第37話 剣士は目をさます
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アーガイルが、重たいまぶたをゆっくりと持ち上げたとき、目に映ったのは見知らぬ天井だった。
部屋の空気に、薬草の香りを感じた。思考は鈍く、夢の続きを見ているような感覚がした。
体を起こそうとした瞬間──。
「……っ」
全身に鋭く、幾重にも反響しあう痛みが走った。
アーガイルは意地で肘を突き、なんとか上体を起こす。
ベッドは、簡素な一室にあった。部屋にはガラス窓があり、春の日差しが磨きぬかれた床に落ちていた。
火の入っていない暖炉。
その向かい、窓際の机の上に──
自分の剣が、鞘に収まったまま置かれていた。
思わず手を伸ばしかけた──その瞬間、背中から全身に激痛が走った。
「──ッく」
胸にも腰にも、痛みと熱がまとわりついている。
アーガイルは、毛布に眉をひそめながら、自分の身に何が起こったのかを思い出そうとした。
ふと気がつくと、その毛布の下、右膝に違和感があった。
静かにめくりあげて、アーガイルは息を呑んだ──。
右膝から下が包帯と石膏で固定されている。つま先だけが覗いている。
──ギプスだ。
直感した現実が、胸に突き刺さる。夢の続きだと思いたかったが、目を何度閉じても夢には戻らなかった。
(……膝か)
それが何を意味するか、剣士である彼はすぐに理解したが、飲み込むことはまた別の問題だった。
もう、存分に駆けながら剣を振るうことはできない。
油が尽きかけた灯芯のように、心がゆれた。
呼吸が浅くなる。胸が内から締めつけられるように痛んだ。負傷の痛みとは別の、暗雲のような喪失感が心の中いっぱいに広がった。
アーガイルの窪んだ目が、机の上の剣を見た。
リュシフェール家の紋章を柄に刻むそれが、彼から遠のいていくように感じた。
そこに、部屋の扉が静かに開きはじめた。
ノックもなく、扉が開ききったとき、そこに目を丸くして立っていたのは──栗色の髪をした背の高い少女だった。
彼女は、ガラスの吸い飲みを手に持ったまま、何と言おうかと、迷うような様子を見せた。
「──あ、起きておいでで……」マールムだった。
彼女は小さく頭を下げて、「ノックもせず、失礼をしました」そう詫び、入ってきた。
アーガイルも、ここがどこなのか腑に落ちたように、目を長く閉じた。
ゼブラ・ゴーシュの砦だ。母屋の一室らしい。道理で窓から遠い木柵が見たわけだ。
はだけたギプスをアーガイルは毛布で隠した。
見せたくなかった。自分の弱みは。
すると彼の中に、負傷時の記憶が順不同ながら、よみがえりはじめた。
樹海の森。ゴーシュへの真剣勝負を賭けたレース。
メガマンティス。
その大きな鎌が挟んで、逆さ吊りになった自分。
ジュノ・ジャクセルの闘志を宿した瞳。
その呼びかけに、薄笑いを浮かべて、意識を喪失した自分。
アーガイルは、かすれた声で尋ねた。
「……何日だ」
マールムは、彼に吸い飲みを手渡した。
「四月の六日です」
受け取った水を、痛みを堪えながらアーガイルは、ゆっくりと飲み干した。
乾ききっていた体に、水が染み込んでいくと同時に、胸に痛みが走ってむせこんだ。
マールムが、彼の背を撫でようとしたのか手を差し出しかけたが、アーガイルは遮るように辞退し、喘鳴から呼吸を、時間をかけて落ち着けた。
水差しを返し、彼は、ぼんやりとした目で呟いた。
「一昼夜、寝ていたわけか……」
肋骨が折れているのだろう。咳が出ると痛む。
マールムが、吸い飲みを手のひらで包んで言った。
「ジュノさんが、あなたをこの砦まで運びました」
アーガイルが、怪訝そうな顔を上げた。
