39話 幸福と評価
亜麻色の石で作られた、壁と天井。
ほぼ全てが石造りの家、その窓からガラス越しに朝日が差し込んできていた。
「……う」
春から夏へと切り替わり始め、朝早いうちから気温も上がり始める。
そんな中、僅かにウェーブがかった短い金髪を揺らし、少年が――テオが、うっすらと目を開ける。
「ごめん、起こしちゃった? テオ」
テオの髪の毛を撫でていた、自らのセミロングの金髪を揺らす少女。
テオの二つ上の幼馴染で、今は彼の妻、シャラだ。
「ん……大丈夫だよ、シャラ」
結構良く眠っていたはずなのに、まだ妙に眠気を感じる瞼をこすりながら、ゆっくりと寝具から起き上がるテオ。
シャラも一緒に起き上がり、隣からこてんとテオの肩に頭を乗せる。
「今日は、どう? 疲れ、取れた?」
「んー……わからない。まだちょっと、体がだるい気がするけど」
テオは、少し頭を揺すりながら答えた。
ここ数日、普通に寝起きしているはずなのになんだか疲れが取れにくい気がしていた。それに、妙に右手が痛い。
病気にでもなったのかとシャラは心配しているが、白魔導師に看てもらっても、寝不足気味だが病に冒されてはいないと太鼓判を貰っている。
「うーん……えっと」
「シャラ?」
少し顔を赤らめてもじもじしだしたシャラに、疑問の表情を向けるテオ。
「……その、マナヤさんは、大丈夫?」
「あ……うん、今も僕の中で、ぐっすり眠ってるみたいだけど」
テオも思わず赤面しながら、答えた。
テオと同じ体を共有している関係上、テオはプライバシーに気を遣わねばならなくなっていた。
マナヤがテオの中で意識がある間は、テオの行動は全てマナヤに筒抜けになってしまうからだ。昨晩のような、夫婦の営みも知られてしまう。
だからマナヤが眠っているかどうかが、テオのプライバシーのために重要になってしまっていた。
もっとも、マナヤが眠っているからといって、完全に安心できるわけでもない。
彼はテオの記憶を覗くことができるためだ。一応、テオが『絶対に知られたくない』という情報を見ることができない……と、テオは直観的にわかってはいる。何故、と聞かれても、テオには『なんとなく』としか答えられないが。
テオの方は、マナヤの記憶を意識的に見ることはできない。断片的に、それらしい記憶を思い出すことはできるのだが。
「い、今のうちに起きようか、シャラ」
「そ、そうだね」
マナヤが目覚める前に、という意を込めて、テオが寝具から降り、シャラもそれに続いた。
***
「おはよう、父さん、母さん」
「おはようございます、お義父さん、お義母さん。――あっ、すみません、朝食の準備」
テオとシャラが着替え、水の錬金装飾で顔を洗ってから居間へと移動すると、テオの両親が既に卓についていた。
シャラもようやく、「お義父さん、お義母さん」と呼ぶのに慣れたようだ。
「おはよう。テオ、調子はどうだ?」
「今日くらい大丈夫よ、シャラちゃん。テオ、今日は疲れは取れた?」
テオの父であるスコット、そして母のサマー。
二人も当然、テオの寝不足について知っている。彼が良く眠ることができるよう、シャラと一緒に眠ってみてはどうかと提案したのも彼らだった。
「うーん……よく、眠れてるはずなんだけど」
いまだに眠気が取れない目をまた擦りつつ、テオも席に着いた。
卓の上には、二人分の朝食が乗せられていた。寝不足の症状が出ているテオが起床するのがやや遅かったため、両親は既に朝食を摂り終えたようだ。
「テオ、今日も行くの? そんな状態なんだから、少し休んだ方がいいんじゃない?」
シャラが隣に座り、右手の痛みに手を開いたり閉じたりしているテオを気にかける。
「ううん、ちゃんと行くよ。僕は他の人たちよりスタートダッシュが遅かったんだから、取り戻さないと」
