201話 掟破り
「――でも、良かったよ。シャラが断ってくれて」
翌日。
予定通りにデルガド聖国の南方へと出発したテオ達。その馬車の中でテオは、昨日の話を思い出して安堵していた。
晩餐会の後、聖王ジュカーナは本当にシャラを呼びだして尋ねたらしい。この国に仕える気はあるかと。
「わ、私だって断るよ! テオがこっちに移り住んじゃったら、もうセメイト村に帰れないかもしれないのに!」
「ごめんごめん。僕も嫌だとは思ったんだけど、もしシャラがこっちで暮らしたいならって思って」
心外と言わんばかりに声を荒げたシャラに微笑みかける。
だがそんな様子を見たアシュリーが、心配そうな表情でこちらを見つめてきた。
「テオ、あんた……」
「え? ア、アシュリーさん、何ですか?」
「……ううん。なにも」
おっかなびっくり問いかけてみるも、彼女はすぐに元の表情に戻ってランシックへと話を振った。
「それで。結局マナヤは、いつもどおり召喚獣を使うって方針を通す気だったってことですか? 禁止されてるのがわかってても」
アシュリーは確認を取るようにランシックに訊ねる。
「そのようです。召喚モンスターが疎まれること自体は、コリンス王国でもよくあったことでしょう? 召喚獣が実際に人々を救っているところを見せる。召喚師をこの国の皆さんに認めてもらうには、それが一番なのは確かですからね」
そう声色だけは明るくランシックは語るが、表情は少し沈み気味だ。
「それに聖都へ向かう道中、モンスターの襲撃を受ける可能性は高かった。その戦いで、テオ君やマナヤ君が召喚獣で活躍してみせる。それを国民のどなたかが目撃してくれていれば、そこから召喚師と召喚獣の評価を変える糸口になるかと考えたのです。マナヤ君と、父上と共に」
「ヴェルノン侯爵様も支持したんですか!? それを」
アシュリーは驚いたように身を乗り出す。
ランシックは一層苦々しい表情になり、頬を掻いた。昨日の晩、そのヴェルノン侯爵から散々小言を言われ続けたらしい。『仮にもヴェルノン家の跡継ぎが自ら戦場に飛び込んでいくとは何事だ』と。
しかし、政治的な影響力を持つ者がテオらの傍に控えている必要がある、とランシックは父親を強く説得。ヴェルノン侯爵は結局それに折れたのである。
もっともランシックは、ただ単に父親から離れて好き放題やりたいだけだったのかもしれないが。
「ええ。聖王陛下を出し抜いて評価を変える取っ掛かりにするには、それが一番であると賛同を頂けました。しかし、聖王陛下の方が一枚上手でしたね」
「一枚上手、っていうのは……?」
「陛下に読まれていたということですよ、アシュリーさん。ほら、仮にも聖国のトップである聖王陛下が自ら、ワタシ達の送迎に訪れたでしょう?」
デルガド聖国へ続く街道でモンスター襲撃を片付けた後、唐突に聖王ジュカーナと聖騎士達が迎えに来た時のことだろう。
「普通ならば、いかに『神の御使い』がやってくるとはいえ、聖王ほどの立場の人間が迎えに来るのは愚行です。危険もあるでしょうから軽々しく聖都の外に出て良い人間ではありません。まして、国境を越えるなど」
「それが、あたし達を迎えにわざわざやってきた……」
「ええ。つまりワタシ達……正確にはテオ君たちの監視をするために訪れたのですよ。入国前に釘をさすためにね」
すなわち、余計なことをされる前に聖王自らが自分達を迎えに来たということだ。民衆の前で召喚を行うような真似を封じ込めるために。さすがに聖王の御前で堂々と国のルールを破るわけにはいかなくなる。
ランシックは、一瞬馬車の前方をチラ見。
この馬車の周囲は、レヴィラやディロン、テナイアが騎馬で並走している。その他、一緒にこの国にきた王国直属騎士団の騎士達も一緒だ。
が、その前後をデルガド聖国の聖騎士数名が張っていた。案内と援軍を兼ねて、と聖王ジュカーナは言っていたが、要は『監視役』だろう。テオらがモンスターを召喚したりしないか見張るための要員だ。
「こうなると、迂闊には動けなくなりましたね。監視されている中、召喚獣を使って実戦することは実質不可能になってしまいました」
「マナヤから教わった『討論』で何とかする、くらいしかありませんね」
ランシックの悩ましげな溜め息に、テオは大人しくそう提案する。
討論、というのは、マナヤが推進している召喚師の『訓練法』だ。
さまざまな戦場状況を想定し、どの状況で何を召喚し、どう動くかを考える。そうすることで、いざ実戦となった時に討論内容に沿って冷静に動くことができるようになるというもの。
実際セメイト村では大いに効果を発揮したし、他の村を訪れた際にも教本を使って地元の召喚師らに教え込んだ。
もっとも、実戦でのモンスター召喚を禁止されているのであれば意味がない。
「……あの。ずっと思ってたんですけれど」
先ほどから、ずっと沈んだ表情で考え込んでいたシャラが口を開いた。
「召喚獣を使った戦い方……どうしても、この国の人達に教えなければいけないんですか?」
――お、おいシャラ!?
