23話 それぞれの想い ASHLEY 1
英雄。
それが、あたしの目指す先。
『英雄アシュリー』と。
いつか、呼ばれるようになるために。
いつか、英雄と呼ばれた父と並び立つために。
それがあたしの目標になったのは、いつからだったろう。
あたしは、物心ついた頃から孤児院で暮らしていた。
だから、父親や母親が居ることの感覚もわからない。
けれど、あたしはそれで満足だった。
あたしを育ててくれた、孤児院長さんがいたから。
孤児院長さんは、あたしを含むたくさんの孤児たち、全員の母。
みんなに愛し、みんなに愛される人。
みんなの面倒を見てくれる、母親の鑑のような人だった。
あたしが六歳になった、ある日。
あたしが文字の読み書きができるようになったころ。
孤児院長室で見つけた、孤児名簿。
好奇心に負けて、その名簿の、あたしの項目を盗み見てしまった。
あたしの母親の名前は書いていなかったけど。
父親の名前は、記されていた。
あたしは、つい孤児院長に訊いてしまった。
あたしのお父さんのことを。
孤児名簿を勝手に盗み見たことで、叱られてしまったけど。
困ったように、あたしに語ってくれた。
あたしのお父さんは、英雄と呼ばれていたのだと。
あたしを危険な旅に巻き込まないよう、ここに預けて行ったのだと。
別に、今さら父親の温もりを求めていたわけじゃない。
ただ、自分のお父さんが英雄だと聞いてからというもの。
あたしは幼心ながら、とても誇らしい気持ちになった。
「あたしも、お父さんみたいな英雄になる! それで、りっぱな英雄になって、お父さんに会えたら、”よくがんばったな”って、なでてもらうんだ!」
それが、あたしの目標になった。
話に聞いただけの、誇らしい自分の父親。
そんな父親に、追いつける自分になりたかった。
多分、ただそれだけだったんだろうな。
ただ。
当時のあたしは、『英雄になる』ということが、漠然としかわからなかった。
だから、英雄になるなんて口先ばかり。
何をどうすれば良いかなんて、わかってなかったんだ。
***
六年前。あたしが十三歳の時。
成人の儀を一年前に控えたある日。
あたしの住むこのセメイト村が、モンスター襲撃に遭った。
ちょうどあたしは、南区画の人に穀物を届けるお手伝いをしていた。
そこで突然轟音と共に襲ってきた、モンスターの群れを目にした。
南門で、沢山の人が襲われたって。
少なくない人が、犠牲になったんだって。
ちらりとだけ。
村で一番の女剣士である、ヴィダさん。
孤児院にも時々、教師として来てくれている黒髪の女剣士さん。
その人が門で戦っているのを見た。
モンスターの群れに飛び込む。
その目の前で、剣を一閃。
大量のモンスターを、一気に消し飛ばしていた。
その後ろ姿に、あたしは”英雄”を見た気がした。
けれど、ヴィダさんの足元にいた女の子。
多分、両親をモンスターに殺されたんだろう。
二人の大人の亡骸にすがりつき、泣き崩れていた。
ヴィダさんが、間に合わなくてすまない、と謝っていた。
その姿を見た、あたし。
あたしは、何もしていない自分を罵った。
なにが、英雄になりたいだ。
こんな大事な時に、自分は何もできなかったじゃないか。
漠然としか考えていなかった、英雄の夢。
考えているだけじゃ、ダメなんだって。
思っているだけじゃ、父親の背中にも、ヴィダさんの背中にも。
いつまで経っても、追いつけないって。
襲撃の後。
あたしはヴィダさんに懇願した。
あたしを、弟子にして欲しいと。
剣士としての技術を、今すぐ学びたいと。
成人の儀を受けるまで、どんな『クラス』候補を得られるかわからない。
剣士のクラスが、候補として現れる保証は無い。
絶対に候補として現れるクラスなんて、『召喚師』くらいだ。
だからクラスを得る前からする修行は、無駄になりかねない。
ヴィダさんにも、気が早いと言われた。
その修行は全て無駄になるかもしれないぞ、と。
けれど、何もしないなんて、嫌だった。
