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最強と無双をやめたおっさんのもとには、厄介ごとしかやって来ない。【辺境砦の無気力英雄】ゼブラ・ゴーシュはのんびり暮らしたい  作者: 朱実孫六
第五節 樹海ミッション・レベル1

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第37話 剣士は目をさます

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 アーガイルが、重たいまぶたをゆっくりと持ち上げたとき、目に映ったのは見知らぬ天井だった。


 部屋の空気に、薬草の香りを感じた。思考は鈍く、夢の続きを見ているような感覚がした。


 体を起こそうとした瞬間──。


「……っ」


 全身に鋭く、幾重にも反響しあう痛みが走った。


 アーガイルは意地で肘を突き、なんとか上体を起こす。


 ベッドは、簡素な一室にあった。部屋にはガラス窓があり、春の日差しが磨きぬかれた床に落ちていた。


 火の入っていない暖炉。


 その向かい、窓際の机の上に──


 自分の剣が、鞘に収まったまま置かれていた。


 思わず手を伸ばしかけた──その瞬間、背中から全身に激痛が走った。


「──ッく」


 胸にも腰にも、痛みと熱がまとわりついている。


 アーガイルは、毛布に眉をひそめながら、自分の身に何が起こったのかを思い出そうとした。



 




 ふと気がつくと、その毛布の下、右膝に違和感があった。


 静かにめくりあげて、アーガイルは息を呑んだ──。





 右膝から下が包帯と石膏で固定されている。つま先だけが覗いている。


 ──ギプスだ。


 直感した現実が、胸に突き刺さる。夢の続きだと思いたかったが、目を何度閉じても夢には戻らなかった。


(……膝か)


 それが何を意味するか、剣士である彼はすぐに理解したが、飲み込むことはまた別の問題だった。



 もう、存分に駆けながら剣を振るうことはできない。



 油が尽きかけた灯芯のように、心がゆれた。


 呼吸が浅くなる。胸が内から締めつけられるように痛んだ。負傷の痛みとは別の、暗雲のような喪失感が心の中いっぱいに広がった。


 アーガイルの窪んだ目が、机の上の剣を見た。


 リュシフェール家の紋章を柄に刻むそれが、彼から遠のいていくように感じた。





 そこに、部屋の扉が静かに開きはじめた。


 ノックもなく、扉が開ききったとき、そこに目を丸くして立っていたのは──栗色の髪をした背の高い少女だった。


 彼女は、ガラスの吸い飲みを手に持ったまま、何と言おうかと、迷うような様子を見せた。


 

「──あ、起きておいでで……」マールムだった。


 彼女は小さく頭を下げて、「ノックもせず、失礼をしました」そう詫び、入ってきた。


 アーガイルも、ここがどこなのか腑に落ちたように、目を長く閉じた。



 ゼブラ・ゴーシュの砦だ。母屋の一室らしい。道理で窓から遠い木柵が見たわけだ。


 はだけたギプスをアーガイルは毛布で隠した。


 見せたくなかった。自分の弱みは。


 


 


