32話 心のよりどころ
「バカな! あれは進軍した連中が向かった先……しかも、スタンピード級の救難信号だと!?」
黒魔導師も赤い救難信号を見上げて慌てる。これほどまでに大規模な襲撃が連続し、しかも大軍が向かった先で救難信号を出すほどの事態まで発生している。いくらなんでも、襲撃が激しすぎる。
「行くしか、ねぇだろ」
マナヤがそれを見上げて、きっぱりと言い放つ。アシュリーもそれを聞いて、ふっと笑みをこぼした。
「……そうね、何にせよ行くしかないわ。一旦、召喚師と剣士、弓術士を村へ戻して防衛と警戒に当たって下さい! 残りのメンバーは、これから救難信号の場所へ急行します!」
アシュリーが簡単に指示を出し、南へ向かう道路の方を見やる。
「じゃ、俺は先行させてもらうぜ。あのモンスターの群れといい爆発といい、嫌な予感がする。早く向かった方が良い」
「先行……って、どうやって?」
「【ヴァルキリー】召喚、【待て】」
マナヤの「先行」発言に眉をひそめるアシュリーを尻目に、おもむろにヴァルキリーを召喚し、その背後に回って――
「よっと」
「ちょっ!?」
「えええっ!?」
背におぶさるような形で、ヴァルキリーに乗った。アシュリーとシャラが、それを見て思わず大声を出してしまう。
「なんだ? ヴァルキリーは疾いからな。こいつに乗っていけば早く着く」
モンスターの上に乗って移動するというのは、『サモナーズ・コロセウム』でも使われるテクニックだ。特に、足が遅いアバターを使っている場合などには重宝される。ヴァルキリーは移動能力が高いため、こういう移動面でも便利なモンスターだ。
「ま、待って、それならあたしも行くわ! コレのおかげで、速く走れるもの」
と、アシュリーが足首にはまった『俊足の連環』を見下ろす。
「わ、私も――あれ」
シャラも名乗り出ようとする……が、急にふらついて、へたりこんでしまった。
「どうしたのシャラ!?」
「……おそらく、マナ切れでしょう」
急に頭を押さえて倒れたシャラを心配するアシュリーだが、白魔導師がシャラの様子を見てそう判断した。
「……そっか、当然ね。あんな沢山の錬金装飾に、いちいちマナの詰め直しをしてたんだから」
そう言ってアシュリーが歯がみする。
戦闘用の錬金装飾は、空の状態から充填しきるには、結構な量のマナを要する。そのため、戦闘中は”事前にマナを詰めておいたものを『キャスティング』で装着させる”という使い方が普通だ。戦闘中に充填するのは、他者のマナを回復する『魔力の御守』くらいのものだろう。
それでもシャラが今まで保っていたのは、純粋にシャラの保有マナ量が非常に多かったからだ。
「シャラ、お前も村に戻って待機してろ。マナが無いお前じゃ、戦力にならねぇだろ」
その様子を見たマナヤが、シャラにそう言い放つ。
「ま、待って下さい! 私、まだやれます!」
しかし、シャラは譲らなかった。なんとか立ち上がろうとしながら食い下がる。
「だが、今のお前じゃ――」
「錬金術師は、マナの回復速度が速いんです! 辿り着くころには、なんとかします!」
実際、錬金術師は『魔力の御守』によるマナ回復要員でもある。そのためか、召喚師には遠く及ばないもののマナの回復速度は二番手だ。
「――連れて行きましょ、マナヤ。あたしが抱えていくわ。一人だけなら、そうスピードは落ちないし」
「……アシュリーさん」
と、アシュリーがシャラを助け起こした。
「は? いや、お前までなんで」
「一度マナを充填した錬金装飾は、そのまま使えるんでしょ? 『キャスティング』で錬金装飾を装着させる要員としてだけでも、連れてく価値はあると思うわよ?」
と言って、マナヤにウインクしてみせた。
ちらりとマナヤがシャラへと視線を送ると。
「はい。それに、『魔力の御守』で人のマナを回復できるのは、錬金術師の私だけです! 向こうに着いた頃には、きっと一つ分くらいは充填できるくらい、回復してます!」
額に汗を浮かべながらも、シャラは強い意志を瞳に宿している。
