251話 解放
「……ここ、は」
いつだか見た、光の中で意識が覚醒したテオ。
上下左右、どこもかしこも光る雲のようなもので包まれた世界。なぜか何もないはずの足元に〝どこかに立っている〟感触だけが伝わる。
「……シャラ。マナヤ。ディロンさん。テナイアさん。……みなさん。ごめんね」
もはや涙も流れず、俯くテオ。
やはり自分は、命を落としてしまったのか。
かつて、自分とマナヤが一度殺されてしまった時のように。
だから今、自分はまたこの場に来ている。
「……そう、いえば。マナヤは?」
ふと気づいて、きょろきょろと当たりを見回す。
以前死んでしまった時は、この場に自分だけでなくマナヤもいたはずだ。
「マナヤっ! どこ!?」
マナヤにも謝らなければ。
自分のせいで、彼まで巻き込んでしまったのだから。
そう考えて呼び掛けるが、何もない世界でまったく返事が返ってこない。
「マナヤ!! 僕、死んじゃったことを君にも謝らなきゃ――」
《――その必要はない――》
その時。
金に近い光の粒子が集まり、テオの目の前で人型に集束していく。どこまでも長い、金色の長髪。顔かたちはこの世のものとは思えぬほど整っている風貌の男性。
「神、さま……」
かつてこの場所……神界で出会った、この世界の神。
テオを異世界へと送り、マナヤが生まれるきっかけを作った張本人だ。
《――言ったはずだ、テオ。其方に、まだ死なれては困ると――》
「ごめん、なさい……」
《――だからこそ、其方はこの場にいる。再び蘇生されるために――》
「えっ!?」
罪悪感に俯いていたテオが、思わずバッと顔を上げる。
だが、続いた神の言葉に背筋が凍った。
《――今しがた、其方の仲間が蘇生魔法を発動した。ディロンとシャラとやらを、生贄とするつもりでな――》
「だっ、だめ! やめさせてください!!」
冗談じゃない。
アシュリーとて命を落としてしまったのに、その上もっと犠牲が増えるなど。
ディロンには、テナイアがいる。
彼女と共に、これから幸せな生涯を送るであろう二人が、引き裂かれてしまう。それも、自分の不手際のせいで。
そして、なにより。
(僕のせいでシャラを死なせるなんて、そんなの絶対ダメだっ!)
そのために、今までずっと頑張ってきたのだ。
必死に踏ん張って、戦ってきた。シャラだけは、絶対に死なせないために。
かつて自分のせいでシャラが命を落としてしまったことを、二度と再現しないために。
「お願いしますっ、神様……っ! 僕は、あの二人を犠牲にしてまで生き返りたくなんてないっ!」
《――テオ、落ち着け――》
「アシュリーさんも亡くなって、その上ディロンさんとシャラまでなんて! それなのに僕だけ、みすみす生きながらえるなんて、そんなのっ――」
《――聞け、テオ。その二人は犠牲にはならん――》
「――えっ?」
諭すような神の言葉に、テオは素っ頓狂な声を上げてしまう。
《――ディロンとシャラが、魂を捧げる必要はない。〝魂の対価〟は、既に別の者から受け取っている――》
「う、受け取ってる!? 誰のですかっ、僕は他人を犠牲になんてしたくは!」
結局、他人の命を犠牲にしてしまっているのか。
もう一度問い質そうとするテオの耳に、別の声が届く。
「――俺のだよ」
先ほどの神と同じように、光の粒子が集まる。
テオの傍らに集束したそれは、見慣れた姿を形取る。
「マ……」
ややウェーブがかった、金色の短髪。
自分と同じ目線。同じ顔かたち。
ただただ目つきが、表情の作り方だけが違う。
「マナ、ヤ……」
誰あろう、この一年と少しの間、ずっと共にいた自分の半身だ。
少し眉を下げ、どこか寂しそうな笑顔で口を開くマナヤ。
