93話 王都到着
王都ヴァルディオン。
テオらを乗せた馬車がそこに辿り着いたのは、セメイト村を発ってから三日後のことだ。
(……あの、夢)
馬車の中で、外の景色を眺めながらテオは考え込んでいた。セメイト村出立後から続けて見ている、奇妙な夢のことを。
「テオ、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよシャラ。夢見が悪かっただけで、寝不足じゃないから」
心配そうなシャラに、慌てて安心させるように笑顔を作ってみせる。もう王都についたのだから、気持ちを切り替えなければ。
初日はマーカス駐屯地で一泊し、二日目はそこからさらに北上して森を出た。その辺りは王都と直通街道が繋がった『町』が多く、その中を通り抜けていった。
二日目の終わりは、王都の東西南北に位置する一際大きな街の一つ、『南都ゾーナ』で一泊。駐屯地と同じく、木造建築が多い街だ。
そして三日目の今日、ようやく王都の門をくぐれる。テオにとっては二回目の王都。
純白に近い巨大な防壁は、セメイト村の防壁の倍近い高さがありそうだ。そんな防壁に備わっている門の周囲は、様々な動物を象った精巧な彫刻で飾られている。
(やっぱり、にぎわってる)
窓から外を見たテオは、かつて成人の儀で訪れた時のことを思い出しつつ、人波を眺めた。
建物はやはり木造建築が多い。一階のみが石造で、二階から上が木造になっている建築だ。
だが駐屯地や南都のそれと違い、石造の一階部分は故郷でも良く見る亜麻色の石ではない。王都を囲む防壁と同じ白い石でできているようだ。壁面にも彫刻が施されている壁が多く、駐屯地などで見た簡素な一階部分とは違って見目麗しい。
二階以降の部分は木造だが、壁面が建物ごとに違う色で塗り分けられていた。ただ一定のパターンがあるようで、青・赤・白・黒の四色に近い色が繰り返されるように立ち並んでいる。
馬車は今、白い石で舗装された中央の広い大通りを走っている。王国直属騎士団などが出撃する際にも通ることになる大通りだ。普段はこうやって馬車などの通り道になっているが、道の左右は様々な店で賑わう。このあたりは、食事処が多い。既に日もだいぶ傾いており、早くも夕食を摂ろうとしている客でにぎわっているのだろう。
「今日はこのまま、宿へと向かう。長旅で疲れただろうから、明日いっぱいはゆっくりと寛ぐといい」
馬車の中で、ディロンが窓の外へと視線を向けながら説明した。彼の正面に座っているアシュリーが意外そうな顔で首を傾げる。
「今晩と明日は、自由にしていいということですか?」
「そうだ。指導を始めるにあたって、君達にも準備があるだろう。明後日、セレスティ学園に挨拶をしに行く予定となっている」
「召喚師への教導を始める日程はその時、学園の方々と相談して決めると良いでしょう」
ディロンの説明をテナイアが補足した。アシュリーがにわかに目を輝かせて左を向き、そちらに座っているシャラとテオへと視線を向ける。
「やった、明日は王都を見てまわれるわね! 南都ゾーナなんて、泊まるだけで終わっちゃったもんなぁ」
「あ、アシュリーさん嬉しそうですね」
珍しく興奮した様子のアシュリーに、シャラがたじたじになりながら訊ねる。
「そりゃそうよ、前に来たときは学園での訓練で忙しかったんだもの。王都でゆっくり観光できる日なんて無かったんだから」
「あれ? アシュリーさん、学園に通ってた時は休日は何してたんですか?」
今度はテオが疑問を投げかける。記憶の限り、学園での修練はハードスケジュールではあるが休日はちゃんと配分されていたはずだ。
「あたしはそれこそ訓練一筋だったもの。技能の使い方なんかは、学園に通う前には師匠からも教えてもらったことなかったからね。休日だって自主勉強よ」
「アシュリーさん、村の人からも期待されてましたもんね」
