203話 デルガド聖国の闇
ラサムに案内され、一同は揃って西門から村の外へ。
しばらく歩くと、大峡谷の入り口へとたどり着く。大峡谷自体は村の南方を中心に広がっているのだが、村の西方面にも少し突き出す形で存在していた。
「こちらです。足元と側面にお気をつけて」
ラサムはランシックを先導する形でズンズン突き進んでいく。慌ててテオらも彼らの後に続いた。
左右に聳える岩の崖に挟まれた峡谷の谷を歩いていく。足元は岩ではなく、土がそこそこ残っていた。だが妙に色が薄く粘り気の強い土だ。
「……あれ。ねえ、何か聞こえない?」
と、アシュリーが前方を見つめながら恐る恐る問いかけてくる。
耳をすませば、誰かが泣き崩れるような声が聞こえてきた。進むにつれ、どんどん近づいてくる。
「ここだ」
ようやく、先導していたラサムが足を止めた。
峡谷の谷が少し拓けて、広場のようになっている。
「うっ……ううぅっ……」
そこで、一人の女性が跪き嗚咽を上げていた。胸に、汚れた緑ローブをかき抱いている。
――な、なんだここ。墓地……か?
その光景に訝る中、マナヤだけが何事か頭の中でつぶやいていた。
広場のようになったその場所には、あちこちで土が盛り上がっている。
いや、よく見るとそれは灰の山だ。さらにその灰の山には、緑ローブがいくつも積み重ねられている。
緑ローブ……どの国でも、召喚師が着せられることが多い色だ。
(っ!)
テオは背筋が凍りつく。
召喚師のローブ。灰。まさか。
いましがた、マナヤに言われた『墓地』という言葉が頭の中でリフレインする。
シャラやアシュリーも同じ感覚に囚われたか、自身の腕をかき抱いていた。
「シャラ」
後ずさりバランスを崩してしまいそうになっていたシャラを、テオがそっと支える。青褪めた彼女は、テオの顔を見て少し安心したようだ。
ラサムは沈痛な面持ちで、泣き崩れる女性の肩に手を置く。
「……シェーリさん」
「あっ……ラ、ラサムさん……」
「また、お祈りに来たよ」
「ありがとう、ございます……きっと息子も、救われます……」
振り向いたその女性は、四十歳ほどだろうか。大事そうに抱えた緑ローブをそっと離し、改めて灰の山に乗せている。
「お見苦しいところをお見せしました……そちらの方々は?」
「紹介するよ、シェーリさん。この人達が、噂の『封印師の救世主』だ」
「っ!!」
ラサムの答えに、シェーリと呼ばれた女性は弾けるようにこちらを振り返る。
「お、お願いします救世主の方々! 息子を! 封印師の皆さまを、救ってください……っ!」
「えっ!? あ、あの!?」
「このままじゃ息子どころか、これから封印師になるみんなも……みんな、みんな……っ!!」
足元にすがりつくように、テオらに向かって懇願してきた。
「息子も……オテレも、封印師になったからって騎士に取り立てられて……っ、そこで、使い捨てに……!」
震えながら続ける彼女の言葉には、万感の思いが篭っていた。
ふたたびボロボロと涙を零し、うわごとのように「お願いします、お願いします」と繰り返している。
「ラサム殿。まさかここは」
ディロンが代表するように、顔をしかめつつ訊ねていた。隣のテナイアは、哀しげな表情で盛り土を見下ろしている。
「ここは、去年から設置された封印師……いや、『召喚師』たちの、共同墓地だ」
「えっ!?」
ラサムの答えに怖気立ったテオは、弾けるように灰の山へと振り返った。腕の中でシャラが「ひっ」と息を呑んで口元を手で押さえている。
召喚師たちの、墓地。つまり、召喚師だけでこんな灰の山ができるほど人死にが出ているということだ。ラサムが『去年から設置された』と言うからには、おそらくたった一年そこらで。
通常、遺体は灰もほとんど残らぬほど焼き尽くしてしまう。確実に死者を天へ送り届けることができるように、という風習だ。骨だけでも残してしまえば、『スカルガード』が自然発生する、などという言い伝えまで残っているくらいである。残していいのは、わずかな毛髪のみとされていた。
だがここの墓地は、ほとんど残らぬはずの灰が盛り土のように積み重なっている。
「これが、『人類みな平等』を掲げるこの国の、闇の側面ってことさ」
