82話 奇跡の代償
「貴様ぁッ! 【エーテルアナイアレーション】!」
冷静な普段の姿からは想像できない、ディロンの激昂した声。彼の放った巨大な黒いエネルギーの塊がジェルクに叩きつけられた。
「げひッ……じゃあ、次はあんたってことでやすねぇッ!」
さらに瘴気のバリアが歪むのを感じたジェルクが、ディロンをギョロリと睨む。そして、弓を引き絞るように体を屈めた。
その時――
――シュウウ
「……へっ?」
突然、ジェルクの全身から黒い瘴気が消えた。背後から蠢く触手もきれいさっぱり消え失せ、普通の人間の姿を取り戻す。
「はっ? へっ? ま、まさか……!」
自分の両手や体を見下ろしながら戸惑うジェルク。直後、何か思い当たる節があったのか、最初に自分がやってきた森奥の方向を見やる。
「……ち、ちくしょおおッ!」
かと思うと、情けなく全力で逃走を始めた。見やった方向とは別の方角へと逃げ込み、木々の中へと消えていこうとする。
「――逃がさんっ!」
鬼気迫る表情のまま、ディロンがジェルクの後を追って木々の中へと飛び込んでいった。
その場には、胴体に風穴を空けて倒れ込んだマナヤと、彼を解放するアシュリー、シャラだけが残った。
「マナヤ! しっかりして!」
「マナヤさんっ!」
必死に二人が呼び掛けるが、マナヤは目を閉じたまま動かない。大怪我を負っているというのに、彼の足首にはめられた『治療の香水』は全く反応していない。
彼の体は完全に力が抜けており、残された体温もどんどん冷たくなっていく。
「マナ……ヤ……?」
「マナヤ、さん……テオ……いやだ、いやだぁ……っ!」
シャラには覚えのあるマナヤの状態。全く力の入っていない体に、冷たくなる一方の体の温もり。
かつて、シャラが両親を失った時。死んだ両親の体に起こったことと、全く同じだ。
「いやだ……テオ……いかないで……いかないでぇ……っ」
現実が受け入れられず、ぽろぽろと涙を零し続けるシャラ。
アシュリーも、虚ろな目でそんなシャラとマナヤの体を見下ろし、茫然と立ち尽くすしかなかった。
(……嘘でしょ。マナヤが……死んじゃったなんて……そんな)
がくり、と両膝が地面へと崩れ落ちたアシュリー。膝立ちのまま、一瞬で全く動かなくなってしまったマナヤを見つめ続ける。
全く現実味がない。先ほどまで、自信たっぷりに連中と戦っていたのに。マナヤのおかげで、完全に優勢だったというのに。
『……アシュリーさんは、マナヤさんのこと、どう思っていますか?』
以前、月の出た晩にシャラに聞かれた言葉を、何故か思い出す。
(あたし……は……)
つつ、と自身の頬に涙が伝っていくのがわかった。
彼と出会った時、子供を自らの身で庇っていたマナヤ。
上級モンスターをたった一人で倒し、血だらけで地面に倒れ込んでいたマナヤ。
セメイト村で召喚師達に嬉々として戦い方を教えていたマナヤ。
間引きの時、縦横無尽に動き回りながら獅子奮迅の活躍をしていたマナヤ。
(……どうして)
求婚した子の手を振り払ってしまったと聞いて、怒ったらわけもわからないという顔をしていたマナヤ。
苛立ちを隠せずに当たり散らしていて、寂しげな目をしていたマナヤ。
モンスターの群れから、アシュリーを、シャラを、間一髪戻ってきて助けてくれたマナヤ。
アシュリーに謝り……そして、感謝してくれたマナヤ。
(……今ごろになって、気づいちゃうの)
アシュリーの脳裏に、彼との思い出が走馬灯のように駆け巡っていく。
(……マナヤのことが、好きだって)
そんな彼は今、物言わぬ骸になっている。
(……気づいてから、こうなるなんて)
もう、彼の声を聞くことも、小気味よい会話を交わすこともできない。
(……嫌)
すっかり血の気が引いてしまった彼の顔を覗き込んで。
すっかり冷たくなってしまった、彼の体に両手を当てて。
「――いやあああああああッ!!」
***
「――アシュリーさん! シャラさん! 一体……っ!?」
