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【9】操人形セレーネについて

   ***


 最寄り駅まで徒歩十五分、そこから電車に揺られること二駅。やってきたのは地元で最も広い敷地面積を誇る、巨大ショッピングモールである。目的はもちろん、セレーネの着る服の調達だ。

 学生寮周辺の住宅街とは打って変わって、ここは人の密度が高い。こういった場所に来るのは初めてなのか、平日にもかかわらず大勢の客で賑わう様に、セレーネは好奇心旺盛な子供のように、目線を右往左往とせわしなく動かしていた。


「世界には、こんなにも多くの人間がいるのですね」


「こんな小さな町に住む人の数だけでそう思えるなら、都会に行ったら失神しちまうだろうな」


 時折食べ物のお店に吸い込まれそうになるセレーネを引っ張って軌道修正しつつ、のんびり歩くこと数分。食い意地の張り具合というか、たい焼きやらクレープやらソフトクリームやら、あまりにも食べ物に反応するものだから、当初の目的は一度中断させ、先に少し早めの昼食を取ることにした。

 たまたま目の前にあったファミレスに入り、案内された窓際の二人席に腰を下ろす。そういえば、融希と亜理栖を除けば、誰かとファミレスに入ったのは初めてなんじゃないか?


 よもやこの俺が女の子を連れて二人でファミレスに入ることになろうとは、夢にも思っていなかったな。いや、正確には女の子じゃなくて操人形だけど、見た目が美少女だからその辺は無視していく方針で進めることにした。

 何を進めるのか。んー、妄想とか?


「外海様、ここが件のブティックという場所なのでしょうか?」


「いや、ここはファミレスだ」


「……ファミレス?」


「ファミリーレストラン。簡単にいえば、いろんなものが食べられる場所だ」


 食べられるという言葉に反応したセレーネが、目を爛々と輝かせながら視線だけで先を促してくる。

 何度か会話していてわかったが、こいつ、表情は読み取りづらくても、瞳はかなり正直に感情を出しているのだ。目は口程に物を言うとは、まさにこういうことなんだろうな。


「そこのメニューに載っている食べ物を注文すると、お店の人がそれを作って持ってきてくれるんだよ」


「なんということでしょう……ここは楽園か何かなのですか?」


 ファミレスを楽園と称すか。流石に言い過ぎな気もしたが、人混みも知らないほどに世間離れしている子供のような彼女からすれば、何でも食べられるファミレスという場所は、なるほど確かに、楽園のように素晴らしい場所に思えるのかもしれないな。

 別にファミレスは楽園でも天国でもなく、お金という対価に見合ったサービスを提供してくれるだけのごく普通の飲食店に過ぎないのだが、それを告げるのは大人げないというか、野暮というものだろう。


「なんでも好きなものを頼むといい。どれだけ食べたっていいぞ」


「いいのですか!?」


 食い入るようにメニューを見つめていたセレーネが、がばりと、首が吹っ飛んでしまうのではないかというくらいの勢いで顔を上げ、じっとこちらを見つめてくる。


「ああ、好きにしな。メニューに載ってる食べ物の中で、わからないものとかはあるか?」


「ええと……これと、それからこれと……」


 鉄仮面も、食べ物を前には無傷ではいられないということかね。

 彼女の口元からわずかに漏れ出していた笑みに、自然と俺の表情からも笑顔がこぼれてしまった。


 そういえば、こうして笑うのは何日ぶりだろうか。

 融希が殺されてから、ずっと張り詰めたままだった日々。

 それは、復讐という選択肢がもたらした束の間の安息か。あるいは、彼女の少女らしさがもたらした心の余裕からなのか。


 後者だとすれば、人形に人間らしさを教えられてしまうあたり、相当に弱っていたんだなと、改めて己の脆弱さというものを強く実感させられる。

 事実を、今一度身に染みて理解させられる。


 脆く弱い人間だからこそ、俺には彼女が――操人形セレーネが必要なのだと。




 その後、二時間以上にわたってファミレスのメニューを食べに食べまくられた結果、お財布の中身がかなり寒いことになってしまったというのは、あまり踏襲してほしくなかったお約束であった。

 お前の腹に入った大量の食料は、一体どこの部品に吸収されているんだ。




   ***




 つい先ほどまで最頂点にて高々と君臨していたはずの太陽は、気がつけばもう西の空の向こう側、地平線の彼方へ沈もうとしていた。

 着れればいいの精神で衣服に対してあまりに無頓着なセレーネと、同世代の女子のコーディネートなんて考えたこともない俺というファッションレベル1のパーティーで、無謀にも洒落たブティックに入ろうとしたのが間違いだったのか。


