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【1】不健全なる精神は不健全なる肉体を

 健全なる精神は健全なる肉体に宿るというが、ならば逆に、不健全なる精神は健全なる肉体を蝕み、不健全なものにしていくのだろうか。

 だとすれば、第一印象に暗い奴、第二印象に卑屈な奴と称される俺の肉体が、健康であるにも関わらず倦怠感で一杯になっているのも当たり前のことなのだろう。


 不健全なる精神は不健全なる肉体を作る。故に、五限目の授業の大半を睡眠学習に費やしてしまったことは、仕方のないことだったのだ。

 ……なんて、誰に届けるわけでもない言い訳を連ねながら、大きな欠伸を漏らしたところで、担任の教師による連絡事項の伝達が終わり、ようやくホームルームが締めくくられた。


 起立、気をつけ、礼。

 委員長の号令に従い帰宅許可を求める挨拶を告げ、生徒達は返す言葉も待たずに鞄を手に持ち始める。


 隣同士で放課後の予定についてを話し始める者、すぐさま仲良し集団の下に駆け寄っていく者、教室の隅っこに集まってゲーム機を取り出し始める者、さりげなく腕を組みながら仲睦まじく教室を去って行く者。

 三者三様、自由気ままに放課後へと繰り出していく生徒達を横目に、俺は鞄を手にひっそりと席から立ち上がる。そして周囲を見回すこともせず、ただ一点扉の方だけを見つめながら、談笑するクラスメイト達の間をすり抜け、一人静かに教室を後にした。


 本当なら、隣の人にさよならの一言でもかけてから出ていくべきなのだろうが、残念ながら俺には隣の人はおろか、さよならを言えるような友達なんてただの一人も存在しなかった。別れの挨拶を交わそうにも、声をかける相手がいないのだ。

 いじめられているとか、そういうわけではない。たまにちょっと素行とたちが悪い連中に絡まれたりはするが、上履きに画びょうを入れられたり、机にありがたくないお言葉を彫り込まれたりはしてないから、大々的に悪意の対象にされているわけではない……と、自分では思ってる。


 原因は他人ではなく、自分にあった。必要以上の関係を面倒に思うこの性格のせいで、なんとなく関わりづらいから、なんとなく声をかけられなくて、なんとなく孤立させられる。そして俺もまた、孤独を解消しようと能動的になるわけでもない。

 置かれた環境と与えられた立ち位置に甘んじた結果、待っていたのは単独行動を強いられる日々。今や我が二年三組には、外海環なんて人間は存在しないとでも言わんばかりの、暗黙の了解が蔓延している有様であった。


「ま、別にいいんだけどさ」


 友達なんて増えた所で面倒なだけだ。それにそもそものこと、彼らが自称している友達という関係は、本当に成立しているのかだって、怪しいものだろうに。

 人間は社会的動物である。なんて言うけれど、本当の意味で社会的な共同体を形成出来ている人間なんて、この学校でも何人いることやら。


 真の意味で共同体に必要とされる人間なんて、ごく一部に限られる。大抵の人間は、たまたまそこにいただけの代替品で、本質的には孤独であることと変わらない。

 なんて、そこまで言い切っちゃうのは欺瞞だろうけど。欺瞞というか、ただのひねくれた戯言だ。


「ちょっと、環! ストップ!」


 そんな僻みの言葉を並べながら廊下を歩いていたところで、後ろから音速で飛んできた溌剌とした声に引き止められ、俺はその場で立ち往生を余儀なくされる。


「いつの間にいなくなっちゃうんだからー」


 振り返ると、不満げに頬を膨らませながら、バタバタと鞄を揺らして駆け寄ってくる小さな影が見えた。水分たっぷりな瑞々しい唇から零れる文句を右から左に受け流しながら、目線を下に落とし、名前を呼んだ少女とぱっちり目を合わせる。


