8話 初めての夕食
「――うおっ!? ちょ、燃えてる燃えてる!!」
「ははは……炎包みを食べるのは初めてだったか?」
その日の晩。
マナヤはテオの家で、スコットとサマー、そしてシャラが同席する場で夕食を摂ることになったのだが。
各自の皿の上それぞれに盛りつけられた、炎の塊に仰天していた。
炎包みステーキ。
この村でよく食べられているメニューらしい。
見た目は完全にメラメラと燃え盛る炎の塊。
「いいか、こうやってナイフとフォークで切り分けて――」
と、スコットは手元のその”炎の塊”を、かなり大きめな一口分に切り分ける。
「そして、フッと」
彼が息を吹きかけると、フォークに刺さった炎の塊から、一瞬で炎が消え去った。フォークに残ったのは、半透明な葉のようなものに包まった肉だ。
「その葉……ピナの葉か?」
その葉には見覚えがあった。火をつけると長時間燃え続け、火を吹き消せば一瞬で冷えるという、見た目はバジルに似た不思議な葉っぱだ。
どうやら炎の塊に見えていたものは、火をつけたこの葉に包まったステーキ肉であったらしい。
「そうさ、そしてこの肉を……」
そう言ってスコットは、その肉を口いっぱいに頬張る。
直前まで文字通り火に包まれていたそれを、火傷も気にせず口に入れたことにハラハラしていたマナヤだったが。
「うん、美味い!」
何の支障もなく咀嚼し、笑顔で飲み下しているスコットに驚く。
だが、そこでふとピナの葉の特性を思い出した。スコットと同様に、自分の皿にある炎の塊を大きめに切り分ける。
ふっと息を吹きかけて火を消す。近くで見ると、半透明になったピナの葉がキラキラと瞬いているように見える。
それを、意を決して思いっきり口の中に入れた。
(……なるほど、こりゃ美味い)
カリュ、というピナの葉の軽快な食感の後、口の中に、冷たい感触とアツアツの肉汁の旨みが広がった。
直前まで炎に包まれていた肉はアツアツのまま。
しかし、火を吹き消されたピナの葉は冷たくなる。肉がそのピナの葉に包まれていて、熱い肉から舌や口の中を保護していた。
アツアツのステーキを口いっぱいに頬張っても、口の中を火傷せずに済む。
ある意味、男子の夢を叶えたステーキだった。
ピナの葉の冷気は持続するので、肉まで冷えてしまう前に口に入れなければならない。だが、面白い料理だった。少なくとも日本では絶対にお目にかかれないような料理だ。
同時に、ピナの葉にも独特の風味があることに気づいた。食欲を誘うような香ばしさを感じる。香りの質は全く違うが、食欲をそそるという一点においては、カレーに通じるような香りだった。
――ピナの葉ってのは、香辛料としても使えるのか。
本当に万能の葉だ、と感心しながらマナヤは食べ進めた。
「どう、口に合う?」
「え、ああ。……なんつーか、ありがとうございます」
サマーの問いかけに頷き、やや戸惑いつつ頭を下げた。赤の他人であるはずなのに、やはりテオの両親に敬語を使うことには違和感が残る。
「……マナヤさん、頭を下げる時は胸に手を当てた方がいいわ」
「あ」
サマーが怪訝な顔をしていたと思ったら、困ったように指摘してきた。慌てて胸に拳を置き改めて一礼する。
テオの記憶で知識だけはあったが、あまり体に染みついていない。日本の風習である『お辞儀』がクセになっているので、慣れるまではしっかり意識した方が良さそうだ。
「ごめんなさいね。小さいころ、テオにも躾としてよく注意したものだから」
「い、いや気にしないでくれ……ください。サマーさん」
「それから、私達には敬語じゃなくてもいいわ。テオの顔で畏まられても困っちゃうから」
少し複雑そうな顔で、そう笑ったサマー。
彼女の言い分も理解はできるし、正直敬語を使わずに済むのはありがたい。気遣いに感謝しつつ、再び炎包みステーキを口に運ぶ。
「それで、マナヤ君は明日には指導を始めるのか?」
「ああ、集会場も押さえたし、召喚師にも召集をかけた」
