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【10】ターニングポイント

   ***


「そう言えばお前、俺が学校行ってる間はどうしてるんだ?」


「環様が戻られるまでは、スリープモードに移行して操力の節約ですね」


「なら、昼飯の用意はいらな――「必要です。それとこれとは別問題です」


 今頃はあいつも、昼飯を食ってるのだろうか。

 相変わらずの食に対する尋常ならざる欲求に気圧され、セレーネ用におにぎりを三つ置いてきたことを思い出しながら、俺はその時一緒に作ったおにぎりを一つ口に含んだ。


 ざっと一週間くらいぶりの学校での時間は、あっけないくらいに淡々と、いつも通りに進んでいった。

 いつもと違ったこと……強いてあげるならば、一限が臨時集会となったこと。あとは、この一週間の遅れを取り戻そうとしてか、教師たちが普段よりも熱心に授業を進めていたことくらいか。


 人が一人死んだって、世界は何も変わりはしない。融希が死んでから今日までの間、非日常的な生活が続いていたせいか、俺は今になって、そんな当たり前のことを思い出す。

 いつも通りが終わろうとも、日常が終わることはない。


 エンディングのその後も、物語は続くのだ。

 しかしてこの時、俺はもう一つ大事なことを思い出すべきだったのだろう。


 己の教訓から――融希が死んだことで陥った、非日常の時間から、俺は学んでおくべきだったのだろう。

 人が死んでも、世界は変わらない。しかして人が死ねば、人は否応なく変えられてしまうのだということに。



 昼休み。ついこの間までは融希と共に、部室か、もしくは屋上かで、買ってきた弁当を食していたはずの時間だった。

 けど、その融希はもういない。友達はいないし、作ろうともしなかったから、これからは一人で昼休みを過ごさなくてはならない。一人でいることを憂鬱に思ったりはしないが、この寂しさに慣れるのには時間がかかりそうだ。


 しかし、一人で食べるとなると場所はどこでもよくはなるが、だからといって教室で堂々と食べられるような根性はない。

 ひとまず、今日は部室で食べることにしようか。そう思った俺は自分用に作ったおにぎりを手に、こそこそと――しなくても、誰も気にしちゃいないので、普通に教室を後にしようと席を立ったところで、


「……ねえ、環」


 いつの間に隣に来ていたのか。赤い布包みを持って傍に立っていた少女――双月亜理栖に、そっと声をかけられた。


「今日は、その……一緒にお昼、食べない?」


「……珍しいな。昼はクラスの友達と食べてるんじゃ」


「いつもはそうなんだけど、今日はその……ね……」


 歯切れの悪い口ごもった言い方だったが、それでも言いたいことは全部伝わってきた。言いたいことも、言わないようにしていることも。

 気遣ってくれているのだ。自分も辛いだろうに、それでも俺の様子を気にかけてくれている。そして、そうすることで無意識に双月もまた、自分の傷を癒そうとしているのだと。


 普段なら、人目を気にして誘いを断っていただろう。けれど今日だけは誘いを受けることにした。

 俺のためにも、彼女のためにも。


「そうだな。それじゃあ、いつもの部室で――」


 こくりと頷いて肯定して見せたときの彼女の表情は、安堵と感傷が入り混じった、今にも崩れてしまいそうな儚い笑みで、それを見ているだけで俺は、非日常の中で失っていた何かが、こみ上げてくるような感覚に――――


