252話 『世界』に願いを
「マナヤはわからないの!? 父さんと母さんが願ってたこと!!」
「……ッ」
「二人は、僕たち両方の幸せを願ってたんだ! 僕たち二人に、最後まで生き抜いてほしかったんだ!!」
涙に目を閉じたまま、駄々っ子のように喚きたてるテオ。
マナヤの気配が、少しずつこちらへ戻ってくるのがわかった。
「マナヤはずっとそうだったじゃないか! 僕のために、周りのみんなのために、ずっと自分を犠牲にし続けて!」
「てめ、ぇ……ッ」
「やっと自分のために生きられるって時に、どうしてその命を投げ出しちゃうんだ!」
涙を浮かべながらも、テオは激昂する。
なぜ、彼ばかりが犠牲にならなければならない。
馴染めぬこちらの世界に苦しめられて。
自分の代わりに、人殺しの罪と責任を背負って。
自分が存在していないことに嘆いて。
それでもなお、彼は報われないというのか。
「父さんと母さんのことを思うなら、もっと自分のために生きてみせてよ! マナヤっ!!」
胸から全て絞り出すように、目をきつく瞑ってそう絶叫する。
悔しくてたまらなかった。
今までずっと、自分のことを助けてくれた半身。
それが、やっと命を手に入れた時には、もう生きることができなくなるなど。
「……俺、だって」
近くに声を感じて、目を開く。
いつの間にか、マナヤがテオの目の前まで戻ってきていた。
「俺だってッ、このまま死んじまいたかねえよ! やっと魂が手に入ったのに、生きることを諦めたくなんかねえよッ!!」
今度はマナヤが、涙を流しながら絶叫していた。
目を閉じて、今度は彼の方が駄々っ子のように喚きたてる。
「でもッ……アシュリーが死んじまった世界で、どうしろってんだよ……ッ」
「マナ、ヤ……」
「人殺しのビジョンに苦しめられる人生だってのに! 肝心のアシュリーが居ない世界で、どう生きろってんだよッ!!」
彼の叫びは、震え声になってしまっていた。
テオにだって、わかっていた。
どうしようもないことに。
今さらマナヤだけが戻ったところで、彼の幸せは存在しないことに。
「テオ、お前に何か手があるってのかよ! 俺がお前の代わりに戻って、どうにかする方法があるって言うのか!?」
「そんなのわかんないよ!!」
もはや、両者とも駄々っ子だった。
こちらを睨みつけてくるマナヤに、目を閉じつつもただ叫ぶしかできない。
「ただ僕はっ!」
それでも、顔を上げて……
歪んだ顔の、自分の半身目掛けて、心からの言葉を放つ。
「ただ僕は、君に独りで泣いてほしくなかったんだ!!」
「!!」
テオは、気づいていた。
こちらに語り掛けていた先ほどまでのマナヤが、ずっと屈託のない笑顔を浮かべながらも……
心の中で、ずっと泣いていたことに。
――生きたい。
マナヤはずっと、そう泣き叫んでいた。
(ひとりで、泣かないで)
大切な大切な、自分の半身が。
「てめ、ぇ」
「マナヤ」
「勝手なこと……ばっかッ、言いやがって……ッ」
とめどなく涙を流しながら……
マナヤは、テオの胸に自分の頭をぶつけた。
「人、の、配慮……勝手に、潰しやがって……!」
「マナヤ……!」
「腑抜けたことばっか言ってんじゃねえよ! もっと現実見ろよ! 勝手に人に変な希望持たせんじゃねえよ!!」
その体制のまま、マナヤは叫ぶ。
すべてを吐き出すように。
ずっと隠していた苦しみを、全部ぶちまけるように。
「生きたいんだよ……ッ、俺だって、生きたいんだよ!!」
「だったら生きればいいじゃない! マナヤ!」
「だからふざけてんじゃねえよ! 俺がお前の代わりに生き返ったって意味ねえこと、散々言っただろが!!」
「僕だってそんなの関係ないんだよ!!」
「関係ねえとか言うな! 俺だって、お前に死んでほしいわけじゃねえことくらいわかんだろ! なんのためにここまでしたと思ってんだ!」
「そんなの僕だって同じだよ!!」
互いにぼろぼろと泣きながら、喚き合う。
ただただ、心の中を吐露し合う。
「僕はっ、マナヤに――」
「俺はッ、お前に――」
互いの言葉を被せる。
「――生きててほしいんだっ!!」
――ピチュ……ン
途端。
二人の心の中で、雫が波紋を広げる感覚。
「えっ!?」
「なっ!?」
戸惑ったのも束の間。
突然、膨大な虹色の光が二人から発される。
