85話 最後の団欒
「……そん、な」
がくり、とマナヤが神の前で膝から崩れ落ちた。
「俺は……史也兄ちゃんの、弟ですらなかったってのかよ……」
マナヤは今、ようやくわかった。
何故自分は、子ども時代の記憶を消されているのか。
――そもそも俺には、子ども時代なんて無かったんだ。
何故自分は、地球の文化について思い出せることが少ないのか。
――俺は三年間しか、地球の文化を知らなかったんだ。
何故自分は、こんなにも命を賭ける戦いを受け入れているのか。
――それが、俺が生まれた存在意義だったからだったんだ。
自分は何故、自分が死んだ時のことを何も思い出せないのか。
――俺はただ単に、元の世界に『召還』されただけだったんだ。
そんなマナヤを神が悲しげに見下ろす。
《――すまぬ。だがそれでも、この世界を救うためには其方に頼るしかなかったのだ――》
そして神は、テオや彼の両親も見渡して告げる。
《――世界を渡った其方らゆえ、私はこの情報をも伝えることができる。聞いてくれ……召喚師解放同盟を名乗る者達。彼らは、邪神の残滓に唆されつつある――》
「えっ?」
その言葉に真っ先に反応したのはテオだ。マナヤは項垂れたまま、微動だにしない。
《――邪神が滅された際、奴は既に地上に世界を食らいつくす仕掛けを残していった――》
「そ、それがまだ残っているんですか?」
《――そうだ。モンスターに殺された者達の魂を集め、それを糧にして地上そのものを破壊する『邪神の器』を創り出す機構だ――》
「邪神の、器……」
《――瘴気を集めて凝縮し、より強力なモンスターを発生させやすく誘導する装置。および、死した人間の魂を集めて邪神の力を地上に再現する装置に分かれる――》
「!」
テオは前者の機能に聞き覚えがあった。彼が意識を失う直前、ヴァスケスが言っていたのだ。
『我々はこの森を主な拠点とさせて頂いた。この周辺から瘴気を集め、強力なモンスターを量産させる』
『その手段を我々は確保した。そうやって生み出した強力なモンスターをを我々が狩り、戦力を蓄えるために。その影響で、村周辺の森はモンスターの出現頻度が落ちただろうがな』
「じゃあ、召喚師解放同盟はそれを使って……」
《――彼らは機能の全容を理解していない。上位のモンスターを生成し、人の命を使って『召喚師自身の戦闘能力を向上させる能力』を付与する機構、と邪神の残滓によって謀られている――》
「邪神の残滓が……彼らに、それを?」
《――邪神の遺志の一部が、地上の神殿に残っているのだ。彼らは復讐心を利用されてそれに誘われ、そして巧みに操られている――》
「そのままだと、どうなってしまうんですか!?」
《――人の命を糧に『邪神の器』が地上に顕現し、地上を破壊しつくす。既に亡き邪神本体の遺志を、無意味にも叶えようとしてな――》
テオと、彼の両親が息を呑んだ。マナヤは項垂れていて表情が読めない。
《――テオとマナヤ、其方らを殺したあの力は、不完全な『邪神の器』を人の身に取り込んだものだ。完全となれば、もはや地上の者達が束になったとて適うまい――》
「そ、そんな……」
《――頼む。彼らを止めてもらいたい。もはや、其方たちにしか託せぬ――》
そう言って神は皆を見渡す。最後にマナヤを見据えて。
《――マナヤ。其方の存在は想定外ではあったが、もはや其方こそがテオに代わり真の救世主となった。其方の得た知識で、地上の召喚師達を導いて欲しい。召喚師解放同盟のように道を踏み外さぬように――》
「……ッ」
項垂れたまま体を震わせることしかできないマナヤ。
しかしそんな彼の背中を、そっとさする者達がいた。
「……ははは。そう、か。君はただの神の遣いじゃあ、なかったんだな」
「ごめんなさい。……今まで、気づいてあげられなくて」
「……は? す、スコットさん? サマーさん?」
テオの両親が屈みこみ、マナヤに優しい声をかけていた。顔を上げて二人を見上げるマナヤ。
「君がテオから生まれた存在だというなら、君は……お前は、テオの双子の弟だ。私達のもう一人の息子だ」
「私達はテオしか授からなかった、そう思っていたけれど……もう一人、息子が生まれてくれていたのね」
スコットがマナヤの頭をくしゃくしゃと撫で、サマーが頬をそっと撫ぜる。
