256話 希望の空旅
最終回ではありません。あと二話だけ続きます。
数日後、聖都『クァロキーリ』。
「……あれは、サンダードラゴン」
聖城のもっとも高い塔、そのてっぺんにある一室。
小さな窓から外を覗いていた女性が、他に誰がいるわけでもないのにぽつりと口に出す。昼前の明るい窓の外から、蒼い飛竜が一頭、この聖都へと飛んでくるのが見えたからだ。
「この聖都に、白昼堂々とモンスターが飛び交う時代になったとは。人類を先導すべきデルガド聖国が、堕ちたものだ」
もちろん、瘴気を纏っていないので召喚獣なのだろう。
だがモンスターを徹底的に排除することを信条としていた彼女からしてみれば、それは地獄の光景にも等しい。
「――違うな。このデルガド聖国は新たな夜明けを迎えるのだ、母上」
そこへ、五日ぶりに聞く〝他者〟の声。
女性が弾けるように振り向く。開かれた重い金属製の扉の先に、新たな聖王となった男が立っていた。
「……ラジェーヴ」
「母上がここに幽閉されている間に、世界は大きく変わったのだ。封印師は召喚師となり、『邪神の器』を滅した英雄の象徴となった。今しがた飛んできたのも、かの『聖者』殿らが凱旋しにきたということだろう」
後ろ手に扉を閉め、背負った袋を開く新聖王ラジェーヴ。
そこから取り出した保存食を、彼は部屋の隅にあるクローゼットほどの大きさの保存庫へしまっていく。
ここは、城の中でもっとも到達しにくい塔の最上階。この塔は頑丈な金属と白塗りの木材のみで作られており、聖王の執務室を経由しなければ最上階へたどり着けない。地面や石材からも最も離れているため、建築士がどうあがこうが脱出も侵入も不可能。ある意味、地下牢よりも遥かに厳重な牢獄だ。
その、内壁が白一色に染まっている無機質な部屋で、前聖王であるジュカーナ・デル・エルウェンは幽閉されていた。外界との情報も断たれ、食糧も水も保管庫から自分で取り出して飲食する。その保管庫に水の錬金装飾や食料が補給されるのも、五日に一回きり。
とはいえ、ラジェーヴが食糧の補充にここへ来るのは今回が初めてだ。
「――腑抜けたことを。モンスターに身内や知人を殺されている民衆が、モンスターを認めるはずがない」
「民衆の歓声が聴こえなかったのか、母上。……ああそうか、この天牢からは聴こえるはずもないな」
息子の皮肉に、ジュカーナは顔をしかめ目を逸らす。
「……あくまで、余を殺さぬつもりか」
「言ったはずだ、母上。私は貴女のようにはならない」
「そのような言い分で、今後も死すべき犯罪者を見逃し続けるつもりか? それとも、国民がみな品行方正だとでも思っているのか」
「思っていない。だが私は、罪を見て人まで憎み続けるような母上の方針はもとより好かなかったのだ」
王族である以上、罪人を裁く責任からは逃げられない。ラジェーヴも、そこは覚悟を決めてはいた。
だがジュカーナが処断した者達の中には、正論で異を唱える者達もいた。封印師となった我が子が死したことに抗議する者達。はたまた、今の国家運営方針を大きく損ねず、問題点を順当に改善せんと進言した者達。
そんな彼らの提案にろくに思索もせず、ただ王の方針に逆らったというだけで一緒くたに処刑する。そうしてどんどん裁定を下す基準が軽くなっていく母親を見て、自分はそうはなりたくないと堅く誓ったのだ。
しかしジュカーナは静かに食い下がる。
「……各国をまとめるためには、理想論ばかりさえずってはおれんぞ。大局を見なければ、国を動かすことなどできぬ」
「そうだろうな。だが、それは局所を……人々の営みを無視して良いことにはならない」
「一人一人の民衆に踊らされるつもりか。そのように局所ばかりを見て、なんとする」
「局所ばかりを見ると言った覚えはない。大局も同時に見れないなどと、誰が決めた」
