228話 生き方
「【送還】」
ヴァスケスが起き上がってくる気配が無いのを確認し、マナヤはリーパー・マンティスとガルウルフを送還させる。
(マジで全力でやらなけりゃ、勝てなかった)
安堵で息を吐きながら、その場に座り込んでしまうマナヤ。
この世界に来て、一番の激戦だったかもしれない。少なくとも、一対一の純粋な召喚戦でここまで追い詰められたのは初めてだ。
「――ヴァスケス様!」
と、そこで何者かが駆け寄ってくる声が聞こえてくる。
振り向けば、ヴァスケスの片腕であるシェラドという男が、血相を変えて駆け寄ってきた。
「マナヤ!!」
「マナヤ、離れろ! シェラド貴様、待て!」
その後ろからは、アシュリーとディロンも叫び声を上げながら駆け寄ってくる。すぐ後ろからテナイアとシャラもついてきていた。
「ヴァスケス様! ヴァスケス様ッ!!」
シェラドはマナヤの脇を駆け抜け、倒れ込んだヴァスケスへと縋りつく。
立ちあがり、後方へ少し下がりながらマナヤはそれを無表情で見つめた。
「マナヤ、勝ったのね!」
「マナヤさん、良かった!」
アシュリーとシャラが、背後からしがみついてきた。両肩に重みを感じてようやくマナヤは振り返る。
「随分手酷くやられましたね、マナヤさん」
「あ、ああ……ありがとうございます、テナイアさん」
テナイアがこちらへ手をかざし、治癒の光を浴びせてくれる。
スポーン・スコルピオの毒で今にも倒れそうだったマナヤは、ようやく人心地がついた。
「――マナヤァッ! おのれ、よくもヴァスケス様を!」
「ちっ、マナヤ下がれ!」
ひとしきり泣いて、ようやく怒りを思い出したらしいシェラド。
殺気の篭った目で睨みつけてくる彼の前に、ディロンが進み出た。
……しかし。
「や……めろ……!」
「ヴァスケス様!」
シェラドの迷彩柄のローブが、後ろから引っ張られる。
顔だけようやっと持ち上げたヴァスケスは、心配するシェラドを睥睨していた。
(こいつ、まだ息が)
送還する前も、マナヤの召喚獣は攻撃を辞めていた。ヴァスケスが死に至った証拠だと、そう睨んでいた。
が、まともに動くことはできそうにないものの、ヴァスケスはまだ息絶えてはいない。もう戦うことはできないし致命傷だろうが、召喚師基準で見てもかなりの生命力だ。
「私、の……最後の、誇り、まで……穢す、気か……!」
「く……」
力を失い、殺気を引っ込めていくシェラド。
が、ヴァスケスを見下ろしていた顔を上げ、懇願するような目になってテナイアへ頭を下げた。
「――頼むッ! 白魔導師、ヴァスケス様を助けてくれ……助けてください!」
「え……」
困惑するテナイアだが、彼女はまだマナヤを治癒している最中だ。
「無駄、だ……」
「ヴァスケス様!?」
「私は、もう……助からん……」
なおもじくじくと血溜まりができつつある地面。
その中に浸りながら、ヴァスケスは諦観の目つきで視線を落とした。
シェラドは、ゆっくりとヴァスケスの体を起こす。
その頭を自身の膝に乗せ、彼の体を仰向けにした。腕や胸元に刻まれた傷跡が痛々しい。
「……マナ、ヤ」
ヴァスケスは目だけ横に向け、マナヤを見つめた。
もはや死を待つだけのヴァスケスを、こちらも正面から見つめ返す。
「結局……お前の、言う通り、だった……な」
「……?」
「私、は……また、負けた……かハッ、はは……」
苦しそうにあえぎつつも、最後の力で自嘲気味に笑った。
「一度、も……お前に、勝つこと、なく……私は、死んでいく、のだな……」
「……ヴァスケス」
「私は……しょせん、この程度、だったのだ……かはッ」
喀血しつつも、無念そうに目を閉じるヴァスケス。
そんな彼の横顔を見つめつつ……
「バカ言え。お前は、天才だったよ」
気づけば自分の口から、そんな言葉が漏れていた。
苦しそうなヴァスケスの顔に疑問が入り混じる中、勢いに任せてぽつぽつと言葉を続けるマナヤ。
「俺はな。神サマの力に頼って、異世界でこの戦術を学んだんだ」
「……そう、らしい、な」
「何度戦おうが死ぬことない遊戯で、何百、何千って戦いを繰り返して……三年だ。三年かかって、やっとこれだけの強さを手に入れた」
自身の両手を見下ろしながら、マナヤはとつとつと語り続ける。
「なのにお前はどうだ。神だの異世界だのに頼らず、お前自身の経験だけで俺の戦術に近いものを編み出した」
「……!」
