98話 道具という認識
三日後。
あれからマナヤは一度も表には出て来ず、とうとうそのまま召喚師候補生に教導を始める日を迎えてしまった。
場所はセレスティ学園。
この学園は王都の建築物とあっては珍しく、内装以外は全て石造の建築となっている。ドーム状の屋根を持つ純白の塔が七つ、上空から見て正六角形の頂点および中心に配置されたような構造をしていた。各塔は壁面で繋がっており、その壁によって正六角形の学園が、三角形の中庭六つに仕切られている。
実際に教室……というより講堂があるのは各塔の中だ。
北東の頂点に位置する塔、その廊下。丸い塔に沿うようにカーブした廊下を、テオ達は歩いていた。
「あの、すみませんアシュリーさん。こんな状況でも付き合ってもらうことになっちゃって」
「……別に、いいわよ。もう知ったこっちゃないわ、あんな奴」
やや後ろについてくるアシュリーを宥めるように話しかける。
当のアシュリーは彼から視線を外してそっぽを向いてしまった。ままならぬ現実に、隣を歩いているシャラとそっと顔を見合わせるテオ。
二日前、マナヤが『自分は消えた方が良い』発言をした翌日。
宿のロビーでアシュリーと鉢合わせしたテオは、マナヤの代わりに彼女に謝ろうとした。が、それを当のアシュリーに険しい顔で止められてしまったのだ。
『もういいわよ! 今回という今回は、本気で愛想が尽きたわ……!』
口ではそう言っていたが、こういう時のテオは目敏い。彼女の目は怒ってはいなかった。むしろ、底知れぬ寂しさを湛えている。
しかし自分には、これ以上何もできない。解決できるのはもうマナヤ本人しか残っていない。
とはいえ、その件ばかりにかまけてばかりもいられない。自分達が王都に来たのは召喚師候補生達に戦い方を教えるためだ。今さら投げ出すわけにはいかない。
重苦しい雰囲気の中、テオもかつて世話になった王都の召喚師担当教官に再会。ディロンやテナイアに同席して貰い予定をすり合わせ、とりあえず『三日後』……すなわち今日に召喚師候補生達に一堂に会することになった。そこで生徒たちの教育進行状況を本人たちにも確認し、方針を定めると決定した。
アシュリーがついてきたのは、召喚師と他『クラス』が連携できることを示すためだ。シャラも同様である。
やがて、見覚えのある召喚師の講堂前に辿り着いた。
「モール教官、おはようございます」
「本日の教官は貴方の方ですよ、テオ君。時間通りですね。生徒達には今日の事を伝えてあります。よろしく頼みますよ」
「恐れ入ります」
講堂の扉前で待っていた、やや白髪の混じった青い長髪の女性教官に挨拶するテオ。それなりに歳をいっているので目尻の皺が目立つようになってきているようだ。今のテオと同じ、緑ローブを羽織っている。
彼女が召喚師課の共感を務めている、モール・スパイアラ。二年前にテオにも召喚師の戦い方を教えた彼女は、相も変わらず暗い表情をしている。召喚師につきもののそんな表情は、学園の教官であろうが避けられない。
たった二年前のことだというのに、彼女はかつてテオが世話になった頃よりもやつれているようにすら見える。他ならぬ『召喚師』の教官というのは、それだけ心労が溜まる職業なのだろう。
シャラとアシュリーも胸に左手を当てて一礼する。ゆっくりと頷いたモール教官は、ゆっくりと講堂の木製扉を開いた。
「皆さん、先日連絡した通り特別講師として来た頂いた方を紹介します。マーカス地区セメイト村の英雄ですよ」
ぎゅっとマナヤの教本を腕にかき抱いたテオが入室すると、思いのほか視線は集中しなかった。並んだ長机に、二十人ほどの生徒がまばらに座っている。成人の儀を終えたばかりの者達なので、全員が十四歳の男女だ。
後方の壁際に、三人ほどこの場にそぐわない大人が立っていた。茶色いジャケットに黒いパンツと、ずいぶんと地味な格好をしている。が、その立ち居振る舞いなどを見るに、王国からの監視役だろうか。
生徒達は皆、入室した瞬間にはテオの方を見てきたようだが、今は既に視線を逸らしている。
(みんな……もう、諦めはじめてる)
そんな彼らを一望して、すぐにテオは彼らの感情がわかった。突然理不尽に放り込まれた悲しみと、怒り。そして、自分達の未来はもう閉ざされたという諦観と失望。