「お前の魂が壊れたあの時……お前が表に出てた。それで俺の魂は、お前の奥底で守られてて無事だったんだよ」
「え……」
「だから、テナイアさんの蘇生魔法に俺が割り込んだ。無事だった俺の魂を生贄にして、お前を蘇生できる」
「ま、待ってよマナヤ! どういうことなの!? だって、蘇生魔法は二人ぶんの魂がなきゃ……!」
急な展開に、頭の中がぐるぐるとして考えがまとまらない。
もっと大事な質問が出て来ず、とっさに蘇生魔法の条件に言及する。
《――蘇生魔法に二人ぶんの魂を要するのは、人によって魂の形が異なるためだ――》
「か、神様」
それに返答したのは、神の方だった。
《――魂の形が異なるゆえ、複数の魂を素材にせねば修復する魂の形を一致させられん。だが、生贄が全く同じ魂ならば、一人ぶんでもなんら問題はないのだ――》
「同じ、魂……?」
《――そう。其方とマナヤは、方向性こそ違えど元々は同一の人格。ゆえに魂の形も全く同じものとなる――》
「ま、待ってください! でも、だって、だって……!」
おかしい……先ほどからずっとそう感じていた。
今ようやく頭が回って、その大事な疑問を思い出す。
「だって神様だって、言ってたじゃないですか! マナヤには、マナヤ自身の魂が無いんでしょう!?」
《――》
「だったら、どうして! 魂が無いなら、生贄になんてできないじゃないですか!!」
「テオ」
そこへ、隣のマナヤが口を挟んできた。
ニッ、といたずらっ子のように歯を見せて笑う。
「覚えてるか? 俺とアシュリーが目覚めた、あの『共鳴』の名前」
「なま、え? ……あっ!」
――〝魂の雫〟!!
「――そうなんだよ、テオ」
瞠目するテオの前で、目を細めつつ斜め下へ視線を落とすマナヤ。
「アシュリーとの『共鳴』で……あいつが、俺にくれたんだ。〝俺自身の魂〟を。それが俺達の『共鳴』の、本当の力だったんだ」
「マナヤ……」
マナが高速回復するだけではなかった。
魂から湧き上がる力がマナだから、魂の雫という名なのだと思っていた。
けれど、本当はそうではない。
魂の元となる雫をもたらし……そこから、新たな魂を芽生えさせる。
それこそが、二人の『共鳴』の本質だったのだ。
(だからマナヤは、僕の記憶を読めなくなったんだ)
新年祭の時、マナヤはテオの記憶を読もうとして失敗した。
あの時、すでにマナヤは自分の魂を持っていたのだ。テオの魂と分離したから、だからテオの記憶を読むことができなくなった。
きっと、お互いの意識が深く眠るようになったのもそのためだ。
一人の肉体の中に、二人ぶんの魂がある。その窮屈さで、存外魂に負担があったのだろう。
「――俺はよ、テオ。俺は、お前の副人格でしかなかった……本当は、存在すらしてなかった」
彼は今度は、斜め上へと視線を上げる。
「だからさ、俺はずっと欲しかったんだ。無意識にな。きっと、アシュリーも」
「マナヤ自身の、魂を……」
「ああ。あいつが、俺に……本当の命をくれた」
自分が副人格で、本当は存在していない人物でることに苦悩していたマナヤ。
そんな、本来は存在していない人物を好きになってしまったアシュリー。
二人は、ずっと望んでいたのかもしれない。
マナヤが、本物になることを。
この世界に、確たる『存在』として受け入れられることを。
「……ま、待って」
だがテオはすぐに肝心なことを思い出す。
「だったら! だったらマナヤは、マナヤとして生きればいい! 魂が無事なんでしょ、だったらマナヤが!」
「……テオ」
「せっかく魂を手に入れたのに! せっかくアシュリーさんがマナヤにくれたのに! どうしてそれを投げ出そうとするの!?」
