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アルドレア戦記  作者: 猪飼 要
第二章
17/82

第13話:煉獄に沈む街(後編) ①

ふたりがスラム街へ降りてから数日後。


王女エレツィアのもとへ、帝国議会からの出席要請が届いた。

その文面は丁寧に装われていたが、行間には冷たい刃が覗いている。

ヴィクトリアは、声音を警戒の色に滲ませ、硬い声で口を開く。


「危険です、殿下。反対派は貴女の名誉を貶めるつもりでしょう。」

「大丈夫よ。いくら風評が立っていようと、“呪い”で王女を断罪などできはしないわ。

それこそ帝国の恥──諸外国の笑い者になるだけよ。」


穏やかに微笑むその瞳に、かすかに決意の色があった。

だが、彼女はまだ知らない。

その議場が、試練の檻となることを。



天蓋の高い円形議場。

金と大理石で飾られた列柱、赤い絨毯の上に並ぶ数百の貴族席。

そこに漂うのは政治という名の硝煙。

香水と血の匂いが混ざり合い、誰もが笑みの下に牙を隠していた。


「おお、王女殿下。ご多忙の折、ご出席感謝申し上げますぞ。」

宰相ファーガス侯爵が柔らかい笑みを浮かべて一礼する。

「急を要する議題がありましてな。ご理解いただければ幸いです。」


その言葉を受けて、エレツィアも微笑む。

「いいえ。議会には以前から興味がありましたの。

お招きいただき光栄ですわ。」


礼の奥に潜むのは、鋭く磨かれた剣。

互いの瞳が、静かに交錯した。



やがて議長の公爵が立ち上がった。

「……帝国議会を開会する。皇帝陛下はご体調の都合によりご欠席。

では最初の議題、アルフ伯。」


名を呼ばれた男が立ち上がる。

油のように滑る声が、議場に満ちた。


「はっ。最近、帝都で流れている王女殿下に関する風説について、でございます。」


(来たか──)

ヴィクトリアの瞳が鋭く細まる。


「風説?そんなものを議題に?」

皇太子派の席から抗議の声が上がるが、伯爵は意にも介さない。


「仰りたいことは分かります。しかし、我々はこれを軽視いたしませんでした。

王女殿下の名誉を守るため徹底的に調査したのです。

その結果……この風評の背後に、“ノーレ王国の陰謀”が潜んでいることが判明いたしました。」


会場がざわめく。

エレツィアは驚きに目を見張り、ヴィクトリアは思考を巡らせる。


(ノーレの陰謀だと?

……だが、奴らは反対派と結んでいたはずだ。)


「ノーレは卑劣にも皇太子殿下の婚約者に罪をなすりつけ、毒を疫病と偽り、王女殿下が“呪い”を広めたと吹聴したのです!」


「事実ならば、許し難い!」「神をも恐れぬ所業だ!」

怒声が沸き起こる。

伯爵はさらに、懐から一束の紙束を取り出した。


「こちらをご覧ください。ノーレの破壊工作計画を示す文書。

帝国のために、命を賭して入手した証拠でございます!」


(あれは……!)

ヴィクトリアの心臓が跳ねる。

それは、確かに自分が皇太子殿下へ送った証拠。

なぜ、それが反対派の手に。


「異議あり!」

皇太子派の老伯が立ち上がる。

「証拠の真正性の検証は為されておるのか!

その文書が偽造されていないとの証明は!」


その言葉に、議長が静かに告げる。

「鑑定は済んでおります。」


そして、宰相が静かに覆いかぶせる。

「──本日ここにあるのは“帝国の危機”であって、証拠の書式の講釈ではなかろう。」



宰相は目を閉じ、静かに頷いた。

伯爵がその合図を受け取るように続ける。


「奴らはスラム街に毒を撒き、民の死を疫病と装い混乱を誘いました!

王女殿下の名誉を傷つけ、帝国を内部から崩そうとしている!」


「巫山戯た真似を!」「最早、一戦交えるべし!」

怒号が再び沸き起こり、議場を波のように広がっていく。


宰相が目を開け、ゆっくりと立ち上がった。

「……確かに、ノーレの暗躍は看過できぬ。

だが、目下の問題はその“毒”が、今も帝都の地下に潜んでいることだ。」


議場が凍りつく。

伯爵が、待っていたように声を張り上げた。


「宰相閣下の仰る通りです。我々の足元に敵がいる。

スラム街を放置すれば、帝都全体に火が回る。

ゆえに、提案いたします──」


(まさか……!)


「帝国騎士団と衛兵団によりスラム街を包囲し、不穏分子を一掃します。

ノーレの陰謀を潰し、王女殿下の名誉を取り戻すのです!」


その瞬間、ヴィクトリアの血が凍りついた。

それは“粛清”の宣告。

街ごと焼き払う、帝国式の絶滅戦。

かつて、自らの全てを焼いた紅蓮の業火──その再現だった。


ヴィクトリアの尋常ではない気配を感じ、エレツィアも表情を凍らせる。

“不穏分子の一掃”──その先に待つものに、気づいてしまった。


「愚行だ!」

皇太子派の誰かが叫ぶ。

「民を巻き込むのか!」


宰相はその方向へ目を向け、薄く笑う。

「その民を守るため、必要な措置であろう。」


議長が重々しく告げる。

「陛下ご不在につき、本件の兵権は宰相殿に委ねられている。……採決を取る。」


誰も逆らわない。

皇太子は地方に不在。

王女は異国の客人。

そして剣聖は──ただの剣。


椅子が一斉に軋む。

「可決。」


木槌の音が、帝都の命運を打ち鳴らした。


ヴィクトリアの耳に、燃え盛る幻の音が蘇る。

それは、現実にスラム街に迫る火の音だった。


──以降の議題は、覚えていない。


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