213話 神殿の瘴気 1
そして、半刻後のバルハイス村南方の大峡谷内。
「まさかホントに、サンダードラゴンに乗っていけるなんてね」
アシュリーが青い飛竜の背でしゃがみこみながら呟いている。呆れ顔ではあるが、楽しそうだ。高速で流れていく景色を背景に、赤いサイドテールがパタパタと風にあおられ靡いている。
「こうすりゃ、大峡谷の中も地形に左右されず捜索できるしな。【時流加速】」
一旦視点を自分自身に戻したマナヤが得意げに言い、背に乗ったままサンダードラゴンに加速魔法をかけ直す。シャラもやや怖々としながら風ではためく金髪を押さえ、ディロンとテナイアも地上を見渡していた。
五人は今、マナヤが召喚した最上級モンスター『サンダードラゴン』に乗っている。大峡谷の上空を飛び、目的の黒いドームまで高速移動中だ。
マナヤは視点変更によるモンスターの待機位置指定を利用し、飛竜を疑似的に操作している。さらに四十五秒おきに時流加速をかけなおし、飛竜の飛行速度も加速させている。
本来三十秒しか持続しないはずの時流加速が四十五秒保っているのは、シャラに『増幅の書物』を着けてもらったおかげだ。
当然というかなんというか、交代で村にやってきた聖騎士らには反対された。村を出て大峡谷に向かうなど無謀であると。
だが結局、〝自分達は仮にも『神の御使い』だ〟という方向性でゴリ押し、無理やり納得させた。
(同じ〝『神の御使い』だから〟理論でレヴィラの無実もゴリ押せりゃ良かったんだがな)
と、サンダードラゴンを操作しながら心の中でひとりごちる。
一応、ディロンとテナイアの『千里眼』で聖王を説得しようとはしたのだ。しかし『現場を直接目撃していないのであれば、たとえ御使い様がたであろうと立証はできぬ』などと反論されてしまった。
ちなみに今日は、順番としてはテオが主体で表に出るはずの日。しかし突発事態に備えるため、今だけ一時的にマナヤを主体にしている。彼の方がサンダードラゴンに乗った状態での操り方に慣れているためだ。
「おっと」
ガクン、と本日何度目かわからない急な方向転換。慣れた様子でマナヤはしゃがみこんだまま踏ん張る。
サンダードラゴンが斜め前方へと急に向きを変え、首をもたげた。皆が反射的に腕で目の辺りを庇う。
直後、急激に目の前に青白い閃光が満ちる。
轟音と共に地上に稲妻が落ち、砂煙を巻き上げた。サンダードラゴンの雷ブレスだ。
「【封印】」
サンダードラゴンがブレスを放った辺りに封印魔法を使用。峡谷に残った瘴気紋がふわりと浮き上がり、金色の粒子となってマナヤの手のひらに吸い込まれていく。
さきほどの雷ブレスが、野良モンスターに直撃したのだ。モンスターは自身の射程圏内に敵を見つけた時、自動的に攻撃を行う。その度に勝手に向きを変え移動方向がズレてしまうのはまあ、ご愛敬だ。
「黒い神殿は、もうそろそろ肉眼でも確認できる距離になるはずです。……シャラさん、気配の方は?」
「今のところ、妙な気配は何も感じません」
テナイアの問いにシャラが答えた。一定範囲内の気配を探知できる錬金装飾である『森林の守手』を使い、弓術士に代わって索敵を担当してくれているのだ。
そこへ、ふと何かに気づいたようにアシュリーが顔を上げる。
「ねえコレ、瘴気を纏った聖騎士さんが居たとしてさ。先にサンダードラゴンが倒しちゃうんじゃない?」
「……あ、いけね」
視点をサンダードラゴンに移したまま、マナヤもようやく気付いた。召喚獣は、こちらに害意がある相手を自動的に攻撃してしまう。
「いえ。あの時、瘴気を纏ったダグロンの気配は普通の人間とはだいぶ違ってました。そういう存在がいたら私がすぐにわかると思います」
「そ、そうか」
シャラがちゃんとフォローしてくれて、とりあえず一安心するマナヤ。
