34.乳母
世の中には、よかれと思ってやってあげることが余計なお節介になることもあるとは全く疑わず、全て喜ばれると信じている類の人達がいる。残念なことにアーサーの乳母がその1人だった。
エイダンの領地は経済的に発展しているとは言えず、領地出身の乳母にはそれまで貴族や平民でも富裕層に仕える機会がなく、貴族や富裕層のよくある冷えた家族関係を彼女は知らなかった。だから、母親と一切関わりのないアーサーを気の毒に思い、何かとステファニーをアーサーと接触させようと頑張っていた。
乳母はアーサーの実父が強姦犯かもしれない噂を聞いてはいたが、誰が父親でも産んだ子供はかわいいはずと信じて母子の絆になるんだと変な方向に張り切ってしまった。その度に侍女達やエイダンが乳母を止めたり、諫めたりしたのだが、それがいつもストッパーになるとは限らなかった。
残念ながらその日もステファニーにとってはそんな不運な日だった。
「奥様!坊ちゃまがつかまり立ちをしたんですよ!ほら、見てください!」
乳母はアーサーを床にはいはいさせ、その前にしゃがんで手を差し伸べた。アーサーがはいはいしながら乳母の手をとろうとしたが、それを見ることなく、ステファニーは踵を返していた。
「奥様!待って下さい!坊ちゃまを見てあげて下さい!」
乳母は急いでアーサーを抱き上げてステファニーの前に差し出した。ステファニーはアーサーの灰色の瞳が目に入って悲鳴を上げて倒れた。その悲鳴に釣られてアーサーも大泣きし始めた。
「奥様!どうしてですか?!どうしてそんなに坊ちゃまを拒否なさるのですか?!やっぱりあの噂は本当なのですか?!」
ステファニーは寝室へ運ばれ、乳母とアーサーは護衛騎士に強制的に子供部屋へ送られた。
ステファニーが目覚めると、エイダンが寝台の横の椅子に座っていた。
「ステファニー、すまなかった。大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫です」
「あの乳母はクビにする。でも次の乳母が見つかるまで我慢してくれ。急いで次の乳母を探すから」
「いえ、解雇しないで下さい。仕事を失ったら、彼女の家族が路頭に迷うでしょう?」
「そう思って今まで我慢して言い含めてきたんだが、無駄だった。十分警告した上での振舞いだ。それに皆の前で・・・すまない、これ以上は言わないでおく」
「もう少し我慢します。それに子供に愛情を持てない私が悪いのです」
「君は悪くない・・・悪いのは私だ。甲斐性がなくてすまない。アーサー用にもう1軒別邸を持てればいいのだが・・・」
「いえ、あの子は旦那様の血を分けた子ではありませんから、そんなにしていただく義理はないのです」
「元はと言えば、私が君の持参金を借金返済にほとんど使ってしまったからだ。本当にすまない。君が承知してくれるなら、養子に出してもいいか義父上に聞いてみるよ」
「いえ、それは無理でしょう。公式にはアーサーは旦那様の子供ですから、いくらブライアンが後継ぎでも私との第一子をすぐに養子に出すのは世間体が悪いです。だから父は許さないでしょう」
「そうか・・・でも無駄は承知で聞いてみるよ」
案の定、エスタス公爵はアーサーを養子に出すことを許さなかった。その代わり、アーサー用に別邸を用意し、その維持費用や乳母を含めた使用人の給金もエスタス公爵家が負担することになり、アーサーと乳母はアンヌス伯爵家の本邸を出て行った。
エイダンはステファニーには言わなかったが、その後代わりの乳母を見つけて善意を押し付けた最初の乳母を解雇した。一応紹介状は書いたが、『情に大変厚く、主人のためなら先走ることも厭わない』と書いたので、これを次の奉公先候補がどう解釈するかはエイダンの知るところではない。
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