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【7】復讐劇の契約

   ***


 目を覚ますと、見知った天井が眼前に広がっていた。

 木の板を等間隔に打ち付けただけの簡素な天井は、どの部屋にも同じように設置された大量生産品である二段ベッドの床の証。一年以上見てきたのだから、今さら見間違えるなんてことはない。


 ……あれ? 俺、いつの間にベッドに入ったんだっけ?

 ごそごそと付近をかき分け、手探りでスマートフォンを発見し、画面を点灯させる。日付は葬式の翌日となっており、時刻はまもなく午後七時を迎えようとしていた。


「いつの間にこんな時間が経過したんだ……?」


 眠りについた記憶がない。というかそもそも、それ以前の記憶からひどく曖昧だ。

 融希の葬式に行ったのまでは覚えている。その後は確か、双月と一緒に帰って、途中で別れて、ふらふらになりながら歩いて、それで――――


「…………あっ、女の子!」


 過去から現在に記憶を辿っていく過程で、重大な事件を忘れていたことに気付いた俺は、慌ててベッドから跳ね起き、周囲を見回す。

 パッと見聞してみたが、彼女の姿は視界の隅にすら映らなかった。


「あれ……?」


 やはりあの少女は幻覚で、俺が見た刹那的な夢の産物だったのではないか。と、そう思いかけた俺であったが、念のためもう一度意識を集中させてみると、頭上から規則的に吐かれる静かな呼吸音を聞きとることが出来た。

 なるほど、そこにいたのならば死角になって見えないのは当たり前か。


 二段ベッドの下段から這い出て、梯子を使い上段を覗き込むと、そこには昨夜の幻覚のような現実の少女が、瞼を閉じてすやすやと寝息を立てていた。


「やっぱり、あれは現実だったんだな……」


 あの後――彼女との遭遇を果たした後、何を思ったのか俺は、彼女を我が家に招待したのであった。

 何をどう考えた結果こうしようと思ったのか。体力も精神も操力も擦り減らした状態での朦朧とした思考の下した判断に対して、お前はどんな過程を経てその結論に至ったのかと問いただしたかったが、思考どころか記憶すらあやふやな現状ではもはやそれは叶わぬ夢。


 今ここにある現実は、美少女が我が家のベッドで寝ているという結果、それだけである。


「ああいや、少女ではないんだっけ」


 少女でも、人間でもない――操人形。

 試作版人間型操人形、個体名セレーネ。彼女はそう名乗っていた。


「技術の進歩ってのはよくわからねーけど、こんなに精巧に似せられるものなのか……?」


 冷静になった頭で改めて見定めてみても、未だに彼女が――セレーネが操人形であるということが信じられない。

 その意図的に作られたような芸術的なまでに美しい容姿を人形と形容するなら、百歩譲って受け入れられるが、髪から指先まで構成する全てが人形ですだなんて、彼女自身の口から言われてなければ、何の冗談だと一笑に付してやっていたことだろう。


 その顔は、その表情は、まるで冗談を口にしているようではなかったから、俺は受け入れてしまった。

 信じられずとも、納得出来ずとも、無理矢理に受け入れさせてしまうだけの気迫が、あの時の彼女にはあったのだ。


「……んっ」


 不意に彼女の口から小さく声が漏れ出し、瞼がぱちりと開かれる。


「ここは……?」


 体は寝かせたまま、首だけで左右を見渡し周囲を確認する彼女であったが、やがて柵の向こう側から見つめる俺の存在に気付き、目線が俺の瞳孔に合されたところで、ピタッと首の動きが止まった。


「あ、えっと……おはようございます」


 無表情で凝視してくる彼女の圧力に耐えきれなかった俺は、とりあえず無難に目覚めの挨拶をぶつけてみる。


「おはようございます、外海様」


 遭遇後二度目の交信、ひとまず波長は捉えられているようだ。

 しかして、電波を掴めたところで、後に続けられる電報がまるで思い浮かばなかった。未知との交信、地球外生命体との対話の始まりは、どんな話題から攻めればいいのか。いや、別に彼女は宇宙人でも未来人でもないけど、かといって地球人でもないらしいし、そもそも生命体なのかも怪しいところな存在と、何を会話すればいいのかなんてわかるはずがないだろう。


 誰か俺にマニュアルをください。それか、擬音と代名詞だけで心を通じ合わせられるくらいのコミュ力を。


「き、今日はいい天気だな」


「そうなのですか」


「そ、そうなのです……」


 二秒で終わってしまった。俺が恥ずかしさで視線を外してしまうよりも早く、会話が途絶えてしまった。

 だめだ、もっと別の……もっと興味が引けそうな話題はないのか……!