 悩みに悩んだ結果、薄水色のワンピースをはじめとした無難な洋服を三点ほど購入した時点で、時刻は午後五時。赤々と染まった夕焼けに影を伸ばされながら、当初予定していた時間を大幅に超過して、俺たちは帰路に就くのであった。


「…………」


「…………」


 停滞と静寂とに支配された茜色の景観の中、ゆらゆらと揺れる紙袋の影を見つめるばかりで話の一つも弾まない帰り道。

 帰り道などと限定してみたが、正直なところを思えば、今日という一日を振り返ってみても、俺達はほとんど会話を交わすことなく過ごしていた。おそらくはあのファミレスで飯を食った瞬間が、会話量のピークだっただろう。


 別に、わざと話さないようにしているとかそういうわけではない。出会って二日目でちょっとまだ緊張してるとか、ふとした時に気付く可憐な横顔にどぎまぎしてるとか、そういうのは――まあ、あると思うけど、それ以上になにより、俺は彼女に対して――人間ではない人形に対して、何と声をかければいいのかがわからなかった。

 あれだけ掛け合いをしておいて何を今さら怖気づいているのかと、そう嘲笑う自分もどこかにいる。しかし思い返してみても、俺がセレーネと意思疎通を図れていた時は、ほとんどの場合で食事が関連していた。そもそもこいつが飯を食い過ぎってのもあるが、それはつまり、彼女の興味はあくまでも食べるという行為に向いているのであって、決して俺に向いているというわけではないのだと、そう推察することが出来るだろう。


 マスター云々の話にしてみても同じだ。彼女が見ているのは俺ではなくて、俺が体内に抱えている食料――操力なのだ。

 歪まない表情。崩壊しない鉄仮面。


 彼女が少女となるのは、食べ物を目の前にしたときだけ。食事の時は感情豊かになるというのは、言い換えれば食事以外にはまるで興味を抱いてないということ。生きるために食べるということに偏向しきったその習性は、まるで意図的にそれ以外を――人間的な部分を削り取られ、人形に仕立てられたかのようで、そんな最も動物的で、最も人間的でない彼女に対して、どう接していくべきなのかが、わからなくなっていた。

 きっと彼女は、何も思っていないのだろう。


 俺もことも、誰のことも、そして――復讐のことも。

 寮に辿り着き、部屋に帰り、道中で買った惣菜をレンジで温めただけの簡易的な夕食を済ませ、それから軽く仮眠をとって、今夜も捜索の準備に入る。


 準備の途中、明日から臨時休校となっていた学校が再開するとのメールが届いたが、そんなことはどうでもよかった。

 いや、正直に言えば、少しありがたく思った。これで少しの間だけでも、セレーネと距離が置けるって。


「都合がいいんだろうな、俺って。都合がいい時だけ利用して、都合が悪くなったらすぐに捨てる。やりたいことだけやって、やりたくないことは避けてなんて、そんな都合がいい話、あるわけないってのに」


 一人感情を吐き捨ててみても、返ってくる言葉は何もない。ま、今のセレーネは、俺の操力を喰らうことにしか興味が向いていないのだから、当然の話か。

 操力供給手段の一つ。身体を接触させ、接触点を媒介として操力を奪うというもの。すなわち、俺が彼女と初めて出会った時に施された手法だ。


 機械とは思えない柔らかな感触に半身を覆われながらも、しかして俺はあの時のように、高揚や動揺を感じることは出来なかった。

 たぶんそれは、俺がセレーネを、人形として強く認識してしまっているから。人でないものには、温かさを求められないから。


 事実として彼女は操人形なのだから、この決して間違った認識ではないはずなのに、なまじ人の姿を――少女の姿を模している分、無駄な期待をかけてしまっていたのだろう。

 セレーネが、人間のように振る舞う姿を、期待していたのだろうか。


 情が移った。そんなところなのか。

 始まりの軸がぶれているような気がした。俺は彼女に、復讐の道具としての役割を求めていたはずなのに、いつの間にかそれは、ともに復讐を果たす仲間という役割を――人間を求めるようになっていた。


 だからこそ、都合がいいのだ。

 都合よく己を支えてくれる、都合よく足りない部分を補ってくれる存在。


 それを人間ですらない彼女に求めようなんて、身勝手にも程があるというものであった。


「……完了しました。ありがとうございます、外海様」


 終了の合図とともに、セレーネは背中に回していた腕をほどいて離れる。三度目の供給でコツを掴んだのか、最初の頃と比べて操力供給後特有の倦怠感はほとんど残っていなかった。

 食事を終えた彼女が、じっとこちらを見つめてくる。そういえば、人間の食べ物を食べる時は表情が和らぐのに、操力を食らう時は無表情のままなんだな。


 人間的な食事と人形的な食事とでは、何らかの一線があるのだろうか。まあ何にせよ、彼女が食事以外で表情を変えることがないということには変わりないのだから、どうでもいいことだ。


