253話 舞い戻る英雄
「俺の……」
そう口を開きかけて一瞬逡巡し、唇を噛むマナヤ。
だがすぐに、もう一度天を仰いで叫ぶ。
「俺の魂を、蘇生してくれ……ッ!」
【――可――】
その願いを認める声が届いてくる。
確定とみなしたか、マナヤの身体からにじみ出る虹色のオーラが、光の強さを増した。
「……マナヤ」
「へっ、そういうこった。また、これからも世話んなるぜ。テオ」
「うん」
鼻をすすりながら照れ臭そうに笑うマナヤに、テオも笑顔を返す。
《――それで、良いのだな? マナヤ――》
柔らかく穏やかな声で、神が訊ねてくる。
マナヤはそちらへ振り返り、神を見上げて不敵な表情を浮かべた。
「ええ。すんませんね神サマ。問題を一挙に解決できるチャンスだったんスけど」
《――構わぬ。其方らの力であり、其方らの願いだ――》
小さく首を横に振って、神は鷹揚に応じる。
《――それに。其方らは、止まるつもりはないのだろう?――》
「当然です。俺の大好きな召喚師が世界的にバカにされてるなんざ、許せるわけがねえ」
一歩踏み出し、ぐ、と拳を神に向かって突き出したマナヤ。
「地上に戻って、世界に召喚師のすばらしさを伝え回ってやる。この世界の概念がどうだろうが関係ねえ。これだけは、誰になんと言われようが絶対に譲ってやんねえ」
「僕も手伝うよ、マナヤ。それぞれの地域の文化に合わせて、個別に対応しながら教えていくようにしないとね」
テオもその隣に進み出る。
マナヤが、召喚師たちを先導し理想を示す。
テオが、そんな召喚師達の心の懸け橋となる。
二人が共に経験を積み、二人で確立した召喚師の再教育法。個性豊かな人々の感性や文化に合わせ、変幻自在に対応していく二人のやり方だ。
そうすればきっと召喚師達に、他『クラス』の者達に自然とその感覚を受け入れて貰えるようになる。
「俺達の、救世主としての役割は――」
「――まだまだ、これからってことだね!」
こつん、と二人が拳を軽く突き合わせた。
【――双方の願いを受領。実行の最終認諾要請――】
そこへ、無機質な声が二人の頭に響いてくる。
《――『世界の中心』が二人の願いを受け取った。あとは其方らが、その願いを確定するだけだ。さあ――》
神の説明に、テオとマナヤは頷き合う。
そして、上へと顔を上げ……
「お願いします!」
「やってくれ!」
【――認諾を受理。実行開始――】
声が響いて、周囲の空気が一瞬張り詰める。
直後、マナヤの全身が眩く光り輝き始めた。
「う、お!?」
思わず狼狽えながら、輝く自身の全身を見回すマナヤ。
身体を覆っていた虹色の光が、まるで穴埋めでもするかのようにマナヤの体に斑状に集束していく。彼の魂、その欠けている部分の修復を始めているのだろう。
やがて、斑に集まったその光はマナヤの身体に吸い込まれて消えた。
《――マナヤの魂は、完全修復された。蘇生は無事成功したようだ。おそらく地上では、アシュリーも蘇生されていることだろう――》
「ほ、ほんとか!」
自分よりも、アシュリーが生き返ったことの方に嬉しそうなマナヤ。
テオもほぉっと安堵のため息をつき、まだ自身の目尻に滲んでいた涙をそっと拭う。
「戻ったら、シャラとみんなに謝らないと。ずいぶん、心配させちゃったはずだし」
「そ、そうだな。……俺も、早くアシュリーをひと目見て安心してえし」
儚い笑顔を見せるテオに、マナヤも少しそわそわしながらそう返す。おそらく地上の皆も、テオらのことを案じているはずだ。
「じゃあ、神さん。俺達はそろそろ地上に戻る」
「ありがとうございました、神様。……この御恩は、きっと忘れません」
と、神に向き直り、胸に手を当てて一礼する二人。
《――その前に、テオ、マナヤ。其方らにひとつ、頼みがある――》
しかし神は制するように手のひらを向け、そう切り出した。