テオの頭の中で、マナヤが動転しているのがわかった。
「ちょ、ちょっと、どういうことよシャラ」
「だってアシュリーさん、考えてみてください。実際この国のやり方なら、召喚師たちが嫌われることはありませんよね」
戸惑うアシュリーに対し、シャラはずっと抱え込んでいたらしい考えを吐き出す。
「昔の私はずっと、テオと一緒に戦えないのが嫌でした。だから、テオが戦ってる時に一緒に居れば、テオが危ない目に遭ってる時に助けられるから。私は、そのために今までずっと戦ってました」
「……あんた」
「アシュリーさん。あなたもマナヤさんにヤキモキさせられたことはありませんか。危ない橋を渡るマナヤさんのこと、止めたいと思ったことは」
「そりゃ……無いとは、言わないけど」
アシュリーが勢いを失っていく。対照的にシャラは、声量は控えめながら言葉に熱が篭ってきた。
「マナヤさんが何度も死んじゃいそうな目に遭って、テオも危なくなることも多くなって。私は、召喚師さん達の命を守るっていう意味なら、封印にだけ専念するのも理にかなってると思ったんです」
しばしの間、馬車が進む音だけが響く。
黙って聞いていたランシックは、ふいにテオの方へと顔を向けた。
「テオ君。あなたはどう思いますか?」
「え……僕、ですか」
「ええ。シャラさんはマナヤ君と違い、この国の方々に召喚獣を使った戦い方など教えなくて良いと考えているようです。テオ君の意見も聞いてみたいですね」
ランシックの問いかけに、逡巡してしまうテオ。
ちらりとシャラの方を見ると、祈るような目で訴えかけてきている。
「……僕も、それでこの国の召喚師さん達が幸せになれるなら、それでもいいと思ってます」
――テオ、お前まで!?
マナヤが憤慨するような意思を伝えてきた。アシュリーも片眉を吊り上げている。
シャラの表情は、見るのが怖くて直視していない。ただ、じっとこちらを見つめてくる気配だけが伝わってきた。
――テオ! どういうつもりだ!?
