56話 月夜の迷い ASHLEY
「【ライジング……っ」
……また、発動しそうになっちゃった。
ライジング・アサルトの準備中にスワローフラップを発動するのは、やっぱりどうにも感覚がつかめそうにない。
一旦気持ちを切り替えるため、愛用の剣を鞘に納め、ベンチに向かう。
この宿舎に併設されている、孤児院の裏手。ここは、セメイト村でもあたしが鍛錬のためによく使ってたな。
日が沈んだ後のこの時間は、ほとんど人が来ないから便利なんだよね。
見通しが良くて人が来ればすぐにわかるから、突然子どもが飛び出してきて危ない、ってこともないし。
まあそもそもここの孤児院、全然子供が居ないみたいなんだけど。多分、この村じゃ自然死以外で全然、人死にが出てないから。日が出ている間に学び舎として使われている以外は、ここの孤児院は孤児院としての役割を果たしてない。
だから、あたし達が泊まるための部屋も、有り余ってる。子供たちがたくさんいることが当たり前だったあたしからすると、ちょっと寂しいな。
まあ本来、孤児院なんて子どもが居ないくらいの方がいいんだけどね。親を失った子供が居るっていうのは……あんまり、良いことじゃない。
……月が綺麗。
少し火照った肌に、冷たい感触のベンチと、さわやかな風が気持ちいい。
――テオ達は、テナイアさんと何の話をしているのかしら。やっぱり、召喚師達の指導の件?
「!」
ふと気配を感じて、孤児院の裏口へと顔を向けると。
「……アシュリーさん」
「シャラ?」
金髪のサラサラなセミロングを、風に靡かせるシャラがいた。どことなく、何かを憂いてるような顔してる。
「アシュリーさんを、探してたんです。隣、いいですか?」
「ええ、もちろん」
ベンチの端に寄り、シャラのためにスペースを空ける。
そっ、と控えめに座ったシャラは、あたしと同じように月夜を見上げた。
「……何か、あったの? あたしに相談なんて、珍しいじゃない」
思いつめている顔。もしかしたら、テナイアさんに何か言われたのかもしれない。
さわさわと、風が吹き抜け近くの畑から葉が擦れる音が響く。エタリアの種子と土の匂いが混ざった、馴染みのある匂いが吹き抜けるのを感じながら、シャラの言葉を待ち続けた。
「……アシュリーさん」
「ん」
「アシュリーさんは……マナヤさんが、今、幸せだと思いますか」
「……」
突然、何を言い出すんだろう。
けれど……あたしは、その問いに関しては答えは一つしかない。
「……正直、今のマナヤが幸せだとは言えないと思うわ。あいつ、テオに遠慮してるからね」
「やっぱり、そうなんですね」
そう。マナヤは、テオと……シャラに、遠慮してる。ここ最近も、二人の生活を邪魔をしないようにあんまり表には出てこないようにしてるみたいだった。
まあ、あの時は教本を書くためだったから、かもしれないけど。その教本にしたって、テオに教える手段として用意したもの、という認識が強かったみたいに思える。
「……テナイアさんに、言われたんです」
「なんて?」
「マナヤさんは、今きっと幸せじゃない。自分を後回しにしようとしてるって」
……それは、あたしも思ってた。
あいつはセメイト村を二度も救ったのに、遠慮し過ぎな気がしてる。自分の幸せのために頑張ろう、って感じが薄い。
「だから、そのうちにマナヤさんが、心を壊してしまうかもしれない、って」
「――何ですって?」
思わず目元が険しくなっちゃったかもしれない。こっちを向いたシャラが、少し怯えた表情をしてた。
マナヤの心が、壊れる? あんなに頑張っているマナヤが?
そりゃ村に着いて早々、不貞寝したりはしてたけど……
頭を落ち着かせ、無意識に浮かせていた腰を改めてベンチに降ろす。
「どういうこと?」
「えっと、その。うまく説明できるか、わからないんですけど。マナヤさんが、自分が幸せじゃないのに自分を削って、召喚師の人たちを助けて。それで……いずれ心が耐えられなくなって、壊れてしまう……という風に聞きました」
……マナヤが。
あいつは、そんな風に自分を犠牲にしようとしてるの?
