255話 心の痛みを超えて
その日の夜半。
「……眠れないの? シャラ」
「うん……」
寝具に潜っているテオは、同じ寝具で横になっているシャラに問いかけた。なぜか彼女が、ずっとそわそわしているような雰囲気を醸し出していたからだ。
「どうしたの? 教えて」
「……その」
「大丈夫。僕は受け入れるから」
まだ不安そうにしているシャラに、テオは彼女の手を握って安心させる。
嫌われるかもしれないからと、必要以上にシャラに遠慮するつもりはもうない。シャラが自分に嫌われることを恐れているのなら、その不安を取り除いてあげたい。
「……こうやって、テオが一緒にいてくれることが、嬉しいの」
ぽつぽつと語り始めるシャラ。
台詞とは裏腹に、とても『嬉しくてたまらない』という口調ではない。
「アシュリーさんが、私達の家で同居することになって」
「うん」
「それでマナヤさんとアシュリーさんが一緒に眠る日もあって……その時に、テオは私のそばにいなかったの」
テオの手を握り返してくるシャラ。彼女の手が微かに震えていた。
「テオであるはずの人が、アシュリーさんの隣にいる。それが苦しかったのも、あるんだけど」
「うん」
「何より、ずっと怖かった。テオがマナヤさんに統合されちゃったらどうしよう。テオが居なくなっちゃったらどうしよう、って……」
「うん」
同じ枕で、優しく相槌を打つテオ。それに促されるように、シャラはどんどん気持ちを吐き出してくる。
「その上、アシュリーさんが死んじゃって、テオも死んじゃ、って……」
「うん。僕は、ここにいるよ」
「……ありがとう、テオ。それでね、それでもテオがちゃんと生き返ってくれて、アシュリーさんも生き返って……」
湿っぽい声になってしまったシャラに、安心させるようにテオは優しい笑顔を向けた。勇気づけられ、シャラは言葉を続ける。
「だから、ね。テオとマナヤさんが分離して、テオがテオだけのものになってくれて」
「うん」
「それが、すごく嬉しいの。これでテオが、ずっと私のそばにいてくれるんだって」
「うん。でも、シャラはそれに……?」
「……うん。そんな気持ちに、納得がいかないの」
暗闇の中、シャラが微かに目を伏せる。
安心させるようにテオが彼女の頬に手を。そっと顔を上げたシャラは、頬に置かれたその手に自分の手を重ねた。
「私達が戦った、聖騎士さんたち……あの、瘴気に冒されてた人達」
「……うん」
「テオやアシュリーさんと違って、あの人たちは死んじゃったままなんだって。あの人達にだってきっと家族や、愛する人達がいたはずなのに」
「……」
「だから。……だから私は、素直に喜んでいいのかわからないの。死んじゃった人達のことを差し置いて、私達だけ、なんて」
あの時戦った五人のうち、シャラだけは聖騎士を殺しはしなかった。
けれど、瘴気に冒された時点でその人間は魂が死んでいるとのことだ。カルによると、この村に攻め込んできていた聖騎士の召喚師三名も、瘴気が抜けた途端に死んでしまったらしい。おそらく、シャラが拘束した聖騎士達も同様だろう。
「……あのね、シャラ」
罪悪感が拭えていないシャラに、テオもゆっくり語り始める。
「僕とマナヤ、あの時にどっちも一つずつ〝願いを叶える力〟を貰ったって言ったでしょ?」
「……うん」
「あの時。本当は、アシュリーさんを生き返らせる以外の願いを言うこともできたんだ」
「テオ?」
「聖騎士さんたちの誰かを生き返らせて欲しい。この村で亡くなった召喚師さんの誰かを生き返らせて欲しい。なんなら……父さんか母さんを生き返らせて欲しい、シャラの両親を生き返らせて欲しい、なんてのも」
「テオ、でもそれは」
シャラの手が強張るのを感じる。
テオは一旦言葉を切り、シャラを無言で促した。
「……お父さんもお母さんも。それにお義父さんもお義母さんも、きっとマナヤさんやアシュリーさんの代わりに生き返ることなんて、望んでない」
「うん、僕もそうだろうとは思ったんだ。でもね、あの時僕は救おうと思えば誰でも救うことができる選択肢があった」
「……」
「見知らぬ聖騎士さんや召喚師さんを救って、その人達やその家族を助けてあげることだってできた。僕達の今の幸せを、犠牲にすれば」
「あ……」
