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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

覗き夢

 私の住んでいる賃貸の真向かいに飛行機が墜落した。普通は爆発を起こして半径数キロに被害を及ぼすらしいんだけど、爆発もしなかったし、破片もこちらまで飛び散ることはなかった。飛行機が落ちる確率と爆発する確率、破片がこちらに飛び散ってこない確率を考えると一生分の運を使い切っても足りないくらいの天文学的な確率の幸運に恵まれた、といえる。

 私は非常に運がいいと言いたいが、過大な幸福をここで消費するんじゃなくて、一生懸けてこまめに消費していきたいところだ。例えば嫌味な上司のセクハラがバレてどこかに左遷されるとか。幸運というのは宝くじが当たるようなでかい幸運でなくていい。人生、少し過ごしやすくなるくらいの小さな幸せを沢山経験するくらいでいいのだ。


「遥ちゃんは相当運がいいね。で、歯痛のことなんだけど原因はカリウムが足りないことだよ」

 と隣の部屋にいる歯科医が言った。

 歯科医が研究で使う薬品を壁にかけてしまったことがきっかけで、親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさの穴が空いてしまった。そのため歯科医は自分が壁を弁償するから気にしないで欲しいと言ってきた。そして口止め料代わりに歯科診察の費用を無料で見てもらっている、というわけだ。


 穴越しで私の口腔を調べることができたかどうか疑問だ。

「先生。カリウム不足でこんな痛みが出てくるなんて聞いたことがないんですが……」

「カリウムが足りなくなるとね。神経系の働きがグチャグチャになるんだよ。歯が擦れ合っていると感じる理由は、両方の前歯とも過敏になっているだけさ」

 と歯科医は間違いないといった風な口調で言った。


「どうすればいいです?」

「ストレスが溜まっているからね。規則正しい生活と健康的な食事をするように。サプリを沢山飲んでカリウム不足を補おうなんて考えてはいけないよ。あくまで自然な食事の中で過不足なく、だからね」

 と歯科医は私が極端な民間療法をしでかすと考えたためか、警告するように言ってくる。

 

 





「はっ」

 全身から水分が抜けたかって勘違いするほど沢山寝汗をかいていた。けど、そんなのは些細な問題だ。

 飛行機事故が自分の家の近くで発生するという非現実的だが、酷い程リアリティのある夢であった。確かに爆発したり、破片が飛んでくるとかそういうことはなかった。けど、それでも俺には確かな説得力があったのだ。

 予知夢ではないかと不安になった俺はスマホで飛行機のルートを検索した。よし。ここら一帯は通らないな。



「おい竹内。何度目だ。書類ミスは会社の経営に関わる可能性があるんだぞ。真面目にやれ」

 と上司からお叱りを受けた。

 確かにごもっともだ。桁一つ間違えたとかでクビになるなんて馬鹿なことがあるから気を引き締めなきゃいけないな。それは分かるが、皆の前でしかりつけなくていいじゃないか。

「すっ、すみませんでした。以後ケアレスミスがないように徹底的に確認して対処いたします」

 と平謝りした。

「それならいい」

 と上司は喫煙所へと向かっていた。

 この一連の流れを後輩カップル共がニタニタ笑って見やがっていた。俺ははらわた煮えくりかえる気持ちをこらえながら仕事を済ませた。

 怒りがモチベーションになってくれればよかったが、そんなことはなかった。この会社で一番遅くまで仕事するはめになったのだった。

 家に帰って汗を流し、買ったコンビニ弁当を食う。その後はポルノサイトを見ながらオ〇ニーした。

  体力を消耗したからか、賢者モードになったからかこのままでいいのだろうかと考えてしまっていた。ネガティブにスイッチが入ると止まらない。燃えるような恋をしてお互いに愛し合う充実を考えたいとか、仕事で皆に認められて誇り高く生きていきたいとか、今の自分には到底難しい途方もないことを空想しては落ち込む。

「今の俺には飛行機が墜落するよりありえないことなんだろうな」

 


 そこそこの規模の会社で事務職をしている。交友関係は無難、社内政治もそこそこに把握し下手を打たないように生きている。彼氏とかはいるわけではないが、プライベートもそこそこ。平均的ではあると思う。

「そうそう。それで彼氏がさ……どう考えてもありえないでしょ。あいつ、今日マジで土下座させてやるから」

 同僚のレミが彼氏の浮気について怒っている。 

 その話は何回も聞かされていたから、辟易としていた。でもそれをおくびにも出さず、頷き、共感しているとアピールした。




「そんな身にもならない会話をするなんてタイパ、悪いね」

 私達の会話にマウントを取りながら割って入ってきたのは係長の鈴木だ。痩せていて背が高い。それに意外と社外の異性に受けがいいとかなんとか。


「鈴木係長。なんの用です?」

 レミは彼のことを嫌っていて、その態度が自然と声に出ていた。

 私は少しぎょっとしたが、すぐに表情を切り替える。

「遥君。君、旧会議室に来てくれないか?」

「この場ではすまない話なんですか?」

「そうだね。あまり人に聞かれたくない話なんだ」

 と鈴木が返す。

 

