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【6】美少女と操人形

 ――――道端に、美少女が転がっていた。




 眠っていたとか、倒れていたとかじゃなくて、転がっていた。それは、人ではなく物に使うべき表現なのかもしれない。しかし、そう表現することが正しいと思わされるくらいに、その美少女の横たわる姿は無造作で、無防備で――人間味を感じさせないものであった。

 だからこそ俺は初め、彼女の存在を幻覚だと思った。その不気味の谷を彷彿とさせるような、人間に似た何かを、己の幻覚の産物として処理しようとしていた。


 しかし、距離が近づくにつれ、その横たわる少女が幻覚ではなく実体であることを認識し、そして彼女の表情を覗き込める位置まで移動しきることには、俺は初めに抱いた印象など完全に忘れ去り、彼女の存在を人間として見るようになっていた。

 透き通るような麗しい長髪に、寝顔からでもわかるくらいに整った顔立ち。そのしなやかな手足を、そして長い睫毛一つ動かさない寝相から、一瞬死んでいるのではないかと最悪の展開が脳裏をよぎったが、彼女の瞼がピクリと痙攣するのを見て、なんとか生存を確認することが出来た。


「……だとしても、どうすればいいんだ」


 幻覚が現実であることがわかったところで、俺が取るべき行動が不明瞭なままなのは変わらない。むしろ現実である方が無視することも出来ないため、より難儀な事態になったとも言えるだろう。

 とりあえず、声をかけてみるべきだろうか? けど、特に怪我をしているとか苦しんでいるとか、そういうわけじゃなさそうだし……。


 後々冷静に考えればこの場合、取るべき選択肢は彼女の容態を確認し、場合によっては救急車を呼ぶというそれ一択なのだろう。が、この時の俺はそこに発想を至らせることが出来ず、それどころか肩を揺すって呼びかけるということすら躊躇う始末であった。

 なんというか、肩を揺するのが正解のはずなんだけど、肩を揺すってもいいのか迷ってしまうのだ。例えるなら、目の前の女の子が手を出してきたとき、握手をする場面だとわかっていてもその手を握っていいのか躊躇ってしまうように。うん、例えがどうにも卑屈だ。


 そんな例えをしてしまえば、この緊急事態に何をネガティブになっているのかと蹴飛ばされてしまいそうだが、全くもってその通りである。脳味噌が麻痺していると、自分でも思う。

 しかし、それが今にも燃え移ってしまいそうな灼熱の火災の真っ最中であっても、一億円の絵画の価値を知ってしまった途端、その絵を持ち運ぶことを躊躇ってしまうように。眼前に危険が迫ろうとも、人間おいそれと積み上げてきた己の経験を変えることは出来ないのだ。


 まあ、殺人に警察にがあった上に救急だなんて、これ以上公的機関の厄介になりたくないという意識が働いたのかもしれないけど。

 どちらにせよ、そういった潜在下の葛藤の末に俺が選んだのは、「だ、大丈夫ですかー……」と申し訳程度の細い声を漏らしながら、おずおずと彼女の肩に触れるという中途半端な行為であった。


 服越しに触れる肌は柔らかな弾力を返し、その感触が倒れ伏す少女が人間であることを如実に示してくる。

 露出した部分からうかがえるきめ細やかな肌。それが隠れた腕の部分――俺の触れている部分にも続いていると考えると、気恥ずかしさと罪悪感とで今にも手を放してしまいたくなった。


「だ、だいじょ……!?」


 もう一回呼びかけてみて、だめなら救急車を呼ぼう。そんなどこまでも他人事な、我関せず焉といった調子で再度声掛けを行おうとしたところで――――不意を突かれた。

 聴覚か、触覚か。何らかの刺激に反応した彼女が、突如瞼を大きく見開かせる。そして次の瞬間、前触れのない急な覚醒に驚かされ、反射的に肩から手を引いた――身体を大きくのけ反らせたはずの俺は、およそ人間のものとは思えないほどの速度で伸ばされた手に肩を掴まれ、引き寄せられ、そのまま力強く抱きしめられていた。


「なっ――――――――!!」


 何の脈絡もない抱擁に動揺した俺は、床に手をついて彼女との距離を離そうとする。が、その細腕のどこにそんな力があるのか、俺が必死の抵抗を試みようとも、彼女の体は石像のごとくがっちりと固定されており、微動だにさせることが出来なかった。

 しかしながら、ホールド力は石像級だが、肉体まで石のように硬いなんてことはなく、普通に柔らかな女の子の感触で締め付けてくるのだから困りものである。記憶する限りで初の女子からの抱擁。その感触は想像以上に心地よく――特に布を何枚重ねようが関係ないとばかりに主張する豊満な胸部の弾力がすさまじく――俺は、時も場所も状況も忘れて全身の力を抜いてしまいそうになり――――


