01.別れ
小学校に入学してすぐの頃、不慮の事故でお父さんが突然いなくなった。
お母さんは葬儀や役所の手続きに追われ、家の中は静まり返るどころか、慌ただしさでいっぱいになった。少し腰を下ろしたときに見せるお母さんの真っ赤な目と声ひとつ出さずに俯く姿から、部屋中を漂っている深い悲しみが僕の肌にじんわりと沁み込んできたことを、今でもはっきりと覚えている。
その頃の僕は、何が起きたのかはっきりとは分からず、ただお母さんに心配をかけないようにと大きなランドセルに押されるようにして学校へ通っていた。
しばらくして慌ただしさも落ち着いたころ、お母さんが笑顔を見せるようになった。けれど、それは僕に心配をかけないようにと無理をして笑っていたように思う。
お父さんはもういない――そのことから逃げるように、「お父さんは遠くへ仕事に行ったんだ」と僕は思うようにしていた。
そして、父の日がやってくる。
どんなに現実から逃げようとしても、学校の授業では「お父さんの似顔絵を描きましょう」と、あまりにも無邪気に、残酷に告げられる。
先生からは「無理をしないで、好きな絵を描いていいからね」と、まるで羽がふわりと耳に触れるように、優しく僕の耳へ届けてきた。その優しさは、鋭く現実を突きつけるように僕の心を刺す。
みんなが楽しそうに似顔絵を描いているなか、僕はひとりずっしりと、何か重いものがのしかかっているようだった。
「頑張って描かなきゃ」と自分に言い聞かせながら色鉛筆を手に取り、小さな胸に力を込めて、お父さんの笑顔や一緒に過ごした日々を思い浮かべる。
一緒に映画を見て笑ったり、ゲームに夢中になって僕より本気になったり、嫌いな食べ物を交換したり…。お父さんは子供っぽい一面もあって、僕の中で仲の良い友達のようだった。
色鉛筆が画用紙に触れるたび、昔の風景が鮮やかに足跡をつけて、少しずつ僕に近づいてくる。自然と笑顔が、ほんの少しだけこぼれた。
そのとき、同じクラスの明来が不機嫌そうに僕の絵を覗き込んでくる。そして、「お前、お父さんいないんだから絵を描いても意味なくね?」と言ってその場を去っていった。
時が止まり、音が消えた。何を言われたのか分からない。でも、なぜかその一言が僕の心の奥にすんなりと入り込んで、引き裂いた。
「絵を描いても意味がない…」
その言葉が僕の中でぐるぐると反響しながら、少しずつ鋭く響き始める。絵に込めたお父さんへの想いが、じわじわと無駄なものに変わっていく。鮮やかに塗り重ねた色彩が、黒い絵の具に塗り潰されていくようだった。
自分で描いたはずのお父さんの似顔絵が…怖い。見ることができない。僕は思わずその絵をクシャクシャに丸めて、ランドセルの奥へ押し込んだ。
帰りの会を終えて誰もいない家に帰り、自分の部屋にひとり座り込む。静まり返った空間に、キーンとした耳鳴りだけが響いた。ぼんやりとした時間のあと、震えた手をランドセルへ伸ばして、クシャクシャになったお父さんの似顔絵をそっと取り出す。
ひどいことをしたという気持ちと、言葉にできない怖さが僕を支配する。頭に響くほど鼓動が高まり、息がうまく吸えない。
ゆっくりと、絵を広げる。
そこには、にっこりと笑っているお父さんの顔があった。
胸を締めつけていた影が、少しずつほどけていく。そして、押し寄せるように深い悲しみが広がり、喉を強く締め付けた。
(お父さん……どこにいるの……?)
僕は初めて、溢れ出る涙を抑えられなかった。
行き場のない似顔絵をぎゅっと抱きしめる。
部屋に響く涙の音が、僕とお父さんの別れを受け入れる、小さな一歩となった。
悲しみは、その出来事と向き合い、受け入れることができて初めて感じる感情なのかもしれない。「悲しみを乗り越える」という言葉は、実はとても難しいことなんじゃないかな、と僕は思う。
――そんな出来事から、5年の月日が流れた――