それは、マナヤ自身が手に入れたものだ。
マナヤとアシュリーの絆が、彼に与えたものだ。
やっと彼が、一個の人間として存在できたという証だ。
それをみすみす自分に明け渡してしまうなど、おかしい。
「神様! 今すぐやめさせてください! 僕よりマナヤが生きるべきですっ!」
《――すまぬが、それはもう遅い――》
神にも懇願するテオだが、神はただただ首を横に振る。
《――既にマナヤは、魂を其方に明け渡してしまっている――》
「えっ!?」
《――魂の形が同じである以上、中身である『意識』を移し替えるだけで事足りるからな。其方の魂は既に蘇生され……マナヤは、先ほどまでの其方の壊れかけた魂に移し替えられている――》
「そ、んな……」
もう、全ては終わってしまったのか。
マナヤはもう、自分の魂を投げ出し終えてしまったのだ。
「だ、だったら! 以前みたいに、この魂の中にマナヤも同居すれば!」
《――今の其方らでは、不可能だ――》
「ど、どうして!」
《――かつての其方らは、あくまで一人ぶんの魂を二つに分割した意識。つまりは、半分ずつの状態だったのだ。だからこそ、一つの魂に納まっていた――》
「……じゃあ」
《――今の其方らは、もはや半分ずつではない。テオとマナヤ、それぞれが人一人ぶんの大きさの意思を持つ。もはや、一つの魂に納まりきるものではない――》
マナヤは、テオから『マナヤらしさ』が分離して生まれた。
だからこそ、テオには『マナヤらしい』部分が欠けていた。同じくマナヤも『テオらしい』部分を失っている状態だった。つまり当時は二人とも、人間としては不完全な意識だったのだ。
マナヤが自身の魂を手に入れた今……テオは『マナヤらしい』部分を取り戻し、マナヤもまた『テオらしい』部分を獲得したのである。
絶望に打ちひしがれるテオ。
しかしすぐに顔を上げ、勢いよくマナヤへ振り返る。
「マナヤの魂は、マナヤのものだ! 僕が受け取っていいものなんかじゃないっ!」
「テオ、落ち着け」
「やっと君は手に入れたんじゃないか! やっとマナヤは、マナヤ自身の幸せを追えるようになったんじゃないか!!」
じわりと、自身の目に雫が溜まっていくのを感じるテオ。
マナヤは、自分の魂を手に入れたのだ。
もう、テオのためだけに生きる必要などない。
自分の魂をもって、自分のためだけに生きる権利を手に入れたはずなのだ。
「――いいんだよ、テオ。シャラのためにも、俺よりお前が生きるべきなんだ」
「そんなっ、僕は――」
「今のお前は、もう十分に強くなった。召喚戦の知識を得て、今じゃ俺よりも工夫して戦えるようになった。聖騎士とも俺以上の戦略を立てて戦えてたし、俺が倒せなかった『邪神の芯』まで倒しちまったろ?」
どこか満ち足りたような、満面の笑みを浮かべるマナヤ。
「もうお前は、俺がいなくても大丈夫だ。召喚師解放同盟との戦いも終わって、お前も自分を自分で守れるようになった。周りの奴らも守れるようになった。余所者の俺は……人殺しの俺は、ここで退場する」
「マナヤ!!」
「これからは、お前が召喚師たちを再教育するんだ。この世界のみんなを、お前だけの……お前とシャラと、ディロンさんとテナイアさんと……ランシックにレヴィラさん。お前らだけで力を合わせて、召喚師たちの未来を支えてやれ」
「そんなっ……僕は、僕はっ、君がいないと……!」
目をきつく閉じて、俯いてしまう。
ぱたぱたと、雫が存在しない地面に吸い込まれていく。
そんなテオの肩に、マナヤの手の感触が伝わってきた。
「しっかりしろよ。だいたいよ、俺がやってた仕事は元々、お前が一人でやんなきゃいけなかったはずのことなんだぜ」
「え……」