「へー、なるほどねー。愛しの融希くんがいなくなったら、すぐにそうやって乗り換えるんだな」


 ――――なりそうになっていたところで、不躾な声が感情の放流を妨げた。


「……なによ、あなた達には関係ないでしょ?」


「くっはは……ああ、そうだな。ついこの前振った男なんざ、お前にとっては関係ない人間だよなあ!」


 不躾な声を挟んできた男は、とりまきのように二人の男を引き連れながら、双月の下に歩み寄っていく。

 三人ともクラスメイト……だったと思う。顔を見ても、名前を思い出せなかったが、あまりいい連中でないということだけは、記憶のどこかに刻まれていた。


「つまらない人間ね、まだそのことを根に持ってるの?」


「いやいやまさか、俺はそこの根暗と違うんだ。そんな陰気なこと、するわけがないだろ?」


 男は俺の方を指差して嘲笑ってはいたが、目線はまるでこちらを向いてはいなかった。

 眼中にない、ということだろう。あるいは、こんな底辺目にも入れたくないということか。


 どちらにせよ、彼にとってはただのマウンティング行為であり、軽い気持ちで卑下した程度の認識しかなかったのだろう。

 けれども、そんな品のないギャグを快く思わないのが、双月亜理栖という心優しき少女である。


「撤回しなさい。あなた達みたいな性根の腐った人なんかよりも、環の方がずっと優しくていい人よ」


 別に、俺が馬鹿にされたことくらい無視すればいいのに。どんな時でもまっすぐな彼女は、仲間の中傷を看過出来るほど世の中を上手に生きていなかった。

 そして、そういった正義感は、時に理不尽な諍いを生んでしまう。


「……んだと、このクソアマ!」


 彼女の主張を挑発と受け取った男は、ここが教室であることを完全に忘れた様子で、叫びながら双月の肩を――――乱暴に掴みやがった。

 ――――そう、掴みやがったのだ。


「ちょっと人気があるからって、いい気になってんじゃねえぞ。その気になりゃ、てめえなんて簡単に――――」


 瞼をギュッと閉じて身を竦める双月。力任せに彼女を引き寄せ脅しの言葉をつぶやく男。

 気が付いたときには、体が勝手に動いていた。


 男の手と双月の肩との接触部分を引き剥がし、二人の間に強引に割り込むことで距離を遠ざける。

 手に持っていたおにぎりが床に落ちているのを見つけたのは、全てが終わった後であった。


「あ゛? 退けよ根暗、てめえに用はねえんだ」


 同じ人間に向けているものとは思えないような、威圧的で高圧的な声色で脅迫をしてくる男。普段の俺ならば、きっとここで恐怖に怯えてしまっていたと思う。けれども何故か今は怯えるどころか、むしろいつも以上の冷静さで状況を把握することが出来ていた。

 どうしてか、まるで震えが生じない。防衛本能が麻痺してしまったのか。あるいは、本物の人殺し――首狩りの殺意に、恐怖の感情を壊されてしまったのか。


 ……そんなこと、今はどうだっていいことか。


「……やめろよ、嫌がってるだろ」


「ええ゛? 今何か言ったかあ!?」


「その汚い手で双月に触れるなって言ったんだよ、下衆野郎」


 顔を殴られ、横転させられていた。全身に鈍い痛みが響く。丁度机と椅子が並ぶ位置に倒されたからか、身体の何か所もを打ち付けてしまったようだ。


「あのさ、ちょっと部活が同じで仲がいいからって、調子乗ってんじゃねーの?」


 男が何か言っているのが聞こえる。雑音だ。気にする必要はないだろう。


「お前なんか、所詮はあのいけ好かない男の金魚の糞なんだよ! 融希とかいう無様に死んでくれた男にあやかってただけの、つまらねー陰キャラなんだよ!!」


 しかし俺としたことが、こんな単純なことも忘れていたとは、防衛本能の麻痺というのは恐ろしいものである。


「それともあれか。もしかして、融希が死んだからって――――」


 あの首狩りが教えてくれたじゃないか。セレーネも教えてくれたじゃないか。

 力は手段ではなく、前提条件なのだと。




「――――次は自分の番だって、粋がっちゃってた感じ?」




 その一言は、絶対に聞き逃してはならない、親友への侮辱だった。


 響いていた鈍い痛みが、瞬く間に引いていく。いや、それどころか、触覚そのものが消えてしまったかのような感覚に陥る。

 近くの机に手をついて体を起こしてみても、自分という肉体の重量を感じられない。まるで宙に浮いているかのような熱を覚えつつも、しかして思考は氷のように冷え切っていた。


「おお、まだ立ち上がれるのか。だったら、次はもっと強めに――――」


 ぶん殴っておく、とでも言おうとしてたのだろうか。台詞を終える前に飛びかかっていたから、続きの言葉を聞くことは出来なかったが。

 最高速で飛びかかり、勢いのままに胸倉を掴む。躊躇いのない全力の突進に不意を突かれたのか、男は無抵抗のままに数メートルの飛行を体験し、そのまま俺にのしかかられるようにして、背中から地面に叩き伏せられた。


「ぐがあっ……!?」


 聞き苦しいうめき声が、肺の空気と一緒に絞り出されてくる。想定外の強烈な反撃に身を悶えさせながらも、男は強烈な怒りを目に宿しながら、反抗的な鋭さで睨みつけてきた。

 殴られると思った。だから、先手を打った。


 男の拳が振り上げられるよりも早く、胸倉を引いて強引に頭部を宙に浮かせ、それから重力に加勢する形で腕を地面に振り下ろす。

 ゴン! という、鈍重な音が耳に届き、男が白目をむいてピクリとも動かなくなった。


「……な、何してやがるテメエ!!」


 後ろでそんな叫びと共に、煩わしい足音が二つ迫ってくるのを感じる。振り返ると、ちょうど取り巻きの一人が拳を高々と掲げていた。

 腹部ががら空きだった。だから俺はしゃがみ込んだ体勢のまま、みぞおちに肘を打ち込んだ。


 これまた汚らしい唸り声と共に、一人は前のめりになってしゃがみ込んでいく。仲間の勢いに続かんとしていたもう一人の取り巻きが、その光景に怖気づいたのか、一瞬だけ全身の動きを硬直させる。その隙を逃すことなく、俺は三人目の男の頭に回し蹴りを叩きこんだ。

 最後の一人は、声すら漏らさなかった。無言のまま崩れ落ちて、そのまま微動だにしなくなった。


 これでもう、邪魔はされないな。頭の片隅でそう思いながら、俺は再び最初の男の上に乗り、胸倉を掴んで宙に引き上げる。

 意識が飛んでいるのだろうか。首のすわっていない頭部は、剣玉のようにゆらゆらと、自らの行き場を持て余していた。


 触覚が復旧する。全身を貫く激しい痛みが――忘れていた痛みが返ってくる。

 けれども、それ以上の高揚感が――全能感が、脳髄を深層まで支配しきっていた。


「俺の大切な人達を、馬鹿にするんじゃねえ」


 その警告が男の耳に届いていたかなんて、どうでもよかった。

 今の俺にとっては、復讐を成し遂げた達成感こそが、己の全てであった。


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