テナイアが泣き崩れる二人の元へとたどり着いた。二人が縋りついているものを見て、息を呑む。
彼女の後ろからテオの両親も駆けつけてきた。
「シャラちゃん! アシュリーさん! どうした! ……て、テオ!?」
「どうしたの、一体――テオ? テオ!?」
テオの亡骸に気づいた二人が、血相を変えて彼の体にすがりつく。
「テオ! なぜっ……テオォォォォッ!!」
「テオお願い! 目を……目を開けてっ……テオ……!」
慟哭するスコットに、懇願するようにテオの頬に手を当てて涙を流し続けるサマー。
シャラとアシュリーは、もはや心ここにあらずといった様子で崩れ落ちている。
「……ッ!」
顔を伏せていたテナイアだったが、意を決したように目を見開いた。
そして、そっとテオの身体に手を触れる。
――パアアア
すると、テオの体が横たわっている地面が光り始めた。まるでテオを乗せるかのように、光の魔法陣がテオの体の下に形成される。
「テオ!?」
「テナイア様!? これは、一体……!」
サマーが目を見開き、スコットが涙を流したままの顔でテナイアを見つめる。
テナイアは迷うように一度目を閉じ、そして再び見開いてその場の全員を見渡した。
「彼に、『蘇生魔法』を試します」
「蘇生魔法!?」
「て、テナイア様! テオは、テオは助かるのですか!?」
スコットの驚きの声と同時に、サマーがテナイアにすがりつく。
アシュリーとシャラも、弾かれたようにテナイアへと振り向いた。
「テナイアさん! マナヤが、テオが、助かるんですか!」
「お願いです、テナイアさん! テオを……テオを、助けて……!」
その場の全員から視線を集めたテナイアは、光に包まれるテオの体を見下ろしほおっと息を吐く。
「まだ、魂は散りきっていません。今ならば、蘇生魔法が成功する可能性はあります」
「お願いします! テナイア様、どうか、どうかテオを!」
スコットが両膝を着き、祈るように胸の前で両手を組む。最大級の敬意を表すための行為だ。サマーもそれに続いて、同じ仕草を取る。
「……今、これ以上魂が崩れないように、蘇生魔法の待機状態で魂を支えています。ただ、これもいつまで持つかはわかりません」
「テナイアさん! 早く、早くテオを助けて下さい!」
ぼろぼろと涙を流しながら、シャラがテナイアに懇願する。
しかしテナイアは迷うように目を伏せ、言いにくそうにその場の者達に伝えた。
「ですが……蘇生魔法を発動するには、代償があるのです」
「代償……」
「はい。一人を蘇生するために……『二人の魂』を犠牲にする必要があるのです。蘇生魔法を行使する術者以外の、二人の命を」
全員が、息を呑む。
途端にテオの体を挟んでテナイアの反対側に、二つの光の円盤が地面に現れた。テナイアが説明を続ける。
「蘇生魔法は、自然の理に反する魔法です。崩れかけた魂を救うためには、蘇生する命以上の代償が必要になるのです」
簡単に蘇生することができては自然のバランスが崩れてしまう。ゆえに、より厳しい代償がある。
だからこそ蘇生魔法というものは、おおっぴらに使って良いものではない。一人を蘇生するために二人が死ぬことになるなど、本末転倒だ。
だがテオの両親であるスコットとサマーが立ち上がり、迷いなく答えた。
「……ならば、私は迷うことはありません。テナイア様、私の命を使って下さい」
「私の命も、お願いします。テナイア様。テオを……救ってください」
「お義父さん!? お義母さん!!」
それに慌てたのはシャラだ。スコットとサマーが申し訳なさそうに目を伏せ、シャラを見つめる。
「すまないな、シャラちゃん……君を置いて行ってしまうことになって」
「本当にごめんなさい、シャラちゃん。それでも……私達は、自分の息子を見捨てられないの」
二人はもう、覚悟を決めていた。
義理の娘となったシャラを置いて去ってしまうのは心苦しい。それでも血を分けた息子の命は、どうしても救いたかったのだ。