「お前にゃ荷が重かったから、俺が引き受けた。でもよ、本当はお前が自分で負わなきゃいけなかった責任なんだ。それを今まで、全部俺に押し付けやがって」
歪む視界で、マナヤの顔を見上げる。
愚痴を言うような口調でありながらも、彼の仄かな笑顔はまったく迷惑そうな雰囲気を出していない。
「お前は、以前と同じような状態に戻るだけだ。父さんと母さんは居なくなっちまったが……お前とシャラ、本来あるべき形で生きていけ」
「そ、んな……マナヤ」
「シャラにゃお前が必要なんだ。それに俺は……アシュリーを失っちまったしな」
彼の表情が、歪む。
寂しそうに……悔しそうに。
そんな表情のまま、マナヤは自身の両手を見つめた。
「人殺しになっちまって、人間じゃなくなっちまって……そんな俺は、もうアシュリーなしじゃ正気を保てねえ」
「……っ」
「アシュリーが死んじまった今、俺は現世にゃ戻れねえんだよ。お前にゃわかんねえかもしれねえが……人殺しとして生きていくって、キッツイんだぜ」
テオは、唇を噛むしかない。
自分が居なくなってしまえば、現世のシャラはきっと悲しむだろう。絶望してしまうだろう。たとえマナヤが戻ってきてくれたとしても。
そしてマナヤも。
心の支えであったアシュリーの居ない世界で。『流血の純潔』を失った苦悩に、たった一人で耐えながら生きていかなければならない。
だからマナヤは、アシュリーの居ない生など棄ててしまおうとしているのか。ヴァスケスやシェラドが、自ら命を捨てることを選んだように。
「それによ」
と、そこで彼は再び歯を見せて不敵に笑う。
「俺自身の魂ができたことで、俺はお前と分離できたんだ。やっと、俺だけの存在でいれるんだ」
「え?」
「俺はやっと、誰に気兼ねすることもなく、こっちでアシュリーのことを独り占めできるんだぜ」
ぐ、と笑顔のまま頭を軽くかしげ、拳をこちらに突き出してくる。
今まで彼は、テオと同じ身体で同居していたから。
だからマナヤは、アシュリーのためだけに生きることができなかった。テオの体に配慮して、彼はアシュリーを独り占めできず、アシュリーもまた彼のことを独り占めできなかった。
「やっと俺は、自分自身の幸せだけをつかみ取りにいけるようになったんだ」
「マナ、ヤ……っ」
「だからよ。頼むよ、テオ。俺を〝解放〟してくれ。俺の、最後のわがままだ」
目が、熱い。
頬を伝っていく雫が、煩わしい。
彼を直視できない、歪んでしまう視界が……恨めしい。
震える腕を、伸ばして……
テオは、マナヤが突き出してきた拳を、そっと握った。
《――テオ。マナヤ。時間だ――》
「ええ。……じゃあな、テオ。あとのこと、任せたぜ」
顔を伏せた神の催促に、マナヤは至って明るくテオに手を振った。
テオは、それを見送ることしかできない。
神が頷き、こちらに背を向けたマナヤの肩に手を置く。
小さく頷き返したマナヤは、テオに背を向けたまま……上を見上げた。
ふわり、と二人の身体が浮かんだ。
神に導かれるように、マナヤは神と共に浮上していく。
どこまでも白い、光る雲の奥へと向かって。
それを目で追いながら、見送るテオ。
頬に流れる涙を放置して、自分の半身を目に焼き付けようとする。
「……っ」
けれども、もう見ていられなくなった。
胸の苦しさに耐えかね、テオは目を瞑って俯いてしまう。
マナヤと神は、ただただ昇っていく。
テオをその場に残して。
名残惜しむようにゆっくり、上へと昇っていき……
やがて二人の姿は、光る雲の中へ――
「――本当にこれでいいの!? マナヤっ!!」
「ッ!」
――俯いたままのテオの、悲痛な叫び。
昇っていくマナヤの動きが、止まった。




