240話 大峡谷の氾濫 水龍
その頃、デルガド聖国の南西に位置する海沿いの村。
「くそ、またブレスが来るぞ! 退避!」
指揮を取っている聖騎士の号令で、皆が防壁の裏へとその身を隠す。
――ズオオオオオオオッ
海側から、真っ黒いエネルギーの奔流が彼らに襲い掛かった。
防壁がなんとか食い止めてくれているが、ボロボロと壁面が崩れ始める。
「建築士、総動員で防壁の崩壊を止めろ!」
指揮官に言われるまでもなく、すでに建築士が防壁の裏で補修を行っていた。
彼らに襲い掛かっているのは、海から現れた巨大な黒い水龍。海面から覗くその巨体は全身が瘴気に覆われ、その顎を開いて猛烈な闇撃のブレスを村に叩きつけていた。
伝承系の最上級モンスター、シャドウサーペント。その長射程高威力のブレスは、弓術士にもまったく劣らないのだ。村からの反撃は許されず、一方的に攻撃され続けるしかない。
ブレスの合間に、胸壁の間からちらりと水龍の方を伺う指揮官。
すでにシャドウサーペントは、次のブレスの準備をしている。慌てて指揮官は顔を引っ込めた。
「くそ、このままでは埒が……!」
呻く指揮官は、必死に頭を回転させようとしていた。
幸いというべきか、シャドウサーペントのブレスで他のモンスター達も倒れていっている。なので大峡谷から迫ってくるモンスター達は、大部分があのシャドウサーペントの攻撃に巻き込まれ消滅していた。
しかし肝心のシャドウサーペントに反撃する方法がない。迂闊に弓術士も顔を出せないし、それでは狙いを定めることすら困難極まる。
しかも、陸上からは機械モンスターが防壁に突撃してきている。機械モンスターは闇撃に完全耐性を持っており、シャドウサーペントのブレスに巻き込まれても無傷だからだ。
「こうなればもはや、捨て身であの水龍へ攻撃を……なんだ?」
ブレスを浴びるのを覚悟で突撃することも考慮する指揮官だったが、ふと胸壁の合間から海を覗く。
急に、ブレスがこなくなったからだ。
「なぜ、大峡谷を攻撃している?」
黒い水龍は、その顎を大峡谷の内側へ向けていた。
闇撃ブレスが大峡谷内、迫りくるモンスターの群れへと襲い掛かる。何十というモンスターが呑み込まれているのが遠目にもわかった。
「っ、今度はなんだ!?」
と、そこで突然暴れはじめる水龍。
うねうねと長い胴体をくねらせながら、もがき苦しむように水面をその巨体で叩いていた。
徐々に、黒い鱗よりもさらに黒い光がその全身を覆い尽くしていくのがわかる。
――バシュウ
その黒い光が全身を覆った時、水龍は消滅。
「……は?」
指揮官のみならず、周りの騎士達も茫然としている。
そこへ……
「――【跳躍爆風】!」
年若そうな少年の声。
水龍が消えた奥から、もう一体の水龍が突撃してきた。
しかし今回の水龍は、黒い鱗こそそのままだが瘴気は纏っていない。さらにその海ヘビのような長い背に、百人単位の人員を乗せてこちらへ泳いできていた。
どうやら、頭の辺りに乗っている召喚師が操っているらしい。
「ま、まさか、同じ水龍を操れる召喚師がいるのか!?」
信じがたいが、そうとしか考えられない。
どうやってかあの巨大な水龍を倒し、それを逆に従える召喚師。それがこちらを助けてくれたようだ。
「――【竜之咆哮】!」
水龍の頭に乗っている召喚師の少年が、さらに呪文を。
とたんに、その水龍が巨大な咆哮を放った。
思わず耳を押さえる指揮官。水龍からビリビリと巨大な威圧感が発せられ、漆黒の身体に金色のオーラを纏っていく。
「た、隊長! 大峡谷から溢れてくるモンスターが、進路を変えました!」
と、指揮官に報告してくる騎士が。
「進路を変えた? どういうことだ」
「それが、今の咆哮でモンスターがすべて、召喚獣と思しきあの水龍の方角へ突撃していっているそうで……」
指揮官も目視で確認してみると、大峡谷から溢れてきているモンスター達の群れが海へ方向転換しているのがわかった。
