第14.5話:茜色に染まる空の下で
薔薇の庭園での出来事から、一週間が過ぎた。
帝都を遠く望む丘の上に、私はヴィクトリアと共に立っていた。
空は高く、雲は淡く、柔らかな風が頬を撫でていく。
草原の香りを含んだ風が、静かに髪を揺らす。
その丘の上には、五つの小さな墓が並んでいた。
──あの、炎と死の夜。
すべてが灰となり、光も音も失われたあと。
ヴィクトリアは衛兵に指示を出し、子どもたちとシスターの遺体を運び出してくれていた。
私が立ち上がれずにいた間も、彼女はずっと動いていた。
そして、この丘に墓を建ててくれていたのだ。
もし何の手もなければ、彼らはスラムの隅に冷たく打ち捨てられていただろう。
けれど今、陽光が降り注ぐこの丘で、穏やかに眠っている。
柔らかな風と共に、草花が墓を撫でていた。
それは、一度心を折られた私にとって、これ以上ない“救い”だった。
彼女は、ずっと私の心を護ろうとしてくれていたのだ。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥があたたかなもので満たされていく。
「エレツィア様。こちらを。」
ヴィクトリアが一歩進み、小さな布袋を差し出す。
中には、あの日彼女が拾い集めた、子どもたちとシスターの遺品が静かに収められていた。
「……私が、もっと早く気づいていれば。」
その声は、風よりも小さく、罪の告白のように沈んでいた。
「いいえ。貴女がいなければ、彼らの名を刻むことさえできなかったわ。」
そう返すと、彼女の瞳がわずかに揺れ、静かに伏せられた。
一つひとつ、遺品を手向けていく。
燃え残った木剣を墓前に添えた。
「ロン……向こうでも、シスターを護ってあげて。
あなたの明るさは、きっと誰かを救うわ。」
黒く焦げた金槌を静かに置く。
「ビリー……人を想うあなたの優しさは、人を笑顔にする力よ。
ロンを、皆を…支えてあげてね。」
溶けて形を失ったリボンを墓標に結ぶ。
「アイシャ……もうおまじないはいらないでしょう?
可愛らしい貴女に涙は似合わないものね。
どうか、ずっと笑顔で。」
抱きしめられていた木炭を、あるべき場所へそっと戻す。
「レニ……大好きなお絵描きをたくさんしてね。
いつかまた出会えたら、私とヴィクトリアを描いてほしいわ。」
首から下げていた神の印を、両手で包むように捧げる。
「シスター・ベレッタ……力になれず、ごめんなさい。
それでも、貴女のことは忘れない。あなたたちの死を、無駄にはしない。絶対に。」
そうして、静かに祈りを捧げた。
どうか、これ以上の苦しみがありませんように。
どうか、彼らの魂が、光に包まれていますように。
遠くで、時を告げる鐘が鳴った。
その澄んだ音は、まるで死者を慰める祈りのように、丘の風へ溶けていった。
⸻
夕暮れの帰り道。
沈む陽が帝都の尖塔を黄金に染め、影を長く引き延ばしている。
振り返ると、少し後ろを歩く寡黙な近衛と視線が交わった。
「……ねえ、ヴィクトリア。」
自分でも驚くほど静かな声が出た。
「──あの子たちは、私を責めていると思う?」
ヴィクトリアの歩みが止まる。
しばしの間、風の音だけが二人を包んだ。
やがて、低く、確かな声が返る。
「誰も、エレツィア様を責めてはいません。
あの子たちは……エレツィア様に救われたのです。最後の瞬間まで。」
「……そう、なのね。」
「はい。エレツィア様が悲しむことを、きっと望まないでしょう。」
──風が、冷たくなった。
「ねえ、ヴィクトリア。分かったことがあるの。」
「……お聞かせください。」
「私は、皇太子殿下と結婚すれば、両国の和平が叶えば、大陸に平和が訪れると思っていたの。
でも、そんな単純なものじゃなかった。──世界はもっと複雑で、もっと残酷だった。」
沈む陽の光が、地平の向こうへと滲んでいく。
風が頬を撫でるたびに、言葉がひとつ、ひとつ、こぼれ落ちるように続いた。
「貴女に話した“争いのない時代”。
本当に何一つ、世界を知らない小娘の夢物語だったのかもしれないわね。」
ヴィクトリアが口を開きかけ──けれど、声が途切れた。
その沈黙には、言葉にできない痛みが滲んでいた。
「──それでも。」
私は顔を上げる。
胸の奥に宿った灯を確かめるように、彼女の瞳を見据えた。
「私は、未来を諦めない。
諦めたら、そこで終わってしまう。
あの子たちの、シスターの、そしてスラムの民の命が、踏みにじられたままになる。
そんなことは、絶対に許さない。」
「……!」
「ヴィクトリア。私は戦うわ。
奪われた命への復讐ではなく──これから奪われようとしている命を、護るために。」
息を呑む音が、夕風に紛れて聞こえた。
ヴィクトリアの赤い瞳が、大きく見開かれている。
「そのために、考えがあるの。聞いてくれる?」
「無論です。──なんなりと。」
茜色に染まる帰路、ふたりは未来のことを語った。
それは、失われた命へ捧げる“祈り”であり、明日へと紡ぐ“誓い”でもあった。
陽が完全に沈むころ、丘の上の墓標にはまだ光が残っていた。
風が柔らかく流れ、草花が光を宿す。
その瞬間、あの日の笑い声が──風の中で微かに響いた気がした。
その光はまるで、彼らがふたりの歩む道を、静かに照らしているかのようだった。