シャラが、まんまるな目をさらに見開く。その愛らしさに思わず笑顔を漏らしてしまいつつも、テオはそのまま続けた。
「それでも僕は、結局僕達自身が幸せになる道を選んだ。それは、僕の勝手なわがままと言えばわがままなのかもしれない」
「でも、テナイアさんだって言ってたよ」
「シャラ?」
「まず自分を幸せにしないと、他人を幸せにできないって」
心配そうに、シャラが両手でテオの手を握ってくる。まるで求婚する時のようだ。
「だから、テオが自分のために、マナヤさんや私達のためにアシュリーさんを生き返らせようとしてくれたことが、間違ってるなんて思わない」
「うん。ほら、答えが出てるでしょ?」
「あ……」
「それで、いいんだと思う。まずは自分を幸せにして、その幸せを『おすそ分け』できるくらいにならなきゃいけないからね」
そっと、テオもシャラの両手を握り返した。
「僕達はこれからも、召喚師たちを、みんなを助けるために戦う。苦しむ人を、少しでも減らすために」
「うん」
「だから、そのために今の幸せを僕達は噛みしめるんだ。その幸せを、これからみんなに伝えに行くために」
シャラの瞳が、僅かな月明りに照らされ潤んでいるのがわかる。
笑顔を返したテオは、そっと繋いだ両手をほどこうとして――
「テオ」
「ん?」
「アシュリーさんがね、言ってたの。〝英雄〟には、別の形もあるんだって」
テオをまっすぐ見つめながら、必死に笑顔を作ろうとしているシャラ。きゅ、と握った両手にまた少し力を込めながら、懸命にテオに何かを伝えようとしてくる。
「苦しんでる人を直接救うのも英雄なら、人助けができるような人達を育成するのも英雄なんだって」
「育成……?」
「うん。テオもマナヤさんも、人を助けられるような召喚師を育ててるでしょう? コリィ君が、あの開拓村をシャドウサーペントから救い出せたように」
今度はテオが目を見開く番だった。
シャラが両手をほどき、その手をそっとテオの首の後ろへ沿える。
「アシュリーさんも、これから召喚師さん達と手を携える人を指導できる人なの」
「……うん」
「だからね。テオが生き返らせてくれたアシュリーさんは、これからきっといっぱいの人を救うんだと思う。テオがその〝願い〟で生き返らせられたかもしれない人よりも、もっと多くの人達を」
知らず知らずのうちに、テオの両目から涙が零れ落ちていた。
シャラがテオの頭を引き寄せ、こつんと額を合わせてくる。
「テオがやったことは、間違ってない。だから、大丈夫だよ。テオ」
「……シャラ」
そっとシャラを抱き寄せる。
心のどこかで、テオはずっと自分に言い訳していたのだ。他に生き返らせることができた命を差し置いて、自分達の幸せを優先した自身の決断を。
そんな心のわだかまりをシャラは察して、ほぐしてくれた。自分と同じ方法で。
「ありがとう、シャラ。……大好きだよ」
「うん。私も、大好き。テオ」
***
同刻、別の寝室で寝具に横たわっていたアシュリーとマナヤ。
「ねえ、マナヤ」
「あ?」
目を開けたアシュリーが、すぐ隣で横になっているマナヤへ声をかける。
彼を探るようにそっと手を伸ばし、その肩に触れた。
「ちゃんと、ここにいるのよね」
「ああ」
「……テオの体じゃなく、あんただけの存在として」
「ああ。……どうした?」
彼女の声がだんだん掠れてきていることに気づいて、問い返す。アシュリーはすぐに声を正して、枕の上で顔だけをこちらへ向けてきた。
「んーん。ちょっとね、複雑な気持ちなの」
「複雑?」
「うん。これまであんたは、テオと二重人格だったからさ。こうやって隣で寝てても、前まではどこかあんたにテオの影を見てたの」
「……そんなにテオと似てたか?」
「そうじゃなくて。えっと、なんて言えばいいんだろう。……裏にテオがいるんだってこと、なんだか意識しちゃってたって感じかな」
彼女のふわふわした言い分に、ようやくマナヤは得心が行く。
「あー。俺とお前の二人きりでいる時も、どこかにテオが一緒にいるみたいな気分になってたってことか?」
「そうそれ。でも、さ。今のあんたは、マナヤだけなんでしょ?」
「そうだな。まあ『共鳴』で得た体じゃああるけどよ、マジでずっと分離したまんまでいられそうな感じだし」
と、布団から片手だけ出し、手を握ったり開いたりを繰り返した。
