247話 邪神の器 侵食
(しまっ、た……! 傷を負っちゃったから!)
苦悶しつつも、今しがた胸元につけられた傷を見下ろすテオ。
今までテオへの瘴気の侵攻が抑えられていたのは、『治療の香水』を大量に装備していたがためだ。肉体への侵食を『傷』とみなし、それを治療し続けて相殺していたからこそ食い止めることができていた。
しかし今、『治療の香水』の力が胸元の傷を治すために割かれてしまっている。
――ビシッ
「うぐっ!?」
身体の奥底で何かがひび割れたような音。
自分の中の『大切な何か』に、瘴気が入り込んだかのような感触があった。同時に、全身の痛みとは別に頭の中に強烈な苦痛が迸る。
(まさか……僕の、魂に!?)
とうとう、瘴気がそこまで到達してしまったのかもしれない。
自分の魂に侵入し、塗り潰そうとし始めたのだ。
〈テオさん! 【スペルアンプ】【ディスタントヒール】!〉
「テオ! 【キャスティング】」
頭に響く、テナイアの声。
同時に癒しの光がテオを覆い、胸元の傷を塞いでいく。
シャラも、自身の左足首から外した錬金装飾をそのまま投擲してきた。
――【治療の香水】!
「えっ!?」
自分の左脚に追加されたその錬金装飾。
そこから放たれた追加の燐光がテオの全身を覆い、激痛が薄れていった。
思わずテオは見上げる。
シャラがようやく地面に舞い降り、こちらへと駆け寄ってきていた。
「【リベレイション】!」
さらに彼女は錫杖を一閃。
追撃をかけようとしてきていた『邪神の芯』を吹き飛ばす。
〈そこか! 【エーテルアナイアレーション】!〉
さらにディロンが、精神攻撃の上位魔法で動きの止まった『邪神の芯』を追撃していた。
見れば、不可視のエネルギーで『邪神の芯』が拘束されてしまっている。おそらくシャラが錫杖に複数の『安定の海錨』をつけていたためだ。
そんな『邪神の芯』を、膨大な黒い稲妻を纏った鎚機SLOG-333の鉄槌が殴り続けている。
「テオ! しっかり!」
「シャ、シャラ……! これ、シャラの『治療の香水』でしょう!?」
「私は大丈夫だから! それよりテオが!」
駆け寄ってくるシャラは、半狂乱になりかかっていた。
シャラが今投げてきた錬金装飾は、彼女自身が着けていたもの。シャラの手元に今残っている、最後の『治療の香水』だ。
つまり今、シャラは『治療の香水』を着けていない無防備状態。
思わず返そうと、左脚についた『治療の香水』に手を伸ばしかける。
が、その瞬間にシャラの心が直接流れ込んできた。
――テオに苦しんで欲しくない。
――自分には、これしかできない。
――自分が傷を負ったりさえしなければ、大丈夫。
これまでの、テオが相手の表情や雰囲気から察していただけのものとは違う。
もっと直接的な、心が繋がった感覚で流れ込んでくる感情。シャラが心配している心が伝わってきた。
――私だって、テオと一緒に戦ってるんだから!