 これ以上話して反感を持たれても仕方ないから彼についていくことにした。

 旧会議室は西側にある使われなくなった一室だ。今は会議室の面影がなく、少々広い物置に成り下がってしまっている。

 秘密の話にはもってこいの人気がない場所だ。



「今日の夜は空いてるか?」

「はい」

「そうか。それが聞けて嬉しいよ」

「今日は繁忙期でもないのにどうしたんですか?」

 私の問いを聞くと、鈴木は笑い出した。


「仕事じゃないよ」

「仕事じゃないなら帰ってもいいですか?」

「ふ~ん。なにも用事がないって言ったのに家に帰るんだね」

 と鈴木は嫌味ったらしく返した。

 そして私の方へへらへらした顔をしながら近づいて来る。

「二十八か。消費期限すれすれの果物みたいなものじゃないか」

 彼は鼻をひくつかせながら言う。

「だからなんですか? 鈴木係長には関係ないじゃないですか」

「早く誰かに貰われておけよ。それとも僕が特別にもらってやろうか」

 鈴木は獲物を付け回すように目をぎらつかせている。


「私、お腹の調子が悪いので帰ります」

「生理か?」

「もうそれでいいです」

 こいつと会話していたくないと思った私は強引に話を切り上げた。


 どこかに左遷されないかと思っていたけど、いっそのこと私が……

 心の中にあるどす黒い炎が燃え上がった。

 通勤帰りだからか、車道には車が沢山走っていた。そこを飼い猫と思われる猫が横切ろうとしていた。青信号だから当然、車は止まるはずはなかった。

 轢かれた猫は足が折れたのだろう。のたうち回り、ふらふらと同じ場所を回っていた。二台目の車も減速できず、ふらふらと回っている猫に完全に止めを刺してしまった。


 何にも接点がない猫にすらこんな感情を抱くのだから、あいつを葬るなんて無理な話だったのだ。

 やり場のない怒りと、凄惨な現場を目撃したことで湧き出した空虚な感じとがないまぜになりながら家に帰ったのであった。




 どこだ? いやこれは夢だ。俺は誰かの部屋の天井に潜んでいる。真っ暗な天井に、わずかな光が差し込んでいる。その穴を覗き込むと、この部屋の住人と思われる女性がいた。今は丁度家に帰ってきたばかりのようで、スーツを脱いでいるようだ。ブラジャーを取り、パンツを取り……一糸まとわぬ姿となっている。

 俺と女性との間の距離は遠いが、一日中仕事してきて汗をかいている女性の噎せ返るような甘い匂いと肉付きのよい腐る一歩手前の身体は俺の性欲を高揚させた。高揚した気分は血流にも作用し、俺の下腹部を隆起させた。

 ああ、したい。セッ〇スを。あの女の肌はシルクのような肌触りだ。身体の感触は柔らかすぎず、硬すぎず丁度よい感覚なのだろう。ありとあらゆる男が興奮してセッ〇スしたがる身体なのは間違いない。

 頭がおかしくなりそうだと思っていた時、俺は目を覚ました。


「夢、か……」

 そんなの当たり前だ。考えれば分かるだろう。あんなにインモラルでエロスな現実があるはずがない。

 だがあまりにもリアルすぎて中学生以来、久しぶりに夢精をしてしまった。

「俺に恋人がいたらこんな夢は見ないんだろうな」

 考えても仕方がない。早く支度して会社に行こう。 



 会社での仕事はなにも変わらない。俺は馬鹿にされて怒られて、陰では笑われて、だ。会社を出るのも俺が一番遅い。なにも変わらない絶望的な日常。

 仕事が終わり帰宅した俺は急いで飯を食い、汗を流した。気分を紛らわせるためにしころうと思ったが……

「ここで我慢して寝たらエロい夢が見られるのでは……」

 と思い、あえて抜くのを止めた。

 体中に燻っている熱を誤魔化すように、目を瞑って無理やり眠った。




 着替えをしていた女の部屋に着いた。が、女性はいなかった。いや、それでいい。こんな部屋の真ん中に立っている時に見つかったらなんか気まずい。もしかしたら俺の夢だからさせてくれるかもしれないけど、それでも嫌だった。そう思わせる理由はこの夢の中で感じる感覚が現実と同期しているのではないかと錯覚する程だから、なのかもしれない。

「おい。ここに突っ立ってるな。住んでる女にバレたら面倒だぞ」

 と警告する声が聞こえた。

 

 声の主が分からず、辺りを見回してみたがそれと思われる人影はなかった。幻聴にしてはやたらリアルなような。

「私は隣の部屋ですよ」

 と大声で言われた。


 俺はこの部屋、壁が薄すぎないと思いながら、隣の部屋に行くことにした。

「どうも。あなたが俺を呼んだ人ですか?」

「ええ。どうぞ入ってください」

 初老の男は俺を歓迎してくれた。

「さっき、あの部屋にいた時声が聞こえて来たんですがどうやってたんですか?」

「ああ。単純な話ですよ」

 と言って、壁を指さす。壁の一部分に十円玉大のサイズの穴が開いているのだった。


「直さないんですか?」

「直さんよ。直したら覗けなくなるだろ」

「流石に大家にバレたらヤバいですよ」

「その件も込みで彼女と話をしていてですね。プライベートには一切干渉しないし、修理費もこちらで全て出しますのでしばらく待っていただけませんか? 医師をしているのですが、病院の経営が上手く行っていないからと言い訳をしているのでね」

