250話 蘇生
「やっと、倒したんだよね」
ついに『邪神の芯』をも打ち倒したテオ。
黒い壁に囲われた建造物の中で、息を整えながら様子を伺う。
「見て、テオ! 空が!」
シャラがテオに駆け寄り、そして天井を指さした。
見上げると、自分達がいる建造物の上端が粒子状に崩れていくところだった。天井に大穴が空き、さらにその上にあるはずの瘴気も散り始めている。
瘴気ドームも真ん中から解けていき、青空と太陽の光が入り込んできた。
〈……テオ、シャラ。よくやった〉
〈邪神の器は、完全に滅されたようです。こちらも、モンスターが消え去っていきました〉
ディロンの労いと、テナイアの説明が頭に響いてくる。『千里眼』で状況を確認したのだろう。
「やった、んだ……」
へなへなと、その場に崩れ落ちてしまうテオ。シャラも同様だ。
(……でも、アシュリーさんが)
ちらりと後方へ目をやる。
アシュリーの亡骸が、冷たくそこに横たわっていた。
――フッ
……その時。
テオとシャラを包んでいた虹色の光が、消える。
「えっ……」
思わず戸惑いの声を漏らすテオ。
直後、パキィンという澄んだ音。
テオの全身あちこちについていた大量の錬金装飾が……
一瞬にして、全て外れた。
「うぐっ!?」
――ブワァッ
途端、テオの全身に瘴気が取り巻く。
ビシビシと瘴気がテオの全身に侵入していき、樹上の痕を体表に広げていった。
「テオ!? どうして!」
「あ、あぐ……! うぁッ……!」
ただならぬ様子に、シャラがテオを助け起こそうとする。
が、テオは瘴気の中に呑まれながら苦悶するのみ。
〈テオさん!? 【ディスタントヒール】! 【スペルアンプ】【ディスタントヒール】!〉
〈テオ、シャラ、『共鳴』を解くな! まだ瘴気は散りきっておらん!〉
テナイアとディロンの焦ったような声が。
(しま、った……!)
テオは、別に『共鳴』と解くつもりはなかった。ただ戦いが終わったせいで気が抜けてしまったのだ。
身体に入り込んだ瘴気を辛うじて抑えていた、無数の『治療の香水』。それが、『共鳴』解除と共に全て外れてしまったのである。大量の錬金装飾を同時装備できていたのは、テオとシャラの『無限重複』が効いていたからこそ。
「テオしっかり! 共鳴! 共鳴っ!! ど、どうして……!」
シャラが慌てて『共鳴』を使い直そうとしているのがわかる。
テオも、苦痛の中でなんとか『共鳴』を張りなおそうとしていた。だがうまくいかない。
「あ……ぐ、う……!」
「テオ! そんな、どうしてっ、どうして『共鳴』が使えないの……っ!」
シャラが自分を覗き込みながら、必死になっている姿が見える。
再度張り直すことができないのは、『共鳴』の維持が難しいからだ。ディロンとテナイアも最初のうちは制御に苦労していた。目覚めたての自分達では、まだ自由に『共鳴』を使いこなせない。
――ピシピシピシィ
自分の魂が、ひび割れていく音。
「うあああああっ!!」
「テオ!! どうして、『邪神の器』を倒せば、瘴気は抜けるんじゃなかったの!? テオ、しっかりして! お願い、はまってっ!!」
シャラが悲痛に、テオを揺り動かしてくる。
手首に何かを懸命に押し付けようともしているようだ。おそらく、『治療の香水』を重ねて装着させようとしているのだろう。
だが『共鳴』が発動できない今のテオは、同種の錬金装飾を複数装着することはできない。
ディロンの焦る声が再び届く。
〈テオ!! くっ、まさか邪神の器を倒しても瘴気がすぐ抜けるわけではないのか!?〉
〈【ディスタントヒール】! っ、瘴気が既に、テオさんの魂深くにまで入り込んでしまっています! このままでは、瘴気が抜ける前にテオさんが!〉
テナイアも懸命に治癒魔法で、瘴気による影響を抑え込もうとしてくれている。
「う、ぐぅ……っ」
テオの体から、徐々に瘴気が離れていく。体内に侵入してきた瘴気も逆流し、体外へ排出され始めた。
「テオっ! 頑張って、負けないで!!」
シャラがテオを繋ぎとめようと、必死に声をかけてきている。
魂の中に入り込んでいた瘴気も、少しずつ出ていくのがわかった。しかし同時に、自分の魂が悲鳴を上げているのも。
「う……うぅっ……」
全身が、魂がバラバラになってしまいそうな苦痛。
瘴気が加速度的に排出されていくとともに、その苦痛もどんどん強くなっていく。
それがついに、臨界に達した時。
「――うああああぁぁぁぁーーーーっ!!」
空に向かって絶叫。
同時に、大量の瘴気がテオの体から飛び出し、頭上へと抜けていった。
その瘴気も、虚空へ解けるように霧散していく。
――パリ……ン
テオの中で、何かが砕け散った。
(……!)
