209話 人殺しの末路
「――オラお前ら、さっさと対応しろォ! じゃねえと防壁がグズグズに融けちまうぞ!」
「ひ、ひぃっ……!」
しばし後。
バルハイス村の南方に移動したマナヤは、防壁の外から鬼気迫る表情でがなり立てていた。
件の防衛機構の中、『模擬戦』に付き合わされている村人たちは、恐怖に慄きながら戦っている。
「あっ、わ、わたしのFEL-9が!」
「補助魔法の管理が甘いんだよ! ちゃんと効果時間の長さを把握しろ! そら、またブレスが行くぞ!」
召喚師の女性が慌てているところへ、容赦なく大峡谷を背にしたマナヤが殺気を飛ばしている。
彼の前に立ちふさがっている、真紅の巨体。
それが大きな顎を開き、業火のブレスを放った。
最上級モンスター、フレアドラゴン。マナヤの召喚獣だ。
先ほどまで火炎防御がかかった状態で囮になっていた、猫機FEL-9が倒れた。それによって、フレアドラゴンは攻撃対象を防衛機構へと移したのだ。
「うわああああっ!」
「ぼ、防壁が融けてる!?」
「やばい、早く補修するんだ! フレアドラゴンが防衛機構に入ってきたら終わりだぞ!」
模擬戦とは思えぬ危機的状況。
本当に死と隣り合わせになっているかのような絶望の中、村の者達は必死に抗戦していた。
マナヤに『ここに上級や最上級モンスターが現れる可能性もあるから、それに備えて模擬戦するぞ!』と言われ、付き合わされているのだ。実際モンスター襲撃が増えているこの地では、有り得ないことではなかった。
フレアドラゴンの火炎ブレスは、鋼すら溶かすほどの熱量がある。ゲーム『サモナーズ・コロセウム』でも、フレアドラゴンのブレスを受けたものは斬撃防御力を失うという形で再現されていた。
これにより、防壁は補修されるそばからどんどん融けていく。
「そら、さっさと囮を再召喚しねえか! 死ぬぞ!!」
「ひぃっ! 【猫機FEL-9】召喚っ、【火炎防御】、【跳躍爆風】!!」
召喚師が火炎耐性を付与した猫機FEL-9を跳ばす。
それはフレアドラゴンの真横へと着地。
振り向いた火竜は、眼下の猫型ロボットに容赦なく真紅の炎をぶちまけた。
しかし、猫機FEL-9を取り巻く橙色の防御膜で反射。
炎は逆にフレアドラゴンへと向かい、巨体をまるごと包み込む。
自身も火炎に耐性を持つフレアドラゴンには、跳ね返されたブレスは効かない。
それでも、猫機FEL-9が囮になり続けることはできる。
「い、いまだ! フレアドラゴンを攻撃しろ!」
それを確認した弓術士が、悲鳴に近い怒号を上げ矢を放つ。
胸壁の裏に隠れていた黒魔導師も、必死に氷の槍を連射。
建築士も防壁の修理が終わるや、火竜の足元から岩の槍を突き上げた。
「【ゲンブ】召喚! これを!」
「ええ! はぁぁっ!」
続いて召喚師が喚び出したゲンブを、女性剣士が掴んで投げつける。
轟音を立ててフレアドラゴンの横っ面に激突し、バウンドしたゲンブ。
砂漠に落下し、砂煙を巻き上げた。
「な……なんだ、あれは……」
安全圏となっている左方の防壁上から、ラジェーヴ王太子は戦慄した様子でそれを観察していた。先ほどまでの威厳は消え去り、凄惨な状況に顔が青ざめている。
そこにいるのは、王太子だけではない。護衛の聖騎士はもちろん、ディロンとテナイアも模擬戦を厳しい目で見つめていた。シャラとアシュリーもいるが、その二人の視線は不安げだ。
「どういうことだ? 召喚獣は、召喚師が喚んだモンスターは、人を攻撃しないのではなかったのか!?」
やや後方に控えていたディロンに向かって、王太子は狼狽しながら詰問した。
「普通の召喚師であればその通りです。しかしマナヤは普通の召喚師ではありません」
「どういう、意味だ」
「殿下。彼のあの表情がわかりますか」
ディロンの問いかけに、ラジェーヴ王太子はじっとマナヤの方を見つめる。
「言われずとも気づいている! なんだあれは、まるで獣の形相ではないか!」
遠目だが、マナヤの鋭い目つきがさらに険しさを増しているのがわかった。狂気に染まり人に仇なすことを厭わぬような、悪魔の形相だ。
