90話 躊躇する想い
スコットとサマーの葬儀が終わってから、はや十日。
「マナヤ! 今度はあっちよ!」
「おう、アシュリー行くぞ! 【ゲンブ】召喚、【跳躍爆風】!」
マナヤへと合図を送ると同時に、錬金装飾『跳躍の宝玉』の効果を使い上空へと跳躍するアシュリー。それに合わせてマナヤはリクガメのような中級モンスター『ゲンブ』を召喚、アシュリーを追いかけさせるように補助魔法『跳躍爆風』でゲンブを跳ばした。
アシュリーが跳んでくるゲンブの足をキャッチする。
「わっ、と!」
そこへ突然、アシュリー目掛けて飛んでくる砲弾。彼女は空中で、掴んだゲンブを振りかざすように前面へと回し、盾代わりにして砲弾を受け止めていた。
同時にアイコンタクトを受け、地上のマナヤはアシュリーが掴んでいるゲンブへと手のひらを向ける。
「【火炎獣与】!」
瞬間、ゲンブの頭部に纏いつく灼熱の炎。
「セイヤァァァァッ!」
直後アシュリーがさらに体を捻って、ゲンブを思いっきり森の奥へと投げつけた。その先にいたのは、人間の胴体程度の大きさを持つ小型戦車のような機械モンスター『砲機WH-33L』。野良モンスターであることを示す黒い瘴気を纏っている。
その砲機WH-33L目掛けて投げつけられた、火炎を纏いながらくるくると側面に回転しながら突撃していくゲンブ。地面に衝突し、轟音と土煙を巻き上げた。
「……っ、また外しちゃった!」
空中から着地したアシュリーが舌打ちしながら即座に剣を構える。砲機WH-33Lを狙って投げつけたゲンブは、その少し横に着弾していたようだ。
ゲンブが囮になっている間に、アシュリーは剣でその小型戦車を刺し貫いてトドメを刺した。
「うへぇ、アシュリーさん豪快にやるなぁ」
この『間引き』に同行していたセメイト村の男性弓術士が、マナヤに追いついてきて冷や汗を流している。
かつての戦いで『召喚モンスターを投げる』というヒントを得て閃いた連携戦術。今回、それを『間引き』の最中に練習させてもらっているのだ。ここ最近は本当に『間引き』が安定していて、実戦中に実験するなどという酔狂も認めてもらえている。
弓術士の後ろからさらに数人、同じく『間引き』に同行していた戦士達が駆け寄ってきた。
「こっちまで土埃が飛んで来ましたよ……アシュリーさん、こっちに帰ってきてからまた一段と磨きがかってますね」
「あそこまでのパワーで投げれるのは、アシュリーくらいのもんだろ。もう、うちの村の剣士じゃ全然相手にならなさそうだなこりゃ」
「パワーもスピードも、もう騎士隊の人達に勝てるんじゃない?」
残り一体になったからといって、すっかり観戦ムードだ。そんな様子を見たマナヤの顔に浮かぶ、乾いた笑い。
「【封印】」
アシュリーの足元に残っている、黒い瘴気でできた紋章『瘴気紋』へと手をかざし、呪文を唱えた。途端に瘴気紋が空中に浮かび上がって金色に変わり、そして粒子化してマナヤの手のひらへと吸い込まれていく。
野良モンスターの瘴気紋を『封印』し、モンスターの再発生を抑えるのは召喚師の役割だ。
「うーん、やっぱり命中精度に難があるかしら」
納得いっていない顔をしながら、アシュリーが剣を納めつつ戻ってくる。
「あの時はマトが大きかったからいけたけど、相手が小さいとやっぱりダメねぇ」
「そんな贅沢言わなくてもいいんじゃねーか? 召喚モンスターを素早く送り込む手段としても使い物にゃなるだろうよ」
首を傾げながら悩むアシュリー。そんな彼女の肩を気楽に叩きながらマナヤが笑った。
かつて、アシュリーがこうやってゲンブを敵に投げつけた時は、マトが全長十メートルほどはあろう最上級モンスター『ダーク・ヤング』だったから当てられた。人間の胴体ほどしかない小型の砲機WH-33Lに空から当てるのは難しいようだ。
「でもやっぱり、もうちょっとどうにかしたいのよ。せめて、足場がしっかりしてればねー」
「足場? 関係あんのか?」
「そりゃそうよ。踏ん張りの効かない空中じゃあ投げづらいったらありゃしないわ」
