【12】やさしさに包まれたなら
***
最後に誰かの手料理を食べたのは、いつだっただろうか。
双月の作ってくれた料理は、とても温かかった。体だけじゃなくて、心までを解してくれる温もりがあった。
「……なあ、双月。双月はさ、誰かを憎み続けたことってあるか?」
「憎み続けたって……どういうこと?」
「なんなら、怒り続けたでもいい。こいつだけは絶対に許せないって、そう思い続けている人はいるか?」
どうしてこの質問をしたのか――双月に聞いてみようと思ったのかは、よくわからない。
たぶん、理由なんてなかったのだろうし、話の導入として――きっかけとして、問いかけから始めた方が、都合が良かったからとか、その程度の気持ちだったのだと思う。
「……少しだけ、話を聞いてもらってもいいか?」
「……ええ、いいわよ」
ただ、甘えたかった。
双月に、聞いてほしかった。
弱音を吐くとか、不安を漏らすとか、それだけは絶対にしないようにと心に誓っていたけど――今だけは、その誓いを守れそうにない。
それはきっと、悪いことなのだろう。
彼女なら、きっと聞いてくれるって。彼女なら、きっと慰めてくれるって。
双月の優しさに、甘えてしまっているのだから。
「俺はさ、あいつの死を……融希の死を、この目で見届けたんだよ」
そうして俺は語った。柄にもなく、たくさんの言葉を――泣き言を、口にした。
融希の死を目撃したことを。
首狩りの顔を見たことを。
首狩りに対して憎悪したことを。
そして――――そんな憎悪の感情を、忘れてしまったことを。
「昨日のことだってそうなんだ。確かにあの時、俺は怒っていたはずなのに……今は、そんな感情が欠片も湧いてこない。そしてそれは……首狩りに対しても、同じなんだ」
復讐やセレーネについての話は伏せたのは、せめてもの自制心。それ以外の全ては吐き出した。
誰かに話したかった。誰かに聞いてほしかった。
それが彼女にとって迷惑だとしても、俺は言葉を止めることは出来なかった。
「……解離性健忘」
「……えっ?」
「強いストレスの原因となった出来事や感情を忘れ、思い出そうとしても思い出せなくなってしまうこと。ストレス性の記憶喪失。思い出したくないくらいに辛いことなら、いっそ忘れてしまった方がいい。人間には、そんな防衛機構が備わっているの。だから、怒りを忘れてしまうって事は、それだけ辛い出来事だったってこと。そんな辛い出来事を、無理に思い出そうとしなくたっていいんじゃない?」
「けど、それじゃあ……」
「ふふっ……わかってるわよ、そんな理屈で納得してくれないってことくらい。今言ったのは、あくまでもそういう理由があるってだけの話。もちろん、理由があるからって納得は出来ないだろうけど、それでも、忘れても仕方がないんだって気休めくらいにはなるでしょ?」
そう言って双月は優しく微笑むと、俺の両手を覆うようにギュッと握りしめる。
「環がなにもかもを背負いこむ必要性はないんだよ。怒り続ける必要もないし、苦しみ続ける必要もない。一人で抱え込む理由もないし、その思いに囚われ続ける道理もない。苦しい時はこうやって、いつだって私に相談してくれていいんだよ。それに……」
双月は不意に視線を足元に落として、それから眉尻を下げて照れくさそうに笑みをこぼす。
「……それに、たとえ一時の怒りであったとしても、環が私のことをかばってくれたこと……すごい、嬉しかったから。少しだけ見直したわよ」
――――かっこよかったわ、環。
その言葉は――その優しい声は、今の俺にとって十分すぎるくらいによく効く特効薬であった。
「うるせえ……少しだけ見直したって何だよ……ちくしょう……」
感情が、決壊する。枯れ果てたはずの涙が、留まることなく溢れ出てくる。
流れ出る熱を持った涙が頭痛を誘発し、体を起こしていることが辛くなり、俺は座ったままの姿勢で双月の方に倒れ込んでしまう。
情けないことこの上ない姿だ。けれども彼女は若干戸惑いながらも、そんな軟弱な俺の有様も受け入れ、肩を抱きしめてくれる。
辛いのは、双月だって一緒のはずなのに。
「環が悩んできたことは、決して無駄なんかじゃないよ。たくさん悩んで、たくさん苦しんで、たくさん悲しんで……そうやって私達は、融希の死を乗り越えていくんだから」
「……強いな、お前は」
「強くなんかないよ。今だって、こうやって涙を流しちゃってるし。けど、もしも環の目に私が強く見えたなら……それはきっと、環がいてくれたからだと思うよ。環が一緒にいてくれたから、私はこうやって、立ち上がることが出来ているんだよ」
「……それは、俺だって同じだ」
双月の存在がなければ、きっと俺はもっと落ちていただろう。
落ちるところまで落ちて、恨みつらみも忘れ、復讐という言葉にのみ囚われ、惰性のままに首狩りを探す日々。
そんな最悪に落ちずに済んだのは、彼女が傍にいてくれたから。
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
静寂に満ちた部屋の中で、俺達はお互いの肩を抱き合う。
欠けた何かを埋め合わせるように、消えない悲しみを混ぜ合わせるように。
いつかまた、心の底から笑える日が来るようにと、そんな願いを分かち合いながら。