ラジェーヴの思わぬ反応に、ジュカーナは思わず鼻白む。
「……両方同時に見るとでも言うのか。潰れるぞ、ラジェーヴ」
「挑戦、おおいに結構。今の私は……余は、王だ。我がままを通すだけの立場を持っている」
「なぜ、そうまでして余のやり方を否定する」
「決まっておろう。母上のやり方を反面教師にさせてもらったからだ。聖火での葬送を通じて、よりそれを強く実感した」
その返答に絶句するジュカーナだが、ラジェーヴは空になった袋を背負ってさっさと背を向けた。
「誠実で、勇敢で、その日を精一杯生きている民。そんな民ごと一国を支える者が、民の心を忘れて如何する」
「……ラジェーヴ、お前は――」
「貴女が国庫管理の財政報告から隠していた私財は、民を救うために使わせてもらう。泥を塗ってしまった我が国の名誉を回復する、救世主殿のとある構想。あれのために、これから何かと物要りでな」
「待て、ラジェーヴ!」
「さらばだ、母上。……オレは、絶対にあんたのようにはならない」
呼び止めるジュカーナの声も虚しく、ラジェーヴはそさくさと退室し扉にも鍵をかけていってしまう。
ふたたび静けさが部屋の中に満ち、ジュカーナは伸ばした手を彷徨わせた。
今さら、私財などどうでもよかった。
ただ……
「……腹を痛めて産んだ息子に、こうも嫌われていたのか」
ほとんど人が訪れぬこの部屋で過ごし、独り言が多くなってしまった。
表情を消し、窓の外へ目をやる。
「思っていたより……堪えるものだな」
窓からの陽光が、彼女の頬に差し込む。
その頬に、滴が伝った。
***
そして、翌朝。
「――もう少し、長居していただいてもよかったのだがな。英雄殿」
聖都を守る防壁の正門の上。
背後に映る聖城を背に、残念そうに眉を下げているラジェーヴがマナヤ達にそう呟く。
「申し訳ありませんね、聖王陛下。自分達も故郷で、召喚師たちを指導する職務が待ってますんで」
マナヤが彼にデルガド聖国式の礼をしつつそう釈明。
彼の後ろでは、テオとシャラ、アシュリー、そしてディロンとテナイアも同じ礼をして控えている。
……そう、彼らは今日、ようやくセメイト村に帰還するのだ。
「名残惜しいが、仕方があるまいな。そなたらも、まだまだこれから忙しくなる身であることは承知している」
小さくため息をついて、ラジェーヴは苦笑した。
この新聖王の背後では、民衆が聖都内にある正門前の広場に集まってこちらを見上げていた。世界を救った英雄たちを、最後に見送りに来ようと集まったのだ。
ちなみにランシックとレヴィラ、そして同じくコリンス王国から来た貴族や王国直属騎士団の者達は、一足先に帰国している。
ここ最近、デルガド聖国以外でモンスター出現率が減っていたのは、デルガド聖国領域に瘴気が集中していたためだ。その原因であった『邪神の器』が滅んだ今、各地のモンスター出現率は以前と同じ水準を取り戻す。となれば、早めに帰国して野良モンスター対策に専念しなければならない。
ラジェーヴはふと目を逸らし、マナヤ達の隣に集まっている一団へと視線を移動させる。
「それから、コリンス王国からお越しの者達も。この度は、わが国に援軍として馳せ参じていただき誠に感謝する」
「い、いえ、俺た……自分達も、当然のことをしたまでです」
カルがガチガチに緊張しながらそう受け答えする。ジェシカやオルラン、そしてティナやケイティなど、セメイト村やスレシス村からやってきた者達もそこに集まっていた。
みな、まだデルガド聖国式の礼がぎこちない。
「特に、コリィ殿。我が国南西の海岸沿いにあるフィオラ村に、あれほど援軍を送って頂けたことに感謝が絶えぬ」
「あ、ありがとうございますっ」
