231話 聖王の失脚 1
「――しかし! 国際法・司法セクション第百三十八条三項が示すとおり、特務外交官権限がなくともレヴィラには所定の自衛権が認められており――」
その頃、聖都クァロキーリ。
聖城の大講堂にてランシックが熱弁を振るっていた。
今まさに裁判にかけられているレヴィラは、毅然として被告人席に立っている。その眼差しはランシックを信じて疑っていないようだ。
ランシックと並んでヴェルノン侯爵もレヴィラの弁護に回っていた。傍聴している諸国の重鎮たちも困惑の表情が広がる。ランシックらの主張が法や過去の判例にならっているだけあって、レヴィラを本当に極刑にして良いものか揺れているようだ。
(ずいぶんと粘るものだ。聖国法の古臭い条文まで持ち出してきおって)
それをどこか冷めた様子で見つめている聖王ジュカーナが、苛立ち紛れに椅子の手すりを指で叩いていた。
聖王としては、レヴィラへの処分をもって『共鳴』覚醒者らをこの国に転属させることさえできればそれで良いのだ。聖騎士らが殺害されたのは悔やむべきことではあるが、諸国へ示しをつけることができればそれで良い。
なのに、ランシックをはじめヴェルノン侯爵家がここまで食い下がってくるとは計算外だった。このままでは示しをつけるどころか、逆に聖国の早とちりを指摘されかねない。
この国が誇る聖騎士の死そのものに対しては、まるで無関心になっている。自身のそんな異常さに、聖王は気づいていなかった。
「しかるに! 聖騎士らが正気を失う可能性が確実に否定できない現状、レヴィラの極刑を判断するには証拠不十分であると主張します!」
「それは悪魔の証明であると我々は主張する。存在しないことを証明することはできない。あくまで正気を失う可能性というものを持ち出すのであれば、それが存在するということを貴殿が証明するのが筋である」
「ワタシがそれを目撃していたとしても、でしょうか?」
「貴殿とレヴィラ嬢は婚約関係にある。被告人と一定期間以上の同居関係か三親等以内の血縁関係、あるいは所定日数以上の婚約関係にあたる証人の証言には信頼性に問題があると見る」
神官とランシックの討論は、先ほどから堂々巡りのようになりつつある。
「――ランシック・ヴェルノン侯爵子息」
なおも弁を振るうランシックに、これまで神官に裁判を任せきりにしていた聖王ジュカーナが初めて声を上げた。
「そなたの主張は理解した。レヴィラ・エステヴェズ嬢の生来の生真面目さは余も十二分に承知しておるし、悪意をもって聖騎士らを殺めたとは考えておらん。証拠不十分を認めるわけにはいかぬが、我ら聖国とて本件を必要以上に深刻な国際問題へと発展させる意思はない」
「陛下。では――」
「だが我が国の聖騎士らが死している以上、量刑なしというわけにもいかぬ。ゆえに、現時点では対価として」
ランシックの希望に満ちた声を遮り、冷徹な瞳で聖王は彼を見下ろした。
「我が国にて『聖者』認定をさせていただいた四名。すなわち、ディロン・ブラムス、テナイア・ヘレンブランド、マナヤ・サマースコット、アシュリー。以上四名をただちにデルガド聖国へ転属させることを承諾するのであれば、レヴィラ・エステヴェズ嬢の保釈を認める」
その提案を聞いて、思わずランシックが固まっていた。
法律において、『ただちに』というのは文字通り今この瞬間に執行するということを意味する。承諾してしまったが最後、一切の言い訳も時間稼ぎも認めないということだ。
「いかがされた、ランシック・ヴェルノン侯爵令息。レヴィラ・エステヴェズ嬢を救いたいのであれば、迷うことではないはずであろう」
「……」
ギリ、とランシックが葛藤するように歯ぎしりしていた。隣のヴェルノン侯爵も難しい顔をしている。
彼らとしては、マナヤ達をなんとしてもコリンス王国所属のままにしておきたいのだろう。だがレヴィラが極刑にされることと、マナヤらの転属を認めること。天秤にかければ、彼らとてどちらが有益であるかは自明のはずだ。
ましてレヴィラはランシックの婚約者。しかも、当のランシック自身が強くレヴィラに心を寄せていることもわかっている。