そのモンスター達を、水流の黒いブレスが薙ぎ払っている。機械モンスターにはそれが通用していないが、水に入ることができないようで波打ち際でたたらを踏むばかり。
「お、おい、鷲機JOV-3が向かっていったぞ」
と、指揮官の目に映ったのは、水龍へと飛んでいった機械の鳥。
機械モンスターには闇撃は効かない。ブレスの中をなにごともなく突っ切って、水龍へ攻撃をしかけにいっているが……
「あれは、弓術士の矢か? それに、黒魔導師の魔法も……」
水龍には手がだせない鷲機JOV-3を、水龍の背に乗った者達が撃墜しているようだ。
あの黒い水龍に乗り共に戦っている戦士たちがいる。そんな信じられぬ光景に指揮官は武者震いを隠せない。
やがて黒い水龍は、海面を滑るように波を蹴立てて岸に到着。
「――コリンス王国トゥーラス地区、十一番開拓村所属の召喚師、コリィといいます! 援軍を連れてまいりました!」
水龍の頭に乗っていた、銀髪の少年が大声で名乗りを上げる。
同時に、水龍の背に乗っていた他の人員が岸へと跳び下りてきた。騎士達のみならず、一般の村人と思しき者達もちらほら混じっている。その数、百人強。
「コリンス王国の援軍だと? まさか……!」
指揮官が慄く。
完全武装した騎士たちと、救援物資を持っている村人達が百人以上。それほどの数を、これほど早くこちらへ寄こしてくれたというのか。コリンス王国から一番遠い、西端のこの村へと。
***
「じゃあコリィ、しっかりやれよ!」
「うん! デレック兄ちゃん、そっちも頑張って!」
コリィの兄、デレックが海岸へ飛び降りるや、コリィへ労いの言葉を。コリィもまたそれを、引き締まった笑顔で返す。
「父さんと母さんも、頼んだよ!」
「任せろ! コリィ、援護は任せたからな!」
「絶対に無理だけはするんじゃないよ、コリィ」
黒魔導師の父と、弓術士の母もコリィを激励する。
自信に満ちた笑みを向けたコリィに、どこか感慨深そうに微笑んでいた。
(ボクも、召喚師であることを誇れるようになったんだな)
少し間の自分では、考えられないことだった。マナヤのおかげだ。
コリィ達は先日、ランシックから石板を通じて依頼を受けたのだ。デルガド聖国の西端に、援軍と救援物資を届けてはもらえないかと。
シャドウサーペントは、跳躍爆風を使うことで水面を滑るように高速移動できる。その水龍の背に人員やらを乗せることで、海を伝って人員と物資を大量に運ぶことも容易い。
サンダードラゴンやワイアームなど、空を飛べる最上級モンスターでも人を運ぶことはできる。が、飛ぶために軽量化されているそれらのモンスターでは、一度に運べる荷物量はそう多くない。
その点、シャドウサーペントの巨体ならば一気に大量の荷物を運ぶことが可能だ。速度で飛竜には及ばないものの、大量の援軍を連れて海沿いにデルガド聖国の西部へと移動してこれた。
ちなみに、先ほどの野良シャドウサーペントもコリィが倒した。
強制隠密と反重力床、そして十三告死をかけたガルウルフを突撃させ、十三秒でマナを空にする病魔に感染させただけだ。かつてコリィ自身が、シャラの助言のもとシャドウサーペントを倒した時の応用である。
しかもそのガルウルフには、さらに『精神獣与』もかけてあった。精神獣与がかかった召喚獣の攻撃を受けた生物モンスターは、約十秒ほど『混乱』状態に陥る。そのため十三告死効果で倒れるまでの十三秒間のほとんど、シャドウサーペントは『混乱』状態にかかっていた。水龍が、仲間であるはずの峡谷内の野良モンスター達へ攻撃していたのはこのためである。
「じゃあボクは沖に出て、また竜之咆哮でモンスター達を引き付けるから!」
「ああ、頼んだぞ!」
コリィの兄デレックが、腰の剣を引き抜きながら大峡谷へと駆け出していく。
「【跳躍爆風】!」
全員降りたのを確認して、コリィはシャドウサーペントを沖へと滑らせていく。