この世界では、いつ人が死ぬかわからない。
なのに、成人の儀を受けられないからと、何もしないなんてもう嫌だった。
そんなんじゃ、どこかに居るお父さんに、顔向けができない。
あたしの熱意に押し負け、ヴィダさんは剣士のイロハを教えてくれた。
立ち方、剣の握り方、体の捌き方。
さらにモンスターごとの、戦い方や立ち回り方など。
技能の使い方に関しては、剣士のクラスを得るまでお預けだったけど。
それ以外のことは、なんでも教えてくれた。
あたしは、その全てを吸収していった。
教わった剣捌きを、夜に孤児院で反復練習して。
モンスターの種類や攻撃パターンなどを、メモに記して。
一秒も時間を無駄にしないように。
今まで、無駄にしてきた時間を取り戻すように。
***
一年後。
あたしは成人の儀を受けるために、王都への馬車に乗った。
あたしは、ヴィダさんからも驚かれるほど上達していた。
村に居る剣士さん達にも、模擬戦をしたりしていた。
剣捌きだけなら、現役の人にもそう引けを取らなくなっていた。
成人の儀を受ける前から、そんなだったからか。
あたしは、今年一番の有望株だなんて言われていた。
これで剣士になることができなかったら、大損だけど。
でも、あたしは後悔するつもりなんてない。
剣士になれなくても、学んだことはきっと無駄にならないから。
モンスターへの対処や、戦場での心構え。
そういったものは、別に剣士に限らない。
どんなクラスになったって、きっと役に立つ。
もちろん、始まる前から剣士を諦めるつもりなんてないけど。
王都について、成人の儀を受けて。
あたしは、期待通り『剣士』のクラスが候補にあったのに喜んで。
迷わず剣士を選んだ。
これで、あたしの”英雄”への足掛かりができた。
剣士になりたい人というのは、動機は似たり寄ったりだ。
剣士といえば、戦闘の花形。
単体攻撃力が高く、強力なモンスターに遭遇しても対処しやすい。
だから、モンスターを倒して活躍したいという人も。
大切な人を守るために、戦う力が欲しいという人も。
あたしのように、英雄になりたいという人もいた。
けれど、王都の学園で剣士の課程に進んで早々。
あたしは、ぶっちぎりでトップの成績を収めた。
同じく英雄を志すライバル達もごぼう抜きにして。
他の人より一年早く、ヴィダさんから稽古を受けた恩恵だ。
剣捌きが得意という学生は、もちろん居た。
対人戦ならあたしと互角に斬り合える学生。
けれど、モンスター戦における知識では、あたしは負けなかった。
クラスはあくまで、モンスターと戦うためのもの。
対人戦よりも、モンスターへの対処法の方が重要だって。
ヴィダさんから叩き込まれたそれが、あたしのアドバンテージだった。
単純な剣捌きなどでは、すでに学園で学ぶことなどほとんど無かった。
あたしはその余力を、主に『技能』の使い方への学習に費やした。
剣士は、黒魔導師や白魔導師のような魔法は使えない。
けれども、保有マナは『技能』を扱うために使用できる。
攻撃力を高めたり、攻撃特性を変化させたり、追撃攻撃をしたり。
どのような状況下で、どのように体勢を整えて使うべきか。
そういった部分が、剣士として戦う際には重要になる。
ヴィダさんは、彼女なりに技能をアレンジして使っていた。
それは、『複数の技能を同時に発動する』というもの。
通常、技能は一つしか使えない。
でも熟練次第では二つ以上の技能を、重ねて発動することができる。
彼女が得意とするのは『ライジング・ラクシャーサ』。
飛び上がるように、空中の敵を攻撃する技能である『ライジング・アサルト』。
物理法則を無視して剣向きを変え、連続攻撃へと繋げる『スワローフラップ』。
力を溜めて剣圧の威力と範囲を広げて放つ『ラクシャーサ』。
この三つを同時に使い、ライジング・アサルトで飛び上がる勢いを利用。
スワローフラップを挟むことで、強引に地面へ方向転換、突進力へ変換。
それらの威力を全てラクシャーサに上乗せことができる技巧。