「……だから、私も思ったんです。マナヤさんは、マナヤさん自身の幸せを、ちゃんと求めるべきだって」
「ええ、それはあたしも同感よ。英雄が報われないなんておかしいって、あたしはずっと思ってたから」
手っ取り早く、マナヤは結婚相手を見つけるべきかもしれない。幸せを求めるなら、まずはそれが一番楽だろうし。
いつだったか、セメイト村で何人かの娘に求婚されて、断ってたのを覚えてる。英雄ともなれば、たとえ召喚師といえども引く手あまただ。それにセメイト村じゃ、召喚師のイメージはほぼほぼ払拭されてる。実際、召喚師と結婚した人も結構いるんだし。
月が、雲にかげって少し辺りが暗くなる。
突然、シャラが自分を落ち着けるように深呼吸して。そして、意を決したようにあたしを見た。
「……アシュリーさん。私は、マナヤさんを幸せにできるのは、アシュリーさんしかいないんじゃないかって思ってるんです」
「え、えっ!?」
あ、あたし?
「ちょ、ちょっと待って。それって……」
「はい。……マナヤさんのお嫁さんには、アシュリーさんがいいんじゃないかって」
あたしが……マナヤの?
「ど、どうして急に……」
「きっと……マナヤさんは、アシュリーさんのことが、好きです。少なくとも、アシュリーさんのことを信頼してます」
「信頼……は、されてるかもしれないし、あたしもマナヤのことは信頼してるわ」
あいつの戦い方は、合わせやすい。すぐに適確な指示をくれるし、こっちが楽をできる戦いを熟知してる。
それに、あいつと話してると楽しい。なんだかんだウマが合っているのがわかる。この世界のことで、なにかあいつが引っ掛かった時にフォローする役割を、あたしが任されてる。
「でも信頼してることと、結婚することは別物でしょ」
「そう、かもしれません。私は長いこと、結婚するならテオと、としか思っていませんでしたから。だから結婚観については、私はもしかしたらずれてるのかもしれません」
「でしょ。それに、マナヤはテオと同じ体なんだから、その……」
「……はい、わかってます。マナヤさんは、きっと結婚しようとしない。……私がテオと、結婚してるから。私の……せいで」
言いながら、シャラが俯いてどんどん表情が暗くなっていくのが、月明かりが無くなっている今でもわかる。
「……大丈夫? シャラ」
「は、はい、ごめんなさい」
「……でも、あんたがあたしに相談してきた理由がわかったわ。テオには……言えないものね」
シャラは、自分とテオが結婚してるから、マナヤが幸せになれないと思ってる。それは……シャラだけの責任じゃない。
シャラと結婚した、テオの責任でもあるからだ。
シャラはそれを仄めかすような言葉を、テオに言うことはきっとできない。自分の言葉で、テオを追い詰めたくないだろう。
「……それに、私じゃきっと、マナヤさんを幸せにはできない。マナヤさんにとって、私は……『守る』対象だから」
「守る対象?」
「はい。マナヤさんはきっと、私を守ることしかしない。以前も、そうでした。テオを助けに行った私は、結局マナヤさんに守られました」
「……」
「でも、アシュリーさんなら、ただマナヤさんに守られるだけじゃない。きっと、アシュリーさんもマナヤさんを守ってくれる」
「え、え!?」
と、突然あたしの話になるの!?