「悪い、もう部室に行ってるかと思ってた」


「いつも一緒に行ってるじゃん!」


「小さくて見えなかったんだ」


「そんなわけないでしょ!!」


 そして、二秒で目を逸らした。部室って言った辺りで既に目を逸らしていた。

 自慢じゃないが、俺は女子と三秒以上目を合わせられた経験がない。ましてや相手が双月ともなれば、なおさら目を合わせられないというものであった。


 双月亜理栖そうづきありす。一昨日身長を測ったばかりの、153センチなミニマム少女。いや、数値的には辛うじてミニマムって程小さいわけではないのだが、そのあどけない容姿と屈託のない笑顔は、彼女を数値以上に幼く、そして可愛らしく見せていた。

 小学生ではさすがに厳しいけど、中学生でなら余裕で通れるだろう。まあ、一昨日の身体計測での反応を見るに、この春高校二年生になったばかりの彼女にとってそれは、なかなかに受け入れがたい事実であったようだが。


「もう! 部室に行く時には私に声をかけてって、毎日のように言ってるはずなんだけどなあ……そんなに私と一緒に行くのが嫌?」


「そんなわけないだろ。俺が双月を嫌う理由なんてあると思うか?」


「じゃあなんで、いつも一人で行こうとするの」


「色々と事情ってものがあるんだよ」


「……むー」


 俺のはぐらかすような回答では不満なようで、双月は眉間にしわを寄せ、腑に落ちないといった表情でこちらを睨んでくる。

 しかし、ここで双月に対して本音を――いつだって注目を浴びている人気者で美少女なお前が、教室の隅に追いやられて陰口を叩かれている俺に話しかけることで、お前の評判を落としちゃわないか心配なんだよ。なんて、そんな弱気な事を言えるわけがなかった。


 それに、双月はそういうのを嫌うから。のけ者とか陰口とか、そういう負の側面は、なるべく隠しておきたい。


「……まあいいわ。環がマイペースなのは、今に始まったことじゃないしね。今日は納得しておいてあげる。ただし!」


 唐突に足を止めた双月に腕を掴まれ、強引に彼女の方を振り向かされる。


「明日は私の方から、環に声をかけさせてもらうからね!」


 ビシッ! というオノマトペが後ろに浮かんでいそうなキレのいい指差し動作と共に宣言され、俺は首を九十度横に回しながら、小さく「善処します」と返すくらいしか出来なかった。

 明日から、どうやって逃げようか。ホームルーム前に教室を抜け出すのは……今日以上に双月に怒られるだろうな。


 慎ましやかな胸の前で両手をグッと握りしめる彼女を尻目に、俺は己の立ち回りに限界を感じ始め、小さくため息を吐いてしまった。


「おう、どうしたんだ兄弟よ。そんなため息ばっか吐いてたら、幸せが逃げていっちまうぜ」


「うおっ……なんだ、融希か」


 知らぬ間に接近していた男に後ろから肩を組まれ、俺は思わず驚きの声を上げてしまう。


「なんだとは失礼な、お前の大好きな星神融希ほしがみゆうきのお通りだぜ?」


「誰が誰を大好きだって? 寝言は寝てから言え」


 手のひらで叩いて腕を払ってやると、融希は愉快そうに笑いながら、「二人とも今日も元気そうだな!」と、無駄に明るい調子で本日の体調を断定された。

 高校入学前からの数少ない友人の一人であり、そして同時に、総部員数四人という廃部危機にさらされているうちの部に所属する、部活仲間でもある融希。


 いつも無駄にハイテンションで、ガサツで適当な男だが、容姿はなかなかのイケメンときたものだから、神様は意地悪である。

 イケメンと美少女に挟まれて歩く根暗な男子生徒T。同じ部活に所属しているというステータスがなければ、まずこんなことは起こりえなかったのだろうな。


 美男美女と友人であることを喜ぶべきなのか、あるいはそんな二人とまるでつり合っていない自分という人間に失望すべきなのか。

 なんて、そんな考えるだけ無駄な問いかけは頭の隅に押しやりながら、俺は二人の親友たちと共に、今日もいつも通りに部室へと――操人形研究部へと足を運ぶのであった。


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