「本当に、情けないな。お前も私達の息子だったことに、気づけなかったなんて」
「ごめんなさい。……生きてる間に、ちゃんと家族になれなくて、本当にごめんなさい……」
「な、何言ってんだよ、スコットさんもサマーさんも……」
本当に自分の息子を慈しむように、うるんだ瞳で彼を見下ろすスコットとサマー。
「……父、とは呼んでくれないのか? マナヤ」
「そんな他人行儀な呼び方は、寂しいわ。……マナヤ」
「ッ……で、でも、俺は」
なおも渋るマナヤ。スコットとサマーは、共に彼の顔を覗き込む。
「それとも……こんな父親は、嫌か?」
「あなたが来たあの日、あなたのことを避けようとしてしまったこと……こんなにも、後悔したことはないわ」
哀しさを滲ませた二人の声に、マナヤがばっと顔を上げる。
「ば、バカ言うな! んなもん気にしてねぇ! でも、俺は……」
「私達を許して、くれるのか?」
「当たり前だろ!」
「だったら、私達は……あなたの両親でいたいわ」
と、くしゃっと笑みを作る二人。マナヤは涙を放置し、不安そうな顔をする。
「……いい、のか? 俺は……こんな、得体のしれねぇ奴なんだぞ」
「悪いわけがあるか。私達を守るためにずっと、戦ってきてくれたんだろう?」
「私達の、息子なのよ。得体が知れないなんて、あなたの口からも聞きたくないわ」
――そうか。そう、だったのか……
マナヤはようやく、気が付いた。
「……呼んでも、いい、のか……?」
「もちろんだ」
何故、兄としての史也にあれほどこだわっていたのか。
何故、この二人に対して敬語を使う気になれなかったのか。
……何故、自分の幸せを考えないようにしていたのか。
「……俺が、望んでも……いいのか?」
「私達が、そうでありたいのよ」
本能的に諦めていた。
絶対に、手に入るはずがないと。
「……と……」
――俺は……
「ッ……父、さん……母、さん……ッ」
――俺は、『家族』が、欲しかったんだ……ッ!
「マナヤ、さん……」
テオがそんな三人を、切なげに見つめる。
「……テオ、お前もおいで。お前の弟だ」
「みんなで、集まりましょう。……家族四人で、最後に」
「っ……!」
最後、という言葉にテオの瞳から涙が零れ落ちた。
震える足で、ゆっくりと両親とマナヤの元へと近づいていく。スコットとサマーがテオに向かって共に手を広げ、迎え入れた。
四人ともが、互いに体を寄せ合う。……家族四人の、最後の団欒だった。
「ははは。こういう時の顔は、二人ともそっくりだ。やはり、兄弟なんだな」
「思い返してみれば、あなた達は息がぴったりだったわ。スタンピードの後、真っ先に死人が出なかったか訊ねるところなんか、特にね」
くしゃくしゃになったテオとマナヤの顔を見比べて、目尻に涙を浮かべながら両親が笑いかける。
やがてスコットとサマーが、共にテオを引き寄せた。両サイドから頬ずりするように、テオを抱きしめる。
「テオ。お前が召喚師になっても立ち直ってくれて……こんなに立派になってくれて、良かった。お前は、私達の誇りだ」
「シャラちゃんと、仲良くね。優しいあなたなら、きっと幸せな家庭を築けるわ。……自分独りで抱え込んだりしちゃダメよ。いいわね、テオ」
「父さん……母、さんっ……!」
ぎゅ、とテオも二人の体を抱きしめ返す。
そして両親は、続いてマナヤも同様に頬ずりするように抱きしめた。
「……ッ!」
途端に、涙が溢れだすマナヤ。
「マナヤ。私達を、村を、テオとシャラちゃんを守ってくれて、本当にありがとう。……お前は、私達の希望だ」
「あなたは自分を責めたり、自分の幸せを諦めたりしちゃダメよ。独りで抱え込むところまで、テオそっくりなんだから。……私達の分まで、幸せになってね。マナヤ」
「ッ……父さん、母さん……!」
……彼には今まで、人の温もりを感じる経験は無かった。
このように、抱きしめられるのは……
両親に、真の親愛で抱擁されるのは……
「ちくしょう、ちくしょう……ッ!」
最初で、最後だった。
「自分を責めるな、マナヤ。こんなことでも無ければ、私達は最後まで何も知らないままで逝っていただろうさ」
「そうよ、マナヤ。おかげで私達は、最後の最後で知ることができたのよ。あなたが、れっきとした私達の息子だったってことをね」