スプーンを手に取り、小さな粒状の穀物”エタリア”を炊いたものを掬い上げながら、テオがシャラに笑顔を向けてみせる。
”行く”というのは、召喚師専用の集会場のことだ。このセメイト村では、召喚師達は毎日『討論』という、召喚師としての戦術を検証する訓練を行っていた。テオもそれに毎日参加しているのだ。
テオには、『マナヤ』である間の記憶が無い。そのため、マナヤが他の召喚師達に戦術指導していた間のことも覚えておらず、テオだけが彼の指導を直接は受けていない。
しかもテオはテオで、時々断片的に甦る、知らないはずの『マナヤの記憶』にかつては恐怖心を抱いていた。そのため、マナヤと交代してテオが表に出た際にも、あまり『新しい召喚師の戦い方』の勉強に身が入っていなかった。
その恐怖心をなんとか取り払えた今、テオは遅れを取り戻そうと頑張っていた。
――僕もちゃんと、優秀にならないと。シャラのためにも。
モンスターに両親を殺されたシャラへの引け目もあって、召喚師として自身が努力することを怠ってしまっていたテオ。そのシャラに励まされたこともあって、テオは今、張り切っていた。
今度は、自分が努力をしなければならない、と。
「張り切るのも良いが、無理をするものじゃないぞ」
「そうよテオ。私達は体が資本なんだからね」
テオの両親も、彼の体調を気にかけてくる。
この世界の人間はほぼ全員、モンスターを相手に戦う『戦力』として数えられる。村人たちは皆、いつでもモンスターと戦う準備を整えていなければいけない。寝不足で動けないなど、もってのほかなのだ。
「わかってるよ。大丈夫、ちょっと体がだるいくらいで済んでるんだから」
「いや待て、体がだるいって、それは本当に大丈夫なのか?」
「平気だよ父さん。このくらいだったら……三カ月前まで、当たり前だったから」
「……テオ」
父と母が、悲しげな目でテオを見る。
マナヤが召喚師のイメージを一新してくれるまでは、召喚師一人ひとりに割り当てられた宿舎で、テオは独りで生活していた。その頃はテオの眠りも浅く、寝不足になることはしょっちゅうだった。
「……テオ、もう、独りにはならないで。私達が、ちゃんといるから」
シャラがテオを気遣って、テオの肩に手をかける。
「……ありがとう、シャラ。大丈夫、今の僕は……幸せだよ」
自分を気にかけてくれる両親と、最愛のお嫁さんが居る。
だから、今はもう自分を卑下する必要などない。幸せだから……頑張れる。
テオの心からの笑顔に、両親とシャラの顔にも笑顔が咲いた。
***
「やはり所せましと木が立ってると、射撃攻撃は使い方が限定されるんじゃないか?」
「ええ、ですから、やはりそういう地形では接近戦に徹するべきかと」
「でも、だからこそ射撃が活きるってこともあるんじゃないかい? 例えば、木を障害物にして敵の侵攻速度を遅らせるとか」
「そりゃ、相手によりけりだろ。機動力が高いモンスターが相手だと、大した時間稼ぎにならないぜ?」
セメイト村にある、召喚師用の集会場。
三カ月前までは、ほとんど使われることが無かったその会場で、今では召喚師達が図面と仮想敵を相手に、戦術討論を行っていた。
マナヤによってもたらされた『討論』。まともに実践的な訓練を行うことができない『召喚師』にとっては、一番実りのある鍛錬方法になっていた。
様々な状況をあらかじめ想定しておき、そういう状況の時に何が効率的な戦い方か、今のうちに考えを巡らせておく。そうすることで、いざ実際にそういう状況に陥った時、一番効果的な戦い方を瞬時に選択することができる。
仮に想定外の事態に遭遇しても、こうやって思考訓練をする癖をつけておけば、いざという時にもその場で素早く戦術を立てることができるようになる。数々の実戦をも経験した今、召喚師達はこの『討論』によって得られるものの大事さを、より深く理解していた。