ヴィダさんの奥義と呼べる技だ。
今はまだ、あたしは二つの『技能』同時発動すらできない。
けれど、きっとその技術を身に着ける。
彼女のあの奥義を、あたしが受け継いで見せる。
そう、堅く決意した。
学園での一年。
成人の儀を受ける前から、現役にもそう引けを取らなかったあたし。
技能の使い方も覚えて、既に一線級の力を得ていた。
セメイト村へと帰還し、ヴィダさんに真っ先に報告した。
互いに、にっと不敵に笑ってみせた。
そして彼女と、腕を組み合った。
あたしは正式にヴィダさんに、弟子として師事することになった。
実際に『間引き』で戦場に出て。
ヴィダさんと共に、モンスターと戦う機会を得て。
彼女の教えの通りの、『技能』を使う際の体勢などを教えてもらい。
実戦を通して、あたしは自信をつけて。
そこからもめきめきと上達していった。
これで、ヴィダさんと肩を並べて戦える。
あの日見た英雄の背中に、追いつける。
そう、思ってた。
***
それから二年後。あたしが十七歳の日。
セメイト村は、再びモンスター襲撃に遭った。
前回の襲撃からまだ四年しか経ってないのに。
それにも関わらず、同規模のモンスター襲撃がくるなんて。
充分な頻度で『間引き』も行っていたはずなのに、おかしい。
あたしは、襲撃の時はちょうど『間引き』の最中だった。
襲撃の救難信号を見て急いで戻った。
ただ、その日の間引きで結構なモンスターを処理した後だからか。
あたしは知らず知らずのうちに、消耗していた。
ようやく村に辿り着いた時には、既に門前で激戦が繰り広げられていた。
間引き後で、疲れた体に鞭打って。
消耗したマナと精神で、必死にその場を繕って。
襲い来るモンスター達を処理していった。
肩で息をしながら、あたしは今さら震えだしてた。
既に集中力が途切れ始めていた。
先程から、危なっかしい状況が続いていた。
避けられるはずの攻撃が掠めたり。
気づくべきだった背後からの攻撃に、ギリギリまで気づかなかったり。
飛んでくる矢や弾の音を聞き逃し、その身に食らってしまったり。
消耗していた心と体でも、容赦なく命を奪いに来るモンスター達。
一歩間違えれば、本当に命は無い激戦。
先程から、実際に死と紙一重という状況を何度も重ねた状況。
あたしは、初めて『死』の気配を、ひしひしと感じていた。
今までチームで戦ってきて。
今思えば、かなり余裕のある戦いしかしてこなくて。
今まであたしは、こんな『死』を身近に感じたことなんて無くて。
あたしは今日、ここでホントに死ぬかもしれない。
そんな感覚が、じわりじわりと湧いてきた。
あたしは、一刻も早くここから逃げ出したい衝動に駆られ始めた。
すると、その時。
親からはぐれたのか、前線に居る親を探しに来たのか。
一人の子供が、門の近くに見えた。
その子供の横から、三体のモンスターが近寄っていた。
巨大なカマキリのような『リーパー・マンティス』。
素早く頑堅な黄色の甲虫『大いなる種族』。
下向きの衝角を回転翼で飛ばしている機械、『撃機VANE-7』。
攻撃を食らったら危険とされるモンスター達。
それが三体そろい踏みで、その子供へと向かっていた。
助けないと。
でも、助けられる?
あの三体の攻撃を、全て捌ききれる?
今の、消耗した体と残り少ないマナで?
さっきから、『死』を感じている今?
――怖い。
あたしは、普段では考えられないくらい弱腰になっていた。
信じがたいことに。
あたしはあの子供を助けに行くべきか、迷ってしまった。
でも、戦場ではその迷いが致命的。
もはやモンスター達は、至近距離まで子供に迫っていた。
……もう、間に合わない。
「セイヤアァァッ!」
その時。
ヴィダ師匠が、その黒い長髪を靡かせてやってきた。
空から降ってきて、子供へ襲い掛かったモンスターへと攻撃していた。
空中に飛び上がり、勢いをつけて敵を叩き斬る、『ドロップ・エアレイド』。
それが人間サイズの巨大カマキリのようなリーパー・マンティスに落ちる。