「その上俺との戦いを経て、俺の教本もあったとはいえ……たった一年足らずで、俺に限りなく近いレベルまでたどり着いたんだ。天才だよ、お前は」
そう。マナヤの力は、言うなれば反則の産物だ。
神という超常的存在の力を借り、この世界には存在しない遊戯の力を借りた。この世界に元々は存在しなかったものを持ち込んで、やっとマナヤはここまで来れた。
だがヴァスケスは、自身の力でここまでのし上がってみせたのだ。神に頼ることもなく、ただただ自分の努力だけで。
「……そう、か」
それを聞いたヴァスケスは、少し表情が緩んだ気がした。
が、苦しさゆえか憎しみゆえか、また顔が醜く歪む。
「だが、それでも……私、は、貴様らを、認めるわけには……いかん……! 他『クラス』の、者などと……共存、するなど……」
「……」
「私、は、実の父に……殺され、かけた……! 許せる、ものか……! 誰、が、共存できる、ものか……! がふっ」
まさに文字通り肺から絞り出すような声で、恨み言を続けるヴァスケス。
――マナヤ。
(テオ? どうした)
――ごめん。ちょっと替わってくれないかな。この人に話したいことがあるんだ。
(は? いや、でもよ……)
突然のテオからの提案に、マナヤは困惑する。
今、ヴァスケスはまさに死の間際だ。いつ死んでもおかしくはない。
そして彼が死んだ時にテオが表に出ていたら……テオが、『流血の純潔』を失ってしまうのではないか。
――お願い、マナヤ。
(……わかった。いよいよこいつが死にそうになったら、無理やりにでも替わるからな)
――うん。ありがとう。
マナヤは諦めて、すっと目を閉じる。
そして、背後にいた自分の半身に体を譲った。
「……ヴァスケスさん」
「……その、口ぶり。もう一つの、人格……テオ、とやら、か」
柔和な口調になった声を聞いて、ヴァスケスが苦しそうに息をしながら言う。
皆がハッと、表に出てきたテオへと視線を集中させた。
少しずつ足を踏み出し、ヴァスケスとシェラドに近寄っていく。
雰囲気に呑まれてか、だれもテオを止めようとしない。
やがて、ほんの数歩のところまでヴァスケスに近づいたテオ。
それを目で追い、ヴァスケスもまっすぐこちらを見つめ返してくる。
「ヴァスケスさん。あなたは、父親に殺されかけたと言いましたね」
「そう、だ……だからこそ、共存、など……許しておける、ものか……ッ!」
「あなたは父親に棄てられ、酷い目に遭わされて……それを、許しがたい所業だと思ったんですよね」
「そうだ……ッ! 実の、子、に……あのような……無惨な……ッ」
「だったら――」
テオは悲しそうに瞼を閉じ……
もう一度見開いて、揺れる瞳でヴァスケスを見下ろした。
「どうしてあなたは、その父親と同じことをしたんですか?」
「な、に……?」
弱々しくも怒りに満ちたヴァスケスの瞳が、揺れた。
「父親に捨てられた当時……あなたは、本当に家族に復讐をしたかったのですか? 仲が良かった頃の絆を、取り戻したかったんじゃないんですか?」
「……」
「切り捨てられ、見殺しにされたことが嫌だったのなら。なぜあなたは、同じことを他クラスの人達や、同じ召喚師たちにしていたのですか?」
ヴァスケスがやっていたことは、結局召喚師と他『クラス』の立場を逆転させただけのものだ。
召喚師だからと蔑んでいたものを、今度は召喚師ではないと蔑み、滅ぼす。時には、同じ召喚師でさえ容赦なく殺したという。ただ自分達の方針に賛同しなかったというだけの理由で。
あまつさえ、召喚師達に自分と同じ境遇になって欲しくて、彼らに家族殺しを強要さえした。
『根本から「違う」とわかっている相手であれば、諦めがつきます。だからこそ細かいことはあまり気にせず、わかってもらえないからといって深く追及することもありません』
『でも、同じ者同士だったら……』
『逆に「同じ者同士なのになぜわからないんだ」とムキになってしまうことが多いのです。同じ者同士しか居なくなれば、その間にある僅かな個人差がクローズアップされてしまう』
デルガド聖国へ移動中に、ランシックから教わったことだ。
同じ者同士だけでつるんでしまうと、僅かな個人差もクローズアップされてしまう。
召喚師解放同盟は、自分達と違う『クラス』のものを徹底的に排除することしか知らなかった。だからそういった生き方しかできず、〝妥協する〟〝共感する〟ことを知らなかった。結果、思想の違いを力で押し通すような集まりになってしまった。