「あれが、人を殺したことがある者が行きつく先です。殿下」
「ディロン殿?」
「『流血の純潔』を失う、我々はそう呼んでおります。平たく言えば、人を殺した瞬間、人ではなくなるということです」
かつてディロンも、テオらに話したことがある。
人を殺した者は、人間を『殺すことができる対象』と認識するようになる。その結果、誰を視界に入れても反射的に〝どうすればこの者を殺せるか〟などと考えてしまうようになるのだ。
一線を越えてしまうことで、タガが外れてしまった状態といってもいい。
「――五年前、コリンス王国で召喚師解放同盟と戦っていた時。私にはかつて、共に戦ってくれる召喚師の騎士がおりました。私と同じ、王国直属騎士団の一員に選ばれた召喚師です」
唐突にディロンが昔話を始める。
茫然としたままのラジェーヴ王太子は、マナヤから目が離せないながらも彼の言葉に耳を傾けていた。
「召喚師解放同盟の所業で、自分たち召喚師の立場が危うくなりかけている……かの騎士は、それをことさら嘆いておりました。召喚師らの立場を守るために、無辜の民を連中の暴虐から守り抜くために、身を粉にして戦える立派な召喚師でした」
「……ディロン」
「大丈夫だ、テナイア。……その騎士の名を、『ダグロン』といいます」
シャラとアシュリーが、弾かれるようにディロンへ目を向ける。二人して、表情が驚愕に染まっていた。
努めて無表情を貫いているディロンは、なおも淡々と語り続ける。
「五年前のあの日。私はダグロンと共に、召喚師解放同盟の策略でモンスターに襲われた開拓村へと駆け付けました。乱戦になり、仲間の位置すらわからなくなった中。ダグロンは、召喚師解放同盟へ寝返ったらしい開拓村の召喚師の命を、奪ってしまったのです」
***
『――ダグロン、そこにいたか!』
『……ディロン殿』
『! この女は……』
『……この開拓村に所属しておられた、召喚師であるようです。召喚師解放同盟に靡いて私を襲ってきたので、私は……私の、召喚獣が……』
『良いのだ。反逆者を討ったのだな、よくやった』
『な――よくやった、ですって!?』
当時は私みずからも『流血の純潔』を失って、人間らしい感覚を取り戻しきっておりませんでした。ゆえに初めて手を血に染めた者の思いを忘れ、つい〝よくやった〟などと言ってしまったのです。
ですが、それだけでは終わらず――
『――ねえちゃん? ねえちゃんっ!』
まだ成人の儀を迎えておらぬ男の子が、ダグロンが殺した女性召喚師の亡骸にすがりついたのです。そして、我々を恨みがましい目で見上げてきました。
『なんで、なんでねえちゃんを殺したんだよ! あんた達、騎士様じゃないのか!』
『わ、私は……その召喚師に、襲われて……』
『だから何だよ! 召喚師だって、それでもオレにとってはねえちゃんだったんだ! どうしてねえちゃんを殺したんだよ!』
『……ッ』
『返せ! オレのねえちゃんを返せ! 返せよぉぉっ!!』
その時……ダグロンのそばに控えていた、彼の召喚獣『狼機K-9が勝手に動きました。人を殺したことで、タガが外れた彼は……恨みをぶつけられたその少年へ、容易に殺意を抱いてしまったのです。
あっけなく血を流し、命を落としてしまった少年に、ダグロンは……
『……ハ、ハハ』
狂気じみた表情で自分の両手を見下ろし、嗤ったのです。
『私は、人殺しか。この女性を、私と同じ召喚師である彼女を殺し、彼女を慕っていた弟をも……』
『ダグロン、冷静になれ! まずは――』
『【行け】!!』
そしてダグロンは、私にまで召喚獣を差し向けてきました。
『ダグロン!? グッ』
『来るな!! ……ディロン殿、貴方も結局は同じか。貴方も、召喚師が死んだところで〝よくやった〟程度にしか思わぬ男なのですか。ククッ……ハハハ……』
『違う! ダグロン落ち着け、お前は――』
『何が王国直属騎士だ! 何が召喚師を守るためだ! ……クハハハッ、結局王国は、召喚師のことなど何も考えていないではありませんか……クククッ』
