【11】レフトオーバー
***
暴力沙汰を起こした俺に下された判決は、一週間の停学処分。
双月による必死の弁護や証言を加味した上での、十分すぎるくらいの情状酌量を受けての結論が、それであった。
精神的に参っているのだろう。ゆっくり休みなさい。
もしかしたら、そういった心遣いも含めてなのかもしれない。仲の良かった友人がなくなって、少し疲れていたのだろうって。
確かに、そういう側面もなかったわけではないのだろう。俺は疲れていた。精神的にも、肉体的にも疲労して、疲弊していたから、あんな事件を起こしてしまったのかもしれない。
けれど、それが全てではなかった。その言い訳は、単なる要因の一部でしかない。
俺は、暴力という手段に――復讐という思想に、染まっていたのだろう。
目には目を、歯には歯を。そして、暴力には暴力を。
力あるものが、力なきものを制する。そんな単純で理不尽な世界に、見初められていたのだ。
そうだ、俺がやろうとしていたことは――復讐というのは、つまりこういうことだったのだ。
人を殴ったことで――暴力という手段を実行したことで、逆に思考が正常化された。
冷静に、正常になった感情は、それ故に己を客観的に結論付ける。
俺はただ、操人形を手に入れて、強がっていただけなのだと。
強がって、己が強くなったなどと勘違いして、復讐という手段を――暴力を、正当化していただけなのだ。
だって今の俺は――――――――こんなにも、何も思っていないのだから。
暴力を実行した。小さな規模であれ、復讐を成し遂げてしまった。そして、満足してしまったのだ。
満ち足りたのだ。達成感に、高揚感に。
――――親友を殺された怒りなど、どこかに置き去りにして。
感情は持続しない。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、全てはいずれ時間の中で薄れゆき、忘れ去られていく。
あの時は確かに、双月と融希を貶されたことを怒っていたはずなのに、半日が経過した今となってはもう、苛立ちすら湧き上がってこなかった。
そしてそれは、首狩りに対しても同じだった。
俺は、怒りを忘れてしまったのだ。融希を殺された怒りを忘れ、ただただ欲望のままに、惰性のままに、復讐を掲げ、成し遂げようとしていたのだ。
それを自覚したとき、自分という人間が怖くなった。
自分はそんなにも軽い人間だったのかと。
昼間の男の言葉が、脳内に五月蠅く木霊する。
『――――次は自分の番だって、粋がっちゃってた感じ?』
そんな気持ちは、欠片だってあるはずがなかった――――はずだ。
でも、もしかしたら、心の片隅で、そんな風に考えてしまっていたのかもしれない。
融希が死んだことを、受け入れてしまっている自分が、いたのかもしれない。
今までの行為が全て自己満足であったことを、己の欲望を満たすための身勝手であったことを自覚してしまった俺は、身動きを取ることが出来なくなってしまった。
「環様、今日は捜索には向かわないのですか?」
「…………ああ、今日は休みだ」
とてもじゃないが、そんな気分にはなれなかった。
自分という人間に対する失望と、融希に対する罪悪感の気持ちで、呼吸を行うことすら嫌になりそうだった。
***
いつ寝たのかも覚えていなかったし、いつ起きたのかも定かではなかったけど、気がつけば太陽は頂点を通過し、西の空へと傾き始めていた。
普段なら操力の供給を求めてくるセレーネも今日ばかりは空気を読んでか、一日中ベッドの上段に潜んだまま身動き一つ取らずにいる。四月にしては少々熱すぎるくらいの部屋の中、俺は下段のベッドに横たわり、無思考に呆然と木目を眺めていた。
「…………暇だな」
普段はあんなに面倒に思っていた学校も、いざ行けないとなると恋しくなってしまうもので。そういえば一説に、部活動っていうのは精神的に未熟な若者を社会から隔絶することで、情報量を減らして正しく成長させる役割があるんだったか。
学校という空間にとどめさせることで、必要以上の行動を妨げる。だとしたら、暇を潰せるような趣味もなければ、外出するだけの気力もありはしない俺には、無意味な事なのかもしれないな。
「部活動……か……」
停学処分はくらったが、部活動停止処分まではくらってない。それに関しては、先生方の温情に感謝するべきところだろう。双月や古護先輩の活動にまで迷惑をかけてしまっていたら、流石に申し訳が立たなかったからな。
「だとしても、マリコン出場は無理だろうけど……」
大切な仲間が一人かけてしまった今の状態では、とてもじゃないが部活に身が入らないだろう。そうでなくても俺は……俺の心は、一つのことを持続することが出来ない、欠陥品なのだから。