十分に海岸から距離を取ったところで、効果の切れた竜之咆哮をかけ直した。
「! 【戻れ】!」
ふと、シャドウサーペントのブレス圏内に味方がいることを確認。
コリィは『戻れ』を命じて一旦水龍の攻撃を辞めさせる。
「よし、【跳躍爆風】!」
落ち着いてから、シャドウサーペントが味方を巻き込まない位置を確認。そちらへと水龍を移動させるべく、跳躍爆風で滑らせた。
(危なかった。……竜之咆哮と次元固化を併用できれば便利だったんだけど)
無いものねだりをしながら苦笑。
かつてコリィは、そういう発想に思い至ったことがある。
竜之咆哮ですべての敵を無条件に引き付け、それを次元固化で固める。そうすることで、野良モンスターを全て『無敵化した竜』に無駄に攻撃させ、その間に他の者達が安全に攻撃できるのではないか、と。その竜は次元固化で動けなくなっているので、ブレスが仲間に誤爆してしまうこともない。
だがそうはうまく行かなかった。
どうやら次元固化を使った時点で、竜之咆哮は効果を失ってしまうようなのだ。おそらく次元固化は『モンスターの時間を止める』ような効果であるためだろう。
実際に試してみて無駄な結果に終わってしまった時、とても悔しかったことを今でも覚えている。
「えっ!」
が、大峡谷の中から飛び出してきた巨大な影に戦慄する。
腹側以外、ほぼ全身を真っ青な鱗で覆われた飛竜。
真っ黒い瘴気が取り巻いているそれが、まっすぐこちらへと飛んでくる。
(サンダードラゴン!?)
稲妻のブレスを吐く最上級モンスターだ。
シャドウサーペントにかかった竜之咆哮に釣られ、上空からこちらをギョロリと睨みつけてくる。
「【電撃防御】!」
すぐさまコリィは、電撃耐性を与える防御魔法をかけた。
シャドウサーペントが水色の防御膜につつまれる。
サンダードラゴンが放った、一陣の稲妻。
水龍の頭部に命中したそれはしかし、跳ね返され飛竜に炸裂した。
ただ、あの雷竜自身も電撃には耐性がある。
跳ね返った稲妻は青い鱗に当たって霧散した。
――ズオオオオオオオッ
返す刀と言わんばかりに、シャドウサーペントが空へ闇撃ブレスを。
電撃の逆属性にあたる闇撃は、サンダードラゴンの弱点だ。
青い鱗がボロボロと崩れ、空飛ぶ雷竜は苦悶の悲鳴を上げる。
「よし、これなら……ッ!?」
が、そこで急にシャドウサーペントが攻撃方向を変えた。
右斜め前方に向き直り、水面に沿うようにブレスを放つ水龍。
その水面上を泳いでいる、いくつかの銀色の影が見えた。ナイト・クラブ数体と魚機CYP-79数体だ。
(こんな時に!)
ナイト・クラブはともかく、魚機CYP-79は機械モンスターだ。つまり、闇撃ブレスは効かない。
水龍が数回ブレスを叩きつけてナイト・クラブは全滅したが、魚機CYP-79は案の定まるまる残っている。
だが攻撃が効かないとわかり、水流は魚機CYP-79を無視。
再び上空のサンダードラゴンへと攻撃対象を変える。
「【クリスタ・ジェル】召喚、【行け】!」
それを確認したコリィは、改めて電気クラゲのようなモンスターを召喚。
冒涜系の中級モンスター『クリスタ・ジェル』。水に浸かっている敵限定で、周囲に電撃を撒き散らすモンスターだ。闇撃が効かない分、機械モンスターは電撃が弱点となっている。
「……よしっ、【封印】!」
ほどなくして、魚機CYP-79もサンダードラゴンも倒され、瘴気紋に還る。それをコリィはすかさず封印した。
シャドウサーペントの攻撃方向が地上へ……性格には、大峡谷の奥へと移り変わる。
「【跳躍爆風】!」
すぐさまコリィは、味方の邪魔にならない位置に水龍を誘導。
味方を巻き込まない位置に水龍を誘導する方法は、マナヤとの訓練で散々練習させられた。それが今、これ以上ないほど役に立っている。
(あとは頼みます、マナヤさん!)
マナヤ達は、『邪神の器』を倒しにいったそうだ。
大峡谷の奥を見つめながら、コリィは心の中でマナヤへエールを送った。




