表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

9

【三崎宏人視点】


「失礼します」


 消毒液の匂いがきついこの場所に訪れるのは初めてのことだ。入ってすぐ右手に長椅子があり、奥の方にはベッドが2台、横並びで置かれている。カーテンは開けられており、そこに寝ている人はいない。


「いらっしゃい、どうしたの?」


 回転椅子ごと体をこちらに向けて、柔和な笑みを浮かべながら話しかけてきたのは、養護教諭の瀬野先生だ。下の名前が星娘(せいこ)であることや、高い包容力を有していることから通称聖母先生と呼ばれている。


「体調がすぐれないので少し休みたくて」


「そっかそっか、お疲れ〜。そこのベッド使って良いよ〜」


「ありがとうございます」


 先生の目線の先にあった、2台のうちの左側のベッドに向かい、上履きを脱いで横になった。布団を被る。


「ちょっと5時間目の終わり際は出るけど、それまでだったら居るから、何かあったら声かけてね〜」


「はい、ありがとうございます」


 カーテンがベッドを囲うように閉められる。僕はその時、世界からこの空間だけ切り取られたような感覚を覚えた。


 初めてサボってしまった。しかも嘘をついて。心臓が高鳴ってしまう。今までどこに隠れていたのだろうか、今更になって罪悪感が湧いて出てきた。二人の先生にもクラスのみんなにも申し訳ないな。いや、それについてどうこう思ったところで致し方ないので、ひとまずはこれからについて考えつつ休もう。


……



×



……


「ヒロ、大丈夫?」


 天使のそれと聞き間違うほどの、甘く(ささや)くような美しい声で僕は目を覚ました。いつのまにか眠っていたらしい。頭上の時計は14時11分を指している。5時間目を丸々睡眠に充ててしまったようだ。


 声から察するに、カーテンの向こうにはあまり顔を合わせたくない彼女がいる。きっと先生に聞くなりなんなりして、来てくれたのだろう。


「大丈夫、寝たら大分良くなったから」


「そっか、良かった〜安心したよ」


 不意にカーテンが開けられ、僕と梨穂はバッチリと目を合わせた。僕は思わず目を逸らして、起き上がって座る。


「……その……さ」


 そのまま彼女はベッド横に置かれた長椅子に腰掛け、指を掻くようにいじりながら、何かを話そうと試みていた。


「……」


「さっきの話……聞いてた?」


 予測の範疇(はんちゅう)から外れた話を切り出され、僕はどう反応すればいいかわからなかった。彼女はその釈明をしに、ここに訪れたというのだろうか。


「……」


 黙りこくっていると、僕のそれを肯定と受け取ったのか、梨穂は頭を下げた。髪と衣服とが擦れ合う音が聞こえるほど、保健室は静まり返っている。


「……ごめん、あんなの本心じゃないの。誤魔化しただけで」


「本心じゃないって、何が?」


 静まり返った部屋に、少し怒気を孕んだ僕の声が響く。ああ、言いたくないのに。僕は決して彼女を詰問したいわけじゃない。梨穂が僕を好きじゃないのは分かってて、分かりきってて……。


「好きになるとかあり得ない、なんてのは……」


 しかしどれだけ考えたところで、冷静になれようはずもなかった。


「……じゃあ!!!」


「……っ!」


 僕はそこで、手遅れになった後で我に返った。感情の制御がおぼつかないまま発した声は、理性的と言えぬ程大きく、彼女を怖がらせたことに気がついた。さっきは彼女を思って行動したのに、彼女を前にするとどうしても冷静さを欠いてしまう。


「……ごめん、大きな声出して」


 彼女からの返事はなかった。僕はベッドから降りて、上履きを履いて、卑怯だと自覚しながらその場から逃げようとした。


「待って!」


「……」


 彼女は僕のシャツの袖を掴んだ。


「一つだけ聞かせて。ヒロは……川嶋さんと付き合ってるの?」


「……まだ、付き合ってないよ」


 掴まれた袖を強引に振り払って、教室に戻る選択肢もあるにはあったが、僕は生憎中途半端に偽善者らしく、そんな行動を取るような薄情な人間になることを躊躇(ためら)った。


「え、まだ、って……?」


「質問は一つだけの筈だよ。僕、もう行くね」


「そ、そうだけど……」


 歯切れ悪く食い下がってくる彼女に、僕は面倒臭さを感じてしまった。


「……僕は大前提として、恋愛感情抜きにしたって、梨穂のことを家族のように、大切に、大事に思ってる」


 僕はありのままの本心を彼女に告げることにした。僕の真後ろに彼女はいるので、その表情がどんなものか知ることはできない。


「……だけど、今の僕には分からないんだ。梨穂がどういうことを望んでるのか、どういうことを願ってるのか」


「……!」


「ごめん」


 僕は袖を掴む手を優しく解いて、スタスタと歩き出して、保健室を後にした。僕は何がしたいのだろうか。好きな人を傷つけて、その上反論できないようにその場から逃げ出すなんて、最低の行為だ。


 自己嫌悪に陥りながら歩く廊下は、普段の何倍も長く感じられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