55話 自己犠牲の精神
「自己犠牲の精神、ですか……?」
シャラが首を傾げる。
シャラの知る限り、それはあまりマナヤにはそぐわない言葉のように思えているようだ。彼は、見るからに自分の好きなように生きている。それがシャラの印象なのだろう。
そんな彼女を見て、テナイアが努めて冷静に語り始めた。
「以前から、その兆候とも呼べるものはありました。ですが、ここスレシス村に来た経緯、そして召喚師達の説得に失敗していた時……確信に変わりました。彼自身も言っていたのです、彼は『召喚師達を救う』ことだけを生き甲斐だと感じていると」
「あ、あの……」
テナイアの説明を聞いて、シャラがこわごわと質問をする。
「理由はどうあれ、人を助けようとすることは良いことなのではないでしょうか?」
それは、テオも気になったことだ。テオも今、マナヤが言い出したスレシス村の召喚師指導に、こうやって自ら首を突っ込んでいる。
テナイアはシャラの言葉にゆっくりと頷いた。
「はい。人を救おうとすること、それ自体は問題ではありません。けれども、『自己犠牲の精神』を抱えている人は、決定的な違いがあります」
「と、言われますと……?」
「マナヤさんは、今の自分が『幸福ではない』あるいは『幸福になれると思っていない』と考えている節があります。にも拘わらず、彼は自分のことを差し置いて、他の人を救おうとしている。自分が無理をして他人を救おうとするのは、歪な感情です。……そして、それこそが最大の問題でもあります」
ここでテオの両親が一度互いに顔を見合わせ、そして頷きあった。
「……マナヤ君は、自分の身を削って、他人のことばかり助けようとしている。そういうことですね」
「私と夫も、少し危惧していました。マナヤさんが、自分自身の幸せを諦めてしまっているのではないかと」
スコットとサマーの言葉に、テオの心臓が絞めつけられるように痛む。
(マナヤさんが……自分の、幸せを……諦めてる?)
マナヤが、自分と体を共有しているから。だから彼は、自分に遠慮して幸せになることを諦めてしまっているのか。
「はい。そういった人は、救おうという行動を他ならぬ当人らに拒絶されると、極端に不機嫌になります。自分の『生き甲斐』だと思っていたものを、拒絶されるわけですからね」
「あ……」
テナイアのその言葉に、今度はシャラが反応した。テナイアが彼女に頷きかける。
「その通りです。先日、この村でマナヤさんがテオさんに交替してしまった時。彼はスレシス村の召喚師に指導を拒絶されていました。その時、彼が言っていたのです。今の自分は冷静ではないと。召喚師達に当たり散らしたくてしかたがなかったと」
身を削ってでも人を救う、と決意している者達。彼らは、少しでも現実との折り合いでそれが上手くいかなかった時、自分一人で抱え込んでしまう。それも、『自己犠牲の精神』を持つ者の特徴なのだという。
「自己犠牲の精神を持つ者たちの根底にあるのは、『自分は幸せになるに値しないが、それでも幸せになりたい』という矛盾する感情です。自身の幸福を後回しにして人を救うことで、自分の存在意義を確認したいのです。だから彼らは、自分の心を偽り続けてでも、無理に人を救おうとし続ける。そして……」
テナイアが、躊躇するよう言葉を切った。どくんどくん、とテオの心臓が冷たく、けれど早鐘のように打つ。
「……そしてそれは、いずれは彼ら自身の心を滅ぼすことになるでしょう」
テナイアの予想通りの言葉に、テオは自分の胸の中が一気に暗くなっていく気分を味わった。
「……僕のせいで、マナヤさんが」
「テオ……!」
頭を抱えてしまうテオ。シャラがテオの座っている椅子の傍に屈みこみ、彼の手を握った。
しかしテナイアは厳しい顔をして、さらに続けた。
「自己犠牲の精神は、追い詰められすぎると暴走します。場合によっては、自己満足的な性質を持つ『救世主願望』に変化し、『人を救う』こと自体が目的ではなくなります」
「人を救うことが、目的ではなくなる……救世主になりたい、という願望なのに、ですか?」
シャラが、不安に声を震わせながら問う。テナイアが目を伏せた。
「はい。救世主願望を持つ人の行動は『自分本位の判断』に左右されることが多いのです。ですから、本当に相手のためになることをやっているとは、限りません。彼らは人を救っているつもりで、相手にとっては『ありがた迷惑』であることもあるのです」
ありがた迷惑、という言葉にテオの心臓が再び大きく跳ねあがる。
――助けてくれなんて言ってない! ありがた迷惑だってわからないの!?