シャラがくすりと笑みを浮かべた。そこでふとアシュリーが、名案と言わんばかりに指をスナップさせる。
「そうだ、せっかくだからテオとシャラも付き合いなさいよ。どうせあんた達も、学園での休日は遊びになんて行ってなかったんでしょ?」
「あ、えっと……」
「……」
アシュリーの提案に、シャラが言葉を濁らせテオは黙りこくってしまう。そんな二人の反応に、アシュリーは戸惑うように二人の顔を交互に見比べる。
「あれ、どうしたの二人とも? 実はあんた達はちゃっかり休日を満喫してたとか?」
「……アシュリーさん、僕は出歩くわけにはいかないので、シャラと一緒に行ってきてください」
「そ、そんな、テオだけ置いてなんて行けないよ!」
テオの返答に、シャラが慌てたように彼の袖をそっと掴む。
テオは、召喚師だ。故郷のセメイト村ではだいぶ召喚師への当たりが軟らかくなっているが、王都でも召喚師が出歩けば疎まれることは間違いない。召喚師は緑ローブの装着も義務付けられているので、一目でわかってしまう。
あー、と察したように声を漏らしたアシュリーだが、すぐに悪戯を思いついたような顔を浮かべた。
「だったら、ローブを脱いで行けばいいんじゃない? 前までならいざしらず、今のあんたの顔つきなら召喚師だってバレはしないと思うわよ? テオ」
「あ、アシュリーさん! ディロンさんとテナイアさんの前で、そんな堂々と……!」
シャラが慌ててアシュリーに振り返り、そして思わず横目で正面に座っているディロンとテナイアを恐る恐る見やる。
しかしその二人は、意外にも優しげに目を閉じて唇に弧を描いていた。
「今の言葉は、聞かなかったことにしておいてやろう。騒ぎを起こしさえしなければ、ローブを脱いだとしても別に咎めはしない」
「今回のことは、貴方がたの気分転換も兼ねているのです。気持ちを入れ替えることができるのであれば歓迎すべきことです」
二人の優しい言葉に、テオは胸が詰まってしまう。しかし同時に、心の奥が少し痛んだ。
この長旅で、テオは図らずも沈んでいだ気分が既に変わってきているのを感じていた。当初は、スレシス村へと行った際の馬車道中を思い出し、馬車での両親との会話を思い出して涙が零れそうになっていた。
しかしこの三日間で、駐屯地に泊まったり久々に森の外に出たり、そして王都に戻ってきたりと目まぐるしく取り巻く環境が変わった。そのため、両親を失った悲しみが薄れていく。それがどことなく寂しい。
だがそれを察したかのように、テナイアが声をかけてきた。
「テオさん、貴方自身も仰っていたではありませんか。ご両親は、貴方が悲しみ続けることを望んでいなかったと」
「……は、い」
「貴方はもう、亡くなった両親を十分に弔いました。悲しみを忘れることは、ご両親のことを忘れることとイコールではありません」
息を呑んだシャラの視線を感じて、そっと隣へと顔を向ける。シャラ自身も泣きそうな目になってテオを見つめ返していた。
さらにディロンが目を開き、テナイアの言葉に追随するように言葉を継ぐ。
「それに、テオとマナヤ。お前たちはこれから召喚師達を教導する立場になる。沈んだままでいては困る」
「……そう、ですね」
「召喚師とは後ろ暗い『クラス』ではない。それを証明するのも君の仕事だ。ならば、そのような顔をするな。君は彼らに規範を示せ」
これから召喚師になる者達に、希望を示さなくてはならない。きっと召喚師になってしまって落ち込んでいる者達を元気づけなくてはならない。ならば、テオがかつてのような沈んだ表情をしているわけにはいかない。
「わかりました。ありがとうございます、ディロンさん、テナイアさん」
そう言って、シャラにも目を向ける。彼女も涙が零れそうになる目を自分で拭い、決意に顔を引き締めていた。
「ただ、少し注意したまえ。王都の浮浪者数は増加の一途を辿っている」
「浮浪者、ですか?」
アシュリーが、ディロンの指摘に首を傾げる。