「待って! それなら、私が代償になります! お義父さんとお義母さんは、テオのためにも生きてください!」
「あ、あたしの命も使って構いません! スコットさんとサマーさんが、犠牲になるなんて……!」
シャラが、続いてアシュリーも慌ててスコットとサマーを止めようとする。
しかし二人は、悲しげにゆっくりと首を振った。
「ダメだ。君たちにはテオを……マナヤ君を、支えて貰いたいんだ」
「どうせ私達は、テオやマナヤさんより……あなた達より、先に逝きます。ならあの二人を支えるのは、シャラちゃんとアシュリーさんであるべきなのよ」
そこへテナイアが、悲しげにテオの両親を見やる。
「……あなた方は、本当にそれで良いのですね」
「もちろんです。テオと、マナヤ君の未来のためならば、何も惜しくはありません」
「テオだけじゃなく、マナヤさんも一緒に生き返れるんです。二人の命を引き換えに、二人の命を取り戻せる。何も損ではありません」
そこへ、シャラが更に大粒の涙を零しながら二人にすがりついた。
「待って、お義父さん、お義母さん! て、テナイアさんだって、前に、言ってたじゃないですか……っ! 自分をないがしろにして他人を救うのは、自己犠牲だって! 歪な感情だって! 自分の幸せを優先するべきだって、言ってたじゃないですか!!」
けれどもスコットとサマーは、全く動じなかった。
「その通りさ、シャラちゃん。だからこそ、私達は迷わずに逝けるんだ」
「自分の子が、幸せに生きてくれる。……親にとって、それ以上の幸せがありますか」
「お義父さん、お義母さん……っ!」
さらに二人は、ゆっくりとテナイアの方を向いた。
「それに、テナイア様。他ならぬ貴女が蘇生魔法を発動したということは、そういうことなのでしょう?」
「テオは、マナヤさんは、貴女がたにも……この世界にも必要な存在。だから、自己犠牲の精神を説いた貴女が、リスクを承知の上で蘇生魔法を使ってくださったのですね」
そんな二人の言葉に、テナイアは降参といった様子で目を閉じた。
「ご名答です。……親になるというのは、これほどの強さを得ることなのですね。私は未だかつて、これほどまでに人の心の強さに打ちひしがれたことはありません」
「そうでもありませんよ、テナイア様。……私達はシャラちゃんを、もう一人の私達の子を置いて、去っていってしまうのですからね」
と、涙を流し続けるシャラへと顔を向けるスコット。サマーが片腕でそっとシャラを抱きしめた。
「本当に……ごめんなさい、シャラちゃん。せっかく私達の娘になってくれたのに」
「お義母さん……いやだ、いやだぁ……っ」
「両親を失ったあなたに、同じ思いをさせるのは心苦しいわ。でも……それでもテオには、生きて欲しいの」
サマーがそっと、シャラの涙をぬぐう。
「それにシャラちゃん。テオが死んだら……きっとあなたのことだから、他の人と結婚しようとなんて、しないでしょう?」
「……っ!」
「あなたにはちゃんと、女の幸せを掴んで欲しいのよ。知ってるかしら? 夫と支え合っていくこと、子を産むこと、二人で子を育てていくことって……素晴らしいことなのよ」
「お義母さん……っ」
「だから、あなたにもその幸せを味わってほしいの。テオの血を、私達の血を……あなたが繋いでちょうだい。シャラちゃんにしか、託せないわ」
スコットがシャラの傍らへと歩み寄り、そっと彼女の頭を撫でる。
「シャラちゃん。このままテオが死んでしまって、仮に君が他の男性に嫁ぐことになったとすれば……どうせ、君は私達の娘ではなくなってしまうだろう?」
「……お義父、さん」
「どちらにしても、私達は君から離れていかざるを得ないのさ。だったら……せめて、シャラちゃんにテオを返してから、私達は逝きたい。それが、君の親代わりとしてできる、最後の仕事だ」
「お義父さん……っ!」