自分と違うものを、無慈悲に排除する。ヴァスケスが父親にされた、ヴァスケス自身も唾棄すべきと認識している行い。
ヴァスケスは結局、自分も同じような無惨なことをやっただけだ。
――自分の父親と、同じレベルに堕ちただけだ。
しかし、憎々しげに目を逸らすヴァスケス。
「親に、愛され……村に、愛された、貴様が……ッ、それを、言うのか……!」
「……ヴァスケスさん」
「結局、ぬくぬくと……育ってきた、貴様に……! なぜ、綺麗ごとの、説教をされね、ば、ならん……のだ……ッ!」
テオとヴァスケスは、状況が違う。
テオは召喚師になった後も、両親やシャラには愛されたままだった。テオの方が勝手に距離を置いただけだ。村の人もテオを、近寄りがたい雰囲気こそ出していたが迫害することはなかった。
だがヴァスケスは、村にもろくに受け入れられず、両親も進んで彼を憎んだ。実の父親によって危険な森に放置され、間接的に殺されかけた。
「親に、殺されかけた、私が……カハッ、復讐を、望んで、何が悪い……ッ、悪を、征伐して、何が悪い……!」
「……」
「親と……同じことを、やり返して、何が悪いッ! 同じ、凄惨な目に、遭わせ……自身の行い、を、悔やませることの……何が悪いッ!!」
最後の怒りを全て吐き出すかのように、震える喉で激昂するヴァスケス。
しかしテオは、ふるふると首を横に振った。
「僕はその件であなたを責める権利がありません。あなたの言うとおり、僕とあなたは立場が違いました」
「……ッ」
「ただ、あなたが父親のまねをするのではなく――」
テオは、ラサム……ラジェーヴ王太子のことを思い出していた。
聖王たる自分の母親の所業を見て、それではいけないと察した。自分が同じような人間になってはいけないと学んだ。母親をまねるのではなく、反面教師にすることを選んでいた。
「あなたが、父親にされた嫌なことを、いけないことだと考えていれば……父親の真似をするんじゃなく、『反面教師にしよう』って考え方ができていれば……」
「……!」
「家族や、村の人達に復讐するんじゃなく……自分はそうなるまいと、召喚師も受け入れてくれる別の村で生活することを選んでいれば」
ぎゅ、とテオは自身の拳を握りしめる。
「そうすればあなたは、人並みの幸せくらいは手に入れられていたかもしれない。召喚師でも受け入れてくれる人を見つけて、その人と幸せになれたかもしれない」
「……」
「あるいはマナヤみたいに、あなたの知識を使って村をモンスターから救っていれば……」
これは、マナヤも内心で考えていたことだったろう。
そう考えながら、テオは言葉を紡ぐ。
「あなたは神様に頼ることもなく、あなただけの力で、僕たち以上の英雄になれていたかもしれない」
「……ッ」
「だから、僕は……それだけが、残念です」
結果論であったかもしれない。
ヴァスケスがこれだけの強さを手に入れられたのは、父親に殺されかけたからかもしれない。トルーマンに受け入れられ、復讐を誓ったからこそ、召喚獣を使った戦い方を研究できたのかもしれない。
慎ましい生活をしていたら、そのような戦い方は編み出せなかったのかもしれない。
けれど、ヴァスケスには元から素質があったのだ。
別人格に頼らねばならなかった自分とは違う。新しい召喚戦術を自ら編み出せるだけの、そういう考え方に至れるだけの下地が、彼には元から備わっていた。
なのに彼は、その可能性を放棄してしまった。
誰に憎まれることもなく、正当に英雄として皆から、国からも評価される可能性。それを彼は捨て去ってしまった。
「ッ……ははっ、そう、か……私、は……かハッ」
「ヴァスケス様!」
より苦しそうに息をするヴァスケスが、笑う。
シェラドが慌てて覗き込む中、ヴァスケスは再び自嘲気味に目を閉じた。
「最初から……お前たちに……負けていた、のだな……」
声からも力が無くなり、後悔だけが満ちている。
「私、は……忌まわしい父、と……同じ道、を、歩むことしか、できなかった……」
「ヴァスケスさん」
「他者から、の、悪意に……同じ、悪意を、返す生き方しか、知らなかった……」
そこで、再びゆっくりと目を開け、テオを見上げる。
その瞳からは怒りが失せ、哀愁だけが漂っていた。
「だが……お前たち、は……違ったのだな……」
「……」
俯くテオ。
