第17話:祈りを砕く剣(前編) ①
帝国議会の翌日。
西へ延びる街道を、二騎の影が駆けていた。
クロイツァーとヴィクトリア。最小限の供回りのみを連れ、夜明けとともに出立した。
「……まさか、陛下自ら俺を前線に放り出すとはな。」
朝靄を裂きながら、クロイツァーが口を開く。
「……“確認”でしょう。殿下なら、現地で何か掴めると踏まれた。」
「ふっ、要するに“猟犬”か。──ならば、骨の一本でも見つけて帰るとしよう。」
乾いた笑いを交わしながら、ふたりの馬は昇る陽を背にして駆け抜けた。
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二日後。
王国の反攻に備え、国境の丘陵に築かれたバルスレー砦に皇太子と剣聖は到着した。
鉄と土の匂いが入り混じり、戦意の渦が胸壁の中に充満していた。
「殿下、剣聖殿──ようこそお越しくださいました!」
第二騎士団長が進み出て礼を取る。
軍議の場は石造りの広間だった。
油灯の灯りが揺れ、長卓には地図、錘、そして戦場の焦燥の匂いが並んでいた。
「報告します。王国軍は砦より三日手前を行軍中。兵数六千。
王国正規軍は未確認。騎士団旗はごく僅か、主力は領主軍と見られます。」
「ふむ……つまり、王家は表に出ていない。“暴走”の線が濃い、か。」
クロイツァーが地図に目を落とす。
「はっ。……それと斥候より、教会騎士団の軍旗を確認したとの報告が。」
「坊主どもか。──なるほど、きな臭くなってきたな。」
団長が続ける。
「我が方は第二騎士団四千、アフタ伯家千五百、バーナ伯家千、トップ子爵家五百。合計七千。地の利も我が方にあります。」
「アフタ、バーナ、トップ……短期間でよくぞこれだけの兵を集めた。忠節、しかと覚えておこう。」
領主たちが一斉に言葉を返した。
「恐れ入ります! 王国の弱兵どもに一泡吹かせてご覧にいれましょう!」
「王国の隣領として常に備えておりますゆえ、出陣は造作もありません。」
「この時を待っておりましたぞ。我らの戦働きにご期待あれ!」
クロイツァーが軽く笑い、地図を指で叩く。
「黒曜もいる。まともにやれば負ける要素はない……が、匂うな。」
顎に手を当て、目を伏せ思案する。
油灯の灯りに照らされ、青い瞳がかすかに光った。
「殿下?」
「王国から見れば、これは負け戦だ。わざわざ死にに来る理由がない。──ならば、裏がある。」
「なるほど。陛下が殿下を送った理由も、そこに。」
「裏…まったく、同感ですな。」
「うむ。情報を詰めねばならん。斥候を倍に増やせ。」
「はっ!」
クロイツァーの視線が、静かに黒髪の騎士へと向く。
「黒曜、何かあるか。」
「……特には。──いえ、一つだけ。」
視線が上がり、赤い瞳がわずかに光る。
「いざとなれば……王国軍も、その背後の影も、全て斬るだけです。ご安心を。」
一瞬の静寂。
のち、場の空気が笑いに変わる。
「ははっ!それは頼もしい!」
「しかし戦功第一は譲れませぬぞ!」
「殿下、良き配下をお持ちだ!」
「ふっ……慣れぬ冗談を言いおって。」
クロイツァーが肩を竦める。
「だが聞いたな。無理はするな。勝てる戦を確実に拾う。それで十分だ。」
「はっ。」
軍議はそのまま散会した。
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二日後の夜。
砦の中庭を渡る風は冷たく、星明かりすら霞んで見えた。
一方軍議の場では、地図と報告書を広げた机を挟み、クロイツァーとヴィクトリアが向かい合う。
「……結局、何も出ぬな。“暴走”の筋書きで全て辻褄が合ってしまう。」
「ええ、表向きは。しかし、“筋が通りすぎている”……先日のスラム街粛清の際も、表面上は完璧な“正義”でした。」
「なるほどな。表が美しすぎる時は、裏が深い。」
「はい。」
クロイツァーが地図の上で指を止める。
灯火が輪郭に影を落とした。
「しかし、裏が全く見えぬのは厄介だ。
……さて、どう動いたものか。」
「殿下。私に一案があります。」
ヴィクトリアの視線が上がる。
その瞳に、静かな決意の光が宿っていた。
「ほう、申せ。」
「我々では王国軍の内情を探れません。ならば──知る者に直接聞けばいい。私が、餌に。」
その言葉に、クロイツァーの青い目が光る。
「“釣り”、か。」
「ええ。どのみち、敵は私を狙うでしょう。王女殿下の“監視役”として、恨みを買っております。」
「……面白い。まさに黒曜らしい。喉に針を刺す“餌”だな。」
クロイツァーの口角がわずかに上がる。
それに対して、黒髪の騎士は淡々と答えた。
「──喉を裂くまでが仕事です。」
「いいだろう。騎士団長と領主を呼べ。今夜のうちに詰めるぞ。」
「はっ。」
その夜、軍議場の灯は夜更けまで消えなかった。
厚い雲が月を覆い、夜風だけが──これから始まる戦の匂いを運んでいた。
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翌日、夕刻。
バルスレー砦へと到着した王国軍へ、
帝国軍から使者が訪れた。
曰く、
『貴殿らの懸念は誤解であり、我が国では王女殿下を正しく敬って遇している。
しかし、ひとたび兵を挙げた以上、手ぶらでは戻れぬことも理解する。
そこで提案する。
──双方の代表者同士の一騎打ち。
此方は“黒曜の剣聖”を出す。
もし帝国最強の騎士たる剣聖が敗れたならば、帝国は王女殿下を返還し、停戦に応じよう。』
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その夜、王国陣は動揺に包まれていた。
「……無茶な理屈だが、一応の筋は通る。」
「“黒曜の剣聖”だと?お飾りではなかったのか?」
「皇太子印……!帝国最強の剣に、本気で帝国軍の命運を賭けるつもりか。」
「バルスレーの帝国兵は予想以上。正面からでは被害が大きい。決闘で済むならば……。」
その時、一人の若者が立ち上がる。
黄金の髪に藍の瞳──王国の矜持をそのまま具現した若き騎士。
「──ならば、俺が行く。」
「リュークス殿!? 危険です!」
「構わない。俺以上の騎士もいまい。
それに……エレツィアを取り戻す絶好の機会だ。」
その声には、若者の正義と、抑えきれぬ熱が混ざっていた。
誰も、それを止められなかった。
戦が、動き出した。