「あ、その、えっと……お腹とか、空かないか?」


 手段と目的が逆転した――というか、目的もないままにわけもわからず手段のみを行使したせいなのか。新たな話題として、これまた定番である食事ネタでもと思って話しかけてみて、すぐに気が付いた。

 俺は機械を相手に何を言っているのだ。操人形が、食事をするわけがないだろって。


「え、何か頂いてもよろしいのですか?」


「え、飯食うの?」


「え、食べますけど?」


「え、何で?」


「え、何故と問われましても、エネルギーを補給するためとしかお答え出来ませんが……人間もエネルギーを生産するために、食料を摂取するでしょう?」


 太陽は何故東から昇るの? とか、そんな自然の摂理についてを問われたかのような、何を当たり前のことをといった調子で答えられ、俺は「そっか、そりゃあ飯くらい食うよな」と、何故か理屈を超越して納得させられてしまった。


 あー最近の技術ってのはすごいんだなー。こんなに人間みたいな操人形を作れちゃうし、おまけに食物からエネルギーを補給出来るんだもんなー。すげーよなー。

 深くは考えないことにした。知恵も知識もない状態じゃ、考えるだけ無駄な気がするから。


「カップラーメンくらいしかないが、それでもいいか?」


 言い出した手前、何も出さないわけにもいかないので、とりあえず今最も簡単に作れる夕食を提案してみる。


「無料で頂けるのでしたら、なんでも構いません」


 強欲なのか謙虚なのかよくわからない言い方だったが、とにもかくにも承諾を貰ったので、本日の夕食はカップラーメンになった。

 お湯を沸かして注いで待つこと三分。これを料理と呼んだら世界中のコックに叱られそうだなーとか、そんなどうでもいいことを考えながら、両手に花ならぬカップラーメンで水汲み場から部屋に戻ると、二段ベッドから降りた彼女が小さなローテーブルの一辺を位置取り、礼儀正しく正座をして待っていた。


「いい匂いですね。それは何と言う食べ物なのでしょうか?」


「カップラーメンだが……お前、知らずに頷いてたのか」


「口に含めるものでしたら、なんでも構いませんでしたので」


 どうやら、彼女の言ったところのなんでもいいというのは、強欲でも謙虚でもなく文字通り、なんでもよかったということのようだった。


「そういう物の名前とかってのは、事前にインプットとかされてるものじゃないのか?」


「私には、活動するうえで必要な最低限のデータのみしかインプットされていません。故に、こういった嗜好品の類に関する知識は皆無と言っても過言ではないでしょう」


 いや、カップラーメンは嗜好品じゃないのでは……? なんて思ったりもしたが、そこは特に言及すべき部分ではないので、口には出さず腹の中に止めておいた。要するに、彼女は超が三つくらいつくほどの世間知らずってわけだ。

 図らずも、彼女の人生(?)初のカップラーメンを食す瞬間に立ち会うことになった俺は、「熱いから気を付けて食えよ」と、機械に対して必要なのかよくわからない忠告と共に、カップラーメンを机の上にそっと添える。