「ああ。職にあぶれた者達が徒党を組むようになったらしい。衛兵が警邏しているが、君たち自身も十分に気をつけることだ」
***
宿を取った後、テオ、シャラ、アシュリーの三人で夕食を摂りに出かけた。ディロンやテナイアとは別行動だ。自分達が居ては寛げないだろう、という二人の配慮である。
「さてと。当面あんたの心配は、周りの視線よ? テオ」
「……え、今でも僕そんな顔してますかアシュリーさん? それとも、やっぱりローブを着なきゃダメですか」
宿から出かけようとしたところで、唐突に口を挟んできたアシュリー。
一応、沈んだ顔は改めたつもりだったからだ。『周りの視線が心配』ということは、かつてのように”召喚師だと一発でわかるような顔”を、自分はまだしていたのだろうか。
するとアシュリーは、半眼になってニヤニヤとした顔を向けてくる。
「あたしとシャラ、二人の女を侍らせて遊びに行くんだもの。そりゃ注目を集めるわよ? 嫉妬で」
「は、侍ら――アシュリーさん!?」
シャラが顔を赤らめて、あたふたと両手を彷徨わせる。その言葉を聞いてテオもぎょっとして思わず姿勢を正した。
「ちょっ……や、やっぱり僕は辞めときます! アシュリーさんとシャラで行ってきてください!」
「いいじゃないの。召喚師だってやればできる、って見せつけられるいい機会よ?」
「い、いや僕は召喚師であることを隠していくんですから! 今そんなのを見せつけたって意味が無いですよ!」
「物の例えよ。あ、それともあたしはお邪魔だった? テオはシャラと二人きりの方が良かったかしら?」
「そ、それはその……」
二人きりになりたくない、と言えば嘘になる。
しかしちらりとシャラを横目で見ると、恥ずかしそうにはしていたものの、瞳が不安げに揺れているのがわかった。先ほど、ディロンに浮浪者が増えていると言われたばかりだ。アシュリーがいると安心できる、というのはある。
それを察したアシュリーが、前のめりになって横からテオの顔を覗き込んでくる。
「ま、そういうことよテオ。これも召喚師の立場を上げるために必要なことなんだから。ここで一発、度胸を身に着けなさい!」
「これの換金、お願いします」
「はい。ピナの葉と……おや、これは戦闘用の錬金装飾、それもマナ充填済みのものですか。よろしいので?」
道中で取引所に寄り、アシュリーが代表して換金し通貨を手に入れる。換金するのは村から持ち込んだピナの葉十数束、そしてシャラの作った錬金装飾だ。
受付の男が品を確認し、嬉しそうに顔をほころばせる。
村では自給自足の生活をするため、基本的には貨幣を使わない。皆が助け合い、作物や家畜、獲物などを分け合うようにして暮らしていた。急に個人で必要なものが出てきた場合も、基本的には物々交換、あるいは労働力で返すのが主だ。
だが『町』ではそうはいかない。そのため町に来るときは、村の特産品などを持ち込んで換金するのだ。セメイト村では主にピナの葉がそれにあたる。町ではピナの葉が燃料や冷却材として使われることは少なく、むしろ香辛料としての需要が高い。
「うっひゃあ……合計で三三一六spかぁ。だいぶいい値段になったけど、ちょっと半端ね」
「えっと、三人で分配するなら、一人一一〇五spと余り一spってところでしょうか」
換金してもらった革袋の中身をアシュリーが確認し、金額からテオがすぐに一人分を計算する。
spというのは、シルバーピース(銀貨)という通貨だ。一spが小銀貨一枚に相当する。硬貨には大銀貨や中銀貨、そして各種金貨なども存在するが、単位は全てspだ。
なお一spよりも価値の低い銅貨も存在するが、そちらはcpと呼ばれている。百cpがちょうど一spに相当する。
「あ……そうだ。その、アシュリーさん言いにくいんですけど」
「ん? どうしたの、テオ」
「できれば、四等分にして頂いても構いませんか」
「ああ、マナヤの分ってコトね?」