ランシックが苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。
「……ワタシの意思だけでそれは決めかねます。聖者四名、当人らの意思も伺ってから判断したく存じます」
「聖者たちはヴェルノン侯爵家の庇護下にあるのであろう。であれば、彼らの処遇はヴェルノン侯爵家の判断に委ねられているはずだ。それはコリンス王国の国法でも変わらぬと聞いているが」
「……仰るとおりです。しかし! あの四名はたった今陛下が仰られたとおり『神の御使い』! 貴族の庇護を受ける平民と同じ対処をしてよいとは限りません!」
「コリンス王国では、その『神の御使い』らを平民の村で過ごさせていると報告があった。それは確かか?」
「……っ」
どんどんランシックの立場が悪くなる。諸外国の重鎮らも、ひそひそと小声で話し合いはじめた。
仮にも『聖者』一行を平民の村に押し込んでいる。それが事実ならば、そんなコリンス王国の『聖者』らへの対応に疑念を抱かざるをえない。
このまま、外交官らの心象をこちらに引き込んでしまえばよい。聖王ジュカーナはさらに畳みかける。
「ちょうど良い機会だ。ディロン・ブラムスとテナイア・ヘレンブランドはあらゆる場所を観通し、その光景を皆に見せることができる『共鳴』を持っておられる。彼らに依頼し、『聖者』らが普段暮らしているという場所を皆の者にも見せてみると良い」
「な――」
「『聖者』の力は本物だ。我がデルガド聖国王室の名において断言しよう。聖者らの見せる神にも等しい光景は、まさに疑いようのない真実であると」
傍聴人たちがざわめき始める。ランシック寄りになっていた者達も、疑いの眼差しへと変わっていっているようだ。
「その真実をもって、何が『聖者』らのためであるか証明したい。平民の村で貧しい生活をさせているコリンス王国は、果たして聖人らを正当に扱っているかどうか」
聖王の言葉にランシックが俯き、ヴェルノン侯爵も腕組みをする。
形勢は完全にこちらへ傾いた。ひそかに笑みを浮かべながら、さらに聖王ジュカーナは口を開こうとして――
〈――聖王陛下。諸外国の皆さま方〉
突然、頭の中に響くような声が流れ込んできた。
周りの者にもその声が聞こえているのか、皆耳を押さえながらざわめき始める。
「そ、その声! ディロン殿ですね!」
〈ランシック様、遅くなり申し訳ございません〉
ランシックが希望を見出したように、虚空へ叫ぶ。
ディロンの自信に満ちた声が、再び頭の中に響いた。
だが、ちょうどいいとばかりに聖王がほくそ笑む。
「これは渡りに船。聖者が一人ディロン・ブラムス。余は今、レヴィラ嬢の裁判をしているさなかでな」
〈はい。存じております〉
「では話は早い。ディロン殿、そなたら『聖者』四名がコリンス王国で住居にしているという場所、そこを我々に観せることは可能であろうか?」
ここぞとばかりに、聖王ジュカーナも虚空へ向けて高々に言い放つ。淀みなくディロンの答えが続いた。
〈仰せのままに。ですがその前に、至急皆さまに我々が今いる場所をお見せしたい。恐縮ですが皆さまがた、目を瞑ってご覧ください〉
直後、聖王ジュカーナの視界が別の視界と重なった。先日の聖人認定時と同じ、ディロンの視界を映す『共鳴』だ。
目を閉じ、そこに映っていたのは――
「な、なんだこれは!?」
「黒い球体、いやドーム……? な、なんだこれは、なんという大きさだ!」
皆、思わず大きな声を漏らしてしまう。
オレンジ色の大峡谷内にディロンとテナイアが並んで立っている姿が、そして彼らの背景に巨大な黒いドームが見えた。ごうごうと暴風のように黒い霧のようなものが渦巻いている。瘴気だろうか。
視界の隅には、禍々しい文様が刻まれた遺跡の壁らしきものもチラついている。
〈私達は今、大峡谷の奥に発見した『黒い神殿』がある場所に立っています。見ての通り膨大な瘴気がドームを形成しており、これ以上近づくのは危険であると本能でわかります〉
今度はテナイアの声が響き、状況説明を始めた。聖王は自分の眉が疑問に歪むのがわかる。
そこへ、テナイアは今度は聖王へ問いかけるように語り始めた。