 と男性が答える。


「いやいや。私は医者などと畏れ多い」

「それじゃなにをしているんですか?」

「仕事はしていませんよ。強いて言うなら彼女の口腔の診察をしてやるくらいですな。まぁ医者でもないから病気は分かりませんがね。化学物質の名前と専門用語とを駆使して話せば大体の嘘は通せて、権威性も守れるというものです」

 と歯科医は言った。

「そっ、そうなんですね」

 俺が夢で初めて話した人は歯科医を自称した詐欺師だったようだ。

「そんなことより帰ってきましたよ。彼女はこれから着替えをするんです。今日は共に覗き穴を譲りましょう」

 と歯科医は俺に好意を示してくれた。

「あっ、ありがとうございます」

 と礼を言って女性の生着替えを覗くことにした。

 俺はその好意に心の温まる気持ちになっていた。女の身体はぼやけて見えるが、それは大した問題ではなかった。




 なんというか、誰かに見られている気がする。被害妄想といえばそれまでだが、それだけでは言い切れないなにかがある。視線がやけにリアルなのだ。

 違う。私はきっと変になっているんだ。誰かが覗いてるなんて典型的な被害妄想じゃないか。


「で、浮気してたと思ってたら私にプロポーズするための作戦を考えてたんだってさ。あいつ、そういうところが可愛げあるのよね」

 とレミは嬉しそうにしている。

「おめでとう。よかったね。プロポーズされて。ああ~。私もそういう出会いしたいな」

 正直言ってどうでもいいけど、適当に合わせておく。

「そうだよ。結婚って超いいんだよ。遥にもいい出会いあるって」

 とレミは私のことを憐れむように言った。

 価値観は人それぞれだから好きにさせて欲しい。


「遥。ランチはどうだ?」

「ほら。早速王子様が話しかけて来たよ」

「違うよ。前、食事に行けなかったからもう一回誘ったってだけだよ」

「係長は顔も金もそこそこあるんだから専業主婦にでもなっちゃいなよ」

「そうだな。それもいいな。はは」

 と鈴木はレミの言葉に便乗して調子に乗る。


「いえ。結構です」

「二回も断られると傷つくな」

 と鈴木はさわやかな笑みを見せた。

 けど私には分かってる。瞳の奥底では私の評価を下げてやると脅してやると。


「気分が悪くて。すみません」

「いや、いいんだ。しつこく誘って悪かったね」

 と言って鈴木が去っていった。


「私もあいつはマジ無理だけどさ。仕事を回すのにはある程度のコミュニケーションは必要よ。なんか遥って普通っぽいのに子供っぽいね」

 とレミが言ってくる。


 大人っぽいってのはセクハラ上司を調子に乗らせるってことかよ? 虫唾が走る。


 ここのところ、ずっと覗かれているような気がする。いや、ストレスが溜まっているんだ。気のせいだと思った女性はいつも通り仕事をして、上司にナンパされる。友達と会話するが、友達がプロポーズされたらしくマウントを取ってくる。女性は適当に会話を合わせる。そんなに結婚というのは素晴らしいものかねと適当に聞き流していた。


 家に帰るとどっと疲労がわいた。それと同時に粘っこい視線が自分を不躾に舐め回している不快感に見舞われた。

 私は壁に空いている穴越しに隣室の住人である歯科医に話しかける。

「歯科医さん。私になにか用がありますか?」

「ああ……遥ちゃんか。どうしたんだい? こんな時間に」

「いえ。歯科医さんが私に用事があるのかなと思って。というか、こっち見てますよね?」

 今の私には建前を使いながら探り出す余裕はない。


「見ていないよ。そんな被害妄想してどうするんだい? 若いのに」

「なんで被害妄想だって分かるんですか?」

「遥ちゃん。会社でなにがあったかは分からないが八つ当たりは止めておいた方がいい」

 と歯科医は説得する。



「歯科医さん。カリウム不足で歯が痛くなるなんてどこにも書いてなかったですよ」

「ネットで調べたのかい? ネットの情報は不正確でね。それを信用するのはいけないことだよ」

「歯科医さんは本当に歯科医さんなんですか? もし、そうなら早く壁を直してください。そのくらいのお金はあるでしょ?」

「医院の経営が芳しくないから支払はできないんだ」

「歯科医じゃなくて無職だからお金がないんでしょ?」

 私は確信している。こいつが自称歯科医の詐欺師で、私の部屋を覗き込んでいるということを。

「なんと無礼な。訂正したまえ」

 と歯科医が怒っているのを見て私は冷静になった。


「すみません。被害妄想気味になっていたようです」

「疲れているんだね。ゆっくり休んで」

「その。被害妄想だと思うんですけど、べニア板と家具を使って壁の穴を塞いでもいいですか?」

「こちらこそ気が利かなくて申し訳ない」

「いえ。迷惑をおかけしてしまい、すいませんでした」

 と謝罪した後、べニア板を壁の穴にあてがい、家具でそれを押さえこんだ。







 