『ダグロン!!』
そう言って……彼は、我々の制止を振り切って走り去ってしまったのです。
***
「――激戦の後でマナがほぼ尽きた私は、ダグロンを引き留めることもできませんでした。『流血の純潔』を失った彼に対し、私は正しい対応をすることができなかったのです」
「ディロン」
テナイアが心配そうに、横からそっと彼の肩に手を添える。
ディロンは目を閉じて、心を落ち着けるように彼女の手に自分の手を重ねた。
「そして……次に彼と会ったのは、それから一年後のことでした。タルガナ村という地で、彼は召喚師解放同盟の中核人物としてその村にスタンピードを誘発させ、襲っていたのです」
「……人を殺めたことが原因で、堕ちてしまったのか。彼は」
「はい、殿下。救難信号を見て村に駆けつけた我ら騎士団に向かって、唐突に村の女性が襲い掛かってきました。息子を人質に取られ、私を殺せば息子を解放してやる、とダグロンに脅迫されたのだそうです」
「!」
「それを知らなかった私は、自衛のためにその女性を返り討ちにしました。ですがそうなることを画策していたダグロンが、人質の息子にその様子を見せつけたのです」
「な――」
絶句する王太子を前に、ディロンはそこで初めて顔をしかめた。深く悔やむように、両拳を強く握り込む。
「女性の息子はその時に解放され、そして恨みと共に私に襲い掛かってきました」
「……では」
「はい。騎士に殺意を向けたことを、後方の弓術士隊が感知しました。私が止める間もなく、弓術士騎士が矢を放ち……人質もまた死を遂げました」
俯くディロンとテナイア。シャラとアシュリーも、どう声をかけて良いかわからず悲痛な目で彼を見つめている。
そんな中、唇を噛みながらディロンは喉から声を絞り出した。
「……あの時、ダグロンが私に言った言葉が、今でも忘れられません」
『いかがですディロン殿? 無辜の民を自ら殺し、その息子をも殺した気分は? 言っておきますが、かつて貴方が私に命じたことと同じことを返したまでですよ? くっくっくっ……』
「召喚師解放同盟に加わった彼は、変わり果ててしまいました。人を陥れ、人同士が仲間を殺し合う。それを観察することを至上の愉悦とする、悪魔となってしまったのです」
その場を沈黙が支配した。
かつて敵として戦ったダグロンの背景を知り、アシュリーとシャラも罪悪感を隠せないのか。二人して胸元を手で押さえ、目を逸らしていた。
しばし後、ディロンは無表情に戻って王太子へ向かい眼を開く。
「殿下。貴方には、覚悟がおありですか。『流血の純潔』を失い、その業を生涯背負い続けながら生き抜く覚悟が」
「……わ、私は」
「それを国民に押し付ける覚悟がおありですか。殿下が愛する民を、自らの手で殺すビジョンを生涯見続けることに、耐える自信がおありですか」
さらに血の気が引いたラジェーヴ王太子が、後方に数歩よろめく。
そんな彼の背後から……
「――フーッ、フーッ、フーッ……」
「マナヤ!」
粗く乱暴に息を吐きながら、殺気立ったマナヤがラジェーヴ王太子らの元へと歩み寄ってきていた。慌ててアシュリーがそばに駆け寄る。
「来るな! 大丈夫だ」
「え、ちょっとマナヤ?」
しかしマナヤはあえてアシュリーを視界に入れないよう顔を背け、彼女を横へと押しのけた。
王太子へと視線を戻し、獣のような瞳で彼を見据える。
「……マナヤ、なのか……?」
「……ッ」
至近距離からマナヤのギラギラとした表情を見せつけられ、怯える王太子。護衛騎士もその殺気に当てられ、思わず身構えていた。
――スウッ
ここで、マナヤが目を閉じる。
すると突如、先ほどまでの凶悪な殺気がきれいさっぱり消え失せた。再び彼が目を開けると、柔和な目つきへと変貌。
「……マナヤ、また自分を嫌われ者にして」
「え……テオ?」
口を開けば、マナヤの強い口調もさっぱり消え失せている。テオに戻ったことを知ったシャラが、そっと彼の元に歩み寄る。
