【14】『デュナミス』
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セレーネには、操人形になる前の――すなわち、人間であった頃の記憶がなかった。
記憶は、彼女が操人形になる過程で、消されてしまったから。
人形には――兵器には、必要ないものだったから。
「『デュナミス』。私のように操人形化された人間のことを、彼らはそう呼んでいました」
『デュナミス』。それは、人権も人道も無視された、兵器という形の極値。
兵器を人間にするのではなく、人間を兵器にする。
兵器という形を隠すため、人間に擬態させるという思想が行き過ぎた結果、生まれてしまった産物。
それが、『デュナミス』の――セレーネの正体であった。
「私が覚えているのは、操人形となった後のことだけです。来る日も来る日も同じように、戦闘訓練を行い、おいしくない栄養食品を食べ、不具合が起きれば修復され、何もなければ部屋に閉じ込められる。そんなつまらない毎日が、私の知る世界のすべてで――そんなつまらない生活に、私は不満一つ抱くことはありませんでした」
不満を抱く感情もまた、兵器には必要ないものだったから。
心の自由までも抑圧され、弾圧された彼女は、そんな地獄のような生活が、これからもずっと、ずっと――一生続くのだろうと、そう思っていた。
しかし、そうはならなかった。
繰り返す日々の中で、ある日彼女は知ってしまったのだ。
永遠にも思われた地獄の終わりを。
セレーネという存在そのものを壊す、最悪の実験が計画されていたことを。
「私は、『デュナミス』としての出来があまりよくありませんでした。戦いは上手くならない、燃費は異常に悪い、身体能力も大して向上しない。彼らは、私をこのまま育てたところで、これ以上の進展は望めないと判断したのでしょう。彼らは私という人形の育成を放棄し――『デュナミス』ではない、別の兵器としての運用を考え始めました」
さらなる改造と、さらなる洗脳を施し、もはや人の形をも捨てた、別の何かにしようとした。
そこに自我などあるわけもなく、待っているのは兵器としての――単なる道具としての末路。
「それを知った時、私は初めて――漠然とではありますが、私の中に初めて、感情というものが芽生えました。理由はわからないけど、ここにいてはいけないと――ここにいるのが嫌だと、私はそう思いました」
それは、彼女に生まれた初めての――拒絶という感情。
心の底から湧き上がる情動――本能にも似た焦燥感に駆られた彼女は、ここにいたくない、ここから逃げ出したいという思いに手を引かれるままに、幽閉されていた研究施設から全力で逃げ出した。
行き当たりばったりだった。
計画なんてあるわけもない。そもそも彼女は、外の世界なんてものを知らないのだから。
改造の際に植え付けられたのか、あるいは人間だった頃に得たものか。
知識としては知っていても、実際に体感する外の世界はまるで違うもので。それでも、何とか記憶していた情報を頼りに、町を無秩序に、無計画に彷徨うこと数日。溜め込んできた操力も底をつき、いよいよもって生命の危機を感じていたところで――――
「――――お前は俺に出会ったってわけか」
「はい。あの時、環様の操力を得ていなければ……そして、こうして環様に拾われていなければ、きっと私はあのまま野垂れ死にしていたことでしょう」
活力もなければ行くあてもない。そんな絶望的な状況だったからこそ、セレーネはあの時、俺という見ず知らずの人間に、己の全てを委ねるようなことを言ったのだろう。
――――私のマスターになって頂けないでしょうか?
「……なあ、セレーネ。どうしてお前は、そのことを黙っていたんだ?」
「それは……」
意地悪な質問だった。けれど、これを聞かずにして、先には進めないだろう。
「……怖かったのです。私は、人間でもなければ、操人形でもありません。改造された人間で、模造品の操人形で……兵器でしたから。きっとこれを知ったら、環様に怖がられてしまうと……環様に捨てられてしまうと、そう思いました」
黙っていて、すみませんでした。
そう言って頭を下げるセレーネに、俺は背を向けたまま、思った通りのことを告げてやる。
「俺がお前を、怖がるわけがないだろ。元々、俺はお前を復讐のための力として使うつもりだったんだ。それがただ、想像よりもずっと力が強くて、想像よりもずっと優秀で――想像よりも、ずっと綺麗だった。ただ、それだけの話だ」
道具とか兵器とか、操人形とか『デュナミス』とか、そんなものはどうだってよかった。
彼女の経歴が、彼女という存在そのものを否定する要素にはならない。
だって彼女は、食べることが大好きで、喧嘩がものすごく強くて――ちょっと感情を出すのが苦手なだけの、かわいい女の子でしかないのだから。
セレーネは、人間なのだから。
「……最初は、誰でもよかったのです。それがどんな人間であっても、私という厄介者を受け入れてくれるのなら……誰でもよかったのです。私は道具で、マスターは人間で、人間は道具を利用し、道具は人間に利用される。ただそれだけの関係を、私は望んでいました」
そこに道具の私情などなく、ただ望まれるままに使われる。
それが彼女の世界の全てであり、彼女が生きる術であったから。
けど――――
「けど、今は違います。私は環様を知った。他人の人生を――環様という一人の人間についてを、私は知りました。そして同時に、絶対に知ることなどないと思っていた感情を――喜びというものを、私は知りました。私は、心地が良かったのです。道具としてではなく、利用されるだけではなく――セレーネという個体として、環様の傍にいて、環様のお役に立てることが――――すごく幸せだと思いました」
そう言って、彼女は少しだけ、口元を緩ませる。
夢を見るように、空想にふけるように。
「最初、私にはどうして自分が逃げ出そうと思ったのか、その理由がわかりませんでした。漠然と、ここにいたくないという気持ちに駆られて、意味もなく逃げ出してきたのだと。ですが、今なら少しだけ、わかる気がするのです。きっと、きっと私は――――」
――――幸福を知るために、ここに来たのだと。
セレーネは、そう思ったのだった。
「……私を拾ってくれて、ありがとうございました」
後ろから、ほのかな温もりを持った柔らかな感触に抱きしめられる。その温かさは、そのか弱い腕の抱擁は、紛れもなく人間の――女の子のものであった。