逆側には、マナヤ達の見送りにきたコリィと同じ開拓村の者達も集まっていた。彼らもまた、慣れぬデルガド聖国式の礼を取りながら緊張で固まっている。
コリィ達は、西海岸沿いにシャドウサーペントに乗ってこの国にやってきた。なので彼らの帰郷は後日、西海岸へと舞い戻って同じく水龍に乗ってのものとなる。あの大量の援軍を帰国させるには、飛行モンスターでは積載量が足りないためだ。
「そして、ブライアーウッド王国の者達。真っ先に我が国へ駆けつけ、そして支援物資の提供もしてくれたそなたらにも、心より感謝を」
「恐縮です」
ブライアーウッド王国の援軍を率いていた指揮官が代表して一礼。その背後にいる一団も続いて礼を取る。その中にはパトリシアも混じっていた。
「――あの日。我が国に主要国の者達が駆け付け、一致団結して危機に立ち向かってくれた瞬間。まさに世界が一つになった瞬間であったと、余にはそう思えてならぬ」
後方の民衆にもよく聞こえるように、大きな声で演説を始めるラジェーヴ。
「我々はこの瞬間を教訓とし、新たな未来を築き上げることを心に刻まねばならん。封印師ならぬ、召喚師が世界を救うために立ち向かったこと。召喚師も他『クラス』同様、誇るべき戦士であることを、歴史に刻み続ける義務がある」
そのタイミングで、ラジェーヴは振り向き集まった民衆たちへ向かって宣言した。
「皆のもの、聖者殿らが帰還する竜の姿を目に焼き付けよ! この世界を救い、これからも守り続けてくださるであろう、救世主の誇り高い姿を!!」
――より一層の歓声が、空気を震わせた。
(これが……俺達が積み上げてきた、成果なのか)
そんな歓声の中、マナヤは胸の中に熱いものがこみ上げてくる。
召喚師を避ける村。蔑む村。恐れる村。排斥する国。制限する国。
テオとシャラ、マナヤとアシュリー。そしてディロンとテナイア。皆が、それに立ち向かってきた成果が、今目の前にある。マナヤが誇りに思っていた召喚師が、はっきりと世界中に評価された瞬間。
自分達が目指し、そしてこれからは維持・発展させていく理想だ。
「……それから、英雄殿」
と、そこでラジェーヴは声を落とし、この城門上に立っている者達だけに聞こえる声で呟く。
「確かにこの国の在り方は、召喚師を貶めてしまった。……だが余は、平等を謳うこの国の制度そのものが間違っているとは考えておらん」
「……?」
「皆を平等に扱い、貧困民に救いを差し伸べ、皆が平等に生きられる機会を与える。やり方を誤ってしまっただけで、そういった制度が悪であるとは、余にはどうしても思えぬのだ」
「……そう、ですね」
真剣な表情でそう告げるラジェーヴに、マナヤも納得顔で頷く。
「国家間であろうと、世界間であろうと。そのそれぞれが、特有の価値観を育ててきたんでしょう。それを一方的に正しいだの悪いだの決めつける権利は、きっと誰にも無い。自分も、そう思っています」
マナヤは感慨深くそう言葉を紡ぐ。
この世界に来たばかりの時、世界の全てを一度は蔑んだマナヤ。この世界の価値観を、ただ自分に馴染みが無いからというだけで一方的に上だ下だと決めつけていた。
しかしそのように上から目線になり、自分の価値観が絶対的に正しいと断言すること自体が間違いなのだ。
それはきっと、国の間でも同じなのだろう。
国はその国なりに誇りを持ち、その習慣を育んできた。問題が発生したならば修正するべきであるが、それ以外にはきっと良い側面もある。その良い側面は、きっと簡単に捨て去ってはならないのだ。
「マナヤ。英雄殿。余は、必ずこの国に真なる平和をもたらしてみせる。皆が分け隔てなく喜びを分かち合い、苦しみを支え合う。そのために、余は余の戦いに赴く」
「はい。ご武運を、陛下」
ディロンがそう労い、そして聖王に向かって改めて一礼。
それを儚げな笑顔で返したラジェーヴは、明るい声色となってテオとマナヤに向き直る。