「ほー…………」


 器から漏れる湯気越しに中身を数秒ほど見つめた後、彼女はゆっくりと箸を伸ばして麺を掴み、そのまま息を吹きかけて冷ますこともせずに口元へと運んでいった。

 ずるるるるっと、細麺を啜る音が室内に広がる。そばかうどんは食べたことがあるのか、啜って咀嚼するという一般的な食べ方は推測出来たようだ。


 なんとなく初カップラーメンの感想が気になったので、じっと観察してみることにすると、もぐもぐと三回ほど噛み砕いたところで、彼女の表情が大きく変化した。

 いや、表情は相も変わらず虚無を貫いていたのだが、眠そうに垂れていた瞼が大きく見開かれていたのだ。心なしか、瞳も輝いているように見えた。


 驚きと、それから興奮とが混ざったような好奇を目に宿しながら、彼女は一心不乱にカップラーメンを啜っていく。どうやら、なかなかにお気に召してくれたようだった。

 お互いのラーメンを啜る音と、それから時計の秒針音だけを聴取すること十数分。先に食事を終えたセレーネの物欲しそうな目に、もう一杯用意してやろうかと考えていたところで、洗面所の方からけたたましいブザー音が静寂を破ってきた。


「外海様、今の音は敵襲でしょうか?」


 予期せぬ警笛に身をビクリと震わせた後、彼女は視線を音の鳴った方に向けたまま尋ねてくる。


「違う違う、風呂だ。風呂が沸いた音だよ」


「風呂……お風呂ですか?」


「そうそう、お風呂だ。うちじゃ風呂が沸くとこういう音が鳴るんだよ」


 敵意剥き出しの眼光でシャワー室を睨む彼女をなだめつつ、音の原因を説明してやった。

 しかし、真っ先に敵襲という言葉が出てくるとは……まあ、そう勘違いしてもおかしくないくらいにうるさい音ではあったが。自分でセットしておいて、自分で驚いちゃったし。


 うちの寮のシャワー室は、より正確にはユニットバスなので、一応湯を沸かすことが可能ではある。しかし、湯船につかりたいなら共用の大浴場に行けば済むことなので、わざわざ自室で湯を張るということがほとんどなかった。故に、湯を沸かしたときにどんな音がするのかを覚えていなかったので、俺も――そしてセレーネのことも、驚かしてしまったのであった。


「驚かせちまって悪いな。まさか、こんなにでかい音が出るとは思わなかった」


「平気です、驚いてなどいませんから」


 顔色一つ変えることなく、平然とほらを吹いてきた。

 いや、そこをごまかす必要はないだろ。面倒だからいちいち訂正したりはしないけど。


「お前さ、風呂とか入るか?」


 意図の分からない――たぶん意図なんてない――謎の嘘は流しつつ、俺はセレーネに問いかけてみる。

 食事もするなら、風呂も入るんじゃないかと、そんな安直な発想で風呂を沸かしてみたのだが、


「そうですね……まあ、週に七度くらいは」


「人はそれを毎日というんだよ」


 案の定、彼女は風呂にも入れるようだった。

 食事もして、風呂も入る。……まあ、今時は防水とかもすごいみたいだし? 携帯とかも水洗いする時代だし?


 技術の進歩とは、往々にして人を惑わせるものである。


「……いただいてもよろしいのでしょうか?」


 俺の意図を読みとってくれたセレーネが、おずおずとした様子で尋ねてくる。


「おう、いいぞ。そのために沸かしたんだからな」


「……何が目的ですか? あいにくですが、今の私には少しのお金とこの身しかございませんが」


「何故そこで変な勘ぐりをするんだ……今のところは、何も考えちゃいないよ」


 初対面時のふてぶてしさはどこへいったのか、妙なところで遠慮をする奴だ。俺が遠慮することはないと促してやると、彼女は「では、お言葉に甘えさせていただきます」と礼を告げ、シャワー室へと向かっていった。


「……そういや、着替えとか用意する必要があるな」


 下着はさすがに用意出来ないが――用意出来たらただの変態だ――スウェットの上下くらいは出せるだろう。器から汁を洗い場に流し出し、食べ終えたカップラーメンを片付けた俺は、クローゼットを開けてスウェットの行方を探ることにした。


