第16話:私自身の誓い ①
執務室での会談から、ひと月が過ぎた。
その日、再びクロイツァーから召集の使いが届く。
指定された部屋へ、エレツィアとヴィクトリアは並んで向かう。
皇太子の向かいの椅子にエレツィアが座り、その後ろにヴィクトリアが静かに控えた。
「──ふたりとも、ずいぶんと暴れているようだな。」
椅子に腰かけた瞬間の言葉に、エレツィアが微笑で応じる。
「まあ、暴れるだなんて。殿方は何かと仰りようが物騒ですわね。ねえ、ヴィクトリア。」
「はっ。」
「……ええい、女同士で団結するな。」
クロイツァーは肩を竦め、すぐに表情を引き締めた。
「さて、近況の報告だ。伝令線の洗い出しは完了した。
宰相の伝達網は遮断、奴らの動きも掌握済み。
……確たる証拠が揃えば、議会で突き上げることもできよう。」
「黒曜。宰相子飼いの密偵網は壊滅したようだな。
反対派の連中が“噂が入らぬ”と嘆いているのを耳にした。見事だ。」
「はっ。帝都に残る者は、あとわずかです。」
「婚約者どのの方も順調だな。茶会での世論誘導が効いている。
宮廷では“あの時の粛清は必要だったのか”という空気が出来つつあるそうだ。」
エレツィアがやわらかく微笑む。
「奥様方は争いを嫌いますもの。立場は違えど、本質的には皆、平穏を求めています。……ですから、わたくしの味方ですわ。」
「……婚約者どのが味方でよかった。」
クロイツァーは半ば本気の声音で呟く。
「気がつけば反対派の連中までもが、そっくり陣を移している。前代未聞だ。」
彼は椅子を深く引き寄せ、指を組む。
「宰相の足元は順調に崩れている。奴も容易には尻尾を出さんが……。」
短い沈黙。
青い瞳に、かすかな迷いが走った。
(……妙だな。あの男がこのまま黙っているはずがない。)
その違和感を振り払うように、声の調子を戻す。
「機は近い。それまではこのままの方針で進める。」
「はい。……ですが、何か不安要素でも?」
エレツィアの問いに、クロイツァーはわずかに眉を寄せる。
「いや、何か嫌な予感がするだけだ。嵐の前の静けさでないと良いが。」
その時──。
ヴィクトリアが音もなく剣の柄に手を添え、扉を見据えた。
赤い瞳が一瞬だけ鋭く光る。
空気が凍る。
クロイツァーもエレツィアも、すぐに気づいた。
外に、人の気配。
「──何者だ!」
「うわぁっ!け、剣聖様!?」
扉を勢いよく開け放つと、若い文官が尻餅をついていた。
どうやら急用を申しつけられたものの、入る勇気が出ずに扉の前で逡巡していたらしい。
「騒々しい。立入るなと命じたはずだが。」
「も、申し訳ございませんっ!ですが、一大事でございます!至急、帝国議会へお越しください!」
クロイツァーの青い瞳が細まる。
「……議会に?よほどのことだな。何が起きた。」
文官は息を荒げ、震える声で告げた。
「エ、エルスーアが──兵を挙げました!軍勢が我が国に迫っております!」
その瞬間、がたりと音が響いた。
顔色を失ったエレツィアが、椅子から立ち上がった音だった。
⸻
帝国議会は、混乱の渦中にあった。
卓上に広げられたのは、王国からの宣戦布告文。
そこに記された文言を、誰もが信じられぬ思いで見つめていた。
『輿入れから半年を経ても、結婚式の日取りすら決まらず、夜会にも姿を見せず、共に公務も行っていない。
皇太子は帝都を離れ、剣聖を近衛に付けている。これは監視である。
王女殿下は実質的に軟禁されている。
帝国は王女を人質とし、侵攻の口実を作ろうとしている。
よって我が国は、王女殿下を奪還し、真の正義を示す──。』
議場にざわめきが広がる。
侮蔑、嘲笑、混乱。
それでも誰も、事態を笑い飛ばせなかった。
「……これは、子供の書いたものか?」
「何一つ証拠がない。妄想を宣戦布告にしたとでも?」
「使者も寄越さず、紙切れ一枚で戦を始めるとは……!」
誰もが口を閉ざした。
だが、紙の上の文字は、すでに戦を始めている。
エレツィアは唇を噛む。
(……お父様が、こんな愚行を許すはずがない。何か、裏がある。)
皇太子が眉間に皺を寄せ、低く唸った。
「このような文を“国”が出すものか……しかし、現実に兵は動いている。感情論では済まぬな。」
宰相がすかさず頷く。
「仰る通りにございます。では──敵軍の規模を。」
参謀が進み出る。
「はっ。現在、王国軍は王国東部フロイダース領を通過中。兵数は六千。
現在の進軍速度ならば一週間で我が国に侵入します。
国王旗は確認されず、先鋒は王国貴族の領兵と見られます。」
「六千か。多くはないが、軽んじる数でもないな。」
猛将として知られる伯爵が唸る。
「だが、野戦となれば領地の被害は避けられまい。」
「バルスレー砦で迎え撃つのはどうだ?第二騎士団ならば抜かれることもなかろう。」
「王国軍は守勢では強いが、攻勢では脆い。砦を盾にすれば十分戦える。良案ですな。」
クロイツァーが頷く。
「不足はない。採決が終わり次第、俺の権限で兵を動かす。」
議長が木槌を取る。
「では、採決を行う。」
椅子の軋む音が重なり、議場に緊張が走る。
「──可決。」
それと同時に、遠くで雷鳴が響いた。
重く、低い音。
まるで空そのものが、これから始まる戦を嘆いているようだった。
クロイツァーは短く息を吐く。
「第二騎士団に伝令を。──我らも動く時が来た。」
沈黙。
議場に満ちるのは、鉄と炎の匂い。
エレツィアの手が、いつの間にか膝の上で固く握られていた。