その重い攻撃が、一刀両断にしていた。
けれど、剣士は基本的に単体にしか攻撃できない。
返す刀で、師匠は……
「【スワローフラップ】!」
刀身を光らせ、剣を振り切った体勢から無理やり剣を翻す。
攻撃直後、物理法則を無視して即刻追撃を放つ攻撃『スワローフラップ』。
素早い連続攻撃に繋げる、単体火力の花形である『剣士』の代名詞。
その返す刀が、黄色い甲虫『イス・ビートル』を弾き飛ばしていた。
けれど、もう撃機VANE-7の処理が間に合わない。
上空から降りてくる尖った鋼の塊が、子供とヴィダさんに迫る。
ヴィダさんは、咄嗟に地面を蹴った。
子供を抱えて、その場から飛びのいた。
だけど、撃機VANE-7の衝角からは逃れきれず――
――ヴィダさんの左脚を、叩き潰した。
その時の光景は、きっと二度と忘れない。
ヴィダさんは、撃機VANE-7の攻撃から悟ったろう。
無理のある体勢で、攻撃を避けきるは不可能だと。
だからせめて子供だけは守ろうと、自らの脚を犠牲にした。
その瞬間、あたしの頭は一気に冷えて。
涙をぼろぼろと零しながら、咆哮を上げて。
低空飛行になった撃機VANE-7に突撃して。
その回転翼のついた鋼の塊を、一刀両断した。
……最初から、これをしていれば。
あたしが迷わずに、子どもの方へと飛び込んでいれば。
三体の内、一体だけでも斬ることができていれば。
ヴィダさんが残り二体を処理して、無傷で対処できたのに。
強引に恐怖を振り切り、肩で息をするあたし。
素早く周囲を見渡し、他にモンスターが接近していない事を確認。
すぐに子供を抱きかかえ、白魔導師を大声で呼んだ。
***
片脚を失ったヴィダさんは、門の衛兵を引退した。
ロクに脚を動かせない状況では、衛兵としては動けない。
下手に前線に出たら、仲間に迷惑をかけるからだ。
孤児院の護衛として働くさ、とからからと笑いながら言ってた。
あたしは、ヴィダさんにすがりつくように泣き崩れた。
ごめんなさい、ごめんなさい、と謝りながら。
あたしがあの時、躊躇しなければ。
あの場面で怖がらなければ、こんなことには。
あたしの心の弱さが……一人の英雄を、奪ったんだ。
ヴィダさんは勇気づけるように、あたしの肩をぽんぽんと叩いた。
自分が未熟だっただけだと、そう語った。
激戦でマナ管理を怠り、肝心な時に切り札を使えなかった。
切り札を使うマナを残しておけば、こうはならなかったはずだったからと。
それでも、涙が止まらない私に……
諭すような声で、こう言ってくれた。
「本当の戦いの覚悟を知ったお前は、もう一人前の剣士だ。誇りを持て。お前は今、英雄に一歩近づけたんだ」
そうだ。
英雄というのは、あの時迷わず飛び込んだヴィダさんみたいな人を。
自分の身も省みずに、人を守るために戦える人のことを言うんだ。
すとんと、あたしの頭の中で何かがはまった気がした。
あたしが理想とする英雄像。
あたしが定める目標が、一体何なのかが。
***
あの戦いで、また数人の犠牲者が出た。
犠牲者の中には、召喚師も居たらしい。
召喚師。
『封印』という重要な役割を担う唯一のクラス。
その役割がある関係上、召喚師は最低人数が定まっている。
おおよそ人口八十人に一人は召喚師が必要となっているらしい。
千人近い人口が居るこのセメイト村では、十二人必要だ。
そこに、一人欠員が出てしまった。
この年、成人の儀に向かった子ども達の中から一人、選抜されることになった。
***
二度目のモンスター襲撃から、二年経った現在。
あたしは若干十九歳で、このセメイト村でも有数の剣士になっていた。
そんな中。
北側への『間引き』に行っていたあたしは、ふと村の方角に視線がいく。
スタンピードを知らせる、赤い救難信号が目に入った。
あれから、たった二年なのに。
開拓村を作る計画まで経って、モンスター襲撃すら来なくなるはずじゃ。
なのに……さらに大規模な襲撃である、スタンピード?