顔を上げて困惑する二人に向け、少し申し訳なさそうに神は口を開く。
《――其方らの、その共鳴。私に預けてもらいたい――》
「え?」
「は?」
テオもマナヤも、聞き返した声に思わず戸惑いが含まれてしまう。
せっかく二人で覚醒した能力、テオとマナヤが心を繋げた証を、神に差し出せというのだ。
その不機嫌を察したか、すぐに神は苦笑するように目を閉じて微笑んだ。
《――其方らの絆の証を、理不尽に奪おうという意図はない。だが、その力を地上で使うのは危険だ――》
「き、危険? いったい、どういう……」
まだ面食らったままのテオが、しどろもどろに訊ねる。
《――そもそも『世界の中心』は、高次元空間であるこの神界で接続することを前提としたもの。地上から接続するなどというケースは考慮されていない――》
「……ってことは、もし僕達が地上で『世界に願いを』を使ったら……?」
《――次元の壁を無理やり超えて、地上から『世界の中心』に直接接続することになる。先ほど見たように、それはここ神界すら揺るがすほどの力だ――》
「ど、どうなるんだ……?」
なんだか嫌な予感がして、冷や汗を流しながらマナヤも聞き返した。
《――最悪の場合、次元の壁を突き破り、世界そのものを崩壊させる危険性がある――》
「えっ!」
「いッ!?」
二人して、顔を引き攣らせて素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そっ、そういうことなら僕たちが持ってない方がいいです! マナヤ、いいよね?」
「あ、ああ……んな能力、危なっかしくて使えねーよ」
テオもマナヤも真っ青になってこくこくと頷いた。確かに〝願いを叶える〟能力は便利だが、世界を壊す原因になどなってしまっては本末転倒だ。
なんとか落ち着いたテオが、神を見上げた。
「そういうこと、なので……神様。僕達の共鳴、神様にお預けします」
《――ありがたい。では――》
神が、テオとマナヤに片手を向ける。
すると、二人を包んでいた虹色のオーラが集束を始めた。それぞれの胸元あたりに円形に固まったそれは、ふわりと体から飛び出して球状になる。
その二つの球体は、神のもとへとゆっくり飛んでいきながらくっつく。一つの球体としてまとまった光が、神の手のひらの上で静止。
《――礼を言おう。テオ、マナヤ――》
その球を大事そうに見つめた神は、テオとマナヤに向き直り柔らかく微笑んだ。
《――この力を使えば、私は一定期間ごとにだが『世界の中心』のフルコントロールを行うことができるようになる。『瘴気の核』によって使用できなくなった機能も、緊急時には私の意思で使用できるようになるだろう――》
どうやら、神自身もその力を欲しがっていたのは確かだったらしい。
無理もないだろう。『瘴気の核』のせいで神は、長らく世界に救いを差し伸べることができなくなったのだ。何百年、何千年ともどかしい思いをしていたであろうことは想像に難くない。
《――テオ、マナヤ。私より、心からの感謝を――》
「神様……?」
「え、あ、いや俺達は……」
《――其方らは、救世主としての役割を立派に努めてくれた。それどころか、こうやって『世界の中心』を制御する力すら生み出した。……私の期待を、遥かに上回る成果を挙げてくれたのだ――》
そう言って、神は……
胸に手を当て、二人に向かってコリンス王国式の一礼を。
《――其方らを選んだことは、私の最大の幸運であった。敬意を表しよう――》
「そ、そんな、顔を上げてください神様!」
テオは畏まってしまい、あわあわと手を宙に彷徨わせる。王族どころではない、よりによって神に頭を垂れさせてしまうとは畏れ多いもほどがある。
「礼を言うのは早いだろ、神さん」
だが、大胆不敵にそう言い放ったのはマナヤだ。
ぎょっとテオが振り返るが、彼は実に自信あふれる顔を神に向ける。