そして、『隣を歩きたい』という強い気持ちも。
『――私は、テオの背中に守られるんじゃなくて、ちゃんとテオの隣を歩きたいの。これからも、ちゃんと横に立ちたい』
いつかの言葉を思い出す。
去年の言葉だ。マナヤがセメイト村を救い、宴を開いた時。テオが結局マナヤ頼りでしかシャラを救えず、自信の全てを失いかけていた時。
あの時の自分に、彼女がかけてくれた言葉。
ぎゅ、と『治療の香水』に伸ばしかけた自分の手を拳にして握る。
「……シャラ! もう一度仕掛けるから、サポートをお願い!」
「え?」
立ち上がったテオは、すぐさま『邪神の芯』を見据える。シャラが驚きに戸惑う声が聞こえた。
「僕の命、預けたよ! シャラ!」
頭だけ振り返ったテオは、彼女へ一瞬微笑んでみせる。
「……うん!」
シャラも凛とした笑顔で、新たな錫杖を握りしめた。
〈――二人とも! 奴が動くぞ!〉
ディロンの声が響く。
振り返れば、『邪神の芯』がエネルギーの拘束から今にも抜け出さんとしていた。
「まずい、【次元固化】! 【待て】」
とっさにテオは、鎚機SLOG-333を次元固化で固めていた。『邪神の芯』を殴り続けていた鎚機SLOG-333が無敵化し、代わりにその動きをも止まる。
すでに鎚機SLOG-333は、先ほどテオがかけた補助魔法が全て効果時間が終了していた。無防備な状態で『邪神の芯』に殴られればひとたまりもなかっただろう。
案の定、拘束から解けた『邪神の芯』は鎚機SLOG-333に六本の鎌を叩きつけた。
これこそテオが狙っていた状況。暴走状態の『邪神の芯』ならば、無敵化した召喚獣にも考えなしに攻撃を行うだろうと踏んでいた。欲しかったのは、まさにその隙だ。
「今だ、シャラ!」
「【キャスティング】」
――【拡張の魔玉】!
――【拡張の魔玉】!
――【拡張の魔玉】!
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
マナを回復させる大量の『魔力の御守』に加え、勾玉のようなチャームがついた錬金装飾も三つテオに装着された。
この錬金装飾は、装着者のマナ上限を一時的に高める効果を持つ。マナヤが書いた教本によると、遊戯では『召喚師の最大MPを高めるアイテム』とされていたとのこと。
マナそのものを回復するわけではないので、こちらの世界ではあまり使われていない。が、マナ許容量を増やすことで大量のマナを一息に使うことができるようになるのだ。『魔力の御守』によるサポートがあれば極めて有用な錬金装飾となる。
「【ダーク・ヤング】召喚! 【ショ・ゴス】召喚!」
強烈な精神攻撃を発することもできる最上級モンスター『黒い仔山羊』。さらに、物理的な攻撃をほとんど吸収できる肉体を持ち、かつ強力な精神攻撃をも行うことができる上級モンスター『奉仕種族』をも召喚した。
「【時流加速】【時流加速】【時流加速】【時流加速】! 【精神防御】【電撃獣与】【精神獣与】! ショゴス【行け】!」
その二体のモンスターそれぞれに、まずは時流加速を二回ずつ。
さらにダーク・ヤングには、精神攻撃を防御する魔法と、電撃獣与と精神獣与のコンボをも使う。
その状態で、まずはショ・ゴスから先に突撃させた。
――テケリ・リ――
奇怪な鳴き声と共に、黒いモヤを吐き出すショ・ゴス。
それを浴び、『邪神の芯』の身体を守っている瘴気がさらに削られていく。
ギョロリとそちらを向いた『邪神の芯』は、六本の鎌をショ・ゴスへ一閃。
醜悪なアメーバ状のショ・ゴスの体、その半分が消し飛ばされた。
(ショ・ゴスですら、そう何度も耐えられないのか!)
思わず瞠目するテオ。
ショ・ゴスは物理的な攻撃によるダメージを四分の一ほどまでカットできる。そしてショ・ゴス自体の耐久力も相当なものだ。にもかかわらず、『邪神の芯』の攻撃に二度は耐えられない。
だがテオは、ショ・ゴスに一時的に盾になってもらいたかっただけだ。
「ダーク・ヤング【行け】! 【電撃獣与】【精神獣与】【電撃獣与】【精神獣与】!」
ダーク・ヤングを突撃させつつ、電撃獣与と精神獣与のコンボを更に重ねる。
異常な速度で間を詰めたダーク・ヤングが、『邪神の芯』へ側面から奇襲をかけた。
「【リミットブレイク】!」
その瞬間、テオは目を閉じてダーク・ヤングに視点変更。
テオの叫びと共に、ダーク・ヤングは触手の攻撃と同時に黒い竜巻をも放つ。強力な精神攻撃力を伴うこの黒い竜巻が、ダーク・ヤングのリミットブレイクだ。
触手と黒い竜巻を同時に浴びた『邪神の芯』が後方へ押しこまれる。瘴気バリアもさらに剥がれていった。
しかし『邪神の芯』の背後で蠢く瘴気の触手は、なおもこちらを嘲笑うかのように蠢いている。
(いったいどれだけ瘴気バリアが厚いの!?)