「確か、この辺にしまったはず……」


 適当に二つくらいの引き出しを開いたところで、見慣れないスウェットの上下セットを発見した。

 見慣れないけど、誰のものかは一目でわかるスウェットを。


「ああ、これ……」


 融希のだったものか。

 そういえば、堕落に怠惰に外界を遮断していた時間帯の話だから定かではないが、融希の遺品としてまだ着れそうな服とかは残していってくれたんだっけ。


 着れそうな服とか、使えそうな家具とか。


「おーい、着替え外に置いておくからなー」


 シャワーの音に紛れないよう大声でセレーネに伝えて、扉の前に融希のものだったスウェットを置いておく。それから再び洗い場に行き、先ほど沸かしたお湯の残りでお茶を作り、これも融希のものだった湯のみに注いで、俺は部屋の片隅にそっと腰を下ろした。

 熱いお茶を飲んで一息つき、それからゆっくりと周りを見回してみると、部屋の中がより殺風景になっていたことに気がつく。


 ああ、俺が思っていた以上に、あいつの物って多かったんだな。

 まあ、それもそうか。面白い物だったり、新しい物だったり、そういう物を見つけて買ってくるのは、いつだってあいつだったから。


 無口で、無関心で、つまらない俺に、面白いこと、新しいことを教えてくれた。あいつと一緒にいた時間は、いつだって未知と新鮮な刺激で満ちあふれていたし、つまらないと思ったことは、ただの一度だってありはしなかった。

 どれだけ時間が経っても、色あせることのない融希との日々の思い出。あいつとの記憶は今もなお、俺の脳内で繰り返し上映されている。


 忘れられない。忘れることなんて絶対に出来ない。

 もう、取り返しの付かない日々――いつも通りには戻れない世界。


 俺の――俺たちの日常は、壊されてしまった。

 バラバラに、切断されたのだ。

 あの男に。


「…………」


 叶うなら、壊れる前の日常を返して欲しかった。

 けれどそれは、絶対に叶うことのない夢物語。


 ならばせめて、俺に出来ること――――俺のしたいことは、


「お風呂、いただきました」


 融希のスウェットに身を包んだセレーネが、シャワー室から姿を現す。

 相変わらず考えの読めない表情と、そのうちに宿る無垢な瞳に、俺は問いかける。


「……なあ。お前はさ、操人形なんだよな?」


「はい、そうです。私は試作版人間型操人形、個体名セレーネでございます」


 試作版……ね。この完成度を誇ってなお試作版とは、製作者は何を完全と考えているのか。

 まあ、今はそんなことどうでもいい。大事なのは、後の部分だ。


「最初に俺と会った時、マスターがどうとか言ってたよな?」


「はい、言いました。私のマスターになって頂きたいと」


「そのマスターってのは、一体何なんだ?」


「簡単に説明いたしますと、私のような操人形にとってのマスターとは、すなわち持続的な操力供給者を意味します。供給者側の合意をもって契約とし、己に流れる操力を継続的に供給するために不可視の線を繋ぐこと。それが、マスターとなる条件です」


「要は、コンセントみたいなものか」


 電源繋いで、電力を供給する。マスターの役割は、発電機といったところか。


「ぶっちゃけて言えば、そうなりますね。我々操人形にとってマスターの有無とは、生死に直結する大事な事柄なのです。他にも性能の向上など副次的な効果もありますが、それらはおまけみたいなものです」


「……なるほどな」


 セレーネにとっての操力とは食料であり、マスターとは食料の提供者である。

 マスターなしでは食料を得ることが出来ず、出会った時のように人間から操力を奪うことを――狩りのような行為を行わなければ、生存すら出来ない。


「確かに、それは大事な存在だな」


 ああ、最低だ。俺は今から、生きるために必死なだけのこいつを――この無垢な瞳を、泥のように穢い感情で汚すことになる。

 けど、それでも俺は、成し遂げたいと思ったんだ。


「……セレーネ。俺の復讐に協力しろ」


「復讐……ですか?」


「ああそうだ、復讐だ。それをやり遂げることが出来たら、お前のマスターだろうがなんだろうがなってやるよ」


 正義とか自警とか、そういう綺麗な言葉で繕ったりはしない。

 俺は、俺自身の手で、誰のためでもなく、俺のために、取り返しのつかないあの日々と決別するために――――




 ――――あの首狩りに復讐すると、そう心に誓ったのであった。


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