず、兵を動かしただけの戦など。」


「“戦わずして勝つ”。それこそ最も難しい勝利でしょう。」

ヴィクトリアが穏やかに返す。

「この勝利は剣ではなく、人の心がもたらしたものです。」


クロイツァーは目を細め、苦笑した。

「そうだな。

……ならば、勝利の褒美に、和平が崩れず悔しがる宰相の顔でも拝んでくるとしようか。」



白鷺の離宮から解放された王女エレツィアが、城門前に立っていた。


城の白壁が陽光を反射し、金糸の髪が淡く光を返す。

その後ろには近衛と文官、さらに帝都の貴族たちが列をなし、

白と紅の衣が整然と並んでいた。


花弁が風に乗り、石畳の上を舞う。

民衆の歓声が遠くから波のように押し寄せ、

帝都全体が「平和」の祝祭に包まれている。


だが、クロイツァーの胸にあるのは喜びだけではなかった。

群衆の笑顔の向こうに、戦で傷ついた兵の顔が、刺客に斃された衛兵の姿が、

ふと、脳裏に浮かんだ。


その光景を胸の奥に押し込み、彼は馬を下りた。


「おかえりなさいませ。おふたりとも。」

エレツィアの声は、喜びを抑えきれずに震えていた。


クロイツァーは軽く頷き、微笑を作る。

「今戻った。貴女も無事でよかった、婚約者どの。」


「ええ。わたくしは大丈夫ですわ。

ご心配をありがとうございます、殿下。」


そのやり取りは、儀礼として完璧だった。

周囲の視線も、拍手の音も、すべて段取り通り。

だがクロイツァーの目には、

彼女の瞳の奥に宿る“わずかな揺らぎ”が映っていた。


笑みの奥で、光るものがある。

それは涙か、安堵か、それとも別の何かか。


(……“人を想う”とは、こういうことなのだろうか。)


その瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。

それは戦場の剣では届かない痛み──

どこかで感じたことはあるが、思い出せない。


エレツィアが微笑む。

その笑顔が、眩しくて、どこか切なかった。


クロイツァーは、彼女の隣に立つヴィクトリアを一瞥する。

黒曜の鎧の奥で、彼女の赤い瞳もまた、

何かを堪えるように静かに揺れていた。


祝福の鐘が鳴る。

だが、その音が何を告げているのか、

この時の彼にはまだ分からなかった。

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