……かつて、テオ自身にも言われた言葉だった。
ぞくり、と背筋が震えるテオの状態を知ってか知らずか、テナイアは淡々と語り続ける。
「人を救うことで自分の価値を示したい。つまり、人を救うことで事実上『他人を見下したい』という気持ちが根底にあるのですよ。酷いものになると……救おうという行為を相手に拒絶された場合、逆にその相手に攻撃的感情を抱くこともあるのです。『せっかく救おうとしてやっているというのに、なんて生意気な』という感情ですね」
しん、と場が静まり返ってしまう。
「……あの」
テオの両手が、かすかに震えだした。おそるおそる口を開く。
「僕は……シャラの両親が、亡くなった時。シャラを助けてあげたいと、そう思ったんです。……これも、同じようなものだったんでしょうか」
自分は、知らず知らずのうちにシャラを見下したいなどと考えていたのか。そう思ってしまい、テオは自分で自分が怖くなった。
けれどもテナイアは、それに対してにっこりと微笑みながらテオに問いを投げかける。
「テオさん。あなたがシャラさんを救いたいと思った時、『なぜ』そう思ったか、覚えていますか?」
「なぜ……?」
テオは、あの頃のことを思い起こそうとする。
あの時の自分は……シャラが両親を亡くして、シャラが毎晩、独りで泣いていることに気づいて。
「……僕には両親が居るのに、シャラにだけ居なくなってしまったことが……悲しくて。せめて、おすそ分けだけでも、できたらな、って……」
テオの答えに、テナイアは満足そうに頷いた。
「それで良いのです。貴方は自分自身が幸福を享受していることを知っている。だから、それをシャラさんに分け与えたいと思った。それは自己犠牲でも、ましてや救世主願望でもなく、『幸福のおすそ分け』です。それは、とても健全な心です。テオさんの純粋な優しさなのでしょう」
「……テオ」
テオを安心させるように、シャラが優しく見つめてくる。
ほっ、とすこし落ち着いて、テオはシャラに向かって弱々しくはにかんだ。
「テナイア様。どうすれば、良いのでしょうか」
「どうすれば、マナヤさんを助けることができるのですか」
テオの両親が、縋るような面持ちでテナイアに尋ねる。
そう、今大事なのはマナヤの心だ。テオは顔を引き締め、テナイアの言葉を待つ。
「必要なこと自体はとても単純です。マナヤさん自身の、幸せを見つければよいのです」
「マナヤさん自身の、幸せ……」
テオがうわごとのように呟いた。テナイアが気遣うようにテオの方を見つめ、諭すように語る。
「先ほども言った通り、自己犠牲の原因はマナヤさん自身が幸福ではない、幸福になれるとは思っていないからです。自分自身すら幸せにできない人間が、他の人を幸せにしようとすると、どうしても歪になります」
――自分を幸せにできなければ、他人を幸せにできない、か……
その言葉は、テオの心にも突き刺さった。そのままテナイアは言葉を続ける。
「今のマナヤさんは、召喚師を救うことしか生き甲斐を見つけられていません。ならば、マナヤさんが自分自身の幸福を見つけることができれば、彼の心は安定します。そうなれば……他人のためだけに、自分の身を滅ぼすようなことはしないでしょう」
マナヤ自身の、幸福。
テオは俯くようにして考える。テオとマナヤが体を共有している、今の状態。この状態でマナヤが幸福を見つけるには、どうすれば良いのだろう。
(マナヤさんが、元の世界に帰ることができれば?)