全方位雲のこの世界、その上へ上へと伸びる虹色の光の柱が立ち昇った。
《――これは――》
驚いたのは、神も同じだった。
その光の柱を見上げ、茫然としている。
「マ、マナヤ」
「お、おいテオ、これって」
そう。
二人には、この感覚を知っている。
互いの心が、完全に一致したようなこの一体感。
シャラと、そしてアシュリーと感じたことがある。
「――【共鳴】!」
互いに声を合わせ、高々に叫ぶ。
膨大な虹色の光が、一気にその強さを増した。
《――莫迦な。互いに別々の番を持つ魂同士で、共鳴だと? それも、片方は壊れかけの魂だというのに――》
マナヤは今、壊れかけだったテオの元々の魂に納まっている。
その壊れかけの魂のままにもかかわらず『共鳴』を発動しているのだ。
すでに涙は痕だけしか残していないテオとマナヤ。
虹の柱が立ち昇る先を、二人して見上げ……
「――【世界に願いを】!!」
目をきつく閉じて、能力の名を読み上げた。
光の渦が、荒れ狂う。
これまでの比ではない、膨大すぎる『共鳴』の力が、この神界そのものを揺らした。
《――人の『共鳴』で、これほどの力が……まさか――》
そんな光の奔流に、戸惑いつつも神が何かに気づく。
テオとマナヤも、光の奔流の中で目を開ける。
ぱたぱたと二人の衣服がはためく中、凛とした表情で上を見つめていた。
《――全く同じ魂などという、有り得ぬはずの存在が引き起こした、奇蹟か――》
やがて、徐々にだが光の奔流が安定していく。
そんな中、少し間を空けてテオとマナヤは首を傾げ、お互いの顔を見合わせた。
「お、おいテオ……」
「うん……これ、なんだろ」
二人して、この能力の詳細がわからない。
以前に目覚めた時は、そのようなことはなかった。目覚めた瞬間、どのような力であるかなんとなく理解できたはずなのに。
《――見事だ、テオ、マナヤ。其方らは今、『世界の中心』に接続している――》
そこへ、落ち着いた声で神が語り掛けてくる。
「へ?」
「せ、世界の中心、ですか?」
まだ疑問符を浮かべたまま、マナヤとテオが神に振り返る。
《――我々神は、管理世界に干渉する際に『世界の中心』を媒介する。我々の次元の感覚を地上の感覚に翻訳し、世界を正しくコントロールするために――》
「そ、そういえば聞いたことがあります」
テオは、その話に聞き覚えがあった。
神はそのまま説明を続ける。
《――知っての通り、この世界の『世界の中心』は今、邪神が植え付けた『瘴気の核』に冒されている。そのため、今は私ですら『世界の中心』の力を完全には使えぬ――》
「え……んじゃ、まさか」
神の説明に、マナヤは思わず震え声に。
ゆっくり頷いた神は、そんなマナヤへ答えを与える。
《――そう。其方らは今、『世界の中心』を完全に掌握している。一時的にだが、『瘴気の核』の支配すらも上回って。……全盛期の私にすら不可能なことだ――》
テオとマナヤは、思わず自身の両手を見つめた。
神が世界を制御するための、『世界の中心』。その力は、テオとマナヤが自分の意思で操れるという。しかも今の神にはできない、『瘴気の核』に冒された部位の支配権限を一時的に奪取することまで。
二人は今、〝全盛期の神〟にも等しい力を扱うことができるということか。
《――その共鳴。『世界の中心』の力をフルに使うことで、テオとマナヤでそれぞれ一つずつ『願い』を叶えることができよう――》
「願いを叶える……」
「俺達が、一つずつ……?」
テオとマナヤは、困惑しつつお互いの顔をまた見合わせる。
「えっと、じゃあ。『世界の中心』に巣くっているっていう『瘴気の核』というのを取り除く……っていうのは?」
テオが何気なくそう口にすると……
【――不可。処理領域そのものと化しかけている『瘴気の核』に干渉する機能は存在しない――】
「えっ!?」
「な、なんだこりゃ!?」
突然、二人の頭の中に何かの返事が聴こえてきて狼狽える。やけに淡々とした、無機質な声だった。
《――今のは、『世界の中心』による応答だ――》
「あ……こ、これが?」
「そう、か。こうやって叶う願いと叶えられない願いが判別できんだな」
おどおどしながら首を傾げるテオに対し、マナヤは仕組みを早くも理解したようだ。