 すると彼の中に、負傷時の記憶が順不同ながら、よみがえりはじめた。


 樹海の森。ゴーシュへの真剣勝負を賭けたレース。


 メガマンティス。


 その大きな鎌が挟んで、逆さ吊りになった自分。


 ジュノ・ジャクセルの闘志を宿した瞳。


 その呼びかけに、薄笑いを浮かべて、意識を喪失した自分。





 アーガイルは、かすれた声で尋ねた。


「……何日だ」


 マールムは、彼に吸い飲みを手渡した。


「四月の六日です」


 受け取った水を、痛みを堪えながらアーガイルは、ゆっくりと飲み干した。


 乾ききっていた体に、水が染み込んでいくと同時に、胸に痛みが走ってむせこんだ。


 マールムが、彼の背を撫でようとしたのか手を差し出しかけたが、アーガイルは遮るように辞退し、喘鳴から呼吸を、時間をかけて落ち着けた。


 水差しを返し、彼は、ぼんやりとした目で呟いた。


「一昼夜、寝ていたわけか……」


 肋骨が折れているのだろう。咳が出ると痛む。


 マールムが、吸い飲みを手のひらで包んで言った。


「ジュノさんが、あなたをこの砦まで運びました」


 アーガイルが、怪訝そうな顔を上げた。


「釣竿は……」


 マールムは、横顔で振り返って行きながら笑みを浮かべた。


「それよりも、大切なものがあったのでしょう」


 その言葉の意味に気づいたのか、アーガイルは、毛布に視線を落とした。


 ギプスの膨らみと、膝の熱感が、森の奥に置いてきた記憶を再び引き寄せた。



「よく運べたものだな。あんなチビに……」


 そう、悪態に口をゆがませたアーガイルの目が、大きく開いた。



 蘇ったのは、途切れ途切れの意識の合間、彼の見た記憶。


 砕けた右脚に、止血と副木をする巨大な銀の体毛をした魔獣の手。


 痛みで気を失い、礼どころではなかったが、次に目を覚ました自分はその魔獣の肩の上、担がれ、揺れていた。



 あれが、ジュノ・ジャクセルだったのか。


 落ち窪んだ目に影が差し、羞恥に唇を噛む。けれども、その憐憫は長く続かなかった。身を乗り出して彼は尋ねていた。


「では、あのチビスケ、憲兵どもに正体を見られたのではないか……」


 マールムは、剣と並べるように、吸い飲みを机の上に置いた。


「ええ。これで彼が人狼ライカンハーフだということは……」


 


 アーガイルは、眉を寄せて吐き捨てるように言った。


「馬鹿な奴……!」



 正体を官憲に明かしてまで、敵である自分を運んだというのか……安全圏まで。



 アーガイルは怒りに震えた。けれどそれは義憤に似ていた。


 そしてそれはすぐ、胸の奥で喉を突き上げる熱い……何かへと変化した。



 目頭の熱さに彼は、咄嗟に天井を見上げた。まるでそこが憎いかのように、息を噛み殺し、怒りを浮かべながら天井の一点を睨み続ける。



 マールムは、背中を向けたまま言った。


「レースは、無期限の延期だそうです」



 よって、ジュノ・ジャクセルの身柄はゼブラ・ゴーシュの監視下、この砦の内に留め置かれる。


「ヘルマン隊長のご判断です」


 彼女はそう付け足して、陽だまりへと目を向けた。


 北方の春が、床に光をむすんで揺れている。


 


 アーガイルは、心を落ち着けてから、静かに口を開いた。


「それもまた、〝国王の名において〟……か」


 マールムは、頷くように床へと目を細め、彼も、また壁に向けて小さく鼻を鳴らした。


「どいつもこいつも、辺境の人間はお人よしだな」


 二人とも、その目もとは穏やかだった。






 そのとき、床の陽だまり中を小さな影が、立て続けに横切った。


 何に、気づいたのかマールムが、窓辺へ駆け寄って、音を抑えながら窓を上げていくと、春の風が部屋に流れ込んだ。



 軒先を見上げる彼女の顔が、いっそうと明るくなった。


「──わあ」


 去年の巣に、つがいのツバメが、羽根を休めていた。


 彼女は、胸いっぱいになったようで、小さく首を振ってから囁いた。


「おかえり……今年も」


 長い冬の終わりだ。


 窓から、温もりが流れ込む。



 その空気の中に、遠く、木と木がぶつかり合う乾いた音が乗っている。



 アーガイルは、懐かしいその音に、顔を上げた。


 窓の向こうに、つい、つぶやいていた。


「──あれは」


 マールムが、窓辺から振り向いた。



「お師匠さまと、ジュノさんです」


 その意味を、アーガイルはしばし考えてから、彼女の含み笑いを見返した。


「では……入門が叶ったということか」


 マールムは、頷くように目を細めた。


「行ってみます? 中庭に」



 木の枝が激しく打ち合って、その一方が土の上、倒れ込むような音。


 アーガイルには、胸に染み込んでくるものがあるようで、まるで我がことのように彼は大きく息を吸い込んだ。


「松葉杖は、あるかね」


 マールムが胸をはった。


「もちろん。ここは砦ですからね」


ブックマークや下の☆☆☆☆☆にて評価いただけると嬉しいですヾ(≧▽≦)ノ


次回は、明日12:00に公開予定です!

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