と言って、先ほどまで跳び上がっていた空を見上げるアシュリー。
「だったら地上から投げつければいいんじゃないかい? それなら踏ん張れるだろ?」
「ティリアンさん。んー……でもこういう森だと木が邪魔なのよね。やっぱり空からの方が狙いやすくはあるのよ」
と、弓術士の提案にさらにアシュリーが目を瞑りながらうんうん唸る。
「ティリアンさん、この周りにまだモンスターはいない?」
「あー……このもう少し東かな。でも、三体くらいまとまってるみたいだ」
アシュリーに催促され、弓術士の能力で索敵を行うティリアン。マナヤもその方向へと視線を向ける。
「じゃ、次はもっと図体のデカい『トリケラザード』にしてみるか? マトが小さけりゃ、弾の方をデカくしてやりゃいい」
「練習としては本末転倒だけど……うーん。実用性も考えなきゃね。今度はそれで試してみましょ」
と、気持ちを切り替えてニカッと笑うアシュリー。総員で移動を始めながら、マナヤは心の中でそっと胸をなでおろした。
葬儀から三日間ほど、アシュリーと顔を合わせる度に神妙な顔を向けてきていた。そんなアシュリーの表情を見る度、心の中のどこかで警鐘が鳴るような気がして、すぐに引っ込みテオと交替していて逃げていた。
そんなことをしばらく繰り返していたから、いつしかアシュリーは普段通りに振舞うようになってきた。自然体で会話してきていることに、マナヤも安堵していた。
(俺はどうしたいんだろうな……いや、余計なことは考えるな)
自分が一体、アシュリーの何を恐れているのか。アシュリーに何を言われることを避けようとしているのか。マナヤ自身、その感情の正体を深く探ることを放棄していた。
***
「おかえりなさい、マナヤさん」
「あ、ああ、ただいま」
マナヤが間引きからテオの家に戻ると、シャラが既に夕食を用意してくれていた。
「……ッ」
しかしダイニングに入り、妙にがらんとしているように感じる家の中にどこか息苦しさを感じる。それはシャラも感じているようで、彼女の表情も沈んでいるように見えた。
この家は、これほど広かったのか。
こんなにも、この家の中は静かだったのか。
ちらりと、マナヤが棚の方へと視線を向ける。
そこに置かれている二つの細長い容器……スコットとサマーの、遺髪が収められている容器に。
「――マナヤさん」
「あ、ああ悪い、今テオに替わるからよ」
シャラの声に我に返ったマナヤは、慌ててシャラのためにもう一人の自分に交替しようとする。
「ま、待って下さい!」
「な、何だ?」
「その、今日は”はんばーぐ”を作ったんです。マナヤさんのために作ったので、今日はマナヤさんが食べませんか」
そういえば、とマナヤは改めてテーブルの上に乗っている料理を見る。その中央に盛られている料理は、刻み肉を丸めて焼いた料理だ。
ごくり、と思わず唾を飲み込んでしまうマナヤ。少し後ろめたく思いながらも、そのまま席に腰掛けた。
「どうぞ」
「あ、ああ、いただくよ」
マナヤはシャラがよそってくれたスープも受け取り、そしてハンバーグを一切れ自分の皿へと乗せる。
「今日の間引き、アシュリーさんと一緒だったんですよね。どうでしたか?」
「ん? ああ、召喚モンスターを投げつける練習をしたんだよ。あいつも、どうもまだしっくり来ないらしくてな」
「……そういうことじゃないんですけど」
「あ?」
「アシュリーさんとは、そういう話しかしてないんですか?」
「してねえよ。それが何だ?」
何故か突然、少し膨れっ面になるシャラ。
彼女の手元に目をやると、自身に取り分けたハンバーグをナイフで切り分けていた。妙に念入りに、必要以上に一切れずつをかなり小さく。
その様子にため息を吐き、マナヤは少し重苦しい気分になりながらもシャラに声をかけた。
「シャラ、今後この料理は作らなくていい」
「えっ……も、もしかしてまだお口に合いませんでしたか」
「違う! その、ハンバーグは美味いんだよ。ただ……これ、お前らが好きじゃねえだろ。知ってんだぞ」
