第5話 マールムさんてお師匠様のお嬢さんなんですか?
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翌朝──三月三十一日
東の空が白み始めたころ、ジュノ・ジャクセルは、毛布のなかで目を覚ました。
納屋には、明かり採りから新しい朝の光がさしている。
飛び起きて毛布を五枚、角をとって畳み、砦の井戸へと向かう。
霜柱を踏み、夜明けの刺すような冷気を頬に感じる。
学校寮とは違い、この砦の朝に起床ラッパの音はないようだ。けれどもジュノの身体は、6時半に目を覚まし、勝手に動きだしていた。
井戸の水で顔を洗う。きゅっと肌が引き締まった。
ようやく目が覚めた気がし、ジュノは手脚を伸ばし、朝日を浴びながら体操をした。
8時には、母屋の玄関先に正座した。
反応を期待していないわけではないけれど、ゴーシュも顔を出さない。
(──と、いうか、まだ寝てるかな。ゴーシュさまなら)
そう思いながら彼は、かじかむ手に温かい息を吹きかけた。
朝露の匂いに混じって、焦げた木の香りが鼻先をかすめていった。
ふと、寮の朝の、焼きたてのパンの香りを思い出す。
温かい食事をとれるということは、幸せなことだったんだなと、ジュノは思った。
見上げると、風のない屋根の上に、煙が立ち昇りはじめている。
暖炉に新しい薪がくべられたのか、それは白く、柔らかで、青空に吸いこまれていく。
あの栗色の髪の少女──マールムという名だった──が、朝食を支度しているのだろうか。彼は空腹感を覚えた。
(干し肉だけじゃ、やっぱ足りないか……)
屋根の煙突の位置からして、母屋の中央にキッチンがあるのかもしれない。鍋や食器の音も響いている。
マールムという彼女は、井戸水はそのまま飲めると言っていた。
今朝は、それと一枚のジャーキーだけ。
もしかして、自分のぶんも用意してもらえたりして。そう彼は淡い期待に表情を崩したが、すぐにかぶりを振った。
(──いけない。甘えちゃいけない)
バックパックの携行糧秣は節約すればあと三日はいけるはず。
そのあと……まだ座り込みが必要なら、ふもとの村に買い出しにいけばいい。
──と、その時、炊事の音に混じって、母屋の裏手から心地よさげなイビキが聞こえた。
(やっぱり、寝ていらっしゃるのだな……)
ジュノは、無精髭の英雄の寝顔を思い浮かべてみた。
あの〝殿軍の英雄〟。ゼブラ・ゴーシュのこんなにも近くまで自分は来ている。
それだけで、ジュノには誇らしく思えて頬が緩む。
インターンは三ヶ月間と言え、自分はこうして弟子入りを申し込み、座り込みまでしている。
幼い頃から夢想していた入門初日とは、ちょっと違う展開になったものの、こうしているだけで夢心地だ。
青い空と白い煙を見上げているだけで、十五の少年の心は踊る。
晴れた空に、鳥の群れが飛んでいく。
彼は、天を仰ぎながら、深く息を吸い込んだ。
坐る腰に、力を入れる。
まだ明けきらぬ春の冷気で、腹の奥まで清められる気がした。
自分は今、まぎれもなく〝夢に見た場所〟にいる。
そのとき、母屋の窓が、音を立てて開き、マールムが顔を出した。
「おはようございます。眠れましたか」
ジュノは、背筋を伸ばし、正座の姿勢を整える。
「はい! おかげさまで!」
腿の上には──鉄刀木の魔杖がある。
マールムは安心したように、微笑んだ。
「それならよかった。朝食をお出しするように言われています。苦手な食材はありますか?」
「ありません! なんでもいただきます! むしろ、ご飯を作っていただけるなんて……もったいなく存じます、ありがとうございます!」
彼は深々と頭を下げた。
その様子に、マールムはえくぼを作った。
笑んだついでに彼女は思い出したのか、「そう言えば、内緒ですが」と、窓の中から囁いた。
「──お師匠さまは、朝風呂がお好きなんです。もしかしたら今朝もお入りになるかもです」
ジュノは、目を輝かせた。
「では、僕が湯を沸かします! 差し支えなければ、ぜひさせてください!」
マールムは、柔らかくうなずいた。
「では、おねがいします。きっと喜びます。お風呂の釜は母屋の裏口から入ってすぐで、薪は……」
「納屋ですね! お任せを!」
彼は勢いよく立ち上がり、走り出しかけたが、ふと足を止めた。そしてマールムに振り返った。
「──ところで、失礼ですが、先輩は、おいくつなんですか?」
彼女には、ためらう様子はなかったが、返答には幅があった。
「十七か、十八かと。たぶんですけど」
その〝たぶん〟という言葉に、彼は、マールムとゴーシュのおおかたの関係を理解した。
この大戦後の時代。養子になった元孤児は珍しくない。
彼女も、その一人なのだろう。
ジュノは歯を見せた。
「よかったです。敬語使ってて。僕は十五です。じゃ!」
そう笑うと、彼は今度こそ駆けていった。
その背中に、マールムは穏やかなまなざしを向けていた。
そして、振り返ると、まんざらでもないようにつぶやいた。
「わるくないな。おとうと弟子か」
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次回は、明日12:00に公開予定です!