すぐに顔を跳ね上げ、マナヤは名案とばかりに虚空に問いかける。
「だったら! 世界中の人間に、召喚師の認識を改めさせることはできるか!?」
【――可――】
「よっしゃ! だったら――」
《――待て、マナヤ――》
叶うとわかり勢いづくマナヤに、神が割り込んできた。
《――其方は、全人類を〝洗脳〟する覚悟はあるか?――》
「は? せ、洗脳?」
《――其方も承知しておろうが、人はそれぞれ個性豊かな異なる認識と感性を持つ。召喚師の認識に関して、其方の願う通り画一的な概念を書き込む行為……それはすなわち〝洗脳〟だ――》
「あ……」
神の説明に、マナヤは愕然とする。
《――人々がみな心の中に抱えていた、各々の重要な概念。ある日突然、それが書き換わる。どうなるかわかるか――》
「……」
《――場合によっては、人々は心を壊されるだろう。特定の認識だけが大きく書き換わった矛盾に、苛まれてな――》
マナヤは完全に押し黙り、罪悪感に俯いてしまった。
彼とて、その身で思い知ったことだったからだ。
異世界の異なる文化に突然放り込まれ、何もかもが違う価値観に押し込まれる。頭の中で理解はしていても、感情が追いついてこない。この世界を訪れた時、マナヤ自身が苦しめられたことだ。
だからこそ、自身の感性を人に強制しないテオのやり方がスレシス村などで効果を発揮した。
各地の人々が持つ文化、感性。
マナヤもテオも、それに合わせて召喚戦の指導方法を臨機応変に手管を変えて、ここまでやってきたのだ。
すべては、各地の人々に心から納得してもらうために。
「……そ、それだったら」
と、一応立ち直ったマナヤが恐る恐る上を見上げる。
「世界のみんなに、召喚獣の知識や召喚師の戦術を伝える、ってのは?」
【――可――】
「そう、か」
マナヤがほっと安堵のため息を。
神も、こちらの願いには何も言わない。知識を与えるだけならば、洗脳という形にはならないためだろう。
「……よし、決めました」
そんな中、テオが決意を込めた瞳で宙を見上げる。
「アシュリーさんの、蘇生を!」
【――可――】
「お、おいテオ!?」
テオの願いに、思わずマナヤがバッと振り返る。
驚愕に満ちた彼の目を見つめ返し、テオはふわりと笑顔を浮かべた。
「これなら……マナヤも、自分が生き返る選択肢を取れるでしょう?」
「テオ、お前……」
「僕はね。やっぱりマナヤにも、生きて欲しいんだ」
我がままかもしれない。
また、マナヤに窮屈な思いをさせることになるかもしれない。彼はそれをありがたがらないかもしれない。
「マナヤのことだから……世界の人たちのために、召喚師の知識を一斉に与えたいって考えてるのは、わかってる」
「……まあ、な」
「そうすれば、今この瞬間に召喚師のみんなが全員救われるかもしれないからね。だから、そうしたい気持ちも僕は理解できるんだ」
けれど、それでも。
「だからマナヤの願いは、マナヤの判断に任せるよ。マナヤが生き返ることを望まないなら、こっちでアシュリーさんと一緒にいたいっていうなら、さっきの僕の願いも撤回する。……ただ」
「ただ……?」
「マナヤにも自分自身の幸せを、ちゃんと望んで欲しい。僕は、そう願ってる」
マナヤの瞳が揺れるのがわかった。
彼がこれまで生きてきたのは、他の皆を守るためだった。『流血の純潔』を失ったことで、テオやシャラ、アシュリーの代わりに〝殺さねばならぬ者達を殺す〟役目を引き受ける。それが彼の役割だと思っていたからこそ、今までわざわざ生き永らえてきた。
アシュリーと結ばれたのは、けして彼が望んでのことではない。
彼を繋ぎとめるために彼女の存在が必要だったから。
彼が『幸福』を享受することが、彼が正気を保つために必要だったから。
彼が生き永らえるという義務のために、そうせざるを得なかったからだ。
(ちゃんと、自分から望んで。マナヤ)
マナヤに、義務以外の選択肢を与えたい。
理由なく自分から幸せを望んで欲しい。
これまで苦しんできた彼への、せめてもの救いに。
「……」
唇を引き絞って俯いているマナヤ。
それを、根気強く隣で見守るテオ。
――世界中の人々に、召喚師の戦術を伝えるか。
――彼自身の魂を、取り戻しに行くか。
「……ッ」
やがて、彼は顔を上げる。
すべての覚悟を決めたような目で。