そんなマナヤに、アシュリーは寝返りを打って体ごとこちらを向く。
「だからさ。あんたがあんたになってくれて、嬉しい……ん、だけど」
「けど?」
「なんだかね、ちょっと不誠実な感じがするの。あたしの覚悟に」
「覚悟に不誠実? どういうこった」
問いかけると、一瞬迷うような表情を見せたアシュリーは、唇を引き結んでから話し始める。
「あんたが、副人格なんだって知って。本来存在してない存在だったって知って」
「……ああ」
「でもね。村の人たちに、師匠にも励まされて。だからあたしは、そんな存在が曖昧なあんたのこと、ちゃんと好きになるって覚悟決めたんだ」
面と向かって〝好きになる〟などと言われ、思わず心臓が跳ねるマナヤ。
ばくばくと鳴る鼓動に内心ドギマギする中、アシュリーはそのまま語り続ける。
「なのに、さ。こんなにあっさり、あんたはあんたとして『存在』しちゃって」
「なんだ、嫌だったのか?」
「そうじゃないの。そうじゃなくて……結局あたしは、ちゃんと『存在』してるあんたに安心しちゃって」
暗がりの中でも、アシュリーの瞳が揺れるのがわかった。
「存在が曖昧なあんたのことも、ちゃんと好きになる覚悟決めたのに」
「……」
「自分がなんだか現金で、薄っぺらいなぁって思っちゃったの。あたしも結局、存在してる人のことが好きな、薄情な女なのかって――」
「ばぁか」
「えっ?」
つん、とマナヤは指でアシュリーの額をつついた。
不思議そうに見つめ返してくるアシュリーに、ニッと歯を見せて笑ってみせる。
「現金もなにも、存在できるようになれたことに俺自身が喜んでんだよ。お前が引け目を感じることなんかねえだろ」
「でも」
「むしろ俺は、お前が〝曖昧な〟俺をそんなに求めてくれてたことに驚きだぞ」
わしゃ、と不安そうなアシュリーの頭を撫でる。
少しくすぐったそうにしつつも、アシュリーは不思議そうにマナヤを見つめ返してきた。
「俺の方こそ、ずっと引け目を感じてたんだよ。存在してねえ俺が、お前のこと拘束していいもんかってな」
「……マナヤ」
「この身体のせいで、お前のためだけの人間で居られない。こんな曖昧な俺のせいで、お前が本当の人間とくっつけるかもしれねえ機会を、潰してるんじゃねえかってな」
「そんなことない!」
「だから、お前がそう思ってくれてたことが嬉しいんだよ、俺は」
頭から手を降ろして、指先だけでそっとアシュリーの頬を撫ぜる。
「こうやって俺自身の体を手に入れて、やっとその引け目がなくなったんだ」
「……うん」
「だから、もっと素直に喜んでくれ。じゃねえと、俺は前までの自分に嫉妬しなきゃいけなくなるじゃねーか」
と、からかうような笑顔をしてみせる。
きょとんとした顔をしたアシュリーは、しかしすぐに同じくいたずらっ子のような笑顔に戻った。
「ちょっとくらい嫉妬してくれた方が、女冥利に尽きるけどね?」
「おい?」
「ただでさえあんた、人をやきもきさせる天才なんだから。あんた自身もちょっとくらいやきもきしときなさい」
「てめっ、このタイミングで俺をけなすのかよっ」
「今までどれだけあんたに振り回されたと思ってんのよ。あたしだけじゃないのよ、あんたの暴走に悩まされたの」
「……正直すまん」
「あたしだけに謝ったって、意味ないんだけどね?」
自覚があるだけに強く反論はできなかった。
くすくす笑いながら、仕返しするようにアシュリーがマナヤの鼻をつついてくる。
諦めるように苦笑したマナヤは、彼女の手をそっと掴み取る。
その手を開かせ、自分の手に絡めた。
「ありがとな、アシュリー。……生き返ってくれて、良か、った……ッ」
「……もう」
震え声になってしまったマナヤ。
アシュリーは手を繋いだまま、身をよじらせて彼に体を近づける。
こつん、と額を合わせる二人。
どちらの瞳にも浮かんでいる光る粒が、月明りに照らされていた。
***
その頃、バルハイス村の東側に張り出している大峡谷の中。
「……」
ラジェーヴとランシック、聖騎士らが見守る中、光の粒が煌めく巨大な炎が立ち昇っていた。まだ燃え尽きていない緑ローブが着火し、残っていたはずの灰も舞い上がって天へと上っていく。
彼らの背後では、まだ数名の者達が涙を流しながらその炎を見守っていた。死した召喚師たちの遺族らだ。