「……双月は今、何をしてるのかな」
今はまだ授業中か……いや、今日は確か六限の授業がなかったから、もう終わってる時間か。あんなことがあった翌日だし、まっすぐ家に帰っているのだろうか。
なんにせよ、双月のことだ。むしろ俺がいない方が、クラスの連中ともうまくやっていけてるだろうし――――
――――ピンポーン。
「…………え?」
インターホンの音を聞いたのなんて、何年ぶりのことだろう。いや、そんな年単位でここに住んでるわけじゃないから、数年ぶりなんてことはありえないが、体感的にはそれほどの長い年月を感じるくらいには、久しぶりに聞く我が家のインターホンの音であった。
宅配便が届くような覚えはない。ネットショッピングなどしていないし、仕送りをしてくれる親も俺にはいない。ほんの少し前までは融希宛に仕送りが届くことはあったが――それももう、二度と起こりはしない。
ならば一体、訪問者の正体は何者だろうか。
マイクにカメラ付きなどという大層な代物ではない、訪問を知らせるという最低限の義務だけを果たす寮のインターホン。俺は激しい運動をしたわけでもないのに重たく感じる体を起こし、のそのそと体を引きずって玄関に向かい、ドアスコープから訪問者の顔をのぞき見た。
「ぶっ――――!?」
魚眼レンズの向こう側に、美少女が映っていた。
「たまきー! いるわよね? いないはずないわよね! 開けるわよ!」
学校帰りに直接訪ねてきたのか、文楽学園の制服を身にまとったままの双月。
何でここに双月が……っていうか、今開けるって言ったか!?
その気になれば、双月はこの扉を開くことが出来る。なにせ、この世に四本くらいあるこの部屋の鍵の一つは、ほかならぬ彼女が持っているのだから。
まずい。この調子なら、数秒の猶予もなく双月は鍵を開けるだろう。そうなってしまえば、今現在俺が抱える最大の秘密――セレーネの存在がばれちまう。
どうやら、防衛本能は麻痺していても、危機管理能力の方は十全と機能していたようだ。
この状況が露見することだけは絶対にあってはならない。セレーネだけは、絶対に見つかってはならない。
そう判断した俺は後先を考えるよりも前に、双月の進軍を止めるため自ら扉を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」
「わっ!? び、びっくりした……待てって、部屋に入るのをってこと? 別に、部屋が汚くても私は構わないけど……」
「そういうわけじゃなくて……ええと、その……と、とにかく、二分待ってて! その間に何とかするから!」
一方的にまくし立てて強引に扉を閉めた俺は、大慌てで部屋に戻りセレーネに声をかける。
「セレーネ! 起きてるか!」
「いいえ、寝ています。ぐっすり熟睡中です」
「起きてんじゃねえか! ……って、冗談を言ってる場合じゃねーんだよ! セレーネ、どこか見つからないところに身を隠してもらってもいいか?」
俺の要望に、セレーネは上半身の力だけで体を起こしながら、不思議そうに問いかけてくる。
「見つからないところ……この部屋から外には出ない方がいいでしょうか?」
「……いや、出てもいい。ただし、あまり遠くまではいかないでくれ」
「かしこまりました」
俺の焦りが通じたのか、思いのほか素直に受け入れてくれたセレーネは、二段ベッドから飛び降りたその足で窓枠に足をかけ、そのまま視界の外へと跳躍していく。
目撃者とか大丈夫だろうかと少し心配にはなったが、今は彼女の潜伏スキルを信じるしかない。とりあえず目下の危機を脱した俺は、再び駆け足で玄関に向かって扉を開けた。
「あっ、環……もしかして、先客がいた感じだった?」
「……いや、ずっと俺一人だったけど」
「そう? 何か中で誰かと話してるような声が聞こえた気がしたんだけど……」
「気のせいじゃないか……? ほ、ほら、とりあえず中に入れよ」
「……? お、お邪魔します……?」
これ以上の追及を受けるのを避けるため、話を強引に断ち切って双月を招き入れる。
「うーん、中には誰もいないし……考えすぎかしらね……?」
若干の違和感を拭いきれていない様子の彼女ではあったが、部屋の中に誰もいないことを確認したことでか、ひとまずは納得することにしてくれたようであった。
まあ、さすがの双月でも、寮の窓から飛び出していきましたなどとは思うまい。
「……いいわ。ていうか、正直もっと散らかった部屋を想像していたのだけど、思ってたよりもずっときれいじゃないの」
「まあね……汚くするほど、物もないし」
「……そうだったわね。くだらないものとか、余計なものとか、そういうのを持ち込んで部屋を圧迫していたのは、いつも融希の方だったわね」