ラサムは灰の山に近寄り、その傍らに跪いた。両の拳を力強く握りしめている。
首を垂れる彼の姿には深い悲しみと、それと同等ほどの激しい怒りが篭っていた。
「どんなクラスも平等に扱う。それがこのデルガド聖国の理念だ。聖典に従った『人類はみな等しく尊い』という教義に基づいた、ね」
その感情を抑えるような声は、わずかに震えている。それでもなお、ラサムは口調だけははっきりと言葉を続けていた。
「だからモンスターを操る忌まわしい存在などと差別されないために、召喚師から『召喚』を取り上げた。封印に専念できるよう、『封印師』に改名してね。でも……召喚師たちが自衛の手段を失くしたら、どうなると思う?」
それを聞いたアシュリーが、ハッと気づいたように顔を上げた。
「そうだった。入り組んだ地形だと、素早いタイプのモンスターが後衛を狙うことが多いのよね」
「そういうことだよ、アシュリーさん。そうやって後衛にいる封印師が急襲された時、対抗する手段が無いんだ」
振り向いたラサムは悲痛な表情をしている。
この国では、召喚師は自衛のために召喚することもできない。身を守ろうとモンスターを召喚すれば、それを理由に処刑されてしまう。そのため、誰にも庇って貰えなかったら死ぬしかない。
『自衛能力を全く持たないクラスを用意してしまえば、そのクラスに就いた者の死亡率が跳ね上がってしまう』
かつてテオが蘇生された時、神からそういう話を聞いた。
だからこそ封印を持たせたクラスを用意した際、自衛のためにモンスターを召喚できる能力を付けたと。
「そうやって殺された封印師たちは、こういう共同墓地に持ち込まれて内密に処理される。そうすることで、封印師がどんどん死んでいるという事実を諸外国に漏らさないようにしているのさ」
表情を消したラサムのその言葉に、シャラは思わず身を乗り出していた。
「ま、待ってください! 他の人たちは!? 他の『クラス』の人達は、戦えない召喚師を守らないんですか!?」
「もちろん、他の後衛がカバーするように動いてはいたらしいよ。ただ、乱戦になると守り切れないことも多いんだ」
ラサムのその返答には、テオも納得できてしまった。
後衛に突然モンスターが襲いかかってきた場合、皆たいていは慌てる。特に前後から大群が挟み撃ちしてきた場合、自分の身は自分で守るのが基本だ。
だが、もしその時に召喚師が反撃手段を持っていなかったら……
ぶるっとテオが体を震わせる中、ラサムはなおも説明を続ける。
「無理に守ろうとして、助けようとした他『クラス』の方がが大怪我を負ったり、死んでしまうこともある。そんな状況が続いてしまったことが、さらなる悲劇を呼んだんだ」
「悲劇、というのは?」
「言ったでしょう、テナイア様。どんなクラスも平等に扱うようにする……それがこの国の方針だって」
テナイアの問いに、ラサムはやるせないようなしかめっ面を作る。
「だから聖都でも町でも、そしてもちろん村でも。どんな『クラス』の持ち主も、みんな平等に扱われるんです。食糧や生活物資の配給も、皆それぞれ一定量を配られるようになっているんですよ。もちろん、封印師も」
「……それの、何が問題なんですか?」
灰の山を見つめ歯ぎしりをしながらも、アシュリーが声だけは淡々と問いかける。そんな彼女の質問に、ラサムは自嘲気味に笑ってみせた。
「封印師は、封印しかすることがない。それでいて、平等を謳うために封印師も数だけは多く用意される。するとどうなるかわかるかい、アシュリーさん」
「……?」
「戦いで大した仕事もしない封印師たちが、飯だけはいっちょ前に持っていく。他『クラス』の者達に、そんな反感を買うのさ」
ラサムの説明に、ぎゅっとシャラがテオの袖を握りしめた。
さらに横からは、ディロンの悔しげな呟きが耳に届く。
「……そういうことか」
「ディロン、さん?」
「マナヤには以前、スレシス村で言ったことがあるのだがな。テオ、かつてコリンス王国で召喚師を優遇する政策を取らなかった理由が、何だかわかるか?」
突然のディロンの問いに、テオは目を白黒させる。
――!! そうか、そういうことか!
(えっ、マナヤ!? どういうこと?)