その指摘に、シャラはビクッと表情を強張らせた。予想が的中しマナヤは小さくため息を吐く。
当然ながらハンバーグは、この世界に存在しない料理だ。
マナヤがシャラに受け入れられた日から。マナヤが表に出てきた時の料理としてシャラにリクエストを尋ねられ、なんとなくこの料理のことを話した。ならばとシャラが張り切り、マナヤが味見を担当して料理を再現してくれたのだ。まだスコットとサマーが生きていた時のことである。
再現してくれたハンバーグはマナヤにはとても美味しかった。が、その時スコットもサマーも、作ったシャラですら口にした時に複雑そうな表情をしていたのを覚えている。
この村では、挽き肉という概念が無い。細かくなった肉はあまり長持ちせず、調理した時の匂いが変化するからだ。どうもこの世界の人間は、刻み肉を焼いた際の風味が気に入らないらしい。だから、食肉の細かい端材はその日のうちにスープに使われることが多い。
マナヤも身体的にはこの世界の人間であるはずなのだが、マナヤ自身はその風味も全く気にならない。マナヤの人格が生まれた時に、そういう風味を好ましく思うような『設定』にされたのかもしれない。
「別に俺は、食う時はテオに体を明け渡せばいいだけだ。シャラ、お前とテオが食える料理を作れ。お前まで自分の気に入らない料理に付き合う必要はねえよ」
「……だって」
マナヤの指摘に、しかしシャラは寂しげな表情で顔を上げる。
「だってこうでもしないと、マナヤさんすぐに引っ込んじゃうじゃないですか」
「……お前の旦那は、テオだろ。俺が出てこないことは、お前にとっちゃむしろ好都合じゃ――」
「そんなわけありませんっ!!」
シャラにしては珍しく声を張り上げ、マナヤはその剣幕に驚く。
「お、おいシャラ?」
「テオとマナヤさんは兄弟じゃないですか! だったら私にとってだって、家族じゃないですか! 家族が出てきてくれないのを心配して、何が悪いんですか!!」
涙声になりかかりながら叫ぶシャラ。強い感情を宿したその言葉に、マナヤも息を呑む。
「マナヤさんは、そこが全然変わってません! 自分は居なくなった方がいいって、今でもずっとそんな顔してる!」
「お、俺は何も――」
「私はもう、家族が居なくなるのは嫌なんです!!」
「ッ」
それを言われると、マナヤは何も反論ができない。再び視線を棚の上に一瞬移す。
「……悪かった、シャラ」
涙を堪えきれずぼろぼろと零すシャラに、マナヤは慌てて席を立ってシャラの背中を優しく叩いた。
「だからっ……マナヤさんも、アシュリーさんとちゃんとっ、話をしてあげてくださいっ」
「……」
その言葉に何か、アシュリーの数日前までの態度を思い出してしまったマナヤ。少し目を細め、気になっていたことを尋ねてみる。
「シャラ、お前もしかしてアシュリーに何か吹き込んだか」
「……この話は、まだテオにもしていません」
シャラは涙を拭き、そして凛とした目でマナヤを見返してきた。
「マナヤさん。もしマナヤさんが結婚したい女性が現れたら、私やテオに遠慮しないでください」
「な、なんでそういう話になるんだよ」
「テオから、聞きました。お義父さんとお義母さんも、テオだけじゃなくてマナヤさんの幸せも願ってたって」
スコットとサマーが、テオとマナヤを蘇生させるために犠牲になった時のことだ。
「あのな、結婚すれば幸せってのは発想が短絡的すぎやしねえか。幸福ってのは結婚だけに限らねえだろ」
「じゃあマナヤさんは今、幸せなんですか」
「……」
思わず押し黙ってしまい、それが悪手であることに気づいた時には遅かった。やっぱり、とシャラがため息をつきながらマナヤを見据える。
「私には、これくらいしかできません。せめて私は、マナヤさんの幸せの障害になりたくないんです」
「……仮にお前がそれでいいとして、テオまでそうとは限らねぇだろ」
そんなマナヤの反論に、シャラは自信に満ちた目でふるふると首を振った。
「テオも、きっと良いって言います」
「なんでお前にそこまで言い切れるんだよ。まだアイツにゃ話してねえって言ってたじゃねーか」