「……ッ!!」
二人がマナヤを抱きしめる力が強まった。
「本当に、すまない。もっと早く、こうしてやればよかった」
「せめて、今だけでも。……ちゃんと母親として、あなたを愛させてちょうだい」
スコットとサマーもとめどなく涙を流しながら、彼を強く抱きしめた。
今、この一瞬だけで――
「うっ……うぅ……っ」
「マナヤ」
「マナヤ……」
一生分の、親の愛を注ぐように。
「テオ」
「ほら、あなたも」
そしてマナヤを抱きしめつつ、再びテオを招き寄せた。
四人が、お互いの体をぎゅっと抱きしめ合う。
「父さん……母さん……」
「父、さん……母さん……くそ、くそぉ……ッ」
テオが、最後になってしまった抱擁を惜しむように。
マナヤが、唯一の機会である今を噛みしめるように。
力いっぱい、温もりを感じ合った。
《――スコット、サマー。すまぬが……時間だ――》
「……はい」
「……わかりました」
息子たちを名残惜しそうに離し、神の元へと歩み寄るスコットとサマー。
「父さん! 母さん!」
「と、父さん! 母さんッ!」
テオとマナヤが両親へ手を伸ばす。
スコットが振り返って二人に微笑みかけ、そして神へと問いかける。
「神様。息子たちは、本当に甦るのでしょうか」
《――其方ら二人の魂で、テオとマナヤの蘇生には充分であると確認できた。確実に、二人は現世へ戻れるだろう――》
「……そうですか。それを聞いて安心しました」
「神さま」
今度はサマーが神へと問う。
「魂を失った私達は……息子たちの今後を見守ることは、叶いますか」
《――魂はあくまで、『意識』を肉体に納めるための容れ物にすぎぬ。其方らが望むのであれば、意識だけのままこの神界に残り、地上の行く末を見届けることも可能だ――》
「では是非、そうさせてください」
神の答えに、スコットが即答した。
そして両親はテオとマナヤへと再び振り返る。
「聞いての通りだ、テオ、マナヤ。私達は、いつまでもお前たちを見守っている」
「もう、あなた達に話しかけることは、できないけれど……私達は、いつも一緒よ」
二人の姿が、燐光に包まれていく。
「テオ。マナヤ。兄弟同士、仲良くな。……泣いてばっかりいるんじゃないぞ?」
「お互い、自分をないがしろにしちゃダメよ。テオ、マナヤ。ちゃんと、幸せになってね」
「父さん! 母さん!!」
テオとマナヤの言葉が重なった。
涙に詰まりそうになる二人の声を聞き届けながら……
スコットとサマーは、寄り添い合いながら光に消えた。
***
「……う」
横たわっているテオの手がピクリと動き、ゆっくりと目を開く。
木々の枝葉。その隙間から覗く空は、日が傾きかけ赤く色づき始めている。
「テオ! マナヤさん!」
「マナヤ! テオ!」
途端にテオの視界に、涙を流し続けているシャラとアシュリーが飛び込んできた。
「……シャラ。アシュリーさん」
「テオ……テオぉっ!!」
二人を見上げると、シャラが嗚咽をあげながらテオにすがりついてきた。
「っ! 父さん! 母さん!」
テオはばっと勢いよく体を起こして、辺りを見渡す。
目尻に涙を浮かべ、目を閉じているテナイアがいた。そして、反対側には――
「……っ! 父、さん……母さん……」
冷たく横たわっている、スコットとサマーの亡骸があった。
目を閉ざして。動かないというのに……満足そうな、表情で。
体を震わせながら、二人の亡骸まで近づく。
スコットの左手と、サマーの右手が繋がれていた。
テオが覚えていた、仲睦まじい夫婦という様子のまま。
「……テオ」
打ちひしがれるテオの傍らに、シャラが寄り添ってきた。
二人の亡骸を見下ろして、彼女の目に再び涙がこみ上げる。
テオを支えるように、縋りつくように、テオの腕にしがみついてきた。
「父さん……母さん……う……」
「お義父さん……お義母さん……っ」
テオとシャラが涙を流す。
二人とも、繋がれているスコットとサマーの手に、自らの手を伸ばす。
そして、繋がれた手に、自らの手をそっと重ねた。
……そびえる山脈が、赤い夕焼けで照らされている。
そんな森の中に、慟哭が響き渡った。
泣き叫びながら、テオは感じていた。
もう一人の自分も、自分の中で泣き叫んでいたことを。