***
一通り涙を流しきった頃には、辺りはもうすっかりと夜の帳が下りきっていた。
「遅い時間だし、家まで送っていくよ」
「大丈夫よ、ここからそう遠いわけじゃないし。自宅謹慎中なんだから、しっかり休んでおきなさい」
感情が抑えきれなかったとはいえ、ついさっきまで抱き合っていたという恥ずかしさもあってか、双月は大げさな仕草で手を横に振った後、それっぽい言い訳を付けながらさっさと寮を後にしてしまった。
一瞬、強引にでもついていくべきかと迷いはしたが、双月が大丈夫と言っているなら大丈夫だろう。下手に付き添って嫌がられてはしょうがないと、送り届けは寮の玄関までとし、それ以上はついていかなかった。
……まあ、俺も俺で、照れくさくはあったしな。
あんなかっこ悪く泣き腫らして、おまけに抱きついたりなんてしちゃって……思い出しただけで、顔から火が出そうなくらいだ。
「……次会った時、ちゃんと謝っておこう」
これのせいで、関係がギクシャクしちゃうのも嫌だしな。
なんて、耳まで真っ赤にしていた双月の姿を思い出しながら部屋に戻ると、送り届けている間に帰ってきていたのか、セレーネがテーブルの前で礼儀正しく正座をして待っていた。
「おかえりなさいませ、環様」
「おう、帰ってたのか」
「はい。ちょうど環様が部屋を出ていってから五秒後に」
「……お前、もしかして見てたのか?」
だとしたら、恥ずかしい姿を見られてしまったものだと、春の夜風に冷めかけていた顔が再び熱を帯び始めたところで、思いがけない答えがセレーネの口から返ってくる。
「いえ、見てはいません。聞いていました。バレてはいけないと命令されていたので、双月様の目に映るところにはいないようにしていました」
「……は? 聞いていた?」
確か、部屋の窓はちゃんと閉めていたはずだぞ?
「はい。ですので、壁越しに聞いていたのです」
「操人形ってのは、そんなことも出来るのか」
「人と比べて、多少五感が優れているだけです」
「……いやいやいや」
壁越しに聞いて言葉を判別出来るレベルは、ちょっとなんて言葉じゃ済まない優秀さであろう。
飯食ったり風呂入ったりで今更感はあるけど、やはり彼女は、普通の操人形とは比較にならないほどのスペックを秘めているようだ。そもそも、普通の操人形には五感なんて機能があるのかもわからんし。
「……ん? 五感って事は、味覚もちゃんと搭載されているってことか?」
「はい、もちろんです」
なるほど。機械だからと思って――というか、何でもかんでも食うもんだからあまり気にしてはいなかったが、一応味の判別は出来ていたんだな。
と、味覚についての話をしたところで、一つやろうと思っていたことを思い出す。
「あ、セレーネ。お前、腹減って「減ってます。とてつもなく空腹です」
「…………だよな」
食い気味で答えが返ってきた。
まあ、だいぶ長い間外で待たせてしまったのだ。セレーネの反応も仕方のないことだろう。
食べ物の話をした途端、背筋をピンと伸ばし、犬のように耳としっぽを揺らしながら――耳としっぽが見えたのは幻覚だが――目を爛々と輝かせるセレーネ。
ほんと、無垢というか正直というか、現金な奴だ。
忠犬セレーネに待てをしてから部屋を離れた俺は、そのままキッチンに向かい冷蔵庫からあるものを取り出す。
取り出したのは、丁寧に盛り付けられ、ラップで蓋までをされた今日の夕食。それはつい数刻前、双月に明日の朝食べると言って用意して貰ったものであった。
レンジで温め、可能な限り出来立ての状態に戻し、それらを持ってセレーネの前に戻る。
「……それは、先ほど双月様がお作りになられあそばされたお夕食でございますでしょうか?」
「なんだその無駄に回りくどい喋り方は」
敬い過ぎて逆に敬意が欠けているようにも取れる喋りだったが、双月に対して感謝をしていることは間違いないだろう。食べ物の恩だけは忘れないのが、セレーネという少女である。
ほかほかの手料理を前に、セレーネは箸に手を伸ばそうとする。が、途中何かを察したのか、目を大きく見開いた後、動きをピタリと止めて俺の方を見てきた。
「えっと……私が食べてもいいのでしょうか……? その……双月様は、環様のためにこれを作られたわけで……」
「……安心しろ。双月は、多分気付いてたから」
仮に俺の朝食用として作ってくれていたのならば、今日の夕食とまるっきり同じメニューを残したりはしないだろう。
双月はきっと、三人目の存在に気付いていた。流石に、その相手が操人形だとまでは想像してなかっただろうが――何らかの事情を抱えた、三人目の人間が存在することに。
「それは俺じゃなくて、お前のために作られたものだ。だから遠慮せずに食べるといいさ」
その言葉に納得してか、今度こそ彼女は箸に手を伸ばし、セレーネは料理にかぶりつく。
相変わらず、見ていて惚れ惚れするくらいの食べっぷりのよさだ。料理人である双月にも見せてやりたかったな。
「環様。双月様は、とても良い人ですね。環様にはもったいないくらいですよ」
「うるせえな、そんなこと俺が一番わかってるよ」
「自覚があって結構です。本当、環様は幸せ者ですね」
……ん? なんかこいつ勘違いしてないか?