マナヤには理由がわかったらしい。
慌てて問い質してみるが、それより早くテナイアが口を開いた。
「マナヤさんがコウマ流召喚術を広める前まで、召喚師はさして戦いの役に立たないといわれている『クラス』でした」
「……はい」
「その状況下で、国から『召喚師をもっと優遇しろ』と頭ごなしに命じた場合、当然民衆は反発します」
テナイアはどこまでも哀しそうな顔で、目を伏せながら説明を続けた。
「さほど貢献ができない召喚師と、戦闘で八面六臂の活躍をするそれ以外の『クラス』。そのどちらもが同じ配当を受けるとなると、まじめに戦っている他『クラス』の者達は損をした気分になるのです」
「そう。そしてその不満は怒りとなり、召喚師へと向く。それがわかっていたからこそ、コリンス王国では召喚師を優遇せよと迂闊に言えなかったのだ」
テナイアの肩をそっと抱きながら、ディロンが説明を代わる。
「召喚師たちに、なるべく他『クラス』からの反感を受けぬような態度を教え込む。召喚師の数も必要最小限まで減らし、召喚師にばかり食糧や物資が行き過ぎないよう調節する。そうすることでしか、民の『凶行』を抑えることができなかった」
「きょ、凶行って……まさか」
「その通りだ、テオ。国が見ていない所で、民が召喚師を排除しようと暴走する。建国したばかりの頃のコリンス王国では、実際にそういうことがあったらしい」
絶句するテオに、ディロンはあえて無表情だ。テナイアはそんなディロンにそっと寄り添っている。
「今この国でも、まさにそういうことが再発しているのさ」
そこで、背を向けたままラサムが立ち上がって話し始めた。
「聖騎士さまがたや現地の騎士達が『間引き』で峡谷に入り込んだ時、戦闘中に封印師たちをあえて見殺しにする。そんなことが横行して、封印師は使い捨てのように利用されているんだ。数が多くなったことを利用して、封印師の不足分をあちこちの村から次々と徴収している」
「せ、聖王陛下は! 聖王陛下は、このことをご存じないのですか!」
そこでこらえかねたように、シャラが大きな声を上げた。
「とっくにご存じだよ、シャラさん。それでも敢えて、それを放置しているのさ。聖王陛下も、封印師のことなんて本心ではどうでもいいと思ってるんだ」
息を呑むシャラ。ラサムは無表情のままだが、激しい怒気を纏っているのがわかる。
「だからオレは、そんな現状を変えたい。聖王陛下に背いてでも、封印師が『召喚師』として活躍できるところを見せたい。テオ君、きみがこの世界に伝授してくれた召喚師の戦い方を使ってね」
「……ラサムさん」
「王太子殿下のお力添えもあって、この村の封印師たちには召喚を解禁してある。今も、試行錯誤しながら戦術の研究をしているんだ」
そこでようやく、ラサムは先刻までの笑顔を取り戻す。だがその笑顔は、どこか痛々しい。
彼は、まだそこで泣き崩れているシェーリという女性のような例を、何人も見てきたのだろう。彼が明るく振舞っているのは、そうでもしなければやっていられないからだ。その明るい態度で、せめて村の中の雰囲気だけでもなんとかしようとしている。
「ヴェルノン侯爵様がこの国に贈ってくれた召喚師の教本は、こういう末端の村には届かない。だからオレは、きみが来るのを首を長くして待っていたんだ」
そこまで言うと、ラサムは数歩テオに歩み寄り……額に人差し指を押し当て、深く頭を下げてきた。
「頼む。君達の知恵を、オレ達に貸してほしい」
***
聖騎士に先導させ、テオらをこの場から下がらせた後。
墓地には、二人の人物のみが残っていた。
「……ランシック」
「はい」
先ほどまでとは打って変わって、突然厳かな雰囲気を纏いだしたラサム。そんな彼に呼び捨てにされたランシックは、恭しく首を垂れながら応じた。
「私は、自分が情けない。召喚師らの遺灰を、適切に処理してやることもできん」
本当ならば、このように残ってしまった灰は聖火にさらし、全て天へ昇らせてやらなければならない。それこそが、この遺体や遺族らを苦しみから解放する唯一の術である。この国の習わしだ。
だが、今はそれはできない。
聖火で大々的に処置すれば煙が立ち、それは遠くからでも目視できる。聖王派の聖騎士らに感づかれてしまう可能性が高いのだ。まだ地盤が整っていない状況で、聖王に自分のやっていることを悟られるわけにはいかない。
だが、何よりおぞましいのは……
自分は、この墓地を『証拠』とすることをもくろんでいるということだ。
「母に対抗するために、遺灰を放置するという大罪を犯し続けている。そういう意味では、私も母と何も変わらん」
「……心中お察しします」
「結局、私も神を冒涜している。死後、私は間違いなく地獄行きになるだろうな」
心臓の上に拳を置き、祈るようにそれを握りしめるラサム。
そんな彼に、優しげな口調でランシックが語り掛けた。
「それは違います。貴方は、この国を穢し続けている者から国民を救うために尽力していらっしゃる」
「……ランシック」
「きっと神は御赦しになるでしょう。その献身と、何よりも国民を気遣うその御心に」
仄かな笑顔を見せるランシックの言葉に、ラサムの唇にも僅かに弧が戻る。
「『そういう考え方もある』か、ランシック」
「ええ。そういう考え方もあるのですよ」
二人して、急に底抜けに明るい笑顔へと変わった。
それでも、どこか痛々しい顔なのは気のせいでは無いだろう。
「できればその調子で、『例の計画』も考え直して頂きたいのですがね」
「それはできん。知っているはずだぞ、ランシック。我が国の歴史を」
ついでとばかりに進言しようとしたランシックの言葉を一蹴。
これ見よがしに大きくため息をつくランシックにやや申し訳なくなりつつも、ラサムは身を翻した。
「帰るぞ、ランシック。『神託の救世主』殿の手腕、私にも見せてもらいたい」
「仰せのままに。……ラジェーヴ王太子殿下」
ラサムの本当の名は、ラジェーヴ・デル・エルウェン。
聖王ジュカーナ・デル・エルウェンの一人息子であり、デルガド聖国の王太子だ。