「時にテオ、マナヤ。そなたらが我が国に伝えてくれた『デルガンピック』だが」
目線を空へ向け、ラジェーヴは大仰に語り始める。
「あの競技は、実にすばらしいものだった。鍛錬と娯楽を兼ね、クラスをまとめあげ、村をまとめあげてくれた。あれにはいずれ国を、全世界を一つに束ねるだけの魅力があると信じている」
そしてテオら六人を……特にマナヤをじっと見つめ、こう提案してきた。
「あのデルガンピックを、『神の御使いから伝えられた競技』という点を目玉として、我が国の代表競技として大々的に広めたい。ランシック殿には既に許可を頂いている。そなたらはどうか?」
「え……っと、別にいいと思いますよ。自分からは特に反論はありません」
マナヤが認める。
おそらく、名実ともに救世主となったマナヤ達のネームバリューを、デルガンピックを広める材料として使いたいのだろう。あの競技自体はもっと広まってもいいだろうとマナヤは思っていたし、大国が広めてくれるというのなら好都合だ。
ちらりと横のテオへと視線を向ける。情報源は確かにマナヤだが、大元の発案者はテオだ。
そのテオも表情を緩め、こくりと頷く。
「僕も、構いません。みんなが戦いだけじゃなく、楽しむことができるっていうのも大切なことだと思います」
「私も同じ気持ちです。誰もいがみ合わず、お互いを認め合えるようになるなら、もっと広めて欲しいです」
彼の隣に立っているシャラも続く。テオとシャラがそっと視線を交わし、ほのかに笑みを浮かべた。
「わたしも、賛成します。次の時は、わたしも参加者の側になりたいとすら思ってたくらいですし」
最後にアシュリーがそう締めくくり、くすりと笑ってマナヤの方を見つめる。
「そうか、ありがたい。将来的には、大陸各国の代表選手たちが集まって参加するような国際競技にしたいと考えている。そうなれば、ますますそなたらが掲げる『召喚師の平等』に繋がるであろう」
「ぜひ、そうしてもらいたいですね」
挑戦的な笑顔でそう言い放つマナヤ。ラジェーヴも同じような笑顔でマナヤを見つめ返した。
今回の件で、聖国の不祥事が発覚し各国からの信頼を損ねた。その信頼を回復するにあたって、この『デルガンピック』開催地となることには大きな意味があるのだろう。
きっと一般民衆も、皆が夢中になれる娯楽が増えて豊かになれるはずだ。まだあまりこの国に広まっていなかった嗜好品、娯楽品なども、それを契機に一気に流行らせることができるかもしれない。
計画経済による管理などという味気ない国民性ではなく、皆が好きなように好きなことへ熱中できる国民性へ。それもまた、ラジェーヴの思惑なのだろう。
「ありがとう」
堅苦しい表情を解き、ラジェーヴが嬉しそうに笑った。
そろそろタイミングと見たか、ディロンが皆を見回してから一歩進み出る。
「では、我々はこれにて帰還します。テオ」
「はい。【サンダードラゴン】召喚!」
ディロンに促され、テオは上空へ手をかざした。
発生した巨大な紋章から真上へと飛び出した、青い鱗に全身が覆われた飛竜。青空よりも青いその全身が、太陽の光を受け神々しく瞬く。
こういう移動の時にサンダードラゴン等を使うなら、テオに召喚してもらうと決めていた。一般人が多い場所では、『流血の純潔』を失ったマナヤではうっかり民に攻撃してしまう可能性が否めないからだ。
「【ワイアーム】召喚!」
「【サンダードラゴン】召喚!」
続いてカルが、翼の生えた巨大な蛇を。ティナも同じく青い飛竜を召喚。
三体の飛行型最上級モンスターが、正門の上空で旋回する。民衆がそれを見上げ、拍手を贈っていた。
「【キャスティング】」
シャラとケイティが笑顔を見合わせ、帰郷する一同に錬金装飾を放った。
――【跳躍の宝玉】!