雑多に積まれた漫画本の山も、隅っこの方に転がっていた謎の小道具も、全部融希の持ち物だった。
俺の住んでいたこの部屋は、そのほとんどがあいつの日常に彩られていた。それもまた、あいつが死んでから気付かされたことの一つ。
昨日の今日なのだ。あんな暴力沙汰があった後なのだから、せめて双月の前では暗い顔をしないようにしよう。そう思っていたのだけれど、この部屋の中――融希の面影を感じる場所では、どうしても悄然とした空気になってしまっていた。
「……双月は、今日どうしてここに?」
「まあ、色々よ……怪我、大丈夫?」
「あ、ああ……それに関しては大丈夫だ。傷跡も残ってねーし、今はもう痛みも引いてる」
運がいいというか、悪運が強かったというか、あれだけ派手に吹き飛ばされたというのに、体には傷一つ残ってはいなかった。
強く殴られた頬も、痛みは完全に引いていた。まるで、昨日の騒動全てが嘘であったかのように、肉体は暴力を完全に忘れていた。
――――そしてそれは、心も同じ。
憎しみも、怒りも、悲しみも。
全てなかったことのように、忘れてしまっていたから。
「ほんとに……? 無理してたりしない?」
双月は不安そうに眉尻を下げながら、ペタペタと俺の体に手を触れさせて、慎重に検分する。その手つきがあまりに繊細で――なんというか、他意はないのだけど少し言葉にしづらい感情が湧き上がってきて、途中からその情動を隠すことに必死になりながら、されるがままに触れられ続けた。
「……一応、怪我はしていないみたいね。はあー……よかったわ、環の体が無駄に頑丈で」
一通り調べ、怪我がない事に安心してか、ほっとため息をつく双月。
こちらもまた、複雑怪奇な思いが膨れ上がる前に離れてくれたことに、ほっとため息をついた。
「わざわざそれを確かめに来てくれたのか?」
「当たり前でしょ!」
俺の疑問に、双月は語気を強めて答える。
「だって、環は私をかばって……その、あいつらに……」
「別に、お前をかばったわけじゃねーよ……俺がむかついたから殴った。ただそれだけの話だ」
……本当に、それだけの話なのだ。
大切な人を傷つけられたからとか、唯一無二の親友を侮辱されたからとか、そんなのは全て後付けの理由で――やがてすぐに忘却してしまう薄っぺらな俺の言い訳で。
「だとしてもあの時、環が助けに入ってくれたこと、私はすごく嬉しかったわ……ありがとう、環」
「…………」
何も言えなかった。コミュニケーションが苦手だからとか関係なく、彼女の顔を直視できなかった。
今すぐこの場から逃げ出したくて、彼女を追い出してしまいたくて。けれどもそんなことをすれば、彼女はまた傷ついてしまうだろうってわかっていたから、俺はこうして何も言えず、何も出来ずに立ち尽くしていることしか出来なかった。
「ところで環、ちょっと冷蔵庫覗かせてもらってもいいかしら?」
「……え? なんで冷蔵庫?」
急な話題転換に戸惑う俺を置き去りに、双月は許可を待たずに台所へと向かって行き、迷うことなく冷蔵庫を開く。
まあ、今更冷蔵庫を開くくらいで許可なんて必要はないが……何をするつもりなのか。そういった旨を問いかけてみると、
「夕飯よ。私、今日夕飯抜きだなんて嫌だもの」
頓珍漢な答えが返ってきた。
「ちょっと待て、なに言ってるんだお前は」
「なにって、夕飯の話に決まってるでしょう? あ、知ってるとは思うけど私、料理はお母さんに教わった程度の腕前だから、豪華なものは期待しないでおいて」
「……もしかして、作ってくれようとしてるのか?」
まさかと思いながらも、おそるおそる尋ねてみると、双月は一旦冷蔵庫を閉じて振り返り、優しさと呆れの混じったような笑みを浮かべて告げる。
「自分では気付いてないかもだけど、あなたここ一週間で相当痩せてたわよ。だから今日は、あなたにご飯を食べさせに来たの。言っておくけど、拒否権はないわよ? せめてものお礼って事で、ありがたく受け取ってちょうだい」
「……ひとつだけ、お願いしてもいいか?」
「ん、何かしら?」
「作るのは、二人分じゃなくて三人分にしてもらってもいいか? その……明日の朝も、食べると思うから」
「ええ、いいわよ。二人分も三人分も、大して変わりはしないわ!」
そう言ってはにかむ彼女の顔はあまりに眩しくて、やはり俺には直視出来そうになかったけど――それでも、ほんの少しでも心が動かされたのなら、それはきっと、彼女の優しさが、俺に感情を与えてくれたからなのだろう。
再び冷蔵庫と向き合い、限りある材料から何を作れるかを考える双月に、俺は改めて感謝の言葉を伝えるのであった。




