212話 ランシックとレヴィラの希望
「――レヴィラ! 今なんと言いました!?」
檻の外から、ランシックはその鉄格子を掴みながら中のレヴィラへと怒号を発する。
あれから聖騎士に連行され、その足で聖都へと護送されたレヴィラとランシック。
日が明けた今しがた、聖王ジュカーナから暫定的に裁定が下されたのだ。誇り高きデルガド聖国の聖騎士十一名を惨殺したとして、死をもって贖うべしと。
「ですから、私との婚約を解消していただきたいと申し出ております。ランシック様」
「なにをバカな! 貴女はすぐに出られます、諦めるには――」
「聖王陛下が処断を命ぜられたのです。覆しようがありません」
レヴィラは牢の中で、完全に諦めきった顔をしていた。だがランシックは譲らない。
「まだです! デルガド聖国が定めた国際法上、国外の者、それも国政や国防に携わる者を裁く場合、出身国の高位貴族による弁護が可能です! ヴェルノン侯爵家の当主である父上と、長子であるワタシの弁護があれば!」
「そのために、聖騎士殺しを庇ったという汚名をヴェルノン侯爵家が背負うことになるのです。リスクは冒せません」
「レヴィラ!!」
ガン、と鉄格子が揺れるほどの勢いでランシックが身を乗り出す。しかしレヴィラは、ほのかな笑みを浮かべるばかり。
「……ランシック様。私は、貴方さまの枷になりたくはないのです」
「枷など! 貴女がいてくれるから、ワタシは全力を尽くせるのですよ!」
「ですが、私がいるために貴方は側妻を迎えるつもりがない。違いますか」
言葉に詰まるランシック。レヴィラは無表情になり目を閉じた。とん、とそのまま床に座ったまま背を牢内の壁に預けている。
「私に操を立てようとして下さっていることは、とても光栄です。しかし、そのためにランシック様の次期当主の座が危うくなっておられる」
「レヴィラ! ワタシは次期当主の立場など惜しくありません! ワタシは毎日を面白おかしく過ごせればそれで良いのです、知っているでしょう!」
「慣れないことをしてらっしゃっているのも、わかっています」
ゆっくり開かれた彼女の目を見つめれば、レヴィラは何もかも見透かしたかのような視線を向けてくる。
「貴方は、揺れていらっしゃるのでしょう。側妻を娶らずに済むよう廃嫡になることと、弟妹さまがたに重責を負わせる罪悪感との間で」
「!」
「ですから廃嫡にされかねない言動を繰り返しつつも、責務を放り出すこともできない。違いますか」
図星を突かれランシックが視線を落とす中、諭すようなレヴィラの言葉は続く。
「――ですから、兄の真似などせずとも良いのです。ランシック様」
奥歯を噛みしめるランシックは、レヴィラの言葉で思い出す。
彼女の兄、黒魔導師コリン・エステヴェズ。
王国直属騎士団を輩出し、ヴェルノン侯爵家に仕えるエステヴェズ家。その家の長男でありながら、実力が足りないとされ騎士になることができなかった男だ。
それを憐れんだヴェルノン侯爵家が、お抱えの冒険者チームにコリンを所属させることを提案したのである。ちょうど黒魔導師を欠いていたその冒険者チームも暖かく迎え入れてくれた。
冒険帰りに情勢報告に訪れた際、ランシックとも懇意にしていたものだ。
『やあやあ、ランシック様! いつになったらうちのレヴィラと祝言を挙げてくれるんだい? そうだな、初子は十五つ子くらいでいいぞ!』
『いえコリン殿、それより今回の旅でトゥーラス地区の――』
『なあに俺の妹は頑丈なんだ、十五つ子くらい軽い軽い! 祝言の場で甥っ子姪っ子十五人全員を同時に見届けて、全員をこの剛腕でぶら下げてジャイアントスイングお手玉するのが俺の夢なんだ!』
『……コリン殿、どこから突っ込めば?』
『最初から全部突っ込んでくれることに期待してたんだけどな! ランシック様は堅すぎるんだよ、カオスは世界を救うんだ!』
『混沌を統率するのが、ワタシ達貴族家の役割なのですが』
『なるほど、そういう考え方もあるな! はっはっは!』
そんな軽い男ではあったが、どこか憎めなかった。
彼の独特な視点で語られる、コリンス王国内各地の暮らしぶり。考え方の方向性を変え、思わぬ発想を生み出し様々な新案を生み出す考え方。そんな彼にランシックは引き込まれた。
当時、共に彼の話を聞いていたレヴィラも、当時はそれに明るくコロコロと笑っていた。実力不足と判断されても、彼女は兄を慕っていたのだ。
そんなコリンは……ランシックが望んだ冒険譚を求めて出立し、旅先で村を守り帰らぬ人となった。
彼の亡骸を前にして、コリンを良く知る冒険者仲間たちは、笑ってみせた。混沌が、笑顔が世界を救うと信じていたコリンに殉じるために。
だからこそランシックは、自分もその役目を継ぐことを決意した。
