第18話:祈りを砕く剣(後編) ①
夜。
バルスレー砦の一室。
武装こそ取り上げられたものの、通常の捕虜収容所ではなく、客人として整えられた部屋が与えられていた。
机、椅子、暖炉、寝台。どれも簡素だが清潔で、乱れがない。
ただひとり、そこに座る青年の表情だけが険しかった。
王国の若き騎士、リュークス・パドレ。
憮然とした顔で沈黙し、視線を床に落としたままだった。
向かいに立つのは、クロイツァーとヴィクトリア。
捕虜の尋問というより、謁見に近い静かな空気が流れていた。
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「もう一度、整理して聞こう。
……“大司教”とは何者だ?」
クロイツァーの問いに、リュークスはしばし黙し、やがて低く答えた。
「ノーレから赴任したばかりの方だ。軍備も、大司教様がすべて整えてくださった。
もとはノーレ大聖堂の教会騎士団長だったと聞いている。
『聖女は王国に。それがあるべき姿だ』──そう仰った。
この話に賛同したのは、大貴族の嫡男たちと、彼らの派閥に属する下級貴族だ。
……我々には軍の指揮の経験がなく、大司教様が“ならば、代わりに指揮を執る”と名乗り出られた。」
話し終えると同時に、重い沈黙が落ちた。
クロイツァーは深く息を吐く。
「……ものの見事に、腹の底まで真っ黒だな。
貴公らは、そんな話を信じたのか。」
「……!」
言い返そうとする青年を制すように、ヴィクトリアが静かに口を開く。
「裏が見えました。──この“大司教”を討つべきです。」
「裏?何を言っている、貴様ら──!」
激昂して立ち上がろうとしたリュークスを手で制し、ヴィクトリアの瞳が鋭く細められた。
剣の柄に手をかけ、視線は部屋の外へ向く。
その空気の変化を、クロイツァーも即座に察する。
「……何者だ。」
次の瞬間、扉が静かに開く。
ぬるりとした足音。
戦場には似つかわしくない気配が室内に満ちる。
フードを被り、顔を覆った二人の男が忍び込んできた。
手には血の滴る短剣。
──その目は、まっすぐリュークスを狙っていた。
「下がれ!」
ヴィクトリアが先に動いた。
黒曜の剣が閃き、刃が喉を裂く。
音すら出ぬまま、一人目が崩れ落ちた。
残る一人が跳びかかる。
クロイツァーの剣が、獅子の咆哮とともに振り抜かれた。
金属がぶつかり、骨が砕け、肉を裂く音が続く。
男は床に沈んだ。
血の臭いが、部屋を満たす。
⸻
「誰か!誰かある!」
クロイツァーの怒声が石造りの壁に響く。
「曲者だ!二人は仕留めたが、衛兵がやられている!砦中を捜索しろ!」
命令を受けた騎士たちが駆ける音が響く中、
ヴィクトリアは無言のまま刺客の亡骸を検めた。
衣服の内側──胸元に、小さな瓶が隠されている。
透明な液体がゆらめき、かすかに光を反射した。
「……ノーレの毒。やはり“大司教”が、彼を消しに来たか。」
そう呟き、リュークスに視線を向ける。
その藍色の瞳が、恐怖に揺れていた。
「ここで貴公が死ねば、我々の仕業に見える。
憎悪を煽るには、これ以上ない手だ。」
クロイツァーが戻り、瓶を受け取る。
「……高位貴族の嫡男が異国で毒殺される。
王国中の民が『帝国に殺された』と信じるだろう。
──実に、手際が良い。」
「……そんな、まさか……大司教様が……!」
リュークスは崩れ落ちた男たちを見下ろした。
その顔には見覚えがある。
自らの陣で共に杯を交わした教会兵たちだった。
胸の奥で、何かが軋む。
信じていたものが、音を立てて崩れていく。
血の匂いが鼻腔を刺す。
正義を示す戦いが、急に醜く、汚れたものに見えた。
“信じる”ことの重さが、胸にのしかかる。
握りしめた拳が震える。
理想が崩れる音は、剣戟よりも痛烈だった。
ヴィクトリアは静かに言う。
「奴は貴公を“駒”にした。
──ノーレは争いの火種を撒き、どちらの国にも絶望を残す。」
クロイツァーが頷く。
「この戦、婚約者どのの意志にもそぐわぬ。
早急に終わらせねばなるまい。」
一拍の沈黙。
やがて、リュークスが顔を上げた。
藍の瞳に、決意の光が宿っていた。
「……なら、俺に考えがある。
信じてくれるか?」
クロイツァーがわずかに目を細める。
「提案次第だな。」
「王女殿下に誓って言うのなら、聞こう。」
ヴィクトリアの声音は静かだが、どこか柔らかかった。
リュークスは拳を握りしめ、言葉を絞り出す。
「……エレツィアに。王女殿下に誓って。」
クロイツァーが小さく口角を上げる。
「よかろう。作戦会議といこうか。」
窓の外では、東の空がわずかに白んでいた。
夜が明けていく。
そして、新たな“策”が、静かに動き出そうとしていた。




