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教室に近づいていく。やはりというかなんというか、喧騒が空間を支配していた。それもそうだ。男女交際を匂わせるような文言を残して、当の二人が教室から消えたのだから。
ドアの手前で、騒音の中でも一際でかい声が聞こえてきた。星野くんのものだ。
「まーじであの二人付き合ってんのかなあ?」
「なんか歯切れ悪かった感じはするけどね」
僕と川嶋さんとの関係について議論がなされているところだった。全くもって事実無根の見当違いだ。ただ否定したところで噂は消えないだろうから、今後、僕が肩身の狭い思いをすることは確定してしまっている。あれ、もしかして川島さんとんでもないことをしてくれた?
「梨穂はこのこと知ってたの?」
「いやー初耳よ」
その名前が耳に入り、僕は足を止めた。初耳なのは極めて不思議なことに当事者の僕も同じだ。
「ねえ、嫉妬とかしないの?幼馴染みにあんな可愛い彼女ができて」
「す、するわけないよ!ヒロはただの幼馴染みで、好きになるとかあり得ないし」
僕は足を止めたことを酷く後悔した。彼女が僕に対して何かを思ってくれているのでは、とここ最近の行動から少しでも期待していた僕が馬鹿だった。必竟あの行動の数々は全部気まぐれなどによるものだったんだろう。
僕は教室に入るための一歩を踏み出せなかった。このまま入ってしまえば、梨穂はきっと僕に偶然とはいえそれを聞かせてしまったことを思い悩んでしまう。
「お?三崎、入らないのか?授業始まるぞ?」
立ちすくむ僕に話しかけてきたのは、5限の物理基礎を担当する海澤先生だ。普段は無愛想だが、実は生徒思いであることが行動の節々に現れており、人気が高い。
「すいません、体調がすぐれないので保健室に行ってもいいですか?」
「おお、大丈夫か?勿論保健室に行くのはいいし、しんどかったら早退してもいいぞ」
「ありがとうございます」
僕は一礼してその場を後にした。あんなに良い人に嘘をつくのは心が痛んだが、今はまともに授業を受けられそうにない。
なぜ未だに傷を更に抉ってくる彼女のことを思って、僕は行動をするのだろうか。自問するも、答えは分かりきっている。
×
【中谷梨穂視点】
「始めっから、お前ら席つけー」
海澤先生が教壇に登りながら言う。ざわざわしていたクラスはそれで仮初の落ち着きを取り戻して、表面上は沈静化した。
何故騒がしかったか、その理由は言うまでもなく、昼休みが始まった直後の一件だ。
かく言う私も気になりきってしまっている。ヒロはちょっと前に思いを伝えてきたばかりで、なのに川嶋さんと付き合っていると聞いて、混乱してしまっている。
告白されて振ったあの日から、ヒロと会話を交わさないとなんかもやもやして不安になって、いてもたってもいられなくなるのを知った。私はそこで初めて、ヒロという存在の大きさを知った。
その頃にはもう手遅れだった。彼は川嶋さんと付き合い始めたらしい。振らなければ、と後悔した。男として見られないからと彼を振ってしまったけど、その後で好きだったことに気づいた。本当に私は大馬鹿ものだ。大うつけ者だ。
事実は小説より奇なりというけど、幼馴染みに振られて、それを超える美少女と付き合い始めるなんて、ラノベ系統の小説通りもいいとこだ。
そこで私は思考の先にいる彼の席が、空席のままになっていることに気がついた。
「あ、三崎は体調不良で保健室らしいぞ」
「え……」
私がその席を見ていたことを察してか、海澤先生はそれとなく、全体に伝えるように教えてくれた。
まさか……と思った。さっき誤魔化しで言った言葉を教室の外で聞かれていて、それで彼がここにいないとしたら…私は怖くなった。