「まだ、召喚師を救う俺達の仕事は終わっちゃいないんスよ。礼は、その役目が完了する時まで取っといてもらいたいもんですね」
《――そう、か。では其方らの共鳴を奪った代わりに、と言っては何だが――》
ふっと頬を緩めた神が、そっと上体を起こした。
そして、今度は神の方が茶化すような笑顔をテオとマナヤに向けた。
《――其方らに、〝新たな共鳴〟を授けよう――》
「え、えっ! 新しい共鳴!?」
思わぬ提案に、テオが目を剥いた。
揶揄するような笑顔のまま、神は続ける。
《――今しがた頂いた共鳴の力を使えば、今の私でも可能だ。神である私が、これまで其方らの世話になりきりであったからな。たまには神らしい仕事もさせてくれ――》
「そ、その新しい共鳴って、どんな能力なんスか?」
マナヤも、少し期待するような目で神を見上げる。
《――それは、其方ら自身の目で確かめるがいい。なに、すぐにわかる――》
「へ? すぐにわかる、って――」
《――時間だ。テオ、マナヤ、其方らは仲間のもとへ戻れ――》
首を傾げるマナヤを無視して、神はふっと手を振る。
するとテオとマナヤの全身が、今度は純白の光に包まれていった。
「えっ、あ、あの、神様!?」
「ちょっ、おい!?」
《――さらばだ、我が救世主たち。願わくば、其方らの未来に祝福あらんことを――》
意識が沈むような、浮上するような感覚。
周囲の白い雲に溶け込むような感触の中、二人の意識はどんどん掠れていき……
そして、神界から完全に消え去った。
***
《――本当に、これで良かったのだな? 二人とも――》
テオとマナヤが消えた後。
神は、神界の隅へと視線を向ける。羨むような、慈しむような表情で。
二つの光の玉が、穏やかに浮いていた。
まるで、仲睦まじく寄り添い合うかのように。
***
「――う」
意識が、一気に浮上するのがわかった。
やや痛む頭に悩まされながら、うめき声を上げテオは目を開く。
「テオ!!」
「テオ、無事か!」
「テオさん!」
その瞬間、テオの視界に三人の顔が飛び込んできた。
涙でぐしゃぐしゃになったシャラ。
急くような表情で覗き込んでくるディロン。
口元を手で押さえ、涙を堪えるような様子のテナイア。
その向こうには、瘴気が晴れ始めて覗いた青空が広がっていた。
「……シャラ。ディロンさん、テナイアさん」
「テオ! テオぉ……っ!」
名を呼べば、シャラがテオの胸元にすがりついてきた。大声で泣きながら、彼の服をぎゅっと握りしめてくる。
「……テオ。何があったかわからんが、蘇ったのだな」
「ディロンさん」
寝ころんだままシャラをあやしながら、テオはディロンを見上げる。
その隣で、テナイアも両目に涙を溜めながら語り掛けてきた。
「心配、したのです。貴方が、蘇生魔法を拒絶したかと、思えば……っ」
「テナイア、さん」
「貴方の身体が、強く発光して……瘴気の痕も、完全に消えて……」
両目の涙を拭いながら説明してくれる。
テオは、シャラの頭を撫でながらゆっくり体を起こそうとした。
「痛っ――」
「あまり無理をするな。肉体を限界まで瘴気に冒されていたのだ、負担がかかっているはずだ」
ディロンがこちらの背に手を回し、助け起こそうとしてくれる。
涙目のまま胸元にいるシャラが、こちらを心配そうに見上げてきた。
「そ、そうだ! アシュリーさん!」
と、テオは思い出してすぐに周囲を見回す。
シャラたち三人が神妙な顔になってしまった、その時。
「あ、れ……?」
テオの左側から、聞き慣れた女性の声が。
むくりと、赤いサイドテールを揺らして人影が起き上がる。
「え、え……?」
「アシュ、リー?」
「え……アシュリー、さん……!」
シャラが目をぱちくりさせ、ディロンも戸惑うように名を呼ぶ。テナイアは、治まりかけた涙が再び溢れだしていた。
「あた、し……生きてる?」
