【18】狂操
「……これほどまで、なのか」
一撃――たったの拳一振りで、彼女は改造された操人形を粉砕してしまった。
それは、知略の限りを尽くした策でもなければ、洗礼された技術の賜物もない。ただ走って、ただ殴り飛ばす。たったそれだけの、愚直で単純な攻撃だったけど。
飛び出す前に覗かせた凛とした横顔に、圧倒的な駆動力から繰り出された一振りに――その疾走する鮮やかな少女の美しさに、俺はほんの一瞬、時間も場所も忘れ、茫然と見惚れてしまった。
――――その一瞬が、命取りになるとも知らずに。
「流石は『デュナミス』様といったところか。だが……がら空きだぞ、クソガキ」
「なっ……!!」
意識は向けていたはずなのに、気がつけば俺は、十三の姿を見失ってしまっていた。
慌てて周囲を見回し、瞬時にその姿を捉える。
どのような手段を用いたのか。瞬く間に距離を詰めていた十三は、にやりと口元を歪め、指先を小さく動かす。
その動作の視認をもってして、俺はようやく状況を知った。
青い光の筋で見つからぬよう、極限まで細めていたのだろう。身を隠していた操力線が十三の動きに連動し、隠蔽から殺人へ――人を殺すための形態へと変化する。
青い光――隠れていた操力線が、姿を現す。逃げ場を殺す、覆いかぶさるように張り巡らされた幾重もの操力線。そして、そのうちの一本は逃げ場ではなく肉体を――――首を切断するために、首を囲うようにして円を作っていた。
――――ああ、そうか。融希もまた、こうやって殺されたのか。
気付いた時には、もう既に手遅れだった。十三が指を引けば、一秒にも満たない時間で、俺の首は切り落とされる。いくらセレーネの脚力が桁外れでも、その短時間で俺の下へ戻り、この首にかけられた糸を断つことは出来ない。
すなわちこれは、詰みだった。一瞬の油断が招いた、一生の終わり。
いや、そもそもこれは油断したとか、そういう話ですらないのだろう。油断しようがしまいが、俺が目を離そうが離すまいが、結果は変わらなかっただろう。
油断ではない。単純な力不足。
セレーネが操人形を相手に見せたものと、何一つ変わりはしないのだ。
無力だから負ける。弱いから殺される。
覚悟を決めたところで、狂気に身を堕としたところで、結局俺は、何も出来ないまま――――
「――――殺されるわけには、いかねえんだよ!!」
死を目前にして、思考が急激に加速し始める。リミッターを振りきった脳が処理する情報量の莫大さに、認識する世界の時間が相対的に遅くなる。
火事場の馬鹿力。あるいは、醜いまでの生への執着か。もしくはこれもまた、セレーネとの契約による影響なのか。
そんなことはどうだってよかった。今はただ、この瞬間を乗り切れれば――生きることが出来れば、それでいい。
永遠のように思える須臾の間に、俺の頭はあらゆる可能性を模索する。
首周りを囲う操力線は、あの時と同じ――契約前とはいえ、あのセレーネを繋ぎ止めてなおちぎれないほどの、恐ろしいまでに鋭く硬い性質をしている。
今のセレーネの力ならば引きちぎれるかもしれないが、最初に思索した通りそれは絶対に間に合わない。
だったらそれは、俺がやらなければならない。ただの人間が、ただの人間並の力で、絶大な硬度を誇る青の死線を、断ち切らなければならない。
そんなことが可能なのか。いや、違う。可能にしなければならない。
可能性が0でないなら、成し遂げなければならない。
突破口はある。ないのなら、強引にでも切り開けばいい。
観察しろ。脳髄が焼き切れるまで、情報を集め続けろ。
限られた永遠の中で、死を迎えるその瞬間まで、必死に世界を捉え続け――――その時、俺はある一点に目が留まった。
首を取り巻く操力の糸。その一点――ほんの数ミリ程度の隙間に、俺は操力の縺れを――脆弱性を垣間見た。
次の瞬間、世界は再び平常な速度を取り戻す。
そして俺は、迫りくる青の死線にそっと小刀を添えて――――操力線を切断した。
意識などまるでない、反射の領域を超越した自動的な動作。
何が起こったのか――何を行ったのか、自分でも理解が追いつかない。
まるで、見えない力に操られているかのような、そんな特別な感覚が身を包んでいた。
「なっ…………!? お前、どうやって俺の操力線を……!!」
目の前にあるのは、断ち切られ霧散する操力線と、その光景を破れんばかりに眼を剥いて見つめる殺人鬼。
万が一にだって、想定してはいなかっただろう。よもや普通の人間でしかないはずの俺に、己が武器として使ってきた操力線を、断ち切られるわけなどないと。
必殺の一撃を防がれたことに、十三は一度だって見せることのなかった動揺を、ここにきて初めて表に出した。
「……終わりだよ、十三」
動揺は硬直を生み、硬直は隙を生む。
そして、ほんの十分の一秒であっても――一手の停滞があれば、彼女は舞い戻ってこられた。
張り巡らされた操力線――その全てが、瞬く間に寸断される。
それから次の瞬間にはもう、十三はセレーネの手によって取り押さえられ、自慢の操力線を操る両腕は地に組み伏せられると同時に、情け容赦なく手首からへし折られていた。
***
戦いは終わった。俺とセレーネの勝利という形で。
コンクリートの床に散らばるは、かつて改造された操人形を構成していた部品の数々。その残骸に囲まれて組み伏せられるは、幾万の人間を殺めた最悪の殺人鬼。
諸悪の根源である首狩り――上縄十三は、行動を封じられてなお、せせら笑いを止めようとはしない。けれどもそれが、単なる強がりでしかないことは、わかりきった事実であった。