「ただ……急に、敵の気配を全く感じなくなりました」
しかし彼女はそうも続け、首を傾げた。アシュリーが怪訝な顔で訊ねる。
「どういうこと? シャラ」
「さっきまで、サンダードラゴンの射程外にもモンスターの気配をちらほら感じてたんです。でもこの先からは、綺麗にモンスターの気配が消えてます」
サンダードラゴンを操作しているマナヤ以外、全員が顔を見合わせる。
昨日、下見がてら大峡谷内で間引きを行った際には、野良モンスターの数にずいぶんと驚かされた。だが、この先から急にモンスターが消えているというのか。
「……見えてきたぞ。あれだ」
そんな中、ディロンが目を細め前方を指さした。マナヤもサンダードラゴンの視点のまま、前方に目を凝らす。
「うわっ、実物はこんな気持ち悪いのね」
さらに近づいたところで、アシュリーが前方の瘴気ドームを見渡しながら顔をしかめていた。
異常に濃い真っ黒な霧。それが、ほぼオレンジ一色の峡谷内で巨大なドームを形成していた。その半球状の形状を保ったまま、瘴気が竜巻のようにとぐろを巻いている。
その根元あたりに、ぽつぽつと黒い建物のようなものが点在しているのが見えた。ぐんぐんサンダードラゴンが近づくにつれ、それが異様な紋が刻印された遺跡の壁面であることに気づく。
スレシス村近郊にあった、召喚師解放同盟の元本拠地。そこにもあった神殿の黒い壁面と同じものだ。
(近くで見ると、やっぱでけえな)
先日『千里眼』で見せてもらったのと同じ瘴気のドーム。上空約三十メートルあたりを飛んでいるサンダードラゴンと、ドームの頂上がほぼ同じ高さにある。
ドームの麓にあるいくつかの壁面と比べると、改めてドームの大きさが実感できる。まだここからでは遠近感が狂ってわかりづらいが、あの黒い神殿跡はだいたい高さ三メートルほどだったはずだ。スレシス村にあった神殿跡と同じならば、だが。
「よしマナヤ、周りを旋回してくれ。私とテナイアでもう一度『共鳴』を発動してみよう」
ディロンがテナイアにも視線を送りつつ、マナヤに告げた。
二人がここまで『共鳴』を使わなかったのは、道中の間だけでも温存するため。先ほど、ランシックと交信するためバルハイス村から聖都へ『千里眼』を使った。ディロンもテナイアも、それで既に少し消耗してしまっている。あまり乱用はできない。
マナヤが、ドームから一定の距離を置いてサンダードラゴンを旋回させるよう操る。
……が、言うことをきかず飛竜が首をもたげ始めた。
「ッ、なんだ? 急にモンスターが出たか?」
「マナヤさん! あそこ!」
思わず視点を自身に戻したマナヤに、シャラが眼下を指さしながら叫んだ。
ドームの根元にある神殿跡らしき壁面近くに、二つの影がある。なにか黒いオーラが揺らめいている人影だ。
「まさか――ぐッ!?」
「きゃっ!?」
「なに!?」
ビンゴか、と身を乗り出しかけたその時、突然サンダードラゴンが上にバウンドした。
マナヤのみならず、乗っていた五人全員がその衝撃で空中に放り上げられる。
「これは、ウェイブスラスター!?」
上方へと吹き飛ばされながらディロンがその攻撃を判別。
ウェイブスラスターとは黒魔導師の範囲攻撃魔法の一つ。広範囲の敵を大きく吹き飛ばす効果がある。それがサンダードラゴンを下から襲ったのだろう。
「ちょ、まずっ……!」
五人全員がバラバラに吹き上げられ、空中に放り出されながら離れ離れになっていく。
慌ててマナヤがサンダードラゴンに視点を戻し、操作しようとしたが……
――ドンッ
「がッ」
突然、首元に強烈な衝撃が走る。黒いエネルギーの塊が、マナヤの肩口に命中したのだ。
強烈な精神への衝撃により一瞬にしてマナを刈り取られ、視界が薄れていく。
「マナヤ!?」
「マナヤさんっ! 【キャスティング】!」
――【妖精の羽衣】!