その瞬間。
テオの全身から力が抜けていく。
命そのものが、抜け出していく。
(シャ、ラ……)
最愛の人の、泣きそうな顔。
それを視界に納めながら……
自分の体を動かす力が、なくなっていくのを感じながら……
(ごめん……ね……)
テオの意識は、暗闇に沈んだ。
***
「テオっ! 良かった!」
彼の全身から瘴気が抜けていった。
それを確認したシャラは、その場に倒れ込んでしまったテオの体を抱き起そうとする。
「テオ、大丈夫、しっか――」
しかし、彼の上体を起こそうとした時、シャラは凍り付く。
(どう、して……こんな、重たいの?)
彼の身体に、全く力が入っていない。
だらんと垂れ下がった両腕。
まったく頭を支えようとしない首。
全身を支える気がまるで感じられない背筋。
そして……まったく鼓動の伝わってこない体。
「テ、オ……嘘、だよね……」
苦労して、なんとか顔をこちらへ向かせるシャラ。
目を閉じたテオの頬に触れても、まったく鼓動を感じない。
慌てて彼の鼻先に手をかざす。……息が当たる感触がない。
彼の首筋に指をあてる。……脈を探り当てられない。
彼の胸元へ耳を当てる。……心臓の音がしない。
「テオ……やだ、やめて、テオぉ……」
ぱたぱたと、テオの頬に雫が落ちる。
「テオ……テオっ……」
テオの手首にたった一つだけはまっていたブレスレット。
ずるりと、その『治療の香水』が手首から滑り――
――ちゃりん、と静かな音を立て、地面に落ちた。
「……テオぉーーーーーーっ!!」
彼の上半身を抱きしめながら、シャラは胸から声を絞り出した。
「――テオ、シャラ!」
「シャラさん……テオさん!?」
ディロンとテナイアが駆け付けてくる。
テオの亡骸に縋りつきながら、シャラはもはや声も出せずに泣き続けていた。
「テオさん……マナヤさん」
テナイアがそっとしゃがみ、テオの身体に手をかざす。
白い治癒魔法の光がテオを取り巻くが、まったく反応を見せなかった。
「……」
「……っ!!」
ディロンを見上げ、首を左右に振る。
そんなテナイアの様子を見つめたディロンは、屈みながら思いっきり地面を殴りつけていた。
「テオ……どうして……」
震える声で、なおもテオの体にすがりついているシャラ。
「もう……こんな、思い……したくなかったのに……だから、ついて来たのに……っ!」
ぎゅ、と彼の服を掴む手に力が入る。
「テオ……ひとりに、しないで……っ」
悲痛なシャラの泣き声。
「――テナイアッ! 蘇生魔法だ!!」
キッと顔を上げたディロンが、テナイアに向かって吼える。
「ディ、ディロン!?」
「ぐずぐずするな! アシュリーはもう無理だが、『核』が砕けた今、テオとマナヤはまだ間に合うかもしれん!」
「ディロン、でもそれは!」
「早くしろッ! 時が経てば経つほど蘇生の確率が下がっていく!!」
もはや、完全に開き直ったようなディロンの叫び。
テナイアは戸惑いつつも、再びテオの亡骸のそばに膝を降ろす。とにもかくにも、テオの魂がまだ残っているならば繋ぎとめることが先決だ。最終的に蘇生魔法を発動するかはどうあれ、準備段階に入るだけでテオの魂を保全することはできる。
茫然とした、しかしどこか少し期待するかのようなシャラの視線を受けつつ、テナイアはテオの胸元に手をかざした。
――パァァァァ
亡骸が眩い輝きに包まれる。
今ならまだ、魂が完全には消え去っていない証だ。
「……それでいい。テナイア」
「ディロン……で、ですが」
震える声で、テナイアはディロンを見上げる。
ディロンとて、わかっているはずだ。
蘇生魔法を発動するには、二人の人間が生贄にならねばならない。そして、発動者であるテナイア自身が生贄の一人になることはできない。
今この場で、テオの蘇生のために生贄にできる二人の人間といえば……
「テナイア。私が、生贄の魂となろう」
「テナイア、さん。私の魂も、おねがい、します……」
無表情のままディロンが進み出る。
そして同時に、しゃくりあげながらシャラも立ち上がった。
「で、ですが! ディロン、シャラさん!」
「テナイア、お前ならわかるだろう。テオもマナヤも、これからの召喚師を支える希望の光だ。召喚師達が希望を持つことができるようになった今、その希望の光をここで失うわけにはいかん」
「ですが……ですがっ」