ラジェーヴは今、召喚師達の共同墓地に『聖火』を上げている。
遺体を焼却しきれず灰が残ってしまった場合、デルガド聖国では『聖火』で完全に死者を送るのが習わしだ。火に白魔導師の治癒魔法を加えると、こうやってキラキラとした煌めきが混じった炎ができる。そうなった火を『聖火』と呼び、怨念の残った遺灰を浄化すると伝わっていた。
デルガド聖国の王族は代々、白魔導師になると定められている。蘇生魔法によって神託を受け取る白魔導師こそ、神の国を統治する王族に相応しいとされていたためだ。ゆえに今回、ラジェーヴが聖王として自ら召喚師達の遺灰をこうやって葬送していた。
この村を訪れた理由はマナヤ達を労うためではない。これからの数日間も、彼は召喚師の共同墓地が作られている村々を巡り、聖火で葬送を行う予定である。
聖火がおさまり、あとには黒くなった岩肌だけが残った頃。他の参拝者は、鎮火したことで村へと帰還していった。
「――レヴィラ、申し訳ありませんが周囲の警戒に出ては頂けませんか。野良モンスターがまだ残っているかもしれません」
「……承知しました。聖騎士の皆さまにも、ご助力をお願いしたいのですが」
唐突なランシックの指示に、レヴィラは阿吽の呼吸で応答。聖騎士らにも声をかける。
「失礼ながらレヴィラ殿、我々は護衛として聖王陛下のもとを離れるわけには――」
「よい。そなたらも四方の警戒へ向かえ。余はまだこの地に用がある」
「陛下?」
聖王のもとを離れることを渋った聖騎士らに、他ならぬラジェーヴが口を挟む。
「この地を中心として四方を警戒し、野良モンスターが現れたら即座に迎撃できる準備をせよ。レヴィラ殿、索敵を任せる」
「承知いたしました。この地よりやや北で索敵を行います」
「……仰せのままに」
ラジェーヴの指示にレヴィラが即応し、聖騎士らも人差し指を額に当てて一礼。直後、慣れた様子で散開していく。
もうこの場に残っているのは、ラジェーヴのランシックの二人だけだ。
くすぶる地面を見つめながら、ぽつりとラジェーヴが口を開く。
「……ランシック」
「はい」
「余は、デルガド聖国の名誉に泥を塗り、実の母を断罪した。この手で」
俯きながら両手をかかげ、それをじっと見つめるラジェーヴ。
「罪悪感は、ある。このような手段を使い、肉親を……余をここまで育ててくれた母を、陥れたことに」
「はい」
「だが、それでも余は前聖王を許すことができそうにない」
その両手の奥にある、煙のくすぶる地面に焦点を戻す。つい先ほどまで、灰の山があった場所を。
「――この村出身のルジェは、召喚師に選ばれた後も笑顔を絶やさぬ男だった」
「はい」
「母親に迷惑をかけたくないからと縁を切り、聖騎士として任命され王都へ上京した。それでも母親への仕送りは絶やさなかったのだそうだ。その後ルジェは、大峡谷の間引きで無惨にも命を散らした」
徐々に、ラジェーヴの声がかすれていく。
「イリアッドは、妻子を得てからより一層みなを守ろうと、余にも熱意を持って語る男だった。もうすぐ第二子が……息子に弟か妹が生まれるからといって、もっと平和な地にしようと夢を語っていたこと、忘れて……ない」
どんどん、ラジェーヴの頭が下がっていった。口調も砕けていく。
「アジェイは、快活な……オレの目から見ても、みんなを笑顔にしようと頑張る聖騎士だったんだ。黒い神殿の調査に向かう前、自慢の弓を抱えて『私達がいれば何も怖くない』って、不安がるこの村の人たちに、向かって……ッ」
パタパタと、ラジェーヴの足元に次々と垂れていく雫。
ランシックはくるりとラジェーヴに背を向け、雲一つない満天の星空を大げさに仰いだ。
「やれやれ、こんなに美しい星空だというのに、雨が降るとは! 神の国でこんなことを言うのも何ですが、天とは時に空気を読まないものです! ――そうは思いませんか、ラサム君?」
「ッ……ああ、そう、ですね……ランシック様……ッ」
ラジェーヴの足元に落ちる水音は、止まらない。
歪む視界で、彼はただただくすぶる大地をその目に刻んだ。
散っていった命を、せめて自分だけは忘れないように。彼らの生きた証が、永遠に勇士として自身の心の中に留めておけるように。
――空に上がっていった聖火の煌めきも、星の中に混ざっていった。