周囲を見回した後、自分の心臓の上あたりに手を置いたアシュリーが、茫然と呟いた。自分自身の鼓動を感じて、戸惑っている。
「アシュリー! 君も蘇ったのか!」
「アシュリーさん!」
ディロンとテナイアが、今度はそちらへと向かう。
アシュリーはどうやらテオの左、すぐ近くに横たえられていたようだ。上体を起こしたアシュリーを、ディロンとテナイアが彼女の無事を確かめるように助け起こす。
「え、あ、あれ? あたし、本当に……? あの、邪神のアレは?」
「大丈夫だ、アシュリー。もう全て、終わった」
きょろきょろと挙動不審なアシュリー。
そんな彼女の疑問に、感情を押し越しそうと苦心しているディロンが冷静に諭す。
「アシュリー、さん……アシュリーさんも……本当に……」
シャラもテオに縋りついたまま、ぼろぼろとまた大粒の涙を。
テオも目頭が熱くなってしまいつつ、ぽつりと言葉を漏らした。
「本当に、良かった。アシュリーさんも、ちゃんと蘇生されて」
「テオ……?」
その言葉を聞きつけて、シャラが目元を拭いながら不思議そうにこちらを見上げてくる。
「テオ、いったい、何があったの」
「うん。説明すると、長くなるんだけど――」
と、テオが状況の説明を始めようとした時。
「――痛ってててて……」
テオとアシュリーの間から声がした。
もう一つの人影が、頭をさすりながらむくりと上半身を起こす。
「……え?」
「は?」
見下ろしたテオと、起き上がったそのもう一人と目が合って、硬直。
お互いの顔を見合わせて、思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
いったいいつからそこに居たのか。
ややウェーブがかった、自分と同じ金髪。
同じ緑ローブと、その下に着た同じハイネックカーディガン。
全く同じ形の顔。ただその目つきと表情の作り方だけが違う。
「ええええええっ!?」
二人して、声を揃え絶叫してしまった。シャラやディロン、テナイア、アシュリーに至っては声も出ずに目を剥いてこちらを見つめている。
「ぼ、ぼ、ぼ、僕!?」
「お、おおおおおお俺ェ!?」
お互いを指さしながら狼狽える二人。
直後、すぐさま自分自身の顔や髪、体のあちこちを触って確かめる。だが思った通り、自分の体は使い慣れた自分自身のものとしか思えない。
「テ、テオが、二人……? ううん、もしかしてテオと、マナヤ、さん?」
ようやく口を開いたのは、シャラだ。
同じ姿をした二人……テオと、マナヤを交互に見比べながら戸惑うしかない。ディロンとテナイアも顔を見合わせ、すぐまたテオとマナヤへ視線を戻している。
「ななな、なんでだ!? 神界でもないのに何で俺とテオが分離してんだよ!?」
「ぼ、僕だってわかんないよ! なんで、いったいどうしてこんな――」
一方、互いに切羽詰まった様子で問い詰め合うテオとマナヤ。
しかしその時――
――ピチュ……ン
「!!」
二人の脳裏で雫が水面に落ちたような感覚。
直後、一瞬だけだが二人の体が虹色に光った。
思わず自身の両手に視線を落としたテオとマナヤは、すぐまた目を見合わせる。今のが何だったか、直観でわかった。
――共鳴が、発動してる?
二人の脳裏に、すぐ答えが出てくる。
たった今、発動し始めたのではない。もう既に『共鳴』が発動しているのだ。それも、このままずっと発動しっぱなしでいられるのではと思えるほど、異常に安定した状態で。
「どういうこと……?」
テオが自分の手をマナヤの顔を見比べながら、首を傾げる。マナヤはもはや言葉も出せない。
「同じ姿の人物が、二人……まさか」
そこへぽつりとつぶやいたのは、テナイア。
その言葉を聞きつけたテオが、ハッと顔を跳ね上げる。
「マ、マナヤ! これってまさか、テナイアさんが言ってた……!」
「そ、そうか! 父さんと、母さんの……!」
――――複製!?