「……たしかに、ワタシはコリン殿にはまだまだ及びません。貴女をちゃんと笑わせることも、まだできない」
「ランシック様。兄上の言葉を律義に守って、私を娶ることに拘る必要などないのです」
「違いますレヴィラ! ワタシは本当に貴女が大切なのです!」
ガァンと思いっきり鉄格子を殴りつけるランシック。
「ワタシとレヴィラに光を下さったのがコリン殿であるなら! ワタシの闇を祓ってくださったのはレヴィラ、貴女です!」
「……」
「次期当主としての教育に、国政に携わる上で呑み込まねばならぬ闇! それでもワタシが突き進んでこれたのはレヴィラ、貴女が付き従い続けてくださったからではありませんか!」
知らず知らずのうちに、熱い雫が頬を伝っていた。
乱暴にそれを拭い、再び鉄格子を両手で強く握り込む。
「ワタシは、諦めません。貴女を死なせなどしない。父上を脅迫してでも、貴女を弁護してみせます!」
「――ランシック」
「! ラジェーヴ殿下!」
そこへ、もう一人レヴィラの牢へと歩み寄ってくる。
ラサムこと、デルガド聖国の王太子ラジェーヴだ。いつもの村人のような服装では無く、王太子用の豪勢な衣を身に纏っている。衣装を構成している四角い布は純白で、一枚一枚に紋章が金刺繍で縫い込まれていた。
「すまない、ランシック。母上に直訴したのだが、瘴気を纏った聖騎士らを直接目撃していなかった私では説得しきれなかった」
結局ラジェーヴは聖都に強制送還され、城に軟禁同然の状態になってしまった。彼の側についていた聖騎士たちも、聖王の命に背いた疑いをかけられ拘束されている。
「……そうですか。構いません、我が父上はどちらにおられますか」
「大聖堂に通させた。幸い、侯爵殿もレヴィラ殿の弁護を引き受けると約束してくださった」
その言葉にランシックはとりあえず安堵。レヴィラが顔を上げ軽く瞠目する。
だがラジェーヴ王太子は未だ浮かない顔をしていた。
「しかし問題は母上だ。今回、マナヤ殿やディロン殿らを『聖者』宣言したことで大陸主要諸国の外交官らを集めている」
「……これを機に、『神の御使い』をデルガド聖国に取り込む準備を整えていると?」
「おそらくな。各国の目の前で大々的に見せつけるつもりだろう」
聖王は完全に、この状況を利用しマナヤ達を手に入れる腹積もりなのだ。
こうなると、無実の証明も簡単にはいかない。各国の代表を十分納得させられる材料を用意する必要がある。
ラジェーヴ王太子は拳を額に押し付けて俯き、レヴィラも諦観した様子で目を逸らす。ランシックは牢へと向き直り拳を強く握りしめた。
三者三様に苦悩していた、その時――
〈――ランシック様。レヴィラ殿はご無事ですか〉
突然、三人の頭に聞き慣れた声が届く。
「っ!? こ、これは、ディロン殿!?」
「な、なんだこれは!?」
ランシックもラサムも、耳を抑えながら狼狽える。レヴィラも無言ながら目線を天井へ向けた。
〈ラジェーヴ殿下、ランシック様、レヴィラ殿。これは私とディロンの『共鳴』です〉
「テナイア殿! そうか、先日も披露してくださった、貴女がたの『共鳴』ですね!」
ランシックも頭上へと目線を向けると、何か視界が被っているような感覚を受ける。そのまま目を閉じれば、バルハイス村で五人の人物を俯瞰で見下ろしているような光景が浮かんだ。
ディロンとテナイアに加え、テオ、シャラ、アシュリーの計五人が円陣を組んでいる。全員心配そうな顔で、片手を耳に当てていた。
「ディロン殿、テナイア殿! こちらの声は聞こえますか!」
〈はい、聞こえておりますランシック様。……レヴィラ殿は、拘束されているのですか〉
「はい。……申し訳ありません、ワタシの証言だけでは力が足りず……」
〈いえ、謝罪前に状況を説明していただけますか。こちらも村に残った聖騎士からの言伝のみで、情報が足りておりません〉
ディロンの問いかけに応じ、ランシックとラジェーヴ王太子が説明を始めた。
***
〈――そうですか。瘴気を纏った聖騎士らを目撃した者が、他にいないのですね〉
「その通りです、ディロン殿。せめて村人の一人だけでも、あの場に残して置くようワタシが命じておけば……」
〈村人を傷つけぬよう配慮されたのは、懸命であったと考えます。しかし、瘴気を纏った聖騎士ですか〉
ディロンが腕組みする様子が、瞼の裏に浮かぶ。他の四人も円陣を組んだまま考え込んでいるようだ。
〈――あの! ランシック様、他の『瘴気を纏った聖騎士様がた』を僕たちが見つけたとしたら!?〉
そこへ、ディロンよりも高い声が割り込んでくる。テオだ。
「テオ君ですか? どういうことでしょう」
〈今、思い出したんです! 行方不明の聖騎士さん達は二十四名だって聞いてましたけれど……〉