 夢、と一言で断じるのにはおかしいところがあった。昨日の女性は覗かれていたことを薄々知っていたということだ。普通、夢というのは記憶整理のために行われるものだ。なにが言いたいかというと夢の時間が連続で繋がることはないのだ。

 しかし、昨日見た夢と今まで見た夢は時間が繋がっていたのだ。

 たまたま似たような夢を見続けていたと思い、疑問に思わなかったが彼女が覗きの対策をしてきたことで確実になった。

 

 夢にしてはリアルすぎるし……実は俺は夢を見ているのではなくて……別の世界に迷い込んでいるのでは……そんな馬鹿な。

 頭が変になっているんだ。俺は。


 ぼうっとしている自分を戒めた後、スマホの表示された時間を見ると就業時間を過ぎていた。


「すっ、すみません。寝坊しました」

 会社に着いた俺は上司に平謝りした。


「真面目が取り柄なのに、遅刻までするなんて舐めた野郎だな」

 と上司は怒りを露にする。

「すみません」

「ちっ。昔だったらぶん殴られてたぞ。お前」

 と上司は独り言を言った。



「先輩が遅刻なんて何気に初めてじゃないっすか」

 と後輩カップルの男の方が、俺を冷やかしてくる。

「お前には関係ないんだよ」

「なんで遅刻したんですか先輩」

「寝坊だよ」

「眠れなかったんですね。ムラムラしちゃって」

 と男の方がケタケタ笑ってくる。

「うるさいな」

「どうせムラムラしてたんですよね。先輩、独り身なのに馬鹿みたいに性欲強くてダサすぎッて感じです」

 この野郎殺してやる。

 と怒りが発火しそうになるがぐっと堪える。

「冗談が過ぎましたね。お詫びと言ってはなんですが良い店を紹介しますよ。フリーの可愛い子がいるんですよ」

「いいよ。俺は」

「僕なりのお詫びですよ。悪いようにはしませんから」

 と後輩が言う。


 まぁ。俺は性欲で判断をどうにかしていたんだろう。オナ禁二日目だ。おかしくなっても仕方がない。

 俺は大嫌いな後輩の誘いを受けて、ガールズバーに飲みに行くことにした。


 奴の言う通り、可愛くてフリーの女の子がいた。その子と俺は意気投合した。

「中々良い関係じゃないですか。これ以上いたらお邪魔になるので失礼しますね」

「おい。勝手に帰るなよ」

「先輩。その子と頑張ってくださいね」

 と言って後輩は帰っていった。

 

 あいつは嫌味な奴だと思っていたが、評価を見直さなければならないな。


「ねぇぽよぽよ。この後空いてる?」

「空いてる」

 とだけ俺は返した。

「それならホテルで飲み直そ」

「そうだな。じゃあ待ってるよ」

「うん」

 とその子は愛想よく返事する。



 俺と女の子二人でホテル街を歩いた。手ごろな価格のラブホテルを見つけて、二人で入った。

 俺達は事を始める前にシャワーを浴びて、シャワー上がりにワインや缶ビールなどちゃんぽんしながら飲んでいた。

 気の合う女の子と飲む酒というのはとても良くて、これ以上の幸福感を俺は感じたことがなかった。

 それで俺はすっかり眠くなって……

 


「あれ? ねっ、寝てたのか? クソっ。なんでチャンスを逃すんだ。俺は」

 と酔いつぶれて眠ってしまった不甲斐なさに腹を立てていた。

「舞ちゃん? あれ? 舞ちゃん」

 俺は隣で寝ていた舞ちゃんを探すが姿はなかった。


「なんでいない? 先に帰ったのか。というかこんな時間じゃん。頭痛いけど、コーヒーで眠気覚ましでも……」

 ラブホテルで精算を済ませて部屋を出ようと考えながら財布を開ける。

「おいおい……まさかそんなことあるのかよ」

 俺は愕然とすることになった。

 何故なら俺のクレジットカードが盗まれているからだ。それに現金もこの部屋を出るくらいしかない。


「畜生。ふざけんなよ。クソが」

 俺は精算機に金を突っ込み、ラブホテルを速攻出た。




「そうそう。店辞めるからカモ教えてよとって知り合いの子が言ってたからさ。先輩のこと紹介してやってさ。で、先輩童貞だからすぐに引っ掛かってさ。今頃カード盗まれてるし、会社来れるのかな。あははは」