正直なところ、マナヤとしても錬金術師が来てくれるのはありがたい。『サモナーズ・コロセウム』には召喚師しか存在していなかった。だから現時点で、マナヤが一番ゲーム的な感覚で連携を取りやすいのは、錬金装飾を扱える錬金術師だ。
「……わかったよ。とりあえず時間が惜しい。急ぐぞ」
そう言ってマナヤは目を閉じ、ヴァルキリーを操作する。
「シャラ、行けるわね?」
「はいっ……あ、ちょっと待って下さい」
と、シャラが少し顔を赤らめながら、杯のようなチャームのついた錬金装飾を取り出した。崖崩れが起きる直前、マナヤに言われてマナを込めた物だ。
シャラはそれをおもむろに自分の左手首に装着する。
――【減重の聖杯】
「じゃあアシュリーさん、お願いします」
「オッケー……って、すごい軽いわね?」
アシュリーがシャラを背負うと、異常な軽さに驚く。
この『減重の聖杯』は、体重を減らして重装備でも動きやすくするという目的で使われているものだ。着けた者自身の体重だけでなく、その所持品や装備品などにも効果が及ぶ。
「ああアシュリー、ならお前はこいつを使っとけ。もっと早く翔けられるぞ」
と、マナヤがアシュリーに投げ渡したのは『妖精の羽衣』。アシュリーが左手首についている『防刃の帷子』を外して『妖精の羽衣』に着け替えると、シャラを背負ったままアシュリーの足がふわりと地面から少しだけ浮いた。
宙に浮いた状態でアシュリーはほとんど体の重さを感じなくなった。足を動かさなくても移動できそうな感覚に、感心した表情を見せる。が、すぐに顔を引き締め。
「――行きましょ!」
「ああ!」
飛ぶように、アシュリーとヴァルキリーが翔けだした。
***
「――二重人格、状態?」
「ああ。こうなるまで、俺も全然気が付かなかったんだがな」
街道を伝って高速移動中。マナヤは自分の状態を、並走しているアシュリー、そして彼女に背負われているシャラに話していた。
「この世界に嫌気がさしたあの時、自分が『沈める』ことに気づいたんだ。それから、俺はテオの中で眠ってた」
「その間に……テオが、表に戻ってきたんですね」
ヴァルキリーを操るために目を瞑ったままのマナヤの言葉を、シャラが引き継ぐ。
「そういうこった。良く眠れたおかげで、随分とすっきりしたぜ。今は逆に、テオが俺の中で眠ってる。……アイツの必死の懇願が、俺に届いて、俺がまた目覚めたんだ」
『――虫の良い話だって、わかってる……でも!』
『――この世界にはまだ、あなたが必要なんです!』
そう、テオは強く願った。
(この世界には、俺がまだ必要、か……)
自嘲気味に、マナヤが笑う。
「……マナヤ、ごめんね」
「アシュリー?」
「あたし、あんたを傷つけちゃった。……元の世界に戻りたがってた、あんたに」
アシュリーが、翔けながらも目を伏せていた。
『……マナヤ、大丈夫。ちょっとずつ、この世界に慣れていけばいいんだよ』
『――お前まで』
『え?』
『お前まで、俺に帰っちゃいけねぇっていうのかよ!!』
マナヤが一度引っ込んだ、あの日の会話のことを言っているのだろう。
「……お前が謝るんじゃねぇよ。お前は何も悪くない。悪いのは俺だ」
「でも! あたしはあんたに、この世界に慣れろだなんて――」
「いいんだよ。大体、俺は別に、本当に『帰っても良いよ』だなんて言われたかったわけじゃねーんだ」
「え?」
アシュリーが、マナヤのその言葉に思わず彼を見る。
「あん時の、俺は……」
後悔に顔を歪めながら、目を閉じたままマナヤが重い口を開く。
「あん時の俺は多分、アシュリー、お前も含めて、『この世界の何もかも』に……ただ、歯向かいたかっただけだったんだよ」
慣れない世界に、無理やり連れてこられて。
知らない文化に、付き合わされて。
馴染みのあるものから、永遠に引き離されて。
ただただ……この世界に、責任をぶつけたかった。
この世界が悪いのだと、そういうことにしたかった。
この世界に良いものなんて、一つも無いと言い訳がしたかった。
