第13話:煉獄に沈む街(後編) ①
ふたりがスラム街へ降りてから数日後。
王女エレツィアのもとへ、帝国議会からの出席要請が届いた。
その文面は丁寧に装われていたが、行間には冷たい刃が覗いている。
ヴィクトリアは、声音を警戒の色に滲ませ、硬い声で口を開く。
「危険です、殿下。反対派は貴女の名誉を貶めるつもりでしょう。」
「大丈夫よ。いくら風評が立っていようと、“呪い”で王女を断罪などできはしないわ。
それこそ帝国の恥──諸外国の笑い者になるだけよ。」
穏やかに微笑むその瞳に、かすかに決意の色があった。
だが、彼女はまだ知らない。
その議場が、試練の檻となることを。
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天蓋の高い円形議場。
金と大理石で飾られた列柱、赤い絨毯の上に並ぶ数百の貴族席。
そこに漂うのは政治という名の硝煙。
香水と血の匂いが混ざり合い、誰もが笑みの下に牙を隠していた。
「おお、王女殿下。ご多忙の折、ご出席感謝申し上げますぞ。」
宰相ファーガス侯爵が柔らかい笑みを浮かべて一礼する。
「急を要する議題がありましてな。ご理解いただければ幸いです。」
その言葉を受けて、エレツィアも微笑む。
「いいえ。議会には以前から興味がありましたの。
お招きいただき光栄ですわ。」
礼の奥に潜むのは、鋭く磨かれた剣。
互いの瞳が、静かに交錯した。
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やがて議長の公爵が立ち上がった。
「……帝国議会を開会する。皇帝陛下はご体調の都合によりご欠席。
では最初の議題、アルフ伯。」
名を呼ばれた男が立ち上がる。
油のように滑る声が、議場に満ちた。
「はっ。最近、帝都で流れている王女殿下に関する風説について、でございます。」
(来たか──)
ヴィクトリアの瞳が鋭く細まる。
「風説?そんなものを議題に?」
皇太子派の席から抗議の声が上がるが、伯爵は意にも介さない。
「仰りたいことは分かります。しかし、我々はこれを軽視いたしませんでした。
王女殿下の名誉を守るため徹底的に調査したのです。
その結果……この風評の背後に、“ノーレ王国の陰謀”が潜んでいることが判明いたしました。」
会場がざわめく。
エレツィアは驚きに目を見張り、ヴィクトリアは思考を巡らせる。
(ノーレの陰謀だと?
……だが、奴らは反対派と結んでいたはずだ。)
「ノーレは卑劣にも皇太子殿下の婚約者に罪をなすりつけ、毒を疫病と偽り、王女殿下が“呪い”を広めたと吹聴したのです!」
「事実ならば、許し難い!」「神をも恐れぬ所業だ!」
怒声が沸き起こる。
伯爵はさらに、懐から一束の紙束を取り出した。
「こちらをご覧ください。ノーレの破壊工作計画を示す文書。
帝国のために、命を賭して入手した証拠でございます!」
(あれは……!)
ヴィクトリアの心臓が跳ねる。
それは、確かに自分が皇太子殿下へ送った証拠。
なぜ、それが反対派の手に。
「異議あり!」
皇太子派の老伯が立ち上がる。
「証拠の真正性の検証は為されておるのか!
その文書が偽造されていないとの証明は!」
その言葉に、議長が静かに告げる。
「鑑定は済んでおります。」
そして、宰相が静かに覆いかぶせる。
「──本日ここにあるのは“帝国の危機”であって、証拠の書式の講釈ではなかろう。」
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宰相は目を閉じ、静かに頷いた。
伯爵がその合図を受け取るように続ける。
「奴らはスラム街に毒を撒き、民の死を疫病と装い混乱を誘いました!
王女殿下の名誉を傷つけ、帝国を内部から崩そうとしている!」
「巫山戯た真似を!」「最早、一戦交えるべし!」
怒号が再び沸き起こり、議場を波のように広がっていく。
宰相が目を開け、ゆっくりと立ち上がった。
「……確かに、ノーレの暗躍は看過できぬ。
だが、目下の問題はその“毒”が、今も帝都の地下に潜んでいることだ。」
議場が凍りつく。
伯爵が、待っていたように声を張り上げた。
「宰相閣下の仰る通りです。我々の足元に敵がいる。
スラム街を放置すれば、帝都全体に火が回る。
ゆえに、提案いたします──」
(まさか……!)
「帝国騎士団と衛兵団によりスラム街を包囲し、不穏分子を一掃します。
ノーレの陰謀を潰し、王女殿下の名誉を取り戻すのです!」
その瞬間、ヴィクトリアの血が凍りついた。
それは“粛清”の宣告。
街ごと焼き払う、帝国式の絶滅戦。
かつて、自らの全てを焼いた紅蓮の業火──その再現だった。
ヴィクトリアの尋常ではない気配を感じ、エレツィアも表情を凍らせる。
“不穏分子の一掃”──その先に待つものに、気づいてしまった。
「愚行だ!」
皇太子派の誰かが叫ぶ。
「民を巻き込むのか!」
宰相はその方向へ目を向け、薄く笑う。
「その民を守るため、必要な措置であろう。」
議長が重々しく告げる。
「陛下ご不在につき、本件の兵権は宰相殿に委ねられている。……採決を取る。」
誰も逆らわない。
皇太子は地方に不在。
王女は異国の客人。
そして剣聖は──ただの剣。
椅子が一斉に軋む。
「可決。」
木槌の音が、帝都の命運を打ち鳴らした。
ヴィクトリアの耳に、燃え盛る幻の音が蘇る。
それは、現実にスラム街に迫る火の音だった。
──以降の議題は、覚えていない。