完全に意識を失う直前……
悲痛に叫ぶアシュリーの顔と、シャラが何かを皆へ投げつける様子が見えた。
***
シャラは、サンダードラゴンから放り出された直後に、地上からマナヤに向けて黒いエネルギー弾が激突したのを見た。
直後、サンダードラゴンが消滅。つまりマナヤは、あの一撃で意識を失ってしまったということだ。
このままではみんな、地面に激突する。そう判断したシャラは、とっさに全員の左手首に『妖精の羽衣』を投擲していた。浮遊能力を得られる錬金装飾、これがあれば地面に軟着陸できるはずだ。
皆が空中で散り散りになりながら落ちていく中、マナヤの目つきが柔らかくなったのが最後に見えた。彼は気絶してしまい、テオが表に出てきたのだろう。
けれどそれ以上はわからず、シャラは峡谷の間へと落下していってしまう。
「く――」
なんとか空中で体勢を変え、迫る峡谷の岩肌に激突せぬようそちらに脚を向けるシャラ。
高速で目の前まで迫ってきていた岩肌が急停止する。小さな翅が生えた足をそちらに向けたことで、ぶつかる直前でふわりと減速したのだ。
その状態で、岩肌を滑り降りるように谷の底までゆっくりと降りていく。
「……ここは?」
深い谷の底で、わずかに藻が生えている地面の少し上を浮かびながら周囲を見回した。少しズリ落ちかけた鞄を持ち上げ、しっかりと肩にかけなおす。
先ほども見えた黒い壁面が、この辺りにも点在している。見上げれば、崖の上からあの黒い瘴気のドームがその上端を覗かせていた。
(――!!)
突然、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
首元にはまった『森林の守手』が敵意の警告を発していた。
「――生き延びたか。まさか、錬金術師がいたとはな」
振り向くと、そこには真っ黒いオーラを立ち昇らせる二人の人間が立っていた。
四角い白布を、間を空けて縫い合わせたこの国独特の衣服。その上から立派な彫刻の施された銀色のブレストプレートを着込み、手首には同色のガントレット。やはり美しい銀色のグリーヴも履いており、足先から膝までを守っている。
(……聖騎士さんのかっこうだ。でも、この瘴気は)
黒い瘴気を纏った聖騎士。はからずも、シャラ達が探していた人物そのものだ。
少しだけ浮いたまま、わずかにシャラは地面スレスレを滑るように後ずさる。
二人の聖騎士らしき者のうち、奥の方の男が口を開いた。
「サンダードラゴンが消えたということは、召喚師は気を失ったのだろうが。そう簡単にことは済まんか」
「この女が仲間と合流したらまずい。ここで仕留めるぞ」
一切の躊躇なく、目の前の二人はこちらへ身構える。
「あ、貴方たちは一体!? 聖騎士さんが、どうして私達を!」
シャラは肩に提げた鞄から小さな金属棒を取り出し、それを握り込む。
――【衝撃の錫杖】!
即座にそれは元の大きさを取り戻し、自身の身長と同じくらいの錫杖へと変わった。黒いオーラを纏う聖騎士らに向け、正眼に構える。
「知る必要はない。偉大なる『異の貪神』さまのため、この場でその魂をもらい受ける」
そう言って手前の方に立っている男が、手のひらを上にかざした。
直後、その後方に控えている男も手のひらを前に向ける。
「【スペルアンプ】」
後方の男は、白魔導師だったようだ。そして手前の男が、上にかざした手のひらから青い炎の塊を形成する。
(どういうこと!? 『異の貪神』ってなに!?)
シャラは疑問を抱きつつも、すぐに動く。
直後、黒魔導師の聖騎士が呪文を唱えた。
「【ブラストナパーム】」
――青い爆炎が、シャラのいる場所を嘗め尽くす。
「……なに?」
「無傷だと!?」
しかし、聖騎士二人が驚きの声を上げる。収まった爆炎の中から、無傷のシャラが姿を現したからだ。
彼女の右手首に、赤い光が灯っている。
――【吸炎の宝珠】
先ほどシャラは素早く反応し、自分の右手首に炎を無効化する錬金装飾を装着していたのだ。
「チッ、ならば! 【プラズマハープーン】」
「っ!」
次に敵黒魔導師が雷の槍を放つ。
シャラは構えていた『衝撃の錫杖』でそれを側面へと弾いた。
この『衝撃の錫杖』は、先端部分に触れたものを大きく吹き飛ばすことができる。それは、攻撃魔法などのエネルギー攻撃も例外ではない。
「面倒な女だ、さっさと畳みかけるぞ。【スペルアンプ】」
「【シャドウランス】」
続く巨大な黒い槍が、シャラの頭を貫くべく飛来した。




