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屋上へと続く扉には鍵がかけられている。おいそれと生徒が出ないための措置だ。ここより先に行くには担当教員に申し出る必要がある。
その扉の前、踊り場。階段に腰掛け、機械的に昼食をとっている。飯の味がしないのは生まれて初めての経験だ。しかもそれが味の濃い唐揚げで起きているのだから、かなり深刻な問題である。
原因はただ一つ、先ほどの爆弾発言だ。その原因を作った彼女は呑気に、隣で僕と同じように昼食をとっている。手にはサンドイッチが握られている。どうやらそれを合計四つ分持ってきているらしかった。
恐る恐る僕は、先刻の彼女の暴挙とも取れるような行動の理由を尋ねることにした。
「さっき……なんであんなことを言ったの?」
「なんで、って言われると……なんでだろう?」
「ええ……」
僕は酷く困惑した。高校生は誰と誰が付き合っているのかという話に目がない。それが学年一の美少女となれば、噂がすぐに広まるのは想像に難くない。だからこそ分からないのだ。あんな匂わせるようなことを言っておいて、理由が明確でないというのが。
「……うーん。中谷さんに揺さぶりをかけてみたかったから、かな?」
「揺さぶり?」
僕にとってその四文字はいまいち不得要領なものだった。それをしたところで川嶋さんにメリットがあるとは思えなかったからだ。僕のことが好きだとかそういう理由がない限り、する理由はないはず。
「だって私、君のこと好きになったんだもん」
理由、ここにあり。その発言が衝撃的すぎるあまり、僕の脳は理解することを拒否してしまっていた。ん?今何が起きたんだ?
回線の悪い時にスマホで動画を見ようとした時のように、視界は頬を赤くして笑みを浮かべる川嶋さんで一時停止していた。否、視界に限った話ではない。音も、香りも、思わず掻いてしまった首の後ろも、一気に感覚がなくなった。続きをどう味わったものだろうか。
冷静に状況を整理すると、僕はどうやら学年一の美女である川嶋榎に告白をされたらしい……こんな状況、冷静になれるはずもないな。
「……ちょっと、何か言ってよ。これでも私、結構勇気出して言ったつもりなんだけど?」
「あ、ああ、ごめん……」
そこで漸く再生ボタンが押され、一時停止の時間は終わりを告げた。しまった。言葉を発することすら忘れてしまっていた。なんせ、人生で初めて人に告白をされたのだから。
「そ、その……どうして?」
どうして僕なんか。自分を卑下することはあまりしたくないが、これといって褒められる点が僕にはありはしない。故に、訊いてみたくなったのだ。
「どうして……か。邪な感情なく、私と話してくれたから、かな」
「……それだけ?」
「きっかけなんてそんなもんだよ。それから話していくうちに気になり始めて、気づいたら好きになってた」
あまりに急すぎる話を懐疑的に聞いていたが、彼女の表情、声色、仕草から察するに、どうやら本当のことを言っているらしかった。
「それで話を戻すんだけど、私は君のことが好きなの」
そうだった。まずもって話し合うべきは、川嶋さんが僕に恋心を抱いているというその一点で、それ以外は一旦隅の方にでも置いておいていいだろう。
一瞬間懊悩した末、僕は重い口を開く。この空間の重力だけやけに強いような気がした。一般相対性理論に基づいて考えると、告白された瞬間、時の流れが緩慢になったのにも納得がいくな、なんていらないことを思考してしまう。僕の悪い癖だ。
「でも……僕はまだ、そういうのを考えられる状況になくて……」
僕の心には深く刻まれた傷があり、それでいてなおまだ、傷を刻み続ける彼女のことを思ってしまっている。
「別にいいよ?」
その強い重力を跳ね除けるような軽い声が、踊り場に反響する。僕は肩透かしを食らったような気分になった。
「え?」
「君の心に誰かがいようと、君が傷ついていようと、全部それごと受け入れるよ」
そう言って見せた笑顔と裏腹に、それはあまりに強すぎる覚悟だった。要は、別に一番でなくてもいいと宣言しているのと変わらない。
「どう?私と付き合ってくれない?」
僕の心は揺らいだ。それまでそんな素振りを見せなかった積み木がぐらりといくような感覚が心を襲った。ああ、いっそのこと付き合ってしまおうか。それで梨穂への思いを忘れられるのなら、忘れてしまいたい。
「僕は……」
そこで、キンコンカンコンと昼休みが終わることを告げる予鈴が校内に響き渡った。あと五分のうちに僕らは教室に戻って、自席に座らなければならない。
「……流石にここで選択を迫るのは酷かな。放課後にまた訊くから、その時までに考えておいて」
彼女はそう言って、階段を降りて行った。
「……うん」
僕は平生より優柔な性格なので、選択を先延ばししてくれたことに安堵してしまった。