「私がテオのお嫁さんだからです」
ぐっと詰まったマナヤ。シャラは涙を少し残しつつも、いたずらっ子のような目になってクスリと小さく笑って見せる。
「私は小さい頃から、テオと一緒にいました。だから私は、テオの考えることには自信があります。テオは家族を大事にする人でした」
「……ッ」
「マナヤさんは、テオの兄弟です。テオだって、家族の幸せを一番に願ってるはずです」
大きくため息をつきながら、マナヤは片手で頭を抱えた。そんなマナヤに、シャラは切り替えたように明るい声で語り掛ける。
「マナヤさん、食べて下さい。はんばーぐ、冷めちゃいますから」
「……ああ、そうだな」
そんなシャラの変わり身の速さに、マナヤは苦笑しながら自分の席へと戻る。
そして心待ちにしていたハンバーグにナイフとフォークを入れ、口いっぱいに頬張る。
「うまい」
口の中に広がる肉の旨みと、香りづけのピナの葉。そして錬金術師の力で牛乳から生成されたチーズも混ぜ込んである。塩気だけでも十分に美味しい。懐かしい味と食感のハンバーグに、目頭が熱くなりながらもマナヤは食べ進んでいった。
そんなマナヤの様子を嬉しそうに見つめながるシャラ。必要以上に小さく切り分けたその欠片を穀物であるエタリアに絡めて口に入れていた。
「それと、ありがとなシャラ」
「え?」
「……俺は、ただのテオの副人格だ。なのにちゃんと家族扱いしてくれて、ありがとな」
あれからマナヤは、自分が一個の人間ではないことをずっと引きずっていた。テオから分離しただけの、ただの別人格。だというのに、そんな得体のしれない存在である自分を人間として受け入れてくれたシャラ。
――そして、あいつも。
副人格と知ってなお、アシュリーも自分を人間として扱ってくれている。そんな二人の心持が、マナヤには嬉しかった。
***
「……はぁ」
自分の家に帰宅したアシュリーは、出来合いの食事で夕飯を軽く済ませ、寝具に横たわっていた。仰向けになって右腕を額に乗せながら、今日の『間引き』を思い返す。
(結局、いつも通りにマナヤと接するしかなかった)
目の前でマナヤが殺された、あの日からずっと。アシュリーは、彼を視界に入れる度に不安でたまらなくなった。
またマナヤが、死んでしまったら?
今度も蘇生できるとは限らない。もし死んでしまったら、もうマナヤに会うことはできなくなる。
そう考える度に、胸が締め付けられた。
ただの心配、ではない。もうアシュリーにも、この気持ちの正体がわかっている。
けれど、その気持ちをマナヤにぶつけようとする度、マナヤはアシュリーから離れていった。テオとさっさと交替してしまったり、急用を思い出したと言って急ぎ足で離れていってしまったり。明らかに、『そういう空気』になるのを避けようとしている。
だからアシュリーは、マナヤの前では一旦その感情を抑え込むことにした。いつも通りにマナヤに接するようにしたら、マナヤは安心したようにいつもの彼でいてくれたから。
マナヤが離れてしまうよりは、その方がずっとマシだったから。
(アイツは、そんな関係を望んでないのかな)
ぎゅ、と拳を握りしめる。
以前から、マナヤはテオとシャラに遠慮して『そういう関係』を作るのを避けているフシがあった。
額に乗せている腕で、思わず目元を覆う。
けれど、このままで自分は我慢できるだろうか。
マナヤが居なくなってしまうような事が起こって、自分は後悔しないだろうか。
……彼に拒絶される恐怖に負けてしまって、良いのだろうか。
――大丈夫。あたしがマナヤを守り切ればいいんだから。
テオやマナヤが、死ぬような事にならないようにすればいい。そうすれば、悩む必要などない。
そのためにも、マナヤとの連携を高めるよう『間引き』でこうやって練習しているのだ。こうすれば、自然と『間引き』でマナヤと同行できる。マナヤを守り続けることができる。
(そのためにも、あたしが強くならなくちゃ)
そう自分に言い聞かせ、アシュリーは短く鼻をすすった。