アシュリーに当たり散らした、あの時もそうだ。『異世界にさっさと帰れば良い』と、既にカルに言われた後だったから。
「もしあん時、お前にまで、『帰りたかったら、帰っても良い』なんて、本当に言われてたら。――俺は多分、マジで壊れちまってただろうな」
アシュリーにまで帰れと言われた日には、自分は真に絶望し、本当に消えてしまっていたかもしれない。
「……だから、ありがとな。アシュリー」
マナヤのその言葉を聞いて、アシュリーは正面を向き直り。
「そっか。……そっか」
涙を声に滲ませ、笑った。
「マナヤ、さん……」
そんな二人の会話を聞いて、シャラも目を伏せる。
「だからアシュリー、お前は変に遠慮すんな」
「え?」
「テオの中でゆっくり眠れて、俺も多少は冷静になれた」
テオの中で眠って、気持ちの整理がついたからか。あるいは、『テオ』である間に生活リズムと寝不足が改善されたからか。あれほど情緒不安定になっていたマナヤも、今は心が落ち着いていて、冷静に自分自身を分析できていた。
「どうせ、この世界にゃ慣れなきゃいけねーんだ。だから、お前は普通に接してくれ。俺がこの世界の文化的におかしなことをしたら、前みたいに指摘してくれりゃいい」
「で、でも、あたしは、あんたの世界の事、なにも……」
戸惑いがちなアシュリーの声が聞こえる。
「勘違いすんなよ。軽口叩ける気安い関係ってのは、俺の世界でも大事なモンなんだ」
マナヤが一旦目を開き、底抜けに明るい笑みを、アシュリーに向けてみせた。
「お前にまで遠慮されちまったら、俺はどうすりゃいいんだよ?」
「……!」
アシュリーの顔に、喜色が浮かぶ。が、すぐにまた曇って。
「……あんたは、それでいいの?」
「あ?」
「そんな、嫌な思いまでして、この世界のために……あんたがそこまで頑張ること、なかったんじゃない?」
怯えに震えながらも、そう尋ねるアシュリー。
それに対し、マナヤは目を瞑ってふっと笑ってみせた。
「――いいんだよ。俺が腐ってたって、どうせ俺とテオが死ぬだけだ。だったら、あがいてやるさ」
「……っ」
それを聞いて、はっと顔を上げるシャラ。
「それに俺の行動で、召喚師の立場を変えられるんだろ? 召喚師は最強なんだ。せいぜいそれを、この世界の奴らに見せつけて……見返してやるよ」
――そう、史也兄ちゃんの召喚師論は、最強なんだ。
――それを証明してやる。この世界の連中にな。
アシュリーも、泣きそうながらも嬉しそうな表情が戻って。
「……ありがと、マナヤ」
そう、小さく呟いた。
「それにな」
「……それに?」
「いざとなりゃ、テオの中で不貞寝するって逃げ道だってできたしなァ?」
などと、目を開き揶揄うような笑みを作ってみせたマナヤ。
それを見て一瞬きょとんとしたアシュリーは、ぷはっと噴き出してしまい、そして。
「――最低の発想ね!」
「ほっとけや!」
マナヤとアシュリーが、不敵な笑みを交わし合った。
「……」
そんな二人の会話を聞きながら、少し考え込むシャラ。そして、意を決したように口を開く。
「あの、マナヤさ――」
「おっ、見えてきたぞ!」
しかし丁度その時、前方に部隊のようなものが見え、マナヤの言葉に遮られる。
「……えっ? ちょ、何アレ!?」
部隊の更に奥から見えた、巨大な影にアシュリーが素っ頓狂な声を上げる。
何か白い巨大なものが、蠢いていた。
見た目はまるで、青みがかった白い首長竜。しかしその背からは巨大な、結晶のように硬質な一対の翼が生え、その全身は見るからに頑丈そうな甲殻に覆われている。
「おおう。今日はマジで大豊作だな」
「大豊作、って、あれ知ってるの? マナヤ」
アシュリーが、余裕そうなマナヤの顔に驚きながら、問いかける。
「当然だろ。あれがこの世界じゃ中々出会えないっていう、レアモンスター」
前方の白い首長竜が咆哮のような鳴き声を発し、巨体に比してやけに小さい頭から――
――猛烈な氷のブレスを吐き出した。
「――最上級モンスター。『フロストドラゴン』だ」