テオの提案に、すぐにアシュリーも察してくれたようだ。
彼は、王都そのものが初めてだろう。せっかく来たのだから、彼にも自由になるお金を渡してあげたい。
「その、ごめんなさい。僕一人で二人分使うことになっちゃって」
「全然平気よ。えーっと、じゃあ丁度四で割り切って、八二九spってとこかしら?」
頭の中でさっと計算し、頷くアシュリー。
「これだけあれば自由に使う分には十分ですね」
「うん。ありがとねシャラ、シャラの錬金装飾使わせてもらっちゃって。シャラの取り分多くしようか?」
シャラも笑顔で革袋を覗き込み、テオが彼女に感謝する。
マナの篭った錬金装飾、特に戦闘用のそれはそれだけ価値が高い。有用な物が多い反面、マナを込める錬金術師自体が不足しているためである。
おそらくシャラが提供してくれた錬金装飾だけでも、二五〇〇sp分ほどの価値があっただろう。五spから十spほどあれば、ここ王都でも平均的な量の昼食を注文できる金額。それを考えると相当量だ。
「ううん、大丈夫だよ。私自身はそんなに買うものは無いから。それよりアシュリーさんはお土産、たくさん必要なんじゃありませんか?」
「あー、わかる? 孤児院のみんなの分もお土産買ってあげたいと思ってたのよ」
シャラの指摘に、アシュリーが苦笑を浮かべながら頬を掻いた。
「じゃ、こんなところじゃ何ですから食事処に入ってから分配しましょう」
テオが少し周りを気にしながらそう提案する。取引所から出たばかりの往来で堂々と大金を分配するのは危険だと判断したためだ。
アシュリーがお金の入った革袋を背袋にしまいこみ、小さくうなずく。シャラもそれに続き、ひとまず食事処を探すために大通りへと出ようとした。
「――おい、そこの三人ちょっと待ちな」
不意に三人は、背後から声をかけられる。
振り向くとそこには、下卑た笑みを浮かべた三人の男が立っていた。
「何? あんた達、何か用?」
アシュリーがやや大きめの声で、男たちに向かって強気に問い詰める。その声に釣られて、周囲の通行人たちもこちらに注目し始めた。
テオとシャラの表情が強張る。そんな中、三人のガラが悪そうな男たちはテオに視線を集中させた。そして中央の男が一歩前に進み出る。
「いやなに? 人の女を盗った上、こんなに堂々と二股をかけてる男を見かけたもんで、ちょいと注意をなぁ?」
チッ、と横でアシュリーが舌打ちする音が聞こえる。それと同時に周囲の者がひそひそ話をする様子が見えた。
「何の話よ。あたし達はあんた達なんて知らないわよ」
「はっ、乗り換えたらもう昔の男は用済み、ってか?」
と、作ったような怒りの表情を見せながら文句を言ってくる男。どうやら、”そういう設定”で絡んできているようだ。
(しまった、そういうことか)
テオも、アシュリーが舌打ちをした理由に気が付いた。
アシュリーが先ほど男たちに向かって敢えて大きめの声で話しかけたのは、周りの人間から注目を集めるため。この三人の男たちが無体を働く前に、周囲が止めてくれることを期待してのことだ。
しかし、シャラとアシュリーという二人の女性を連れていることに目を付けられたらしい。痴情のもつれに首を突っ込みたがる者は、そうそういない。ましてや王都は、基本的に争いごとを好まない者達が集まっている。
「ちょいとお灸をすえてやらにゃならねえな」
そう言って中央の男は拳を鳴らす。
男たちの目的は明らかだ。彼らの視線は、今はアシュリーに集中している。彼女が先ほど換金して得たお金を持っているからだ。取引所から出てきた時、彼女が革袋をしまう所を男たちに見られたのだろう。
アシュリーが顔を歪めているのに気づいた。取引所の中ではなく、表で革袋をしまうという失態に気づいたのだろう。
(どうしよう……あっ)
思い悩んでいるその時、ふいにテオの意識が一気に沈んでいった。もう一人の自分が代わりに出てくるのを感じながら。