「――――あ?」


 いや、ちょっと待て。これはおかしい。

 確かに、この抱きしめられる感触はそれこそ天にも昇るほどのものではあるが、本当に天に昇ってしまいそうなくらいに、肉体から力が抜け落ちているのは異常だ。


 原因を探ろうとして、すぐに気付いた。逆に、どうして今まで気づけなかったのだろう。

 結構な量の、操力が抜き取られていた。


 ちょっと女の子の柔肌に心を奪われていたら、一緒に操力まで奪われていた。なんて、軽いテンションで現状を要約してみたが、状況は軽視出来るほど甘いものではない。

 無駄に思考がハイになっているのは、疲れがたまるとおかしなことを口走っちゃうあの感じ。おそらくこの少女に吸われているのであろう操力の量は、通常の操力機器に使用する操力をはるかに超えていると、体感でも断言出来るほどに莫大な量であった。


 自慢じゃないが、俺は保有する操力の量だけは人並み外れていると自負していた。そんな俺が脱力させられ、眩暈を覚えるほどの勢いで、彼女は操力を吸収していく。このままでは操力不足で意識を落とされかねないほどの早さだ。


「うぁ……これ、まずい……!」


 本気で危機感を覚えた俺は、相手が女子だからってなりふり構っていられないと、全力の抵抗を試みようとしたところで――唐突に、固く結ばれていた腕がほどかれ、拘束から解放された。


「えっ? ……いてっ」


 急に解き放たれ、引き剥がそうとしていた反動をもろに受けた俺は、後ろに倒れ込む形で尻もちをついてしまう。固い地面に尻を打った痛みに耐えながら、俺は改めて前方の少女に視線を向けた。


「…………」


 足を前に伸ばして上半身だけを起こしており、両腕はだらりと垂れさがっているが、背筋はピンと垂直に立たされている。脱力しているってわけではなさそうなんだけど、その姿に生気があるかと言われれば、それもまた怪しい。何と言うか、生きているようで死んでいるような、そんな矛盾を体現したような状態のまま、彼女は焦点の定まっていない瞳で虚空を見つめていた。


「……おーい、生きてるかー?」


 思わず、そう問いかけてしまった。そりゃあ自立ならぬ自座してるんだから、生きているのは当たり前だろうに。生死を同時に内包しているだなんて、あくまでも比喩表現でしかない。

 彼女は生きている。生きているから、語るんだ。


「……問、それは私への質問でしょうか?」


 彼女の発した第一声は、そんな無機質な問いかけであった。


「お、おう……そうだが……?」


 予想外に流暢な語り口に驚かされながら、俺はそっと頷いてみせる。


「でしたら、質問の口上の変更を要求します。通常の人間に対しての質問であれば、返答の時点で生存を証明することが可能ですが、生死の概念が曖昧な私にとって、その質問は回答しかねます。仮に、今現在の私の状態を問いましたのなら、万全ではありませんがおおよそ十全ではあるとお答えいたしましょう。およそ二十秒前までは、供給を断たれた状態での長時間の活動によって生じる操力不足による機能停止を回避するため、一時的にスリープモードへと移行しておりましたが、貴方様の善意に基づく操力提供の結果、再び活動可能状態への移行致しましたので、とりわけて急を要する問題はございません」


「……………………そ、そうか」


 立て板に水とはまさにこのこと。常人なら半分も言い終われぬうちに三回はかみそうな台詞を一呼吸のうちに言ってのけた彼女に、俺はただただ呆気にとられ、水飲み鳥のようにコクコクと頭を振ることしか出来なかった。

 後半のあたりで、俺から強制的に操力を奪ったのを善意に基づく提供とか言い換えられたりしてたけど、それについてを言及し、訂正する余裕もなかった。むしろ、言及したいのは、前半の部分。


 ―――生死の概念が曖昧な私。


「お前は一体、何者なんだ……?」


 二つ目の質問に、彼女は首だけを動かしてこちらを見つめながら、同様に無機質に、無感情に言葉を返す。


「試作版人間型操人形、個体名セレーネ。それが私の正体です」


「…………は?」


 試作版人間型――操人形?


「操人形って……あの、機械の操人形か?」


「はい、貴方様の思い浮かべている操人形で、間違いないかと思われます」


「いや、でも……」


 操人形ってのは確か、もっと無骨で、プラスチックな感じで、とてもじゃないが、こんな人間のような出で立ちはしていなかったはずだ。けれど、目の前に座する少女は、一切の表情を変えることもなく、淡々と「自分は操人形だ」と言ってのけた。到底信じられない話だが、だからといって彼女が嘘や冗談を言ってるとも思えなかった。

 二転三転する状況に混乱し、思考は限界を超えて再び現実から目を背けてしまいそうになるが、現実はそんな俺の動揺など知るかとばかりに、事態をさらに混沌とした領域へと進展させていく。


「貴方様、お名前をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」


「外海環……です……」


「では、外海様。私を窮地より救ってくださった外海様のその寛大なお心に甘えさせていただき、一つお頼みしたいことがございます」


 鈴を転がすように澄みきった、しかしてまるで抑揚のない、台本を読んでいるかのような声色で、図々しくも彼女は要求する。


「外海様、私のマスターになって頂けないでしょうか?」


 その端正な表情を一切崩すことなく、ある種の神秘的な美しさを秘めたまま、彼女が発したその一言は、おおよそ俺が抱いていた彼女への印象の全てを塗り替えるほどに、理解不能で、支離滅裂で――――


 その日俺は、後の人生を大きく捻じ曲げることとなる、破滅的で、絶望的で――――それでいて、魅力的な少女との出会いを果たした。


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