(やっぱり、こんなの間違ってる)
ぐっと腹に力を入れた。召喚師だけがこのように全く救われない人間になってしまう現状を、変えなければならない。そのために、まずは自分がしっかりしなければ。
「皆さん、はじめまして。セメイト村のテオです」
明るい表情を作り、皆に挨拶をする。ほとんど反応は返ってこないが、そのままテオは続けた。
「今日は皆さんに、戦闘で花形として活躍できる召喚師の戦い方を教えに――」
「気休めはよせよ! 何が花形だ!」
最後まで言い終わる前に、早速ヤジが飛んできた。この中では一番近くに座っている金髪の男の子だ。
「人殺しの怪物を操る『クラス』なんだぞ! 俺達はもう終わりなんだ!」
「け、懸念はもっともです。だから僕はこうやって、召喚師は人を守れる『クラス』なのだということを教えに来て――」
「バカ言わないでよ! おぞましいモンスターと肩を並べて戦うなんて、ゾッとする! それのどこが人を守るクラスだっていうの!」
今度は逆方向から黒髪の女の子が叫ぶ。それらを皮切りに、生徒達全員が口々に罵倒し始める。
「召喚師になったら、もう二度と友達に……家族にだって会えなくなる! そんな『クラス』になって、どうやって勉強に身を入れろっていうんですか!」
「戦いだって、モンスターの陰にコソコソ隠れるだけじゃないか!」
「普段の生活だってそうよ! 村の召喚師はみんな、人から隠れて暮らすしかなかった! あたし達もそんな暮らしをしなきゃいけなくなるなんて……!」
一度始まったら、もう収まりが効かなくなった。どんどん罵倒は続く。これまで溜め込んできた憤りを全部吐き出そうとする勢いだ。
故郷で召喚師がどのような扱いを受けているか、彼らは知っている。そして、自分達も同じ道を歩まねばならないことに絶望している。これまでの生活が全て完全に正反対に変わってしまうことを、理解し始めてしまっているのだ。
「だ、大丈夫です! 僕の村と、もう一つスレシス村という場所でも証明されてます! ちゃんと学べば、人間らしい生活ができるって――」
「人間らしい生活なんて、無理だよ! この前昼食の時に言われたんだもん!」
「そうだ! 他の生徒たちから言われてるんだぞ! オレ達は汚らわしいだの、人間じゃないだのって!」
取り付く島もない。テオが宥めようとしても、聞く耳を持たない。女の子の何人かは泣き出してしまっている。
(この人たちはもう、他の生徒に心を折られてしまってるんだ)
唇を噛む。思えば、テオも学園時代にそれを思い知ったのは、今くらいの時期だった。中庭でいじめを止めようとして、召喚師が人を助けることなどできないと他の生徒に言われ、努力する気持ちを消されてしまった。
どんどん大きくなる罵声に、テオはどうして良いかわからなくなってしまった。
マナヤも、このような気分を味わったのだろうか。テオがスレシス村で指導をした時、既に村の召喚師達の状況をマナヤの前例からある程度知っていた。彼も、最初はこんな憂鬱になってしまったのだろうか。
「テオ……」
テオを気遣うように、シャラが横に近寄ってきた。けれど、事前情報が何もなく取っ掛かりもない今の彼には、なす術がない。スレシス村の時のように食事で絆すことも無理だろう。現状、彼らは食事に困ってなどいない。
こんな体たらくでは、今日予定していた『パフォーマンス』もできそうにない。
今日は、もう自分は何もできないのだろうか。生徒達から罵声を浴びせられて、とりあえず状況だけでも確認してすごすごと逃げることしかできないのだろうか。
召喚師になったことで、自分自身も通り過ぎた道であるはずなのに、何も手助けができない。
無力感に、テオは打ちひしがれて項垂れた。
「何が英雄よ! ちょっと運が良かっただけの召喚師が調子に乗らないで!」
「召喚師がちょっと頑張ったくらいじゃ、タカが知れてる! あんたの村が人手不足だったってだけじゃないのか!」
「私達はあなたみたいに、恵まれた環境にいるわけじゃないんです! 他人事みたいに言わないでくださいよ!」
「どうせ、忌まわしいモンスターを連れ歩く姿に変わりはないんだろ! 俺達はただの、化け物使いになるしかないんだ!」
そんなテオにも、生徒達は容赦なく言葉で攻撃し続ける。シャラやアシュリーは顔を歪ませて生徒達を見渡すことしかできない。モール教官も疲れた顔で目を伏せた。