 と後輩カップルが楽し気に会話している。

「お前。あの女がカード盗むつもりだって知ってたのか」

「えっ……いや……」

 俺は弁明しようとする後輩の顔面を思い切りぶん殴っていた。

 暴力の実行のハードルはかなり高いと思っていたが、意外に簡単に飛び越すことができたようだ。

 力を込めて放った一撃は不意を突いたこともあり、後輩にかなりのダメージを与えることができていたようだ。


「いっ、いきなりなにを……」

 タガの切れた俺は今までの恨みを晴らすように男の方をボコボコにした。

 結果、後輩は血塗れに倒れていた。その光景を見て、女の方はとても怯えていた。


 後日。俺は処分が決まるまで自宅で謹慎するように言い渡されたのだった。




 結果は懲戒解雇だった。後輩がざまぁみろみたいに笑ってくるのが一番腹が立った。

「もうどうしようもないんだよな」

 と俺は怒りの頂点を超えて、怒る気力も萎えてしまう。

 もしホテルで寝ていなければ童貞卒業くらいはできていたのだろうか。あんなに飲んだのも初めてだったしな。飲み慣れてるキャバ嬢と飲み合うなんて分が悪いに決まっているか。

 ホテルで寝ていた時は、あの夢を一切見なかったな。もしかして家で寝ないと見ることができないのか。

 

 どうせ暇だし、寝ていてもいいだろう。

 そう思った俺は家に帰って思い切り寝ることにした。



 どうやら俺の予想は当たっていたようだ。自分の部屋で寝ると、あの部屋の夢を見ることができる。

 俺は隣人の様子を見るために、壁の穴のある方へと行ってみる。だが、以前と同じく家具とべニア板で塞がれていた。

 俺は家具をどかし、べニア板を剥がして隣人の部屋を覗いた。

「久しぶりです。元気にしてましたか」

 と声を掛けるが帰ってこない。

 一日中家にいるはずだが……

 俺は妙な違和感を覚えて隣の部屋に向かった。

 チャイムを一度押したが反応はない。

 俺は不吉な予感を感じてしまい、ドアノブを捻った。 

 手ごたえ的に開けられそうと思い、隣室の扉を開けて隣室に入った。


「大丈夫ですか。もしいたら返事してください」

 と声掛けするが返事はない。

「不用心だな。まぁ、無事ならよかった……」

 と思うのもつかの間。

 ナイフで全身をめった刺しにされた自称歯科医の姿があった。

「おいおい……一体誰に殺されたって言うんだよ」

 俺はその場で恐れおののいて固まってしまった。

 





 あの臭くて誰もいない部屋はなんだろう。

 部屋にあるものを見る限りhあ男性の部屋だと思うんだけど……

 なんで私はそんな夢を見るのか。

「ストレスでどうにかしてしまっているのか。ああ……全部鈴木のせいだ。あいつもさっさと諦めればいいのに」

 落ち込んでも仕方ないから、無理やり気分を切り替えて出社することにした。穏やかな人生を過ごすためには自分の心を切り替えるしかないと学んだのは鈴木とレミのせい。いや、お陰だ。

 私は特になにも変わりなく、淡々と仕事をこなしていた。

 仕事終わり。私が荷物をまとめて帰ろうとしたら鈴木が軽薄な笑みを浮かべて話しかけてきた。


「やぁ。今日は暇かな」

「いいえ。忙しいです。歯医者に行かなければならないので」

「歯医者か……それは後回しにしてもらうことはできないかな」

「なんでです?」

 私は努めて冷静に質問した。


「それはこれから仕事の話をするからだよ」

「それなら残業代は出ますか?」

「勿論出す。だから今日は時間を空けてくれ」

 と鈴木が私に頼み込んできた。


「じゃあ今、ここで話してください」

「ごめん。ここじゃ話せないんだ。この話を聞かれるリスクは出来る限り軽減したい」

「じゃあどうするんですか?」

「個室付きの居酒屋で飲みながら話そう」

「分かりました」

 私は鈴木の言葉に賛成する素振りを見せつつも、なにがあってもいいようにもしものために買っておいた隠しカメラ付きのボールペンを胸に差した。

 二人で居酒屋に向かい、個室に入った。



「仕事の話というのはなんですか?」

「僕はね。三十半ばだからね。とうとう結婚したよ。妻は君より三歳下。可愛げがあってね」

「おめでとうございます」

 私は心底どうでもよかったので、適当に話を合わせた。

「それでだな。君、この会社の今の収入で満足してるかね」

「特に浪費もしないので十分だと思います」

「でも貰えるならもっと欲しいと思わないか?」

「いえ。特に思いません」


「そうか……もし君がこの秘密の仕事を受けてくれるなら社内での評価を良くしようと思うんだが」

「興味ありません。それじゃ私は帰ります」

「待てよ遥。ここまで来ておいてなにもないは駄目じゃないか。それに君は仮にも俺の部下なんだぞ。楽しませてくれないと。それに操をたてるような相手もいないんだ。一晩くらい付き合えよ」

「ふざけんな。このセクハラ野郎」

「貴様」

 鈴木は逆上して私を押し倒す。

 私は睾丸に蹴りを当てて怯んだ隙にその場から逃げ出した。

「おい」

 と言っているのが聞こえるけど無視だ。



「セクハラだなんて誤解です。むしろ私は彼女に暴力を振るわれたくらいなんですよ」

 上司の鈴木は必死に反論する。

 それに対して私は証拠を見せつける。

 録音データと隠しカメラのデータだ。そこには居酒屋の個室でセクハラしようとしている鈴木の姿が映っていた。

「これはもう決定的だ」

 とセクハラを告発した上役達も納得したのだった。


 