「我々は、騎士団の一員だ。民のためにこの身を尽くす責務がある。より正しいことのために……わかっているだろう」
ぼろぼろと、今度はテナイアの瞳から大粒が零れ落ちる。
諭すように、ディロンが小さく笑顔を作った。
「それに、テナイア。私は、お前との間に子を成すことができなかった」
「ディロ、ン……私は、そんなこと気にしてなど……っ」
「私以外の者とであれば、お前も子を成すことができるかもしれん。私は、不要なのだ」
「ちがっ……」
「テナイア。お前は、幸せになれ」
彼の笑顔は、どこまでも寂しげだった。
それでも、テナイアのことを最後まで案じた笑顔。
「だが、これだけは言わせてくれ。……お前と共に過ごせた時間は、私にとって間違いなく幸せだった」
「……!」
「ありがとう。テナイア」
そっと、ディロンがテナイアと目線を合わせるようにしゃがみこんでくる。
正面から抱きしめられ、テナイアはその体を強く抱きしめた。
この温もりを、忘れないようにするために。
「ディロンさん……テナイアさん……ごめん、なさい」
そこへ、シャラも涙を浮かべながら謝ってくる。
ディロンとテナイアは、お互いの身体を離した。
「お二人のこと、わかってるのに……それでも、私は……テオに、生きて、て……ほし……っ」
後半になるにつれ、目を開くこともできなくなり、はっきり声にすら出せなくなっていたシャラ。
そんなシャラの肩に、立ち上がったディロンが手を置く。
「すまない、シャラ。……君のことも、テオの両親から頼まれていたのだが」
「っ……わかって、ます……でもっ、私も、テオ、に……」
「ああ。……神の御元へ行ったら、私もあの二人に誠心誠意謝罪せねばな」
そんな二人を見つめるテナイアの視界も、歪む。
頬から熱いものが伝うのを、止められない。
「テナイア。……もう、保つまい」
「……っ」
ディロンが、少しだけ震える声で促してくる。
強く瞼を閉じ、目の中から涙を追い出したテナイア。杖を取り、それをテオの亡骸の前で地面に突き立てた。
遺体の傍らに、二つの光の円が出現する。
「……すまない。あとのことは任せた、テナイア」
「ディロン……」
「ごめんなさい。……テオと、マナヤさんのこと。お願いします、テナイア、さん」
「シャラ、さん……!」
二人して謝罪してきたディロンとシャラ。
まずディロンが円の中に向かう。シャラは、もう一度テオの亡骸の傍らにしゃがみこんだ。
「……ごめんね、テオ。私のこと、平和の象徴って言ってくれたのに」
涙を堪えながら、最後にテオの頬にそっと手を当てて呟いている。
「テオのこと、独りにしちゃうけど……それでも私は、テオに生きてて、ほしいの……っ」
何度も涙を拭いながら、なんとか最後まで言い切るシャラ。
「……さよなら、テオ。もっと素敵なお嫁さん、見つけてね」
こつん、とテオの額にシャラも自分の額をぶつける。
それを最後に立ち上がり、シャラもディロンの隣にある光円の中に入った。
「……やってくれ、テナイア」
「っ……!!」
ディロンの指示に、絶えず涙を流しながら瞼をきつく閉じるテナイア。
震える腕で、杖をもう一度軽く地面から浮かせる。
熱いものが頬を伝うのを耐えながら、必死に唇を引き絞る。
そして……
目を閉じているディロンとシャラを最後に一目、眺めて。
――呪文を唱える。
「【リバイブ――」
――フッ
「えっ?」
その時。
突然テオの亡骸を覆っていた光が消えた。
シャラとディロンの足元にあった光円も霧散している。
「テナイアさん!?」
「テナイア! なぜ止めた!?」
責めるようにテナイアに詰め寄ってくる二人。
だが、一番狼狽えているのは他ならぬテナイア自身だ。
「わ、私ではありません! 蘇生魔法が勝手に……それにっ、かけ直せません!」
「なに!?」
何度も再発動を試みるが、蘇生魔法の準備段階に入ることすらできない。
ディロンがテオの亡骸を見下ろし、目を剥く。
「これでは……まるでっ」
まるで蘇生魔法に手ごたえを感じないテナイアが、声を震わせる。
「蘇生魔法を受けるご本人が……蘇生されることを、拒否しているかのような……っ」
「なっ――」
テナイアの説明に、ディロンが絶句。
「テオっ! マナヤさんっ!!」
シャラが懇願するかのようにテオの亡骸にすがりつき、悲鳴に近い声で叫んだ。