〈聖王陛下。貴国の聖騎士さま方は『黒い神殿』の捜索のため、大峡谷を捜索していらっしゃったと伺いました〉
「……さよう」
〈その際にあのドームが発生し、聖騎士さま方はそれに巻き込まれてしまったと推察されます。レヴィラ様が戦った聖騎士さまは、おそらくその影響で狂化してしまったのでしょう〉
「ディロン殿、テナイア殿。同僚を救いたい気持ちは理解できるが、いかに『聖者』殿の言い分であっても証拠もなくそのようなことを断言はできるまい?」
〈証拠ならば、こちらに〉
テナイアの声と共に、急に視点が変わる。
峡谷の岩肌の中、金属ベルトで拘束された聖騎士二名が映った。口元まで金属ベルトでふさがれ簀巻きにされている彼らは、全身から黒い瘴気を立ち昇らせている。
「な、なんだ!?」
「瘴気!? まさか、本当に聖騎士さまが!?」
「で、では、レヴィラ卿が戦ったというのも!」
傍聴している者達が戸惑い始める。
〈この二名は、こちらのシャラ・サマースコット様に問答無用で襲い掛かってきた者達です。同様に、マナヤ・サマースコット様、ディロン・ブラムス様、アシュリー様、そして私テナイア・ヘレンブランドにもそれぞれ二名ずつ聖騎士さま方が襲ってきました。拘束させていただいておりますこちらの聖騎士さまお二人と同じく、みな瘴気を体にまとっていた状態で〉
傍聴している者達のざわめきが大きくなってきた。
大陸各国の外交官らも顔を見合わせ、聖王ジュカーナへと疑わしげな視線を向け始める。
「……っ」
形勢が一気に逆転。聖王ジュカーナが脂汗をかき始める。
何かしら反論しようと彼女が口を開きかけた時、声が届く。
〈――っぐ、さっさと殺せ! いつまで行き恥を晒させるつもりだ!〉
〈『異の貪神』さまのために、死ね! 【アイススリング】!〉
瘴気を纏った聖騎士二人を縛っていた金属ベルト、その口元部分だけが外れたのだ。
二人は殺意を剥きだしにしている。白魔導師の騎士が喚き、黒魔導師の方は容赦なく冷気の攻撃魔法を使おうとしてきた。
が、生成された小さな氷の刃はあらぬ方向へ吹き飛ぶ。
いまだ二人の周囲を取り巻いている旋風によって弾かれたのだ。
冷ややかにそれを見下ろすディロンが、二人へ尋問する。
〈答えろ。仮にもデルガド聖国の聖騎士たる者が、なぜこのようなことをする〉
〈ふざけたことを! この国がどうなろうと関係がない! 国民が死んだところで、『異の貪神』さまの糧になるというだけのこと!〉
〈『異の貪神』とは、この世界の神のことか?〉
〈この世界の神などどうでも良い! 『異の貪神』さまは、人間を滅ぼしこの世界の新たな支配者となられるお方なのだ!〉
ディロンと聖騎士の会話に、聖王は顔面蒼白になる。
大陸各国の代表らも集うこの法廷で、聖騎士の裏切りを明朗に語られたのだ。この国への忠誠も、信奉すべき神さえもどうなっても構わないと。
なおもディロンの尋問は続く。
〈聖王陛下の指示はどうした。黒い神殿の捜索をしていたはずではなかったか〉
〈聖王がどうした! そのような王命、『異の貪神』さまを守ることに比べれば〉
〈どのみち聖王など、召喚師の死亡率上昇を無視し、彼らを使い捨てすることを全く厭わぬ御方だった! ならばためらう必要などあるまい!〉
あまつさえ、聖王にまで堂々と暴言を吐き、召喚師を不当に扱っていることまで喋り出した。
茫然としている神官をよそに、ランシックが聖王ジュカーナへと発言する。
「……おそれながら聖王陛下。聖騎士さま方が瘴気に冒され正体を失くす可能性があること、十分に立証できたと存じますが」
「わ、罠だ! この映像はレヴィラ嬢を庇うためだけの虚偽であろう!」
レヴィラが解放されるだけならばともかく、聖国が誇る聖騎士らが〝国や世界を滅ぼす〟ことを堂々と言い放った。この国の召喚師に対する対応を話されたといい、衆目の場でこのようなものを認めるわけにはいかない。
なんとかやりすごそうとする聖王だったが――
「――それは筋が通りませぬ、聖王陛下」
若々しい、しかし威厳の篭った力強い声。
皆の視線が、それが放たれた法廷の入り口へと集中する。
現れたのは、王族の衣を纏った一人の青年。
この国の王太子、ラジェーヴ・デル・エルウェンだ。




