【15】不変で不偏で普遍な日常
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それから数日間、俺達は毎晩欠かすことなく捜索を行ったが、首狩りの姿はおろか、首の落ちた死体すら見つかることはなかった。
新鮮な血の臭いもなく、死体を隠蔽された痕跡もない。
二度の発見に警戒した首狩りが、殺人行為そのものを控えたのか。
低い可能性ではあったが、あの男の影すら捉えられていない以上、それを願うしかなかった。
そうして無意味な日々が過ぎ去り、いよいよもって手詰まりとなりかけた時のこと。
同級生に暴力をふるったことでかけられていた停学期間が終わりを迎え、俺は再び学校に行くことが出来るようになった。
「……今日は、学校という場所に向かうのですね」
「ああ。一応、俺も学生だからな。ああ、昼飯は冷蔵庫に入れてあるから、適当な時間にでも食っててくれ」
「わかりました。いってらっしゃいませ、環様」
「おう、いってくる」
登校は一週間ぶりくらいではあるが、クラスメイトを殴ったあの日は碌に授業も受けられなかったから、実質的には二週間以上ぶりの学校だ。
インフルエンザでぶっ倒れたことのない俺としては、こんな風に一人だけの長期休みを経験したのは初めてのこと。
元々、真面目に授業を受けていたわけではないけど、毎回のようにサボるほど不真面目でもなかったので、この空白の期間が学力に影響を及ぼさないか、少しばかり不安を抱かなくも――あーうん、あんまり不安はなかった。そもそも、そんな勉学に対して真剣に向き合ったことはないし。
とはいえ、こんな心にもないことを独白してしまうくらいには、久しぶりの登校に浮足立っているのは事実である。いや、どちらかといえば、地に足がついていないって感じかね?
喜びとか悲しみとかはないけど、非日常感にのまれている。学校に通うという当たり前のことが、久しぶり過ぎて普通ではないことのように感じられてしまうような。
そんな少し不安定なふわふわとした気分になりながら、俺はいつもより時間をかけて文楽学園に到着した。
下駄箱で上履きに履き替え、校内を見渡す。流石に、一週間程度離れたくらいで教室の場所を忘れるようなことはない。何か特別なイベントが起こることもなく、無事に二年四組の教室へと辿り着いた俺は、開口一番に元気よく挨拶を――なんてキャラではないので、教室の後ろの扉をゆっくりと開き、控えめに、忍び足に、教室へと足を踏み入れた。
「…………」
教室の空気が、一瞬にして冷え切った。
なんだっけ? こういうのを『天使が通った』って言うんだっけ?
外海環という人間の登場に、ざわついていた教室が一斉に静まり返る。
そして、数秒と待たずに復帰する会話の騒めき。しかしそれはさっきまでのように和やかなものではなく、ある種の緊張感に満ちた張りぼての騒々しさであった。
楽しむための会話ではなく、静寂を否定するための会話。
喋っていないと、聞いていないと、嫌でも考えてしまうから。
クラスメイトの起こした不祥事を――頭のおかしな学生と、部屋を共にしているという事実を。
「……さしずめ、文楽学園の禁忌ってとこかね?」
触らぬ神に祟りなし。触れてはならない人間様。
暴力沙汰を起こした俺を待っていたのは、存在そのものを否定する特別待遇。
アンノウンでシースルー。いないも同じ。まあ、今までと何も変わりはないか。
「……おはよう、環」
と、暗黙の了解という情報統制が敷かれた教室であったが、そんな状況下でも変わることなく――今までと何も変わらず、俺に話しかけてくる生徒が一人だけいた。
「おう、双月。久しぶりだな」
双月亜理栖。親友を失った今、俺の話し相手となってくれる唯一の同級生だった。
「ねえ、その……環は今日、お昼ご飯はどうするつもり……?」
「昼飯? まあ、いつも通りコンビニで買ったパンを食うつもりだが」
「じ、じゃあさ……お昼ご飯、一緒に食べない?」
「おう、いいぞ」
「そ、そうだよね……って、え?」
二つ返事で快諾してやると、双月は口をぽかんと開けて、そのまま固まってしまった。
「えっと、いいの? お昼ご飯だよ?」
「お、おう……別に、何か問題でもあったか?」
「……ない、けど……と、とりあえず、お昼休みになったら、また声かけるね!」
そう言い残し、双月は駆け足で自分の席へと戻って行った。
自分から尋ねておいて、変な反応をする奴だな。
まあなんにせよ、昼飯は双月と一緒に食べることが決まったらしい。
そういえば、少し前まではよく三人で昼飯を一緒に食べてたな。無断で屋上の鍵を開けて、青空を眺めながら弁当を食べる。もう融希がいないからいつも通りとはならないけど、それでも、場所としての役目は果たしてくれるだろう。
始業のチャイムが鳴り響き、教師が出席簿を片手に登壇し休んでいる人の確認を行う。
欠席者はゼロ。結局、朝礼が終わるまでの間、俺と教師の目が合うことは一度もありはしなくて。