「! そうです、ワタシ達が遭遇した聖騎士殿らは、十一名しかおりませんでした!」
気が逸って、思わずその場で数歩前に進み出てしまうランシック。
瘴気に包まれた聖騎士達が十一名しか居なかったこと、彼も気になってはいたのだ。残り十三名は一体どこにいるのか、と。
少し罪悪感を浮かべたような表情で、テオがやや控えめな声で告げる。
〈その、こんなことを言うのは残酷ではあるんですけど。他にも『瘴気を纏った聖騎士』さん達が残っていたとしたら……〉
そこでランシックはハッと気づき、すぐさま問いかける。
「ディロン殿、テナイア殿! 貴方がたのその力で、大峡谷の中に他の聖騎士殿らを見つけ出すことはできませんか!」
〈既にやっております。先日、大峡谷を捜索した際にも少し使ったのですが、それらしい者達を確認することはできませんでした」
「……我々がバルハイス村で交戦した聖騎士殿らの姿は、見ていないのですか?」
〈申し訳ありません。大峡谷内で遭遇したモンスターとの戦闘もありましたので、常時『千里眼』を展開していたわけではないのです〉
自責の念に囚われるような声色で、ディロンが歯ぎしりをしていた。
「ですがディロン殿! そうなった状態の聖騎士殿らを目撃した際、貴方とテナイア殿の力でその光景を送れますか?」
〈もしそういう者を直接見つけることができれば、それを現在と同じ要領で聖王陛下らに観せることは、可能です〉
聖王がランシックやレヴィラの言い分を呑まないのは、瘴気を纏った状態の聖騎士達を見ていないからだ。もしも、現在進行形で瘴気に覆われて正気を失っている者を見つけることができれば、状況は変わる。
ましてや、『聖者』認定されているディロンらの『千里眼』を通して見せつけたとしたら。
そしてそれを、ここ聖都に集まっている各国の外交官らにも見せることができたとしたら。
(この状況を逆利用し、こちらの有利へと逆転させることができる!)
希望が見えてきて、ランシックの心にも光明が差す。
「何か手がかりになりそうな場所に目星は?」
〈――昨日、峡谷内を観た時に奇妙なものを発見しました〉
そこへ、テナイアがそう切り出した。
「テナイア殿、奇妙なものとは?」
〈件の『黒い神殿』らしきものを発見したのですが、その中心に巨大な黒いドーム状のものが発生しておりました〉
「黒いドーム状のもの、ですって?」
ランシックが目を瞑ったまま眉をひそめる。
すると突然、視界が急に切り替わった。オレンジに近い茶色一色の大峡谷の奥、そこに黒い壁面がいくつか建っている。まぎれもなく『黒い神殿』跡だ。
だがその神殿跡の中央で、瘴気がドームを作っていた。遠目だが、バルハイス村よりは一回りほど小さい程度の黒いドームだ。
その視界で固定されたまま、テナイアの説明が響く。
〈このドーム内部は、私達の『千里眼』でも見えないのです。このようなものは、他の『黒い神殿』では確認されていないはずなのですが〉
「ここに、何かがある可能性があると?」
〈観通せないこのドーム内に聖騎士さま方がいる可能性、あるいはこのドーム自体が聖騎士さま方がたをそのような状態にしている可能性。もしくは、その両方。いずれも考えられます〉
そこで、視界に移っているディロン達五人が顔を見合わせ、力強く頷いているのが見えた。
代表するように、顔をいっそう引き締めたディロンが告げる。
〈ランシック様。我々はあの黒いドームに接近し、その周辺で捜索を試みます。誰か、あるいは何かが見つかる可能性は高い〉
「わかりました、お願いします! ワタシ達はなるべく時間を稼ぎます!」
〈ハッ!〉
〈はい!〉
五人が力強く返答してきて、そこで『千里眼』は切れた。
目を開いたランシックは、ラジェーヴ王太子もレヴィラも微かに希望を抱いた目でこちらを見つめてきているのに気づく。
「殿下。すぐに国際法の書物、およびこのデルガド聖国の法律書を集めてきてください」
「ランシック、どうするつもりだ?」
「時間稼ぎを方針に加えます。テオ君らが何か手札を見つけるまで、ワタシ達で可能な限り判決を引き延ばしましょう」
「わかった、すぐに手配しよう! 軟禁中の私でも、その程度の手は回せる」
パタパタとラジェーヴ王太子が出口へと駆けていく。
「レヴィラ、待っていてください。テオ君や皆さんがきっと希望を掴んできてくださいますから!」
「……ランシック様」
レヴィラの瞳に戻る、希望の光。
元気づけるように笑顔で彼女へウインクしてみせ、ランシックは駆け足で地下牢の出口へ向かう。
(……どうかよろしくお願いします、皆さん)
まさに神にでも祈るような気持ちで、ランシックは上階へ続く階段を駆け上がっていった。