スコットが明日の予定を聞いてくる。マナヤはスープを一口飲んで答えた。この時期、夜はまだ肌寒くなるので、温かい料理はありがたい。
「十日間しかないんでしょう? 間に合いそうなの?」
サマーが心配げに問いかけてくる。
「最低限のことはなんとか叩き込んでやるさ。あとはまあ、連中のやる気次第ってとこかね」
実際、かなりの詰め込みになるだろうからスパルタは確定だ。
「俺の戦い方にゃ、かなり覚悟が要るからな。連中がついていけるかどうか……」
「……マナヤさんは」
ここまで沈黙を保ってきたシャラが、唐突に口を開いた。
スコットとサマーも少し驚いた顔になる。
「マナヤさんは、これからもあんな、無茶な戦い方を続けるつもりですか」
シャラが凛とした表情でマナヤを見つめ、そう問いかけてきた。
おそらく、昨日のスタンピード戦でボロボロになって帰ってきたことを言っているのだろう。
「……無茶な戦いをしなきゃ、間に合わねえ。それは召喚師に限った話じゃねえだろ?」
そうマナヤは問い返す。
昨日のスタンピードで、小さな男の子を庇った時。
マナヤ自身がミノタウロスの攻撃を受けなくても、下級モンスターで時間稼ぎをしている間に、子どもを逃がすこともできた。
だが、それではヴァルキリーとミノタウロスが合流していた。その二体を下級モンスター一体で相手するのは、さすがのマナヤにもリスクが大きすぎた。『一対一を二回』よりも、『一対二』の方が危険なのだ。ゲームでの経験から、マナヤはそれを熟知していた。
だからこそ、あの場は無理をしてでもマナを稼ぎ、合流される前にミノタウロスを処理する必要があった。召喚師は、マナ管理とは切って離せない。封印という役割があるからだ。
それに戦場に出る以上、召喚師に限らず命の危険は誰にでもあるものだ。
無茶をしなければ救える命が救えなくなることもある。無茶をしなければ、自分自身の命を逆に危うくする可能性すらある。もたもたしている間に敵の数が増えたら、それこそ危険が増すからだ。
それはテオの最後の記憶からも明らかだった。彼は途中から増えた敵の数に対処できず、窮地に陥っていた。
「……そうですか」
そこまでのマナヤの説明を聞いたシャラは、小さく返事をして、また押し黙ってしまった。
「そういえばシャラちゃん、仕事の方は順調?」
せっかくシャラが口を開いたのだからと、今度はサマーが話を振った。
シャラはゆっくりとサマーの方を向いて答える。
「……はい。今日はステラさんの家で、水の錬金装飾が故障したらしいので、修復してきました」
シャラは『錬金術師』という、二百人から三百人に一人くらいしかなることができない『クラス』に就いていた。
錬金術師は生活を便利にすることができるクラスだ。材料となる素材さえあれば、裁縫に必要な糸、鍛冶に必要な金属、果てには料理に必要な調味料なども作り出すことができる。学び舎に置いてあった紙も錬金術師が作ったものであるらしい。
その他にも、様々な道具を作り出すことも錬金術師の仕事だった。この世界にある置時計も、錬金術師が製作することができる。
何よりも、『錬金装飾』という、細長いビーズを繋げたようなブレスレットの存在が大きい。これを作成したりマナを充填したりすることは、錬金術師にしかできない。
水の錬金装飾は、簡単に言えば水道だ。
ブレスレットを腕にはめることで、好きなように水を出すことができる。
量や温度調節なども、錬金装飾を装着した者の任意に決めることができる。飲み水を出したい時はもちろん、食器を洗ったり顔を洗ったり、お湯にしてシャワーとして使うこともできるなど、用途は幅広い。
水道を通わせているのと同じような感覚で、各家に水の錬金装飾が必ず一つは常備されていた。
人口千人ほどのこの村にも、シャラを含めて錬金術師は四人しか居ない。
そのため、この村では東西南北の四つの区画に分け、それぞれの区画を一人ずつ錬金術師が担当している。