二週間ぶりの授業は、良くも悪くもいつも通りの様相であった。
***
朝の予測通り、昼食は屋上で食べることとなった。
久しぶりに訪れる屋上。鍵は俺が管理していたので、双月にとっても数週間ぶりの来訪であろう。
幸いにして、今日の天気は快晴。絶好のピクニック日和だ。
ビニールシートはないし、座るのも芝生ではなくコンクリートだが、何も文句は言うまい。
地上よりもちょっと強く吹き抜ける心地の良い風は、柔らかな春陽の日差しと合わさり、まるで俺達の再来を喜び、歓迎してくれているようであった。
「いい天気だな。昨日は日中雨が降ってたみたいだし、今日は晴れてくれてよかったな」
亜理栖は母親が作ってくれたお弁当を箸でつまみ、俺は袋に入った惣菜パンを開けて口に放り込む。
昨日までの捜索の日々とは打って変わって、緊張感などまるでない穏やかな時間だ。けど、だからこそ、こうしてゆっくりと、誰の目も気にすることなく羽を伸ばせる。
「そうねー。雨が降ると、どうしてもジメジメしちゃうし、晴れてくれた方が楽でいいわ」
「湿気てると髪に良くないとか、そういうのもあったりするのか」
「それもあるわね。雨の日は気を抜くとすぐ寝癖が跳ねちゃうし。あとはほら、お化粧のノリ具合とかも変わってきちゃうしで、大変よ!」
「化粧って、普段の双月はそういうのしてないんじゃないのか?」
「失礼な、ちょっとくらいはするものよ。まあ他の子に比べたら、私はかなり薄い方だけど」
「へえ、気付かなかったな……」
ナチュラルメイクというやつだろうか。じっと目を凝らして見ても、男の俺ではどこをどう化粧しているのかなんて、皆目見当もつかなかったが。
「……そんな風にじろじろ見るのは、女の子に対して失礼じゃない?」
「ああ、悪い。けど別に、元々かわいい顔してるんだから、化粧なんてしなくてもいいだろうに」
「そういう問題じゃないのよ。身だしなみに気を遣うのは大事なことで……って、え、何? ちょっと待って、今かわいいって言った!?」
「おう、言ったが……それがどうかしたか?」
大げさなくらいに目を丸くさせ、それからゆっくりと目つきを怪訝そうなものに変化させながら、双月は俺の顔をまじまじと見てくる。
「……環、大丈夫? 熱があったりしない? 休みの間に何か悪いものでも食べた?」
「ひでえ言われようだな」
「だって、いつもそんなこと言わないじゃないの」
褒めたはずなのに、何故か貶されてしまった。
飼い犬に手を噛まれた気分だ……ん、これは意味合いが違うか?
「双月こそ失礼だな。俺だって、人を褒めることくらいは出来るぞ」
「そういうことじゃなくて……なんか今日の環、ちょっと変な感じ」
「そうか? 俺はいつも通りのつもりだが……」
いや、違う。いつも通りではないだろう。
なにせこの二週間、俺にとってのいつも通りは、夜中に町を飛び回ることだったから。
首狩りを――殺人鬼を探すことが、俺の日常であったから。
「……まあ、久しぶりの学校でテンション上がってるだけだろ。気にしなくとも、そのうち双月の知るいつも通りに戻るさ」
「ならいいんだけど……」
そう、そのうちすべて元に戻るだろう。
時間の流れが、全てを日常に帰してくれる。
喜びも怒りも、哀しみも楽しみも、有象無象の区別などなく、平滑化される。
首狩りさえいなくなれば、きっと俺達はまた日常に戻れるのだ。
――今日こそは、見つけられるといいな。
不穏因子を排除する。首狩りを排除する。
平和な空気に身を置いても、その思いだけは決して消えることはない。
今の俺にとってはそれこそが――否、それだけが、この世に存在する理由であった。
***
いつも通りとは、何も変化がないということ。
不変で不偏で普遍な日常。何の変哲もなく、何の事件も起こりはしない。
クラスメイトが話しかけてくることもない。不良共が絡んでくることもない。
外界との接触が断たれれば、変化が起こらないのは当たり前だろう。
昼休みも終わり、残された授業も終わり、放課後が訪れ、部活動に顔を出す。
そこにはいつもと同じように古護先輩の姿があって、隣には双月が座っていて、俺はその二人の仲に混じっていき、時には声を張り上げながら談笑を交わす。
ずっと続くと思っていた、かけがえのない時間。けれども俺は、もう知ってしまっていた。
この殺風景な部室が、少し広く感じてしまうことを。
飛び交う会話の中に、音が一つ足りないことを。
普遍な日常は、一瞬にして失われてしまうことを。
そして、そんな出来事があった後でも、やがては痛みを忘れ、いつも通りの中に溶け込んでしまえることを。
人間は強い。いつだって、前を向けるように出来ている。
きっと彼女達は立ち直れるだろう。融希の死を乗り越えて、また新しく操人形研究部をやっていけるだろう。
だから、その為に――彼女達が前を向けるようになった後のために。
元に戻った世界を――いつも通りの日常を、再び壊されないようにするために、俺は首狩りを殺すのだ。