あたしは血の気が引いて、すぐにチームと共に村へ向かった。
スタンピードは、またしても南門の方角から来たらしい。
村に辿り着いても、あたし達は村を横切って逆側へ向かうことを余儀なくされた。
村は、曲がり角や細い道を多くするように作られている。
モンスターが侵入した際に人が逃げ切りやすいように。
あたしのような身体能力が高い剣士なら、道を通る必要はない。
家の屋根を跳び移るように移動した方が早い。
するとその最中。
巨大な斧を担いだミノタウロス。
その大斧が、小さな子供に振り下ろされんとしていた。
でも、あの距離ではもう間に合わない。
嫌だ。
また、守れないの。
あんなに後悔したのに、また守れないの。
あたしは、半狂乱になりかかった。
けれど、驚くべきものを見た。
一人の若者が、突然ミノタウロスの前に躍り出て――
――その攻撃を、自らの背中で受けていた。
その姿に慄いた。
ヴィダさんが脚を失った時の、あの光景が被った。
彼女と同じ覚悟を、私よりも年下そうな男の子が。
しかも、彼は振り向いたかと思ったら。
なんと、召喚の紋章と共にモンスターを呼び出した。
……あろうことか、彼は『召喚師』だった。
モンスターに攻撃させ、モンスターを盾にして。
自分だけでは攻撃も防御も何もできず。
モンスターの陰に隠れ、モンスターに穢れ仕事を押し付けるクラス。
それが、あたしの中での『召喚師』の印象だった。
なのに、彼はどうだ。
攻撃こそモンスターにやらせてるけど、まさか。
モンスターの陰に隠れるどころか、自分の身で子供を庇うなんて。
あたしだって、できなかったことだったのに。
――あたしは、彼の姿にヴィダさんを。
――二人目の”英雄”を、見た。
あたしはすぐにその場へ舞い降りて、ミノタウロスの処理を申し出る。
でも、彼は「それより子供を安全な所へ」と言い出した。
この召喚師は怪我をしているのに、と思ったけど。
背中に大怪我した召喚師の身体能力では、子供を抱えて逃げるのは無理だ。
それに、ミノタウロスを倒したら封印もしてもらわなきゃならない。
あたしは唇を噛んで、子供を抱えて跳んだ。
避難所へとこの子を連れたら、すぐにこの場に戻るつもりでいた。
こんな勇敢な少年を、こんなところで死なせない。
……ヴィダさんみたいに、再起不能にさせたりするもんか。
でも、やっとのことであたしが戻ってきた時には遅かった。
その場にあったのは、血だまりだけだった。
それを見て、あたしは血の気が引いた。
――まさか。
最悪を想像したけれど、少なくともこの場に遺体は無い。
あたしは気持ちを切り替えて、スタンピードの最前線へと向かった。
動き続けなければ、死人が増える。
スタンピードとは、そういうものだから。
でも、最前線についた時。
意外にも、既にスタンピードは下火になりつつあった。
モンスターの数はまだまだ多いが、援軍が間に合っている。
怪我人は多いみたいだけど、見渡したところ死人は見当たらない。
ただのモンスター襲撃と違い、スタンピードは初動の差が大きい。
充分な戦力が集まる前に、門や防壁が崩され、衛兵が死ぬ。
その後、援軍が充分に集中する前にモンスターの数に押されるからだ。
つまり、始まった瞬間の犠牲者と、各個撃破されてしまう人死にが大きい。
にも関わらず、死人が出る前に援軍が間に合っている。
それどころか、もはやこちらの戦力の方が上回ってきているくらいだ。
スタンピードとは思えぬ被害の少なさに、拍子抜けしてしまった。
けれど、あたしはすぐに前線へと飛び込んだ。
油断をするな。死人を出してたまるもんか。
最後の最後まで、絶対に死人を出さずに守り切るんだ。
そう決意し、あたしは斬り込んだ。
しばらく、モンスターを斬り続けていた時。
視界の片隅で、誰かの戦いが目に入った。
あの時、子どもを自分の身で庇っていた、あの召喚師の少年。
生きてくれてたんだ、とほっとしたのも束の間。
彼がゲンブを使って、上級モンスター『ヴァルキリー』を抑えていた。
ヴァルキリー最大の恐ろしさは、その槍の攻撃だ。
一度その槍に付け狙われたら、絶対に避けることは叶わない。
物理法則を無視するような動きで、確実に刺し貫いてくるからだ。
だからヴァルキリーの攻撃は受けるしかなく、しかも高威力。
あたしだって、独りではできれば相手をしたくない。
でも、その召喚師はうまく戦っていた。
ゲンブを使って受け止めた上で、防壁の上から援護射撃させていた。
二体の、瘴気を纏っていない『砲機WH-33L』がそこに見えた。
あんな崩れかけの防壁の上に、いつの間に配置していたのか。
そして、その砲弾の攻撃が命中。
ついに、ヴァルキリーが倒れた。
彼が封印し、それを締めくくった。
ほぼ同時に、スタンピードは鎮圧されきった。
村人達は勝利の歓声に沸いた。
背中どころか腹からも血を流している、彼。
その召喚師は、その場に崩れ落ちた。
あたしは慌てて救難信号の赤い光を背に駆け付け、その身を支えた。
そして、白魔導師を大声で呼んだ。




