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アルドレア戦記  作者: 猪飼 要
第二章
20/83

第14.5話:茜色に染まる空の下で

薔薇の庭園での出来事から、一週間が過ぎた。

帝都を遠く望む丘の上に、私はヴィクトリアと共に立っていた。

空は高く、雲は淡く、柔らかな風が頬を撫でていく。

草原の香りを含んだ風が、静かに髪を揺らす。


その丘の上には、五つの小さな墓が並んでいた。


──あの、炎と死の夜。

すべてが灰となり、光も音も失われたあと。

ヴィクトリアは衛兵に指示を出し、子どもたちとシスターの遺体を運び出してくれていた。

私が立ち上がれずにいた間も、彼女はずっと動いていた。

そして、この丘に墓を建ててくれていたのだ。


もし何の手もなければ、彼らはスラムの隅に冷たく打ち捨てられていただろう。

けれど今、陽光が降り注ぐこの丘で、穏やかに眠っている。

柔らかな風と共に、草花が墓を撫でていた。


それは、一度心を折られた私にとって、これ以上ない“救い”だった。

彼女は、ずっと私の心を護ろうとしてくれていたのだ。

そのことに気づいた瞬間、胸の奥があたたかなもので満たされていく。


「エレツィア様。こちらを。」


ヴィクトリアが一歩進み、小さな布袋を差し出す。

中には、あの日彼女が拾い集めた、子どもたちとシスターの遺品が静かに収められていた。


「……私が、もっと早く気づいていれば。」

その声は、風よりも小さく、罪の告白のように沈んでいた。


「いいえ。貴女がいなければ、彼らの名を刻むことさえできなかったわ。」

そう返すと、彼女の瞳がわずかに揺れ、静かに伏せられた。


一つひとつ、遺品を手向けていく。


燃え残った木剣を墓前に添えた。

「ロン……向こうでも、シスターを護ってあげて。

あなたの明るさは、きっと誰かを救うわ。」


黒く焦げた金槌を静かに置く。

「ビリー……人を想うあなたの優しさは、人を笑顔にする力よ。

ロンを、皆を…支えてあげてね。」


溶けて形を失ったリボンを墓標に結ぶ。

「アイシャ……もうおまじないはいらないでしょう?

可愛らしい貴女に涙は似合わないものね。

どうか、ずっと笑顔で。」


抱きしめられていた木炭を、あるべき場所へそっと戻す。

「レニ……大好きなお絵描きをたくさんしてね。

いつかまた出会えたら、私とヴィクトリアを描いてほしいわ。」


首から下げていた神の印を、両手で包むように捧げる。

「シスター・ベレッタ……力になれず、ごめんなさい。

それでも、貴女のことは忘れない。あなたたちの死を、無駄にはしない。絶対に。」


そうして、静かに祈りを捧げた。

どうか、これ以上の苦しみがありませんように。

どうか、彼らの魂が、光に包まれていますように。


遠くで、時を告げる鐘が鳴った。

その澄んだ音は、まるで死者を慰める祈りのように、丘の風へ溶けていった。



夕暮れの帰り道。

沈む陽が帝都の尖塔を黄金に染め、影を長く引き延ばしている。

振り返ると、少し後ろを歩く寡黙な近衛と視線が交わった。


「……ねえ、ヴィクトリア。」

自分でも驚くほど静かな声が出た。

「──あの子たちは、私を責めていると思う?」


ヴィクトリアの歩みが止まる。

しばしの間、風の音だけが二人を包んだ。

やがて、低く、確かな声が返る。


「誰も、エレツィア様を責めてはいません。

あの子たちは……エレツィア様に救われたのです。最後の瞬間まで。」


「……そう、なのね。」

「はい。エレツィア様が悲しむことを、きっと望まないでしょう。」


──風が、冷たくなった。


「ねえ、ヴィクトリア。分かったことがあるの。」


「……お聞かせください。」


「私は、皇太子殿下と結婚すれば、両国の和平が叶えば、大陸に平和が訪れると思っていたの。

でも、そんな単純なものじゃなかった。──世界はもっと複雑で、もっと残酷だった。」


沈む陽の光が、地平の向こうへと滲んでいく。

風が頬を撫でるたびに、言葉がひとつ、ひとつ、こぼれ落ちるように続いた。


「貴女に話した“争いのない時代”。

本当に何一つ、世界を知らない小娘の夢物語だったのかもしれないわね。」


ヴィクトリアが口を開きかけ──けれど、声が途切れた。

その沈黙には、言葉にできない痛みが滲んでいた。


「──それでも。」


私は顔を上げる。

胸の奥に宿った灯を確かめるように、彼女の瞳を見据えた。


「私は、未来を諦めない。

諦めたら、そこで終わってしまう。

あの子たちの、シスターの、そしてスラムの民の命が、踏みにじられたままになる。

そんなことは、絶対に許さない。」


「……!」


「ヴィクトリア。私は戦うわ。

奪われた命への復讐ではなく──これから奪われようとしている命を、護るために。」


息を呑む音が、夕風に紛れて聞こえた。

ヴィクトリアの赤い瞳が、大きく見開かれている。


「そのために、考えがあるの。聞いてくれる?」


「無論です。──なんなりと。」


茜色に染まる帰路、ふたりは未来のことを語った。

それは、失われた命へ捧げる“祈り”であり、明日へと紡ぐ“誓い”でもあった。


陽が完全に沈むころ、丘の上の墓標にはまだ光が残っていた。

風が柔らかく流れ、草花が光を宿す。

その瞬間、あの日の笑い声が──風の中で微かに響いた気がした。

その光はまるで、彼らがふたりの歩む道を、静かに照らしているかのようだった。

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