「……でも、取れる手はたくさんあると思います。空間圧縮の魔法でモンスターを小さくしておけば身軽になって、障害物で侵攻が邪魔されにくくなりますよね? それに、跳躍爆風で一気に敵の裏を取る手もあるかと」
そんな討論に、今はテオも率先して口を出していた。
テオが、見知らぬ『マナヤの記憶』を受け入れると覚悟してから二カ月余り。もう完全に吹っ切れて、知らないはずの記憶が突然脳裏に浮かんでも、もう怖くない。だから、テオはこの場の誰よりも真剣に取り組んでいた。
「もちろん射撃モンスターを使う場合でも、同じように跳躍爆風で敵から距離を取り続けて戦う手もありますが……あれ? どうしました、皆さん?」
「いやあ、あのテオ君がもうすっかり頼もしくなったと思ってね」
突然、自分の方を見て感慨深げな表情をしていた召喚師達を訝しむテオ。それに答えたのは、現在セメイト村の召喚師達を纏める役割をしている中年の召喚師、ジュダだ。
「そうですねぇ。テオさんより私達の方が、一カ月先んじていたはずなんですけど」
「すっかり、追いつかれちまった気分だよ。俺たちもウカウカしてられないな」
「あはは……僕は、頑張らないといけませんから」
口々にテオを褒める先輩たちに、テオは頬を掻きながらも気を引き締める。
(きっとシャラも今、頑張ってる)
シャラはテオとは別に、錬金術師としての鍛錬や勉強をしているのだろう。
彼女は今、孤児院に居る。孤児院の院長もシャラと同じ錬金術師だ。だから、錬金術師としての自分を磨くため、孤児院長に教えを乞うているらしい。
「……そうだ、錬金装飾を組み込んだ戦い方も、考慮していくべきかもしれませんね」
シャラのことでふと思い出し、テオは召喚師達にそう提案してみた。
マナヤは、錬金装飾を巧く戦術に取り込んで戦っていた。となれば、錬金装飾の併用を前提とした討論をやっておくのも、必要なことかもしれない。
「それを言ったら、他の『クラス』との連携なんかも考慮していきたいですね」
「そうだな。『間引き』の時なんかでも、必ず他クラスと一緒に戦うわけだし」
「召喚師の”補助魔法”は変則的な効果を持つものが多い。うまく組み込めば、色々と複雑な連携が組めそうに思えるな」
テオの発言を皮切りに、他の召喚師達もあれこれと提案してきた。
昔は召喚師以外の村人達と関わることがほとんど無かったが、現在は召喚師も扱いが良くなり、交流することが増えている。
(成人したら召喚師になりたい、なんていう子も増えてきてるんだよね)
テオもなんだか、心がむずがゆくなるような感覚を味わっていた。
三カ月前のスタンピードを沈め、その後もセメイト村を襲わんとしていた強力なモンスターを抑え込む中核を担っていたのは、召喚師。その事から、今まででは考えられなかったが、召喚師に憧れを抱く子供たちが増えてきていた。
剣士にもそう劣らないような、目覚ましい成果を上げることができるクラスになれることが実証された。また、召喚師が頼りがいのある戦力となったことから『間引き』の際に出る被害も大幅に減り、それによってモンスターを必要以上に毛嫌いする者が随分と減ってきているというのもあるだろう。
先月、この村から新たに、十四歳になった者たちが王都へと向かっていった。成人の儀を受け、クラスを授かるためだ。その中にも、召喚師になることを希望していた者たちがちらほら混じっていた。
自分のクラスに憧れる子供たちが居る。そんな経験は、テオにとっては初めてだった。『剣士』等は、これまでも日常的にそういった感覚を味わっていたのだろうか。
――なら、子ども達の夢を守るためにも、頑張らないと!
そう気を引き締め、テオは目の前の討論に集中した。