他者からの悪意に、同じ悪意を返す生き方。
それが、ヴァスケスの生き方になってしまった。父親からそのままそっくり受け継いだ生き方だ。
テオとマナヤは、彼とは方向性が違った。
(僕は、他者からの悪意を受けないようにする生き方を)
なるべく他者を刺激しないように、控えめに生きていた。
衝突が始まりそうになったら、他者の目線に立ち、彼らに寄り添うような心持ちで。なるべく誤解を与えないよう、相手も納得してくれるような言い方で。
他者の悪意を、なるべく『散らす』ような生き方を心がけていた。
――俺は、他者からの悪意をひっくり返す生き方を。
他者が放ってきた悪意を、それとは真逆のものに塗り替えてきた。
悪意で返すのではなく、そんなことはないと自らの行動で証明してきた。
恐怖を、希望に。侮蔑を、称賛に。他者からの悪意を、行動をもってまったく逆のものへと変化させてみせた。
二人とも真逆のようなコンセプトでありながら、方向性は同じ。
絆を切らず、むしろ紡ぐ生き方だ。
「グ……かハッ」
「ヴァスケス様!」
いよいよ、咳き込むヴァスケスの状態が悪化してきた。シェラドも切羽詰まって声をかけている。
もう保たないだろう。
――テオ、限界だ。そろそろ交替するぜ。
(うん。……ごめんね、ありがとうマナヤ)
もう一人の自分に急かされ、テオはすっと目を閉じた。
「――ヴァスケス」
再び表に出てきたマナヤは、死にゆくヴァスケスを見つめる。
「テオ……マナヤ。貴様ら、は……」
「なんだ」
「召喚師、たちを……彼らの、評価を……変えられる、のだな……?」
「ああ、当然だ」
自信たっぷりに言うマナヤ。
口の端から血を零しながら、ヴァスケスがかすかに笑った。
「……受け、取れ」
「あ?」
「【譲渡】」
震える腕を天にかざしたヴァスケス。
その先から光の粒子が放たれ、それらが空にいくつかの球体状に凝縮した。
「これは」
八つの球体を見上げ、その中身を確認したマナヤが目を見開く。
フレアドラゴン、フロストドラゴン、サンダードラゴン、ドゥルガー、鎚機SLOG-333、ワイアーム、ダーク・ヤング。最上級モンスターがほぼほぼ揃い踏みだ。
シャドウサーペントが欠けているが、その代わりにサンダードラゴンは二体ある。
「私、の、最上級……その、全てだ。受け取れ」
「……ヴァスケス、お前」
「邪神の器、を、倒し……召喚師、を、お前が支えるのだ……ならば、必要、だろう」
「……そう、か。わかった」
マナヤも上空へ手をかざす。
再び粒子と化した最上級モンスターの粒子が、手のひらへと全て吸い込まれていく。
全ての粒子を吸い込み、グッと拳を握りしめた。
「こいつらで『邪神の器』を倒してみせる。そのあと、最上級モンスターは見込みのある召喚師へ渡すさ」
不敵な笑みでそう呟き、拳をヴァスケスへ向けてみせるマナヤ。
それを確認したヴァスケスは、満足そうに目を閉じた。
「……シェラ、ド。約束、を、守れ……」
「ヴァスケス様……」
「お前、には、苦労を掛けた……すまない」
苦しそうにするヴァスケスの頬に、上から雫がしたたり落ちた。
「マナ、ヤ……最後に、頼みが、ある……」
「なんだ」
「コリンス、王国……海辺、の、開拓村……」
おそらく、コリィの故郷であるトゥーラス地区の十一番開拓村のことだ。
「あの、村に……デレック、という、少年がいる……剣士、だった、はずだ……」
「!」
デレック。
件のコリィの兄だ。
「その、少年に……伝えて、くれ。〝すまなかった、ありがとう〟と……」
「……ああ、わかった」
そう返答すると、ヴァスケスが安らかな顔になる。
何があったかはわからない。
だが、彼のことだからきっとヴァスケスを気遣ったのだろう。コリィの家族は、召喚師に対しても寛容な一家だった。
「シェラド……あとを、頼む……」
「ヴァスケス様!」
「トルーマン、様……申し訳、ありません……」
ゆっくりと目を開いたヴァスケス。
その瞳は、既に焦点が合っていなかった。
「私は……貴方の、仇を……取ることが、できません、でした……」
やがて、彼の全身から力が抜けていく。
「ですが……きっと、この男たち、の……道に、こそ……」
顔色も土気色になり、どんどん声も掠れていった。
「召喚師……たちの……真、の……幸……福……が……」
だらりと、四肢がすべて力を失い……
――穏やかな表情で、瞼が閉じられた。