「――ごちゃごちゃうるせぇぞ、お前らァッ!!」
ダァン、と壁を拳で殴りつけながら、突然彼が大声で喝を入れた。
その勢いで一瞬にして教室内が静まり返る。モール教官も目をぱちくりさせていた。後方の監視役らしい三人も驚きを隠しきれていない。
拳を壁に押し付けたまま、項垂れていた彼はゆっくりと顔を上げた。先ほどまでの柔らかい表情はすっかり鳴りを潜め、現れたのは鋭い目つきで生徒たちを見やる不敵な笑み。
「ま、マナヤさん!?」
思わずシャラが彼の名を呼んでしまい、慌てて自身の口元を押さえた。だが、もう遅い。生徒達は彼女が呼んだ名前に訝しげな表情をしていた。
マナヤはちらりとシャラの方に一瞬視線を送った後、小さく鼻を鳴らす。
――悪手だったな、テオ。こういう手合いに下手に出たってダメだ。意識を変えるにゃ、荒療治が必要なんだよ。
マナヤはつかつかと数歩前に進み出た。先ほどまでのテオとは全く違う、堂々とした立ち居振る舞い。そのえも知れぬ迫力に、生徒達も座ったまま思わず上体を引いた。
「よう、一応自己紹介と行こうか。俺はマナヤ。説明してなかったが、テオの中に宿る”異世界人”だ」
「い、いせかいじん……?」
唐突に名乗られた別人の名前、そして”異世界人”という言葉に生徒の一人が思わず問いかける。
「おう。ま、こことは全く別の世界から来た人間の魂が、この体に宿ってると思え。二重人格みたいなもんだな。俺が知識を伝えたから、テオは英雄になれたのさ」
後方のシャラとアシュリーが息を呑む音が聞こえる。
実際には、マナヤはテオの副人格でしかない。だが、そんな説明をすれば不審感を抱かせるだけだ。異世界人、などという説明も不審には違いないが、少なくともただの別人格よりは説得力があるだろう。
「で、だ。さっきから黙って聞いてりゃ、人殺しの怪物だの、おぞましいだの忌まわしいだの……お前らはまず、そこの前提からして間違ってんだよ」
マナヤのその言葉に、生徒達は全員一気に顔色が変わる。
「ぜ、前提って何だよ! 人殺しの怪物はその通りだろ!」
「じゃあ何ですか! あなたはモンスターと仲良くしろって言うんですか!」
「モンスターが忌まわしくなかったら、何だっていうのさ! オレの村でも、毎年人が殺されてるんだよ!」
一気にがなりたてる彼らに対して、マナヤは宙で片手を翻しそれを黙らせる。
「違ぇよ、逆だ逆。まず大前提として、モンスターは動物じゃねぇ。生き物ですらねえ。召喚師にとって、あいつらはただの『道具』なのさ」
彼が何を言っているかよくわからず、生徒達は困惑顔になった。
「ど、道具って……」
「モンスターは、モンスターじゃないの」
「あんな勝手に動き回って、人を殺して回ってるあいつらを、生き物じゃないなんて言われても……」
そんな生徒達を眺めまわし、ニヤリと再びマナヤが笑った。
「そうだな、こういうのはまず見た方が早いか。【スカルガード】召喚」
と、おもむろに自分の真横に手をかざした。大人一人ほどの大きさの召喚紋が出現し、そこから剣と盾を携えた骸骨剣士が現れる。
瞬間、生徒達とモール教官が一斉に恐怖に引き攣りうろたえる。
「なぁっ!?」
「きゃあああああっ!」
「き、教室の中ですよっ!?」
椅子から立ち上がる者や、転げ落ちて腰が抜けてしまう者達なども出てくる。そんな中でもマナヤは全く意に介さず、召喚したスカルガードの目の前に移動し正面から向き合う。
「モンスターは、全く同じ行動をとり続けるしかできねぇただの操り人形だ。生き物みたいな自我なんて一切無ぇのさ。召喚主に歯向かうようなことは原則としてない」
「な、い、一体何を……っ」
自身の召喚獣とはいえ、何も物怖じせずモンスターの目と鼻の先まで近寄ったマナヤ。そんな彼の行動に、生徒の一人が”危ない”と言いたげに慌てふためく。
「いいか、よく見てろ」
「あ、ちょっ――」
マナヤをおもむろに腕まくりをした。そしてスカルガードに向け、右手を真上から大きく振りかぶる。それを見て、別の生徒がハラハラした様子で手を宙に彷徨わせていた。途端――
「ちょえいッ!」
奇妙な掛け声をあげて、スカルガードの頭蓋骨に思いっきりチョップするマナヤ。