定期的に担当区画を周って、生活用の錬金装飾にマナを充填したり修復したり、必要な素材などを供給するのが錬金術師の主な仕事だった。
「本当に、シャラちゃんがうちにも来てくれて助かってるわ。何かあったらすぐにお願いできるもの」
サマーがシャラを褒める。
実際、錬金術師が身内に居るというのは便利だからだ。錬金装飾にマナ不足や故障などがあった時、すぐに対応してくれる。素材なども、必要になった時にすぐに出してもらえる。
もっとも、シャラが錬金術師だからこの二人が面倒を見ているというわけでもないだろう。両親を失ったシャラが成人の儀を迎えるずっと前から、テオの一家はシャラを迎え入れていたのだから。
「いえ……」
シャラが早々に食べ終え、食器を片付け始める。
全員がぼちぼちと食事を終え始めたので、マナヤも食器をまとめて台所へと持っていった。
「なんか手伝うか?」
件の錬金装飾で食器を洗っているシャラにそう問いかけるが、ビクッと怯えたように一瞬体を震わせ、恐らく無意識に小さく一歩引いてからこちらを向いた。
「……大丈夫です。いつも、やってることですから」
――まだ怯えられてるか。
先ほど話しかけてきたので、そろそろ慣れてきているかと思ったが、この様子ではまだ無理そうだ。
とはいえ、マナヤも必要以上にシャラと関わる気持ちは無かった。同じ体とはいえ、テオの想い人を盗る気はさらさらない。
マナヤは黙って、台所を後にした。
***
「……ふう」
ようやく数人分の資料が完成し、マナヤはベッドのような寝具に背中から倒れこんだ。
(しっかし、やっぱ『サモナーズ・コロセウム』の世界ってわけじゃねえんだな)
神とやらの話から予想はできていたが、『サモナーズ・コロセウム』のストーリーモードとは全く世界観が違うようだ。生活様式も地名も何一つ一致しないし、そもそも『サモナーズ・コロセウム』には召喚師以外の『クラス』などなかった。一致しているのは、モンスターと召喚師の仕様だけだ。
ちらり、と先ほどまで使っていた机に置いた資料を見る。
これでもまだ、明日一日の分でしかない。パソコンやプリンターがあればまだ楽なのに、と腱鞘炎になりそうな右手を振って自嘲する。
(……もうすでに、名残惜しいな)
改めて、日本の生活が快適であったことに気づかされる。
空調は完璧だったし、キツい土の匂いが漂っていたりもしない。廊下から土埃は立たなかったし、照明を灯すのにいちいち火は必要ない。
こちらでは『お辞儀』をするのが無礼にあたる、というのも違和感が激しい。頭を下げる時は、必ず胸に手を当てなければならない。それが少し、日本の文化を否定されたような気がしてモヤモヤとする。
ただ水道関連は、錬金装飾によって割と解決されていることが救いだった。
一応、風呂らしきものに入ることもできた。スコットが建築士であったということもあって、テオの家には湯舟があった。錬金装飾で適温のお湯を溜めて風呂を沸かすことができる。
村を歩いているだけでも、夕刻には体中が埃まみれになってしまうこの世界。風呂に入りシャワーでさっぱりすることができるのはありがたい。
「……」
マナヤは、自分が寝転がっている布団と毛布に触れる。寝具の寝心地が良い、というのも救い……と言って良いのだろうか。
この布団と毛布も、シャラが作ったものであるらしい。細い糸を作り出し、さらにそれを錬金術で編むこともできるのだそうだ。テオのために作られたのであろう、この布団と毛布を自分が使うことに、ちくりと心が痛んでしまうので「救い」と言い切るのには抵抗があった。
「言い出したらキリがねえ、か」
ぽつりと呟き、寝具からいったん身を起こすと、ピナの葉でできたロウソクもどきを吹き消す。そのままマナヤは再び寝具に倒れこみ、毛布にくるまった。
疲れていたためか、慣れない環境という割には、眠りに落ちるのは早かった。