全員の胸元に、宝玉を抱えた兎のチャームがついたネックレスとなり装着される。ここから空へ跳躍し、サンダードラゴンとワイアームの上に乗るためだ。
「マナヤ教官、お元気で!」
「おう! コリィもしっかりやれよ! たまに会いに行くからよ!」
「はい、待ってます!」
コリィがマナヤのもとへ駆け寄り、手を差し伸べてくる。彼の家族もその後ろに控えている。
ぐっとその手を堅く握り、満面の笑顔でマナヤは応じた。
「マナヤさん、お疲れさまでした。さようなら」
「パトリシアさんも、元気でな。……お幸せに」
続いて進み出てきたパトリシアにも握手を交わし、彼女の斜め後方をチラッと見てから囁くマナヤ。
少し照れ臭そうに、パトリシアははにかんでいた。斜め後方にいるオウリックが顔を赤らめ、視線をそらしている。
「では、聖王陛下。またいつか」
「うむ。達者でな、英雄殿」
テオがラジェーヴへ一礼し、周りの皆も続く。空を見上げ、跳躍しようと身を屈めた。
「――それから、マナヤ!」
そこへ唐突に、聖王がやけに軽い様子で声をかけてくる。
ぎょっと振り向いたマナヤの視線の先で、聖王は底抜けに明るい笑顔でニッを歯を見せた。
「初子が生まれたら、連絡してくれよ! いち村人として、何が何でも祝言には出席するからさ!」
いつだかバルハイス村で見たような、活き活きとした雰囲気を纏わせている。
「――おう! 待ってるぜ、ラサム!」
だからマナヤも同じような笑顔を向けて言い放ち……
そして、セメイト村やスレシス村所属の者達が、いっせいに空へと跳躍した。
***
サンダードラゴンに乗ったまま、テオらは空を翔ける。
小さくなっていく聖都クァロキーリを背にして、東へ。
「……なあ、テオ」
「なに? マナヤ」
目を閉じてサンダードラゴン視点にしたまま、テオはマナヤに問い返す。
前方には、カルが操るワイアームが飛んでいた。テオはセメイト村へと至る空路を知らないので、その道を知っているカルに先導してもらっているのだ。
「いい世界だよな、ここは」
「え?」
「やっと本当の意味で、そう思えるようになった気がするよ。自分の体を手に入れたからかね」
軽い口調で、そう自嘲するように語るマナヤ。
これまでの自分を嘆くような響きを感じる。
「……僕も、そう思えるようになったんだ。君のおかげで」
「俺の?」
「僕は今まで、この世界しか知らなかった。だから召喚師になっちゃった時、この世界のことをちょっと恨んでたんだ」
学園で、改めて召喚師が蔑まれることを知った時。テオは、この世界に絶望した。
だから神によって異世界に連れられた時、少しだけ解放されたような気持ちもあった。それが、自分を受け入れない世界であったことに気づくまでは。
「異世界に行った時、自分が慣れていたものが全部なくなっていて、それが辛くてたまらなくて」
「……テオ」
この世界とは異なる世界を知ったから、それがわかった。
別世界に行った時の心細さから、改めてこの世界への愛着が湧いた。自分がなんでもない普通の世界だと思っていたものが、これほど愛おしいものなのだと気づけた。
「それを、君が助けてくれた。僕の代わりに、辛いことを全部引き受けてくれた」
それは、あの異世界に『留学』していた間だけではない。この世界に戻ってきた後も、幾度となく世界の嫌な側面を見てきた。
残酷な召喚師解放同盟。
召喚師を蔑み、怖れる村人達。
快楽のために村を襲う人殺し集団。
そして、『流血の純潔』を散らす。
それを全てマナヤが肩代わりしてくれていた。
「だから僕は、本当に抱えてた夢を追い求める決心がついた。みんなが仲良くなれる世界を作るっていう、子供じみた夢。それを棄てなくてもいいってことがわかったんだ」
異世界で、召喚師を恐れなくてもいいという概念を持ち込んでくれたマナヤ。そのおかげで、今の自分達がいる。
「……だから、ありがとう。マナヤ」
照れくさくて、視点をサンダードラゴンにおいたまま感謝を告げるテオ。