やたらと良い音が講堂内に鳴り響く。生徒達の何人かは声にならぬ悲鳴を上げ、マナヤが斬り伏せられる様子を思い浮かべて思わず目を手で覆った。
「――おぉ、良い音じゃねーか。叩くのは初めてだが、楽器としてもいけそうか?」
と、マナヤは澄まし顔でまじまじとスカルガードの頭を至近距離から眺めていた。頭を叩かれたはずのスカルガードは、召喚された状態のままのポーズで一切動いていない。彼のチョップに全く反応を見せていなかった。
くるりとマナヤが生徒達の方向へと向き直る。そしてスカルガードが構えている剣の真下に、どっかりとあぐらをかいて座り込んだ。
「は、え、ちょ……」
「ま、見ての通りだ。俺が叩いたって、こいつらは全く歯向かってきたりはしねぇ。抵抗も、避けようとすらもしねぇ。だからこいつらは結局は『人形』だ。俺達召喚師の『道具』なのさ」
スカルガードが剣を振り下ろしたら、頭を真っ二つに叩き斬られそうな位置に座り込んでいる彼に戸惑う生徒達。当のマナヤは、頭上の剣の鎬を指先でポンポンと叩くなどと余裕すら見せ、したり顔で生徒たちに説明した。
「たとえば、このスカルガードだ。下級とはいえ、このモンスターに殺された奴だって、そりゃ居るだろうさ。だが、だ。見ての通りこいつは剣を持ってるよな?」
「え、そ、そりゃもちろん……」
「つまりは、そいつは『剣』に殺されたとも言えるわけだ。だが、そのせいで『剣士』を恨んでるヤツなんて、お前らは知ってるか?」
生徒達が妙な顔で唸っているのが聞こえる。
「結局はそういうことだよ。召喚モンスターは『剣』や『弓』と同じだ。武器や道具の一種なんだよ。剣士が剣術を使って戦うように……俺達召喚師は、召喚モンスターを扱う技術で戦う。言ってみりゃ、『召喚術』で戦うってワケだ」
「……」
「俺の元の世界じゃ、こいつら召喚モンスター達は”遊戯”の駒だった。こいつらは、命令したことしかできねぇ。命令できる事は限られるが、命令すれば必ずそれだけをやる。まさしく『駒』なんだよ」
それがマナヤとこの世界の人間達との、決定的な『意識』の差だろう。
この世界では、モンスターが常日頃から人間を殺し回っている。だからこそモンスターは『驚異の危険生物』扱いされている。迂闊に近寄れば何をしてくるかわからない、人類の天敵。そういう意識が植え付けられてしまっているのだ。たとえ召喚モンスターだろうと、割り切れない。
それは、テオですら同じだ。テオとて内心、召喚モンスターをおっかなびっくり使っている。モンスターは駒、とはっきり割り切りきれていないのだ。
「……だからな。お前らはまず、こいつらは『駒』だということをしっかり認識しろ。何をしてくるかわからん生き物? そんなもんは存在しねえ。お前らは『駒』を配置し、『駒』に命令を下す。それをきっちり頭の底に焼き付けとけ」
「そ、そんなこと言ったって、急には……」
「そ、そうですよ。それに、私達はともかく村のみんなは……」
未だ戸惑いが抜けない生徒達が、目を泳がせつつも声を漏らす。
モンスターの脅威を幼少の頃から刷り込まれ続けていた彼らに、いきなり意識を変えるのは難しい。よしんば彼ら自身はそれができたとして、故郷に帰れば村人達から何と言われるか。
するとマナヤは口の端を吊り上げた。
「ま、お前らがそう言い出すだろうってのは想定内だよ。だからこそ――」
と、マナヤが横を見ようとして慌てて正面に向き直った。
視界の端に、赤色が揺れているのが見えた。今、アシュリーと目を合わせるのが怖い。彼女とひと悶着あった今、アシュリーにどんな顔を向けていいかわからない。
ましてや……召喚師のために予定通り一肌脱いでもらいたい、などと今さらどの顔で頼めようか。
「……あー、うん。ま、せっかくだから剣士の教官にでもちょいと声をかけて――」
「いいわよ」
誤魔化そうとしたマナヤを、突然アシュリーが遮った。
ぎょっとして、思わず振り返ってしまうマナヤ。久々に目を合わせたアシュリーの顔は、マナヤが思っていたよりはずっと清々しい。
「例のアレ、実演するんでしょ? あたしがやるわよ、そのために来たんだから。みんな、ちょっと中庭に移動して貰えるかしら?」
生徒達には、ニカッと何事も無かったかのようないつも通りの笑顔を向けていた。