「大丈夫だよ、シャラ。……殿下、聖騎士様、マナヤが申し訳ありませんでした」
「い、いや。テオ、で良いのだな?」
「はい。……殿下。僕とさっきのマナヤとの根本的な違い、わかりますか」
落差に目を瞬かせていたラジェーヴ王太子は、幾分か落ち着きを取り戻した。
「……先ほどまでの、あの身の毛がよだつような殺気、だな」
「そうです。僕はマナヤとは別人格ですから、人を殺した経験は引き継がれていません。……マナヤに、嫌なことを全て押し付けてしまったんです」
「テオ。……マナヤ」
「殿下。これが、人を殺した者と殺したことがない者の差なんですよ」
真剣に訴えかけようとするテオの瞳が、王太子の目を正面から覗き込んでいた。先ほどまでの、マナヤの獣じみた視線とは全く違う。温かみのある血の通った瞳だ。
「あんな殺気に溺れずに済む方法は、心の底から信頼できる人がそばにいられるか、だそうです。マナヤにとっては、アシュリーさんがそうです」
皆の視線がアシュリーに集まる。当のアシュリーは、テオを見つめながら無言で佇んでいた。
「アシュリーさんがいてくれるから。アシュリーさんがマナヤを幸せにしてくれるとわかっているから、だからマナヤは今でも人間らしくいられるんです」
「……素晴らしい女性を見つけられたのだな、マナヤは」
「はい。殿下、あなたにはそういう方はおられますか? これほどの苦しみを抱えたとしても、その全てを預けたいと思えるような人が」
返答に詰まる王太子を、テオはわかりきっていたという目で見つめる。
ラジェーヴ王太子の、『ラサム』状態での態度からも明らかだった。
彼は確かに人付き合いが良く、明るい好青年だった。けれどもそれは、あくまでも『平等』に裏打ちされた態度。国民の全員に自分の好意を分け与える、いわば〝広く浅い〟付き合いばかりなのだろう。
本当に深く傷ついた時に、彼に寄り添うことができる人間。〝狭く深い〟関係を持つ知り合いは、あくまで王太子である彼には存在しないのだ。
「僕は、国政のことはよくわかりません。だからこれはただの青臭い、考えなしの綺麗ごとなのかもしれない。その上で、言わせてもらってもいいでしょうか。殿下」
「……構わん」
「聖王陛下は、あなたのお母君なのでしょう?」
言わんとすることを察して、押し黙ったラジェーヴ王太子。そんな彼に、テオはなおも言葉を続ける。
「これまであなたに愛情を注ぎ、ここまで育ててきてくれた生みの母親であるはずです。そんな方を殺していいと、本当に殿下はそう思っているのですか? そのような新王が、国を愛し支えることができるのでしょうか」
親殺しが最大の禁忌とされているのは、この国の教義でも同じことだ。
それでも王太子は、次期聖王として『反逆した王族の処刑』という矛盾した責務を背負っているのだろう。しかしそれを行って、人道的な感覚を失ってしまっては元も子もない。
テオは悲しげにラジェーヴ王太子を見つめ続ける。
ただでさえ自分達、国の法を犯すようなことをやっている。その件でもテオは心にひっかかっていたのだ。そのうえ大勢の死人が出るであろうクーデターに加担しろと言われて、黙ってはいられなかった。
「殿下は、聖王陛下……お母君の行いを見て、それを反面教師にしようと考えられたのですよね」
「そう、だ」
「聖王陛下は、召喚師が死ぬことをなんとも思っていない。殿下はそう言っておられたはずです。同じような、人が死ぬことを厭わない次期聖王になられるのですか。殿下は」
「……私は」
王太子の瞳が揺れていた。
さきほどまでのマナヤの顔つき。そして今のテオの顔つきとを比べ、彼も葛藤しているのだろう。
国を治めるために必要なのは、一体どちらの顔なのか。
「ただの村人にすぎない僕が生意気なことを言ってしまって、すみません。殿下、僕達はこれで失礼します」
「テオ」
「シャラ、行こう。……アシュリーさんも、ついてきてください。マナヤのことをお願いしたいんです」
「……わかったわ。急ぎましょ」
テオは王太子に、額に指をあてる一礼を行う。