かつて、その可能性は考えたことがあった。けれども、本当にそのようなことができるのか。その方法はあるのか。
そもそもマナヤさん自身が、本当にそれを望んでいるのか。
直接マナヤと対面したことがないテオには、わからない。
(……そもそも、僕が居なければ)
自分が、マナヤに体を明け渡してしまえば。マナヤが自分の体として自由に使えれば、彼は幸せを見つけられるだろうか。
一瞬、そう考えてしまうテオ。しかし。
「テオさん。忠告しておきますが、あなたが居なくなれば解決するなどとは考えないことです」
突然テナイアに、心を読まれたかのようにそう告げられ、テオは思わず顔を跳ね上げた。厳しい目でテオを見つめながらテナイアが続ける。
「先ほども言いました。自分を削ってまで他人のために尽くそうとするのは、歪な行為です。マナヤさんがありがた迷惑と思う可能性もある。マナヤさんのためにあなたが自分を犠牲にすれば、それこそ彼は彼自身を責めるでしょう。そんな結果をお望みですか?」
「……それは」
「それにテオさん、あなたが居なくなれば悲しむ人が居る。それを忘れないでください。……当然ですが、自己犠牲の精神とはそういう問題もあるのです」
テオが、恐る恐る両親とシャラへ目を向ける。
心配するような、同時に怒ってもいるような表情で、テオを見つめてきていた。
(……シャラ?)
が、ふとテオはシャラの表情に違和感を覚えた。
シャラが、彼女自身を責めている。そのように、テオには見えたのだ。
「……シャラ。もしかして、自分が悪いとか、思ってる?」
「……え、えっ?」
テオの問いかけに、ビクリとシャラが肩を震わせた。
それを見たテナイアが、怪訝な表情をする。じっとシャラを見つめ、そして再び口を開いた。
「シャラさん。……あなたは何か、心当たりがあるのですね。マナヤさんの幸福に」
「……っ」
「シャラ?」
テナイアの問いかけに、過剰なまでに反応して俯くシャラ。テオも、確信してしまった。
「……心当たり、と言えるものかは、わかりません。でも……」
ちらり、とシャラがテオの方へ視線を向ける。その後、また俯いて。
「すみません。……少しだけ、考える時間をいただけませんか」
「……シャラ」
シャラが、自分にも打ち明けてくれそうにない。それが、ちくりと心に刺さったような気がした。
「ごめん、テオ。……心が決まったら、ちゃんと話すよ。約束する」
「……僕には、相談してくれないの?」
「ごめんね。これは……テオには、相談できない。私やテオだけの問題じゃ、ないから……」
弱々しい態度とは裏腹に、シャラの目は強い光を宿していた。それを見てテオは、何も言えなくなってしまう。
「……わかりました。元よりこの話をしたのは、マナヤさんに近しいあなたがたの方が適任であると考えたためです。あなたがたに、委ねましょう」
そう言ってテナイアが立ち上がる。皆もそれに続き、各々に腰を上げた。
一礼をして、テナイアが部屋を退室していった。
「シャラ」
テオがシャラに話しかける。気遣うように一瞬目を向けてくるも、すぐにシャラは部屋から走り去ってしまった。
「シャラ!」
「待ちなさい、テオ」
追いかけようとしたテオを止めたのは、サマーだ。
「シャラちゃんの気持ちもわかってあげなさい。女には、男に相談できないこともあるのよ」
「……母さん」
サマーがテオに近づき、ポンポンと頭を撫でるように軽く叩く。
「心が決まったら話すって約束してくれていたでしょう? シャラちゃんを、信じてあげましょう」
「……うん」
……『救世主願望』。そんなことも、テナイアは言っていた。
過度に干渉するのは、シャラにも迷惑なのかもしれない。テオはそう、自分を納得させようとしていた。