再び二人は、自身の体を見下ろす。
テオとマナヤの両親である、スコットとサマー。
あの二人が覚醒したのは、自身の分身を創り出すことができる共鳴だった。それぞれが別々の人間として、独立して行動することができる。テオとマナヤも、それを直接目撃したテナイアから実際に聞いたことがあった。
まさか。
これが、『神』が二人に与えた新しい共鳴の正体だったのか。父と母が生み出した能力を、息子二人に継承させたのか。
二人がそれぞれ、自分の体を持つことができるように。
「……は、はは……」
俯いて自分の両手を見下ろしつつも、震え声でマナヤが笑い始める。
「父さんと、母さんが……俺に、俺自身の体をくれたのか……ッ」
もはや、テオと体を奪い合う必要がないように。
彼が、誰に気兼ねすることもなく自分の幸せを追い求められるように。
マナヤの目端に、雫が浮き始める。
青空が覗いている頭上を、感慨深げに仰いだ。
(俺は……本当の意味で、父さんと母さんの息子になれたんだな)
両親が、マナヤに体をくれたのだ。
二人がテオを産んだように……今、マナヤを産んでくれた。
「マナ、ヤ……? マナヤ、なのね……?」
同じく震え声で、アシュリーが呼び掛ける。
左を向いたマナヤに向かって、涙を浮かべたアシュリーが恐る恐る手を差し伸べてきた。
「――アシュリー」
よかった。
生きていてくれて、よかった。
そんな思いがマナヤの胸の中に満ちて、溢れだしていく。
差し伸べられた手に視線を落としたマナヤは……
その手の下に、自分の右手を置くと。
「――あ」
アシュリーが小さく声を漏らす。
マナヤはもう片方の手を、アシュリーが差し出してきた手を上に乗せる。
アシュリーの手を、彼の両手で包み込む形になった。
「アシュリー。俺はもう、テオの中で不貞寝できなくなっちまった」
「まな、や」
「今まで、嫌なことがあったり苦しかったりした時に、テオの意識の中に逃げ道があったが……もう、その逃げ道は使えねえ」
お互いの手が、震えている。
マナヤの言葉に反して、どちらも怯えからくる震えではない。
ここまで安定している以上、もうマナヤはテオの中には戻れない。
いや、戻ろうと思えば戻れるかもしれないが、そうすればテオの生活を邪魔してしまう。自分の体を持てた以上、今さら戻る理由はテオ側には無いのだ。
「こうなった以上……俺は、苦しくなった時にお前に頼るしかねえ」
「……うん……」
「こっちの世界の文化に、耐えられなくなった時。殺しのビジョンでキツくなっちまった時……お前に、ずっと支えて欲しいんだ」
「うん……っ!」
アシュリーはしゃりくりあげながら、もう片方の手をマナヤの手に被せる。
自分の手を包み込んできているマナヤの手を、包み返す形になった。
「だから……アシュリー。ずっと傍に、いてくれ」
「……う、ん」
二人して、同時に瞳から一筋の流れが。
「――俺の嫁に、なってくれ」
……先ほどは、ちゃんと最後までやり遂げることができなかったこと。
マナヤが受け入れる前に、アシュリーがこと切れたことで中断されてしまった求婚。
お互いの手を、より強く握るように包み込む。
ぱたぱたと、雫が二人の手に落ちた。
「待たせすぎ、なのよ……ばかぁ……っ!」
辛うじて、そう口にする。
涙に崩れた中でも、精一杯の笑顔で。
途切れ途切れながらも、精一杯の強がりで。
こつん、と二人は互いに額を突き合わせた。
「……っ」
シャラが口元を押さえ、ぼろぼろと涙を零している。
そんなシャラの肩を、テオが肩を抱いて支えていた。
同じく目元を拭いながら俯いているテナイアを、ディロンが寄り添いながらそっと背をさすっている。
――薄暗かった場に、どんどん差してくる陽光。
瘴気のドームはほとんど晴れ、皆がいた黒い建造物ももはやほとんどが解けて消えていた。もはや残っているのは、外縁の壁を支えていた土台部分だけ。その土台すら、霧と化すように崩れて空中に消えていく。
ようやく落ち着いて、アシュリーから体を離したマナヤ。
二人が腰を下ろしている地面も黒い色が抜け落ちていき、元々の赤い岩肌へと戻り始めた。
「――マナヤ」
そんな彼らに、ディロンが歩み寄った。
上半身しか身を起こしていないマナヤに、彼はすっと手を差し伸べる。
「改めて、ようこそ。我々の世界へ」
穏やかな顔で、仄かに唇に弧を描いているディロン。
そんな彼が差し伸べた手を、涙を拭ったマナヤがぐっと掴んだ。その手に引き上げられる形で、立ち上がる。
――今、この瞬間。
真の意味で、マナヤはこの世界に生まれ落ちた。