「釣竿は……」
マールムは、横顔で振り返って行きながら笑みを浮かべた。
「それよりも、大切なものがあったのでしょう」
その言葉の意味に気づいたのか、アーガイルは、毛布に視線を落とした。
ギプスの膨らみと、膝の熱感が、森の奥に置いてきた記憶を再び引き寄せた。
「よく運べたものだな。あんなチビに……」
そう、悪態に口をゆがませたアーガイルの目が、大きく開いた。
蘇ったのは、途切れ途切れの意識の合間、彼の見た記憶。
砕けた右脚に、止血と副木をする巨大な銀の体毛をした魔獣の手。
痛みで気を失い、礼どころではなかったが、次に目を覚ました自分はその魔獣の肩の上、担がれ、揺れていた。
あれが、ジュノ・ジャクセルだったのか。
落ち窪んだ目に影が差し、羞恥に唇を噛む。けれども、その憐憫は長く続かなかった。身を乗り出して彼は尋ねていた。
「では、あのチビスケ、憲兵どもに正体を見られたのではないか……」
マールムは、剣と並べるように、吸い飲みを机の上に置いた。
「ええ。これで彼が人狼ハーフだということは……」
アーガイルは、眉を寄せて吐き捨てるように言った。
「馬鹿な奴……!」
正体を官憲に明かしてまで、敵である自分を運んだというのか……安全圏まで。
アーガイルは怒りに震えた。けれどそれは義憤に似ていた。
そしてそれはすぐ、胸の奥で喉を突き上げる熱い……何かへと変化した。
目頭の熱さに彼は、咄嗟に天井を見上げた。まるでそこが憎いかのように、息を噛み殺し、怒りを浮かべながら天井の一点を睨み続ける。
マールムは、背中を向けたまま言った。
「レースは、無期限の延期だそうです」
よって、ジュノ・ジャクセルの身柄はゼブラ・ゴーシュの監視下、この砦の内に留め置かれる。
「ヘルマン隊長のご判断です」
彼女はそう付け足して、陽だまりへと目を向けた。
北方の春が、床に光をむすんで揺れている。
アーガイルは、心を落ち着けてから、静かに口を開いた。
「それもまた、〝国王の名において〟……か」
マールムは、頷くように床へと目を細め、彼も、また壁に向けて小さく鼻を鳴らした。
「どいつもこいつも、辺境の人間はお人よしだな」
二人とも、その目もとは穏やかだった。
そのとき、床の陽だまり中を小さな影が、立て続けに横切った。
何に、気づいたのかマールムが、窓辺へ駆け寄って、音を抑えながら窓を上げていくと、春の風が部屋に流れ込んだ。
軒先を見上げる彼女の顔が、いっそうと明るくなった。
「──わあ」
去年の巣に、つがいのツバメが、羽根を休めていた。
彼女は、胸いっぱいになったようで、小さく首を振ってから囁いた。
「おかえり……今年も」
長い冬の終わりだ。
窓から、温もりが流れ込む。
その空気の中に、遠く、木と木がぶつかり合う乾いた音が乗っている。
アーガイルは、懐かしいその音に、顔を上げた。
窓の向こうに、つい、つぶやいていた。
「──あれは」
マールムが、窓辺から振り向いた。
「お師匠さまと、ジュノさんです」
その意味を、アーガイルはしばし考えてから、彼女の含み笑いを見返した。
「では……入門が叶ったということか」
マールムは、頷くように目を細めた。
「行ってみます? 中庭に」
木の枝が激しく打ち合って、その一方が土の上、倒れ込むような音。
アーガイルには、胸に染み込んでくるものがあるようで、まるで我がことのように彼は大きく息を吸い込んだ。
「松葉杖は、あるかね」
マールムが胸をはった。
「もちろん。ここは砦ですからね」
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次回は、明日12:00に公開予定です!