「……なあ、セレーネ。一応補足しておくが、俺と双月は付き合ってないぞ?」
「…………え?」
セレーネの食事の手が一瞬止まる。表情は全く変わらなかったが、身に纏う雰囲気と止まった箸から驚愕を感じ取ることは出来た。
「いや、ちょっと待て。お前今言ったじゃん、俺にはもったいないくらいだって」
「ええ、言いました。打たれ弱くて泣き虫な環様にはもったいないくらいの、才色兼備な出来過ぎた彼女さんだなって」
「お前はそこまで俺のこと下に見てたのか」
否定は出来ないが、真顔で言われると流石に傷つくぞ。
「なんだ、違ったのですか」
「見当違いもいいところだ……」
俺と双月が恋人同士だなんて、天地がひっくり返ってもありえないことだろう。
融希の存在がなければ、きっと出会うことすらなかった。それくらいに俺と彼女とでは、住んでいる世界が違うのだ。
「抱き合っていましたのに?」
「やめろ、思い出させるな。恥ずかしさで死にたくなる」
箸が休まったのはあの一瞬のこと。その後、一切手を止めることなく食事を進めながらら、時折思い出したかのように双月の話を振ってきては俺を悶えさせてくる。
「私、双月様のファンになりました」
なんて、手料理にテンションが上がっていたのか、そんなわけのわからないことを柄にもなく楽しそうに喋るセレーネ。
……まあ、理由はそれだけじゃないんだろうけど。
思い返せば、セレーネにちゃんとした事情を話してはいなかった。すなわちあの時、双月に全てを打ち明けた行為は、同時にセレーネに対しての打ち明けにもなっていたということになるわけで。
無表情な彼女なりの、励ましって事なのかね?
だとしたら、今はありがたく受け取っておくとしよう。それに、俺の方からも、話したいことはあったから。
「セレーネ。一つ、話しておきたいことがあるんだ」
「なんでしょうか?」
「……今日で復讐は終わりにしようと思う」
「……そうですか」
思ったよりも反応が薄かった。いや、飯以外に関してのリアクションなんて、元々こんなものだったっけ。
「あの、環様。その場合、私との契約についてはどうなるのでしょうか?」
セレーネとの契約。マスターという関係について。
契約は、復讐の完了を以て結ぶものとする。ならば、復讐そのものが中止となった場合、契約はどうなってしまうのか。
「安心しろ、ちゃんとお前のマスターにはなってやるよ。ただし、それはあの首狩りを取っ捕まえてからだ」
「……? 復讐は終わりにしたのでは?」
復讐は終わりのはずなのに、首狩りは追いかける。
その矛盾に、セレーネは不思議そうな顔をして首をかしげる。
「ああ、復讐は終わりだ。ただ、だからといって、あの男を野放しにするわけにもいかないだろ? ここからは復讐ではなく、自警として首狩りを追いかける。セレーネには、それに協力してほしいんだ」
戦うために追うのではなく、守るために追う。それが今回の事件に対する、これからの俺のスタイルであった。
思えば、最初からそうやって動くべきだったんだろう。融希だって、俺が復讐に囚われている姿よりは、自警のために動いている姿の方が、見ていてずっと安心出来るだろうし。
セレーネも今の説明で納得してくれたようで、動かない鉄仮面の代わりに「あー」と首を縦に振って感情を表現していた。
「では結局、この前までと特に変わらないってわけですね」
「……まあ、そういうことになるな」
「わかりました。では――」
ちょうど夕食を食べ終えたセレーネは、丁寧に手を合わせて「ごちそうさまでした」と一礼した後、軽やかな動きで立ち上がり俺の方に手を伸ばしてくる。
そして、
「さっそく参りましょうか。今日もまた、町の平和を守るために」
「……ああ、そうだな」
伸ばされた手を取り、俺達は夜の空へと飛び出す。
機械に人の心があるのかはわからないけど、今の彼女からは確実に、心というものを感じ取ることが出来た。