(だ、だってマナヤ。この国がそれでうまくいってるなら、僕達が口出しすることじゃないよ)
頭の中で怒鳴るマナヤに対し、宥めるように弁解した。
(マナヤだって知ってるでしょ? 自分の意見を一方的に他人に押しつけるってことの危うさを)
マナヤが沈黙する。
かつて彼は、この世界に来たばかりの時に自身の戦術を強制的に押し付けた。その結果、セメイト村やスレシス村の者達から反感を買ってしまっている。
「僕、ずっと気になってたんです。この国の規則を破ってまで、召喚師としての戦い方を教える必要があるのかなって」
「ほう」
テオが口に出してそう言うと、興味深そうにランシックが目を細めてきた。仕草で先を促され、テオは言葉を続ける。
「国の掟を破ってまで自分達の意見を押し通すって……召喚師解放同盟のやり方と、あんまり変わらないように感じたんです」
ルールを破ってまで、強引に自分達の個人的見解だけを通す。相手の都合を考えず、自分達の考えこそが絶対の正義だと決めつけてかかる。その土地に住んでいる人々の生活と歴史を無視して、自分の価値観だけを押し付ける。
そういう行為がどうにもしっくりこなかった。
余所者である自分が、そのように口出しをしていいこととは思えなかった。それこそ召喚師解放同盟と何ら変わりない。
――そりゃ、そうかもしれねえが。
マナヤは完全に勢いを失っていた。
「……お二人の気持ちは、よくわかりました」
と、そこへ目を閉じたランシックが言い放つ。
「テオ君とシャラさんがそうお考えならば、現状私は反対しません。ここは他国、住民らなりの歴史をたどり、彼らなりの価値観を育ててきた。そんな国に住む者達に、私達だけの考え方を強制するのは確かに問題ですからね」
そこでランシックは、いつになく真剣な表情になってテオとシャラを交互に見つめる。
「この件に関しては、まず現地の方々に直接会って確かめるべきでしょう。現状のままで良いのか、私達が手助けすべきなのか……判断は、それを確認してからでも遅くありません」
「……はい」
ランシックの言葉に、シャラが納得しておずおずと頷く。
ちょうどその時、馬車が速度を緩めていきゆっくり停車した。
「ランシック様、到着いたしました」
「わかりましたレヴィラ。それではみなさん、少しお待ちください」
馬車の窓越しに、レヴィラが声をかけてくる。ランシックが応じると、一人で馬車を下りて先へ進んでいった。目的地の村を防衛している門番らに話をつけにいくようだ。
窓の外をそっと見てみると、砂漠の中に突然現れたようなオレンジ色の巨大な岩の群れ。聖都にあった聖城の高さにも負けぬ、オレンジ色の岩の塊。それらが風や水によって削られ、幻想的な峡谷を創り出していた。地平線の向こうまで、その光景がずっと続いているようだ。
後ろにはどこまでも続くように見える砂漠。そして前方は忽然と現れた大峡谷。『ここから』と線を引いたかのように突然環境が変わっているその地形は、どこか現実離れした雰囲気を醸し出している。
その大峡谷の手前に聳えている、これまた大きな岩製の防壁。この防壁はコリンス王国にもよく見られる、亜麻色の石でできた一体型の壁だ。
しばらくするとランシックが戻り、再び馬車が動き出す。村に入ることが許されたのだろう。
岩の扉が重々しく開かれ、馬車は門塔がついている北門をくぐる。
「え、防壁の中に森?」
思わずテオも声に出してしまった。
村の中に入ってすぐ目に入ったのは、緑あざやかな木々。しかし樹の高さは低めで、一番高いものでも成人男性の身長ふたり分にも満たないくらいだ。そのぶん幹はやたらと太く、葉も妙に分厚い。その葉一枚一枚が自重に負け、枝からだらりと真下に吊り下がっている。
その奥は、石が積み上げられてできた建物が密集していた。コリンス王国風の、直方体の岩壁にドーム状の屋根がついている家屋ではない。円筒形の壁に円錐状の屋根が乗っている家だ。壁も屋根も、全てがブロック状の石を積み上げて造られている。
「おーい! こっちにも灰肥をよこしてくれ!」
「おう! 重いぞラサム坊、気を付けな!」
「ああ、ありがとなカマールおじさん!」
「ラサムくん! こっちの苗はどこにおいときゃいいんだい?」
「アルティさんか! 西隣の畑の横に置いといてくれ、すぐそっちに行く!」
小さな森の中で、一際声が大きく快活な青年がいそいそと土を掘り返していた。周りの村人達も、そんな彼に誘導されるかのように元気よく働いている。彼らもまた、四角い布を間を空けていくつも縫い合わせたような服を纏っていた。が、聖都の住民たちが来ていたものと比べ日の光で黄ばみ、土や煤で汚れている。
ほおっと感嘆するテオらに振り返り、底抜けに明るい笑顔のランシック。
「ここがデルガド聖国南西部の村、バルハイスです」
 