「マナヤさんが、来たばっかりの時。あの時の私は、テオが居なくなったことで頭がいっぱいで、マナヤさんをないがしろにして……」
「……」
「でもアシュリーさんは、最初からマナヤさんのことを気遣ってましたよね。だからきっと、マナヤさんはアシュリーさんのことを信頼してます」
「それは……」
それはあたしが、テオをあまり知らなかったから。だからあたしは、マナヤの事を考える余裕があっただけ。
けれどシャラは、悲しげに首を振る。
「アシュリーさん。実は私、ずっと……アシュリーさんが、羨ましかったんです」
「羨ましかった?」
「はい。ほら、私はしばらく、戦えない『錬金術師』だったじゃないですか」
「……ええ、そうだったわね」
「だから……テオが、『間引き』とかで戦いに出る時。テオと一緒に戦えるアシュリーさんが、羨ましかった」
「でも、それは――」
「わかってます。でも……マナヤさんのおかげで、テオが戻ってきてくれて。それでも私はしばらく、テオと一緒に戦えなかった。テオだけが戦ってる中、私は何もテオの役に立てなかったんです」
……そうか。
シャラはシャラで、ずっと自分を責めてたのかもしれない。自分の夫を、戦いに送り出すことしかできない歯がゆさで。
「だから……マナヤさんの中では『守る対象』と思われてる、私と違って。アシュリーさんなら、きっと……マナヤさんと、お互いに助け合える関係になれると思うんです」
再び、雲間から月が顔を出した。
月明りで、あたしとシャラが照らされだす。
「……アシュリーさんは、マナヤさんのこと、どう思っていますか?」
「あたしは……」
……正直、わからない。
あたしは今までマナヤをそういう風に意識したことが、無かった。今の関係のままで充分に心地よかったから。
「……もし、マナヤさんが誰かと結婚することになったら。……私は、それがアシュリーさんであって欲しいです」
「……シャラ」
「ごめんなさい、私の我侭なんです。テオと同じ体のマナヤさんが結婚するなら……私が、信頼できる人がいいんです」
そう言ってシャラは立ち上がり、裏口に向かって歩き去ろうとする。
「――待って、シャラ」
「……はい」
「一つ、聞かせて。マナヤと誰かがが結婚するとして……あんたとテオは、どうするの?」
背を向けたまま、シャラが沈黙した。
「テオと同じ身体のマナヤが、他の女の人と結婚して……シャラは、それでも」
「――いいんです」
寂しそうな声で、シャラが答える。
「私のせいで、マナヤさんが幸せになれないくらいなら、それでもいいんです」
「……シャラ」
「マナヤさんは、テオを助けてくれました。マナヤさんのおかげで、私はテオと結婚できた。……だから、私がこれ以上、マナヤさんの邪魔をしちゃいけません」
と、あたしに背を向けたまま天を仰ぐシャラ。
シャラにも、葛藤があるはずだよね。
今のまま、マナヤが求婚するか、求婚を受けるか……そんなことになれば、マナヤと彼のお嫁さんにも時間を分けてあげないといけない。
別に、今生の別れになるわけじゃない。現状だって、マナヤが表に出てきている間、シャラはテオと一緒に居られるわけじゃない。けれどマナヤが結婚したら……『マナヤ』である時間、彼が別の女性と夫婦生活をすることになる。シャラを、差し置いて。
「それに、わかってるんです。私、アシュリーさんにも酷いことをお願いしてる」
「え?」
「だって。……私、テオと、別れるのは、嫌、だから……っ」
ぱた、と雫が地面に落ちる音がした。
慌ててシャラの元に駆け寄る。シャラの両頬に、筋になったように涙が絶えず零れ続けていた。
「シャラ!?」
「ごめん、なさい……っ、だって、私……アシュリーさんと、マナヤさん、にも……っ」
どんどん涙で声がかすれていく。そんな様に、あたしはシャラの頭をそっと、あたしの胸へと押し当てた。
胸元で、しゃくりあげる音が繰り返される。
……そっか。
マナヤになってる間、シャラが寂しいのと同じ。テオになってる間も……マナヤのお嫁さんは、寂しい思いをすることになる。
「ごめん、なさい……私、ケイティとか、ティナちゃんの、事とかっ……マナヤさんのことも、あって……っ」
「うん」
「いろいろ……ありすぎて……っ、何から、考えて、いいかっ……わからなく、て……っ」
「うん。……辛かったのね、シャラ」
「うっ……ううぅ……」
嗚咽をあげ続けるシャラ。
あたしはそれを、頭を優しく撫でながら慰め続けた。
綺麗だ、と、先ほどはそう感じた月。
そんな月の夜空に……あたしの胸には、複雑な切なさしかこみ上げてこなかった。