「……食事が終わったなら、捜索に行くぞ」


 何か言いたいことがあるのかもしれなかった。しかし、そういった機微な感情がまるで読みとれない以上、こちらに出来ることは、当たり障りのない事務的な行動のみ。

 その無機質な視線にいたたまれなくなった俺は、さっさとこの部屋から出て状況を変えようと、セレーネに次の行動を促した。


「かしこまりました。昨夜の中盤からと同じように、背中に背負ってでよろしいですか?」


「ああ、頼む」


 前抱えは、体勢とか視界とかその他諸々の精神衛生上よろしくないということで、昨晩の後半よりセレーネが俺をおぶって飛び回るという捜索スタイルが確立されていた。

 これはこれで情けないものもあるが、人間である俺が動くよりも、人形である彼女が動く方が、効率的なのだからしょうがないだろう。


 そのために俺は、彼女と約束をしたのだ。

 契約の約束を。復讐の約束を。


 それを彼女が理解しているかなど、この場合どうでもいいことである。


「では、行きましょう」


 そう言って俺を軽々と背負いあげたセレーネは、ベランダの柵を蹴って夜の空に跳び上がる。

 人間一人分の重量がのしかかっているにも関わらず、彼女の跳躍はまるで不安を感じさせない軽やかなものであった。


 春の夜風に彼女の長髪が靡き、時折風と共に俺の頬を優しく撫でる。目の前を覆おうとする髪から逃れ、視界を確保しようと首を前に出すと、彼女の端正な横顔が目に映った。

 ……俺はこの横顔に、何を思っているのだろう。


 人形だと思っている。人間味を感じない。しかしてそれはただの前提であり、いうなれば俺が勝手に貼っていたレッテルが剥がれたというだけの話だ。

 ならば、そのレッテルがなくなった目で彼女を見ている今――俺は一体、彼女に何を思っているのだろう。


 不安は恐怖がないとは言えない。けれど、それが全てではない。

 ならば嫉妬か? 自分にはない力に対しての嫉妬――いや、それこそ的外れもいいところだ。俺と彼女とは、根本的な部分が異なる。


 ならば美しさ。モナリザやミロのヴィーナスといったような、一級品の芸術品に対して抱くような感情。圧倒される美しさ。まあ、それは感じているだろう。

 そのどれもが正しいような気がして、そのどれもが勘違いなような気もする。喜怒哀楽に好悪が入り交じったような、判別不能で形容し難いこの感情。


 俺は彼女に、何を見ている?


「……外海様、少しよろしいでしょうか?」


「ん、なんだ? 何か見つけたのか?」


「いえ、そういうわけではないのですが……失礼いたします」


 そう断りをいれた彼女は、近くの民家の屋根に音もなく着地し、足に回していた腕を開いて背中から俺を下ろした。

 操人形にパーソナルスペースという概念があるのかはわからないが、俺が感じるちょうどいい距離感まで離れた彼女は、くるりと振り返って、それからまたじっと俺の目を見つめてくる。


 元より見つめられることそのものが苦手な俺は、彼女の圧力に負けて視線を足下に外してしまいたくなる。が、こちらが耐えきれなくよりも早く、今回は彼女の方から視線を足下に外した。


「二日間、本当にありがとうございました」


「…………えっ、えっ?」


 急に頭を下げられ、まるで今日限りで卒業しますみたいな文言を口にされたものだから、俺は慌てて彼女の元に歩み寄る。


「もしかして、ここからいなくなるのか? いや、だとしたら、契約は? というか、そもそもなんで?」


「いなくなる……? どうして私が外海様の側を離れなければならないのですか?」


 ぽかんと口を開いたままそう問い返され、そこで俺は自分の思い違いであったことに気付いた。

 なんだ、いなくなるとかそういうわけじゃないのか。しかし、だとすれば、一体全体どうしてそんなことを言い出したんだろうか。


「その、何か勘違いをされたようでしたら、申し訳ありません。ただ、その……お礼をしておかなくちゃって、思ったので」


「お礼……? それは、操力をあげたことについてか?」


「もちろんそれもですが、他にも、見ず知らずの私を家に泊めてくれたり、食事を提供してくれたり、洋服を買いに付いてきてくれたり、ファミレスで食事を奢ってくれたり……その全てに対してです」


 ああ、ファミレスでお金払ったこと、気付いてたのね。気付いていてなおあれだけ食ったとは――やはりこいつ、ずうずうしいというか、胆力のある奴だ。


「本当は私もまた、何か物を返すべきなのでしょうが……知っての通り、私は無一文の人形です。しかし、それでも、何らかの形でお礼を返そうと思っていたのですが、このおたんこなすな頭では考えても考えても思い浮かばず……」