先ほどまでの鎚機SLOG-333の連撃といいディロンの精神攻撃魔法といい、そして今のショ・ゴスとダーク・ヤングの連続攻撃といい。凶悪な威力を持つ精神攻撃を立て続けてに浴びておいて、なおも瘴気バリアが消える様子がない。
巨体だった時の方がまだ剥がしやすかったくらいだ。
続く『邪神の芯』の鎌一閃で、ショ・ゴスが完全に消し飛ぶ。
標的をダーク・ヤングに変え、そちらへも六本の鎌を振り上げた。
「――やああっ!」
が、何もない虚空から声。
次の瞬間、『邪神の芯』が逆方向へ吹き飛ばされる。
建造物の内壁へと叩きつけられ、建物全体がかすかに揺れた。
直後、『邪神の芯』が立っていた場所に金髪の少女が姿を現す。
シャラだ。
――【透過の水晶】
――【透過の水晶】
――【透過の水晶】
彼女は左手首から肘にかけて、ブレスレットを何個もずらりと装着していた。無色透明な六角柱型クリスタルのチャームがついたものだ。
一時的に装着者を透明化させ、気配も消すことができる錬金装飾。とはいえマナ消費が激しく、最大までマナ充填させておいてもせいぜい五秒くらいしか透明化を持続できない代物である。
シャラはそれを何個も同時に装着することで、持続時間の短さを補っていた。そして隙を突いて、テオの召喚獣を守るべく奇襲をしかけたのだ。
「ありがとうシャラ! 【猫機FEL-9】召喚、【跳躍爆風】!」
すぐさまテオは、『邪神の芯』が吹き飛んだ先へ猫機FEL-9を放り込む。
どうせショ・ゴスですら相手の攻撃を二撃しか引き受けられないのだ。ならば、下級モンスターを囮にして数で対応した方がいいだろう。その方がマナ消費は圧倒的に少なくて済む。
猫機FEL-9が『邪神の芯』を惹きつけている間に、ダーク・ヤングが追いつく。
「【リミットブレイク】! 【リミットブレイク】!」
何度も『邪神の芯』へ触手を叩きつけるダーク・ヤングに、テオもリミットブレイクを何度も合わせた。
このリミットブレイクは、ダーク・ヤング自身のマナを大きく消耗する。なので通常、三回くらいしか連射はできない。
だがここで役に立ったのが精神防御だ。マナが減少することそのものを防ぐこの防御魔法は、リミットブレイクによるマナ消費をもゼロにする効果がある。だからこそ、消費を気にせずリミットブレイクを何度も連発させることが可能。
「【猫機FEL-9】召喚、【跳躍爆風】!」
テオは、猫機FEL-9を次々と跳躍爆風で放り込みながらダーク・ヤングで攻撃し続ける。
「【リミットブレイク】! ……あっ!」
が、リミットブレイクにかまけて猫機FEL-9の投げ込みを途切れさせてしまった。
猫機FEL-9を始末した『邪神の芯』が、ダーク・ヤングに向き直る。
触手を振るうダーク・ヤングに向かって、鎌を一閃させた。
――グシャアッ
しかし同時に、ダーク・ヤングも触手を叩きつけていた。
カウンターの要領で決まったこともあり、触手とぶつかった鎌がひしゃげる。攻撃の瞬間、鎌部分には瘴気バリアが無いがゆえだ。
赤い血を撒き散らしながら、鎌の生えた腕ごと砕け散った。
(赤い血?)