飛竜の背の上で沈黙が流れた。マナヤのみならず、シャラやアシュリー、ディロン、テナイアも黙して何も言わない。
「――なーに調子いいこと言ってやがる!」
「わっ」
隣のマナヤが、自分の頭に乱暴に手をおいて髪を乱してくるのがわかった。
「言っとくがよ、もうお前がピンチになったって俺は助けてやれねーんだぞ? 体はもう別物になっちまったんだからな、お前が自分で引き受けなきゃいけねーんだ」
「う、うん」
「気を張れよ。今度こそお前は、自分の力だけで生きていくんだからな」
「マナヤ」
視点をいったん自分自身に戻して、隣のマナヤを見やる。
不敵に、けれども爽やかに歯を見せて笑っていた。
「――それはあんたも同じでしょっ」
「うおっ」
と、急に後ろからマナヤに抱き着いてきたアシュリー。彼の首回りに腕を回し、肩に頭を乗せてくすくすと笑っている。彼女のサイドテールが風にあおられ、キラキラと陽光を反射し煌めいていた。
「もうこっちの食べ物やら文化やらが気に入らなくたって、テオの中に逃げ込めないのよ。あんたが暴走したって、誰も止めてくれないんだから」
「おっ、お前は止めてくんねーのかよ!?」
「いつまであたしに頼りっきりになる気なの? ちゃんと自分でも慣れなさい!」
「こっこの、薄情者が!」
至近距離で見つめ合いながら言い争う二人。
マナヤは不機嫌そうな顔をしているが、テオにはわかる。彼は今、自分の幸せをかみしめていた。
「そうだな。もう、マナヤが召喚師の模擬戦に付き合ってやることもできそうになくなる。テオというストッパーが居なくなった今ではな」
「まあ、構わないのではないでしょうか。あの模擬戦は傍から見ていても危ういものでしたから」
後方でディロンとテナイアが、そう言いながら共に風になびくローブを押さえていた。テナイアに至っては、長いプラチナブロンドが横に大きく広がり陽光で神々しく光っているようにすら見える。天使の羽、という言葉が似合いそうだ。
「そういうことですよ、マナヤさん」
「くっそ……シャラまで言いやがるか」
テオの傍らで、シャラもクスクスと笑いながらマナヤを見つめていた。
皆から揶揄われ、ぷいと顔を背けてしまう自分の半身。
「――ねえ、テオ」
「シャラ」
シャラもアシュリーと同様、テオに後ろから抱き着いてくる。
胸元に回されたシャラの手に、そっと自分の手を置いた。シャラのセミロングの金髪がはためき、それがテオの頬や首筋を掠めて撫でる。
「早く、帰りたいね」
「うん。ピナの葉の料理だよね」
「こっちの村で、面白い料理法も知ったんだ。さっそくセメイト村の食材で試してみたいことがあるの」
「じゃあシャラの新作料理が食べれるの? 楽しみにしててもいいかな」
「もちろんだよ」
シャラが顔を近づけ、彼女の側頭部がこつんとテオのそれに当たる。そこから伝わるシャラの温もりを、テオも楽しんだ。
「――おーいテオくん! 遅れてるぞー!」
「あっ、いけない置いてかれちゃう」
前方からカルの声がして、ハッと気づく。
サンダードラゴンの誘導を怠ってしまったからだ。テオらが乗っているサンダードラゴンがその場に留まろうと、旋回を始めている。
「おいテオ、職務怠慢だぞ!」
「ごっごめんマナヤ、すぐ操るから!」
隣から肘でつっついてくるマナヤ。
「――帰ろう、テオ! 私達の村に!」
「うん!」
シャラが一際元気な声で笑う。テオもそれに続き、目を閉じた。
目指すは……日が昇ってくる、あの東の森。セメイト村がある、コリンス王国南部の森の中だ。
――僕達は、生きていく。
――俺達は、生きていく。
――僕達が生まれ育った、この世界で。
――俺が新たに生まれ落ちた、この世界で。
――この世界を、守り続けるために!
――この世界を、変えていくために!
空をかける、蛇と竜。
それを仰ぎ見るのは、地上で生きていくこの世界の人間達。
それを指さしながら、人々は笑っていた。
――――その姿に、人類の頼もしい希望を見て。