 セクハラを告発された後、彼は降格処分を言い渡され、その結果ここの仕事を辞めてしまったのだ。

 私は会社にいられることの安堵と上司の鈴木が消えたことによる爽快感によってかなり気分がよかった。


 しかし周りはそうとは限らなかった。

 上司の鈴木は、仕事は非常にできていたのでその穴はかなり大きかった。そのため全員の仕事の負担量がかなり増えてしまった。


 私が一度席を立って戻ってきた時、レミと他の同僚が陰口を言ってしまうのを聞いてしまう。

「あいつが嫌ならさっさと結婚するか適当にあしらえばいいのに」

「セクハラを告発なんて言うけど、はめたんじゃない」

「なにそれ。まじ怖すぎなんですけど」


 他人事だからって簡単に言いやがって。

 腹を立てた私は自分の分の仕事を片付けた後、その場から逃げるように帰った。


 ねばりつくような視線が私の身体を舐め回している。気持ち悪い。

 この粘りつくような視線を向けている犯人をなんとなく自覚していた。私は塞いだ家具を取り除き、べニア板を外した。

「あんた。どうやって私のことを覗いているの? ねぇ?」

 と私は問いかける。

 しかし歯科医から返答はない。

「おい。早く答えろ」

 無言。

「早く答えろよぉぉぉ」

 私の声は届かない。

「普通に考えたっておかしい。いくらなんでもおかしい。私、被害妄想でおかしくなってるんだ」

 私は元通りに塞いで、枕に顔を埋める。


「死んじまえばいいんだ。みんな、みんなよぉ」



「おいおい。どういうことだ。これは」

 目を覚ましたら家の中が空き巣に入られたようにグチャグチャになっていた。

 酔っ払い過ぎてやらかしたか? いや。そんな馬鹿なことがあるわけない。じゃあ空き巣が入ってきたっていうのか? そんな馬鹿なことがあるかよ。気持ち悪い。





目を覚ますと、部屋がとんでもないことになっていた。部屋の家具はグチャグチャになっていて、カーペットが引き裂かれていた。男性は酷く酔いが回っているのかと考えたが、いくらなんでもこんなことをするはずがない。空き巣が家に入ってきた? 引きこもりの俺の家に? 空き巣を見逃すほど深い眠りが出来るとは思っていない。俺と同じように誰かが入ってくることができるのか? だとしたらあの女か? と男性は考えた。不気味な心地がして、とてもではないが家で眠れる気分ではなかった。



 目覚めは良い方だと思っていたが、起きるのに三十分かかってしまった。私の身体には心地よい疲労感と、暴力でしか得られない暗い熱とが混在している。

「あんなに怒りをぶつけたのは初めてだった。すごく気持ちよかった」

 そう。リアルより強烈に気持ちよかった。まさかあれは夢ではなく、現実?

「いくらなんでも寝ぼけるな私」

 私はファンタジーな下らない空想を終わらせて出社した。

 今日も普段通り……仕事はできていない。鈴木を追い出した私は皆の敵となっているのだ。

 やりづらい。それにこんな雰囲気で仕事するのは普通の雰囲気じゃない。

 私は自分の分の仕事を手早く終わらせて帰ろうとした。

「待ってよ遥」

「なにレミ?」

「あんた。私達に迷惑かけたんだから、私達の分までやってきなさいよ」

「迷惑ってなに?」

 私も我慢の限界だった。取り繕う精神の皮が剥がれて、本音が漏れ出してしまったようだ。


「鈴木の分まで仕事しなさいよ。それが大人の責任の取り方でしょ」

「セクハラ野郎の分まで仕事することが大人の責任?」

「そうよ。私達が頑張ってやる義理はないんだから。あんた、そんな子供だから彼氏の一人もできないんじゃない?」

 レミはラインを超えた。



「彼氏がいる奴がそんなに偉いか? 結婚してる奴がそんなに偉いか? 偉ぶるなよ。お前なんて大したことない癖に。お前なら我慢できるっていうならお前がされてこいよ」

「なにキレてるの」

「消えろ。今日は私が全部やるから」

 と言うとレミはドン引きしたようで、逃げるように帰宅した。

「どいつもこいつも腹立つ奴らだ」

 私は怒りをぶつけるようにがむしゃらに仕事を終わらせた。

 仕事が終わったのは十時。帰ったら十時半。すごく憂鬱だ。


 家に帰る道を歩いていた時、後ろから不気味な気配がした。家の中で感じる不躾でねばりつくような視線とは違うものだ。

 別の奴がまた私のことを狙っている。


「よぉ。久しぶりだな。遥」

 気配の正体は鈴木だった。


「えっ? なんで?」

「お前がクビに追い込んでくれたおかげで人生滅茶苦茶だよ。妻にも離婚を言い渡されたし、仕事も見つからないし。これから順風満帆な人生だったのにお前が全部壊したんだ。責任を取れ」