シャラとアシュリーを連れて、彼は防壁から降りていった。
「殿下」
「……ディロン殿?」
まだ王太子のもとに残っていたディロンが、彼に声をかける。
「今しがたテオの話に出たアシュリーですが。彼女は、実の父親を失くしています」
「……そうか」
「その実の父親を殺したのは、マナヤでした」
「なっ!?」
ぎょっとラジェーヴ王太子が目を剥く。誤解を解くように、ディロンは順序だてて説明を始めた。
「彼女の父親は、コリンス王国やブライアーウッド王国各地で人殺しを楽しむ殺人鬼集団の頭だったのです」
「で、では」
「はい、マナヤと戦った一味の首領です。殺すべき相手を殺した……マナヤがやったのはそれだけでした」
「アシュリー殿は、それを知った上で?」
「知っています。その時、彼女はマナヤから離れていってしまいそうになりました」
自分の親を殺した人物を、憎む。ある意味ではごく自然の感覚だ。
「あれほど慕っていたマナヤのことを、アシュリーは受け入れられなくなっていました。そのような態度を取ってしまっていることに、彼女自身も苦しんだ」
「……」
「ですが、結局アシュリーは彼と共にいることを選びました。それが正しいことであったことを知ったから、そして何よりマナヤのことを信頼していたい気持ちが強かったからです」
茫然と、アシュリーが降りていった階段の先を見つめるラジェーヴ王太子。ディロンもそちらの方へ歩を進めながら語る。
「王太子殿下。自らの親を手にかけて、それでもなお正しいの心を持ち続けていられますか」
「……ディロン殿」
「他国の騎士である私には、国政を左右する事柄に口出しをする権限はありません。ですが、政権を変える手段は聖王陛下の死のみとは限らない。現代はもはや、人同士が領地を奪い合う時代ではないのです」
かつてデルガド聖国が『帝国』だった時代は、戦乱の世だった。モンスターの脅威度が高く、安全圏を人間同士で奪い合っていたためだ。
しかし『クラス』戦術が研究され、発展した今。モンスターの脅威度も下がり、当時の価値観はもはや世界的に廃れつつある。
一度王太子へ振り向いたディロンは、人差し指を額に置くデルガド聖国式の礼をとり、踵を返す。
「あとの判断は殿下に委ねます。ですが、聖王陛下を御身みずから殺すことのリスクは提示いたしました。よく念頭に置いた上で、ご決断を」
ディロンはテナイアを連れ、防壁から降りていった。
***
「……テナイア」
「ディロン?」
階段を降りきったディロンは、俯いたまま隣のテナイアに言葉をかける。心配そうなテナイアが覗き込んでくる中、彼は罪悪感に苛まれていた。
「すまない、テナイア。私達の間に子が生まれないのは、私の心の問題かもしれない」
眉をひそめるテナイア。ディロンは顔を上げ、アシュリーとマナヤが穏やかに会話している様子を遠巻きに見つめる。
「あのタルガナ村の母子を殺してしまった。もしかしたら私は、子を成すことを怖れているのかもしれない」
罪の無い母子を殺してしまった自分が、親になる資格などないと。自分に子が産まれたとしても、その子を自分が殺してしまうかもしれないと。
そんなディロンの躊躇いが、無意識に子を成すことに抵抗しているのかもしれない。
「それは違います、ディロン」
だがそれでもテナイアは、自信と信頼に満ちた言葉をかけてくれる。
「母子を殺したのは、ダグロンの仕業です。貴方は村を救うために全力を尽くしました」
「テナイア」
「ですから、自分を責めないでください。……諦めないでください」
そっと寄り添ってくるテナイア。
きっと彼女は、気づいている。
自分達の間に子ができないのであれば、テナイアの幸せのために離婚する。ディロンが、それを視野に入れ始めていることに。
「たとえ子を成せなかったとしても、私は貴方の妻です」
「……それで、いいのか」
「それが良いのです。妻のままでいさせてください」
そっと、ディロンの腕に自分の腕を回してくるテナイア。そんな彼女の手に、ディロンも手を重ねた。