その光景が、なぜか強くテオの脳裏に焼きつく。
だが次の瞬間、連撃の音が響いて我に返った。ダーク・ヤングが、他五本の鎌によって切り刻まれ消し飛ばされていたところだ。
(……もしかして!)
ちらりとテオは、側方に控えていた鎚機SLOG-333へと目をやる。次元固化はもう解除されているが、さきほど『待て』と命じておいたのでその場で待機しているのだ。
(うまくいったら、そのタイミングでSLOG-333と他の最上級モンスターを使って……!)
改めてテオは、全身をバネのように縮めてこちらへ飛び掛かってこようとする『邪神の芯』へ向き直る。
「【ドゥルガー】召喚! 【行け】!」
手をかざして呼びだしたのは、伝承系の最上級モンスター。
召喚紋から現れた白虎に跨っている全身甲冑の女戦士。彼女の背からは無数の腕が生え、それぞれが形状と大きさの違う剣を握っている。
そのドゥルガーを乗せた白虎が、一気に地を駆け『邪神の芯』へ突撃。
「よし、召喚――」
それを確認しつつ、テオは密かにもう一体モンスターを召喚する。
そしてシャラへと声をかけた。
「シャラ! 僕にマナ補充を!」
「……! 【キャスティング】!」
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
――【魔力の御守】!
さらに四つの『魔力の御守』がテオの腕に装着され、マナが補充される。
再度マナを確保したテオは、すぐに『邪神の芯』へ向き直った。
「次は――」
「テオ危ないっ!」
それを突撃させようとしたテオだったが、突然シャラが鋭い警告を。
はっと見上げると、『邪神の芯』がドゥルガーを跳び越えて中空を舞っていた。鎌を振り上げ、テオの元へ落下してくる。
「なっ、【ワイアーム】召喚っ! 【リミットブレイク】!」
すぐさまテオは、上へ向かって巨大な空飛ぶ毒蛇を召喚。
補助魔法をかける時間的余裕は無い。
そのまま突撃させ『リミットブレイク』だけ発動。
ワイアームが顎を開け、紫色の毒ブレスを放つ。
この毒ブレスは分類的には『精神攻撃』にあたる。ゆえに、多少ならば『邪神の芯』の瘴気を剥ぐことができるはず。
「くっ――」
その間にすぐさまテオは、体を投げだすようにその場を離れる。
このままこの場所に居ては、相手の着地と同時に攻撃を受けてしまいかねない。
――ザシュッ
一方、毒ブレスをものともせず空中で鎌を振るう『邪神の芯』。
一瞬でワイアームはバラバラにされる。
ほとんど減速せずに『邪神の芯』は着地した。
身を投げ出していたテオは、慌てて上半身だけ起こして『邪神の芯』へ手をかざす。
そこへ、『邪神の芯』が背負っている瘴気の触手が怪しく輝いた。
――直後、突然襲い来る衝撃。
「ぐぅっ!?」
「きゃああああっ!」
テオとシャラが大きく吹き飛ばされる。
あの瘴気の触手が、全方位に衝撃波を発したのだ。
(ドゥルガーのリミットブレイクみたいだ!)
今まで見せなかった、『邪神の芯』の変則的な攻撃。
吹き飛ばされたテオとシャラが、壁面に叩きつけられそうになる。
「――【キャスティング】!」
しかしながら、吹き飛ばされつつも気丈にブレスレットを投擲したシャラ。
――【安定の海錨】!
二人の首元にネックレス状に装着された錬金装飾。
その効果を受け、吹き飛ばされた二人の体は急に失速。
壁に衝突する前に地面に落ち、ゴロゴロと転がる。
「シャラ、ありが……あぐっ!?」
そのまま受け身を取るように身を起こしたテオだが、全身に激痛が。
先ほどの衝撃波で負傷し、『治療の香水』がまた瘴気の侵攻を止めきれなくなったのだ。
――ビキィッ
「ぐぅぅっ!!」
自分の魂に、さらに大きな亀裂が走るのがわかった。