 鈴木は血走った目で早口でまくし立てるようにいう。

 私はこれは危険だと思い、その場から逃げなければと思った。

 けど鈴木は私の逃げ道を塞いでくる。


「責任取れよ。性奴隷になれよ。遥」

「いやっ」

「嫌だって言って済むなら警察はいらないんだよぉ」

 鈴木には常識は通用しない。逆に下手したら私が殺される。



 殺される? なんで私が……こいつの因果応報なのに。

 

「誰か。誰か助けてください」

「誰も助けに来ないよ」

「来ないでっ」

 私は鞄をあいつの顔面に投げつけて、隙を作ってその場から逃げ出す。

 人気のない道や曲がりくねった複雑な小道を駆け抜ける。けどあいつは諦めないで追いつこうとしてくる。

 とうとう行き止まりまで追い込まれてしまう。


「追いかけっこはすごく楽しかったぜ。遥」

「やっ、やめてください。あっ、謝りますから」

「そういう話じゃねぇんだよ」

「許して」

 と怖がるが、反撃の手段を見つけた私の気分は高揚していた。どういうわけか分からないけどコンクリートブロックが落ちていたのだ。私はそれを両手で持って鈴木の顔面に叩きつける。

「はがっ。てめぇ……」

 鈴木はそのまま意識を無くして倒れた。


「死んだ?」

 私の口角は上がっていた。恐怖から逃れたためだと信じたい。

「ネットで見てみたら正当防衛成立しそうだな。よし、電話しよう」

 


 俺が家の中に入ると、夢に出てきた女が殺意を滾らせて立っていた。

「誰だよ。なんで俺の家の前にいるんだよ」

「私の家で一緒に覗きしてた人ですよね?」

 と俺の夢の中で出てきたエッチな女が、俺の覗きを追究してきている。

 悪い白昼夢だったらどれだけよかったか。

 

「俺はあなたの家で覗きをした覚えはありませんよ」

「私の被害妄想ですかね? でもあなたからするんですよ。最近感じていた粘っこい視線が。それに私達の部屋は夢を通して繋がっているじゃないですか。だからあなたしか犯人はいない。間違いないと思うんです」

 と早口でまくし立てる。

 全部主観で被害妄想的にすら聞こえるが、俺の仮説とぴたりと合っている部分もあった。

 寝ている時だけ、お互いの部屋に行くことができるというのは俺も考えていたことだ。

「じゃあ質問するが、家を荒らしたのはお前か?」

 と俺は問う。


「そういう風に考えるっていうことはやはり図星ですか?」

「ああ。悪かったよ。俺だよ。犯人は」

「今まで私に不埒なことを考えた人の中で謝ってきた人はあなたが初めてです。あなたは猫になるかもしれませんね」

 と女は訳の分からないことを言ってきた。


「よっ、よくはわからないが……自称歯科医はどうなった? 死んでたみたいだが」

「私が殺しました。掃除して、身体をバラバラにして山中に埋めました」

「なんで殺したんだよ」

「あなたと同じく覗きをしていたからですよ。しかも嘘の診察もしてきたんです。生きる価値ないでしょ」

「お前の主観で人の生き死にを決めるんじゃねぇよ」

 自称歯科医は変態でしょうもない野郎だが、唯一気の合う奴になったんだ。それを簡単に殺しやがって。


「変態犯罪者に説教されるなんて不快ですね」

「だったらどうするんだよ」

「あなたも覗きをするということは、したいんですよね」

「なに言ってやがる」

「私とセッ〇スしたい? って聞いてるんですよ」

「いきなりなんで? 話が飛躍しすぎてるぞ」

「大したことないんですよ。女の身体なんて。あなたは女性の身体に過剰な期待を持ってしまってるんですよ。だから、実際にやってみれば大したことないって気付くかもしれません。そうしたら私達はもう二度と会わなくて済まなくなるかもしれない」


 その提案にはすごく心がざわついた。男好きを凝縮した熟れた果実を食することができるという性的興奮と、殺人鬼を家に招く恐怖の二つの感情がぶつかったからである。

 皮肉にも性欲が勝ち、彼女を家に招くことにした。

「臭いので汗を流しましょう。あなたの家にもボディソープとシャンプーくらいあるでしょう」

「あるぞ。この間まで仕事してたんだ。まだ金はある」

「それなら一緒にお風呂に入りましょうか」

 と言って女は服を脱いだ。そこには男を劣情させる要素が全て詰まっていた。甘ったるく、男の陰茎を刺激させる香り、だらしないとも痩せすぎともとれない程よい肉付きの身体。肌なんていうのは二十代のためか、張りがある。