「どうかテオを頼む、シャラちゃん。……テオには、君が必要だ。あの子を支えてやってくれ。私達からの、最後の願いだ」
スコットとサマーが、共にシャラを抱き寄せた。
シャラも二人の体を、抱擁する。……最後にその温もりを、忘れないように。
「……アシュリーさん」
「っ……は、はい」
そしてスコットが、今度はアシュリーに向けて語り掛けた。
「君には、マナヤ君の方を頼みたい」
「マナヤ、を……?」
「ああ。情けないが、マナヤ君が来たばかりの時。テオが消えてしまったと思った私は、彼を疎ましいと思ってしまった」
そう言って、自嘲するように目を閉じたスコット。
「仮にもテオを救い、私達を、村を救ってくれた英雄だったというのに。一度はマナヤ君を、疎んでしまった。私には彼を支える資格が無い。……だから、マナヤ君は君に託したいんだ、アシュリーさん」
涙を零しながら、サマーもアシュリーへと向き直る。
「あなたにならマナヤさんを託せるわ。マナヤさん、ああ見えて寂しがりやなのよ。あなたが、支えてあげて。アシュリーさん」
「……は、い……」
俯いて返事をするアシュリー。ぱた、と一粒の雫が、彼女の頬から地面に滴った。
「……お二人とも。申し訳ありませんが、もうそう長くは保ちません。……光の円の上へ」
テナイアが目を瞑ったまま目尻に涙を溜め、そう二人へと告げる。スコットとサマーが頷き、粛々と二つの光円にそれぞれ入っていった。
ぼろ、とシャラの目からまた大粒の涙が零れ落ちた。
「テナイア様。テオが生き返る可能性は、どの程度あるのでしょうか」
光円に入り振り向いたスコットが、確認するように問いかける。テナイアが静かに目を開き、無表情に努めて彼を見やった。
「……蘇生魔法の成功率は、対象が死してからの時間の短さ。対象と生贄との血の近さ。そして、生贄が対象の蘇生を願う想いの強さ。これらに比例すると言われています」
「では?」
「お二人であれば、極めて成功率が高いと判断して良いかと」
「……そうですか。充分です」
「テナイア様」
納得したスコットに、今度はサマーがテナイアに呼び掛けた。
「万が一、テオが戻ってこなかった時は……シャラちゃんのことを、お願いします」
「そうですね。シャラちゃんが本当に、天涯孤独になってしまいますから」
「うっ……うぅっ……」
サマーの提案にスコットも同意し、シャラは嗚咽を上げながら俯く。
シャラとて、できることなら止めたい。だがそれでは、テオが蘇生する可能性を潰すことになる。
「しかと、承りました」
「ありがとうございます。……やって下さい」
テナイアの承諾にスコットが微笑んだ。サマーと共にシャラとアシュリーの方へと目をやる。
「シャラちゃん。アシュリーさん。……テオとマナヤ君のことを、頼んだよ」
「テオとマナヤさんは、私達がなんとしてでも連れ戻します。……幸せになってね、二人とも」
「お義父さん! お義母さん……っ!」
「っ……スコット、さん……サマーさん……!」
涙を流し続けながら、膝から崩れ落ちるシャラ。けれども彼女は……二人を見続ける。生きている二人の姿を、目に焼き付けるように。
拳で自身の目を拭いながら、二人を見届けるアシュリー。
「……いきます」
テオの亡骸に跪きながら目を閉じるテナイア。瞑った目から、堪えきれずに一筋の涙が伝う。
スコットとサマーが、皆に微笑みかけ……そして、名残惜しむように、目を閉じた。
「――【リバイブ・ティア】!」
テナイアの呪文と共に、二人が乗った光円から白い光の柱が立ち昇る。
「お義父さん! お義母さん!!」
シャラがぐしゃぐしゃになった顔で二人へ手を差し伸べる。
その先で、スコットとサマーは……二人してその場に、崩れ落ちた。
二人の体から金色の光が溢れ、テオの上で金色の雫として収束する。
その雫は、涙粒のようにゆっくりと降下し……テオの体に吸い込まれ、その体の表面に波紋のようなものを広げた。
次回、本作最大のネタばらし回。