この男には、もう何かを成す力はない。
だから後は――ここから先の話は、私怨であり復讐であり、事後処理である。
俺はこれから、この男を殺すのだ。
「くっはは……まさか、本当に負かされるとはなあ。契約した『デュナミス』をうまく避けれたまではよかったんだが、お前ごときに俺の操力線を破られるとは、思ってもなかったぜ。おら、お前が愛してやまない十三様の晴れ姿だぜ? 詰りの一つくらい言ってみたらどうだ」
十三が何かを語っている。けれども、瞬間的に脳の限界を超えた情報の処理を行ったせいか、言葉が耳に入ってきても、それを言語としてうまく認識出来ない。
頭痛がする。吐き気が止まらない。視覚は焦点の調整に失敗して、くぐもった不明瞭な景色を映し出しているし、聴覚は音量の調節を失敗して、耳鳴りのような反響音を木霊させている。
触覚が鈍くなり、小刀を握っているかどうかもわからなくなる。けれども、この男――十三の姿だけは、見失うわけにはいかない。
握りしめる右手の力を強めて、木製の柄の固さを再認識する。空いた左手で瞼を擦り、ぼやけた視界を晴らして床を見据える。
「……なんだよ、だんまりとはつまんねえ奴だな」
「お前と話すことなんか、何もねーよ」
今度はちゃんと、聞きとることが出来た。直近の言葉も、その先の言葉も。
「そうかい。それで、お前は俺を殺すのか? いいぜ、殺すといいさ」
「……言われなくとも、そのつもりだ」
首狩りは、絶望しない。死ぬことを、恐れない。
俺達のような人間とは、住んでいる世界が違う。根本的に、狂っている。
己が数多の人間に与えてきた絶望を、まるで理解していないのだ。
死を恐怖しなければ、忌避しようともしない。だからこの男は、自分の命すらチップにして、ゲーム感覚で人を殺す。
殺す痛みを知らなければ、殺される痛みも知らないから。
上縄十三は絶望出来ない。己の死に、悲観的になれない。
その事実は――死を以てなお、この男に親友の苦しみを味わわせることが出来ないという事実は、俺の復讐心に大きな憤りを感じさせたが、精魂が腐っている人間に対して、何を抱こうと無駄な話であった。
成立しない復讐劇。それでも、この手で首狩りを殺すことで、この悪夢のような事件を終わらせなければならない。
この男は、生きていてはならないものだから。
殺さなくてはならないものだから。
――――殺したくて、仕方がないものだから。
落ち着きを取り戻しかけた呼吸が、再び荒々しいものになる。心拍数が急激に上昇し、全身から嫌な汗が噴き出してくる。
脳裏に浮かぶのは、殺された人々の姿。やりきれない思いを胸に、志半ばに倒れていった、首のない死体の幻影。
手汗で滑り落ちないように、再度小刀を強く握りしめる。
狙うのは頭部の付け根――首。
同害報復の意図がないわけではないが、単純に、上半身はセレーネが押さえているから、狙えるのがそこしかないという理由もある。
まあ、この際部位なんてどこでもいい。
首を落とせば、人は死ぬ。それは、相手が心無い殺人鬼であったとしても、例外ではない。
顔の前でしゃがみ込み、両手で柄を握りこんで腕を振り上げる。
困難に陥る呼吸も、狂乱に暴れる心臓もそのままに。
この町を守るため、日常を取り戻すため、平穏を保つため、復讐を果たすため。
嘲笑う男の脊髄をめがけ、銀色の殺意を振り下ろし――――
――――既の所で、俺は腕を止めてしまった。
躊躇いはなかった。人を殺す覚悟は、決まっていたはずだった。
なのに、それなのに、小刀を振り下ろそうとしたその時、俺は思い出してしまった。
蒼維先輩の涙を――そして、双月の言葉を。
『――環は、いなくなったりしないよね?』
なんでだろう。そんな双月の悲しげな表情が頭をよぎっただけで――ただそれだけで、思考は急速に冷却され、呼吸と心拍数が正常値へと戻っていた。
「……セレーネ。頸動脈を圧迫するか何かをして、こいつの意識を奪ってくれ。俺はその間に、警察に連絡する」
足元に転がっていた鞘を拾い上げ、刃の部分を隠して懐にしまう。
そして、ポケットからスマートフォンを取り出し、緊急通報用電話番号を入力しながら、俺は十三の前から立ち上がり、連絡のため少しその場から離れることにした。
「なんだ、殺さねえのかよ。今更怖気づいたのか?」
「……別に、ただお前とは一緒になりたくないって、そう思っただけだ」
ここでこの男を殺したら、胸を張って双月と会えなくなるから。
なんて、そんなことは欠片も考えていなかったはずなのに――もう二度と日常には戻れないと、後ろ暗いものを抱えて生きると決めたはずなのに。
どうしてだろうね。どうして俺は、もう一度双月に会いたいだなんて――後ろ暗いものをなしに、胸を張って彼女の下に行きたいだなんて、思ってしまったのだろう。
「……悪い、融希。復讐は、果たせなかったよ」
いや、違うか。融希に謝るのはお門違いか。あいつが復讐を望んでいたかなんて、俺に判断出来ることではないのだから。
復讐を望んでいたのは俺で、その復讐を否定したのもまた俺で。
ならば謝るべきは――祝福すべき言葉は、俺自身にかけるべきだ。
「……ごめんなさい。そして、ありがとうございました」
俺を見放してくれて――狂気に堕とさないでくれて、ありがとう。
立体駐車場の最上階から見る景色は、ネオンの輝きすら届かないほどに煤汚れた暗闇で満たされていて。
けれどもそんな埃まみれの町の空気こそが、俺が選んだ当たり前の世界であった。