 俺はこの身体の女を抱くのだ。人生最高の日といってもいい。懸念点は一つ。この女が殺人鬼だということ。


「さぁ後ろを向いてください」

「俺がお前の後ろだ」

「私、女の子ですよ。後ろ取られるの怖いです」

「お前、そんなタイプだったのかよ」

「分かりました。怖がりなあなたのリクエストに応えてあげます」

 と言ってあいつは俺に背中を向けた。

 俺は目の前に理想の裸があることに興奮を抑えきれなくなった。彼女の肌に鼻腔を当てて、甘ったるい女の香りを楽しむ。


「変態ですね。気持ち悪い」

「この身体は全ての男の憧れだぜ」

「男の人って頭悪いんですね」

「うるせぇな」

 俺が答えた瞬間、背中に衝撃が走る。

 女が思い切り体当たりして俺を壁に叩きつけた。

 更に身体一つ分の隙間が空いた。

 その瞬間、あいつの肘が俺のみぞおちに入る。

 怯んだ俺に対して一切躊躇することなく、睾丸に正拳突きを叩き込む。

「がはっ。ふざけんなよ」

「私、これで三人目ですよ。しかも証拠隠滅とか考えなくてもいいとか最高じゃないですか」

 女はシャワーヘッドを使って、俺の顔をガンガン叩きつける。

 その威力はシャワーヘッドが変形するほどだ。


「ゆっ、許してくれ」

「殺す」

 この馬鹿女をどうにかしないと殺されてしまう。

「あれっ?」

「なっ、なにが起こっているんだ?」

 女の姿がいきなり消えた。



「まさか。あいつ、目が覚めたのか……」

 助かった。クソっ。今でも胸がバクバクする。



 家で寝たらあの女に殺されてしまう。俺は恐怖から逃れるためにあの家以外の場所で寝ることにした。とりあえず安くて、眠れる場所といえばネカフェだということでネカフェで寝ることにした。

 だけどあの女と俺は遭ってしまった。

 家以外で寝れば大丈夫なはずだろ。

「まさか家以外の場所で寝れば私から逃げられると思ったんですか?」

「あなたは私に関わりすぎたんですよ。そのせいで部屋同士ではなく、私達同士で繋がってしまった。多分、そういうことだと思います。あなたは性欲のために身を滅ぼしてしまった、ということです」

「もう許してくれ。もうお前のことを性的な目で見たりしない。本当に」

「もうそういう話じゃないんですよね。死んでください。私の楽しみのために」

 この女は快楽殺人鬼だ。


「確実に殺せるようにコンクリートブロックを用意しました」

 にっ、逃げろ。目が覚めるまで逃げろ!


 俺は自分の目が覚めるまで必死に逃げ続けた。

 それでなんとか逃げ切り……目を覚ました。

 この悪夢が起きた場所から一刻も早く離れたいと思い、逃げるようにこの場を去った。


「どうすればいいんだ。寝たら殺されてしまう……」

 人間は眠らないということはできない。ああ。俺は数時間後にあの女にもう一度遭う。

 でも。目が冴えてる。人生で初めてってくらい。

 今ハイになってもどうしようもないんだ。どうしようも。

 というか、どうしよう。マジで。

 頭使って考えたところでどうなるのか? 眠らないって無理だって言ってるじゃん。

 考えがループしてる。ああ、どうしよう。

 確かあれだよな。浅い睡眠の時に夢を見るから深く眠れば夢を見ないってことだよな。深く眠るには睡眠薬が沢山いるな。そうだ。睡眠薬を薬局から盗もう。



「お姉さん。聞きたいことがあるんだけどいい?」

「処方箋を出してください」

「いや。質問紙に来ただけ。病院になんて通ってないよ。それに通う金もないし」

「はい?」

「お姉さん。睡眠薬ってない? 導入剤じゃなくて、きつい奴」

「私共は医師の処方箋がない限り薬を出すことはできません」

「俺は深く寝たいんだよ!」

 このあまが屁理屈こきやがって。女の胸倉を引っ張って、受付カウンターから引きずり出す。

「薬を寄越せ。とびっきり眠れる奴だ。じゃねぇとこの馬鹿受付女の首をへし折る」

 俺は脅迫しながらカウンターの向こうにやる薬庫に侵入した。受付の女に睡眠薬をかき集めさせる。俺はそれを片っ端から飲み込む。

 大量に摂取したお陰か、すぐに効果は現れた。俺は、夢を見ずに眠ることができる。



「運が悪いんですかね? それとも私と繋がってしまったことが悪いんですか」

「最初から全部悪い。要領が良ければ、顔が良ければ、手先が器用であれば、継続力があれば……俺はずっと自分のことをクソだと思い続けてきた。だから全部悪い」

「私は普通に生きたいだけなのに、他の奴らが私のことを付け狙うんです。ああ、ムカつきますよ。性欲ばかりの奴らって」

「股開けば男が言う事聞くから楽じゃねぇか」

「誰がてめぇらなんかに股開くかよ」


 俺は絶対に絶望しねぇ。


 女は目を輝かせながらこっちに向かって走ってくる。そして俺を捕まえて、押し倒す。マウントポジションを取ると、あいつは俺をボコボコにする。

 まともに人に殴られたことはないが、この女はゴリラみたいな怪力を持っているような気がした。

 一発一発が身体に響く感じがするのだ。

 何十発も食らった結果。俺は初めての経験をする。

 意識が薄れていく。俺はなんとなく死ぬんだなって、理解した。




 空は快晴。風は心地よい。飛行機が上空を通過したけど、平常運転だ。

「ああ。良い気分」

 でも、青空を見るのはこれで最後かもな……







 








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