「いや、おたんこなすって……」


 そんな言葉、人形生活のどこで覚えたんだか。


「それでも、せめてお礼の言葉だけは言っておかなくてはと、そう思っただけでして……あの、このお礼は絶対に返します。ですので、その……」


 見切り発車での口上だったのか、だんだんと声が尻すぼみになっていく。俺が何も言わないことに不安を覚えたのか、彼女は下げた頭を少し上げ、ちらりと目線だけで俺の様子を伺ってきた。


「あの、外海様……?」


「…………大丈夫、ちゃんと伝わってるよ」


 ただちょっと驚いていて――言葉を失っていただけだ。

 たった今、気が付いたんだ。自分の悩んでいたことに――彼女という人形の見方に。


「ありがとう、セレーネ。お前はそんなにも、俺のことを考えてくれていたんだな」


 どうしてこんな簡単なことに、気付けなかったのだろう。そのせいで俺は、こんなにも彼女を困らせてしまっていたというのだから、呆れを通り越して怒りすら覚える。

 セレーネはちゃんと、俺のことを考えてくれていたのだ。


 考えていてくれて――そして、歩み寄ろうとしてくれていた。

 俺に足りなかったのは、その部分だったんだ。


 俺はセレーネを一方的に見なすだけで、肝心の彼女が何を思っているのかを理解しようとしなかった。

 無表情だから、無関心だから。不定と不明、わからないという言葉に逃げて、彼女の内心に目を向けられていなかったのだ。


 けれど、そんな俺のことを、彼女は理解しようとしていた。彼女にとっては未知の存在である普通の人間に、歩み寄ろうとしていた。

 だったら俺もまた、彼女に歩み寄っていくべきなのだ。それが彼女にとっての礼儀であり――人間にとっての礼儀であろう。


 そうだ。俺は彼女を――操人形セレーネを、人間のように見ていたのだ。

 あれだけ人間味を感じないとかほざいておいて、人間のように見ていたというのだから、そりゃあ訳が分からなくて当然だ。


 人形として見るのと同時に、人間としても見ていた。

 その矛盾こそが俺の抱えていた不和の――わだかまりの正体。


「なあ、セレーネ。お礼がしたいって言うなら、一つ俺のお願いを聞いてくれないか?」


「……なんでしょうか?」


「俺のことは外海じゃなくて、環って呼んでもらいたいかな」


 だったら、そのままでいい。セレーネが人形だろうが人間だろうが、どう見えようが関係ない。

 俺は彼女を、セレーネという一個体として接し、理解し、歩み寄ろう。


 仲間とかではなく、一人の友達としてからのスタート。

 それが俺と彼女の、最初の一歩目だ。


「……それだけ、ですか?」


 腰は落としたまま、首だけをあげてこちらを見るセレーネ。


「それだけとはなんだ。男にとって、名字で呼んでもらうのか名前で呼んでもらうのかは、重要な問題なんだぞ」


「はあ……じゃあ、まあ、環様で」


 敬意の欠片も感じられない呼び方だった。てか、若干呆れられてる?


「環様は変なお方ですね。私に知識としてインプットされている情報の中には、環様のような人間は存在しませんでした」


「そりゃあ変人でもなきゃ、いきなり部屋に自称操人形の女子を連れ込んだりしないだろ」


「……それもそうですね。環様が変人で助かりました」


 そう言ってセレーネは頭を上げ、そして、


「ありがとうございます、環様」


 しっかりとこちらを見据えて、にっこりと微笑んでみせたのだった。

 ――微笑んだ? 微笑んだ!?


「おい、お前今、笑って……!」


「さて、ではそろそろ捜索を再開しましょう」


 ほんの一瞬笑顔を見せたかと思いきや、次の瞬間にはもういつもの無表情に戻ってしまっていて。そして、それから一度だって表情を変えることはなく、淡々とした調子で捜索は進んでいった。

 結局、明日から学校が始まるということもあって、捜索は昨日より早めに打ち切り。今日もまた、徒労に終わってしまった捜索であったが――しかして、今日ばかりは、それでもよかったのかもしれないと、そんな風に思いながら、今夜の捜索を終えるのであった。


 その日、彼女の背に乗って夜の町を飛び回っている間、俺たちの会話が途切れることは、一度だってありはしなかった。



   ***



 そんなこんなでごたごたもありつつ、俺達は今日という一日を終え――そしてまた、変わらぬ明日という一日を迎える。


 休校開け最初の登校日――融希を失ってから、初めての学校。

 そこで俺は、本当の意味で理解することになる。


 彼がいなくなったという事実を。そしてそれが、どれほどまでに世界に影響を及ぼすのかを。

 首狩りの投じた一石による波紋は――その揺らぎは歪みとなって、俺が見る世界の色を、反